2018年7月18日 (水)

新府の桃の風景

今年も「新府の桃」を買いに
梨北農協の新府共選場に行ってきた。

20180718a1

20180718a2

20180718a3

20180718a4

「新府の桃」の持ち帰り用を三箱購入。

20180718b1

20180718b2

新府共選場から見える新府城址と桃畑。

20180718c

帰りに「ひまわり市場」に寄ってみた。
テレビでも紹介されている地産地消のスーパー。
マイクパフォーマンスで有名な社長はいなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月17日 (火)

7月17日の風景~上田

母方の祖母は長野県の上田の生まれだが、
若い頃に一家で東京に移り住んできて、
昭和30年代までは、先祖の墓が上田の寺に
あったそうだけど、すでに記録は失われていて、
先祖のルーツを探りに上田市を訪れてみた。

山梨県北杜市大泉町の叔父の家に
埼玉の叔父も集合して、揃って上田へ。

20180717a

上田の駅前にある「よろづや」というお蕎麦屋さんが
遠い親戚にあたると母が祖母から聞いていたそうで
食事をして、会計を済ませ、ちょっと聞いてみたところ
接客をしていた若い男の子が店の息子さんで
厨房にいる現在のご主人を呼んできてくれて、
唯一、祖父が残したアルバムにある白黒写真で
墓参の折の祖母の姉妹の写真を見てもらうと
そのうちの一人が「これは私のおばあさんです」と
それで「この墓はうちの墓のところです」って、
菩提寺と墓地の場所が分かった。奇跡が起きた。

20180717b1

20180717b2

「よろづや」の長田さんに教えていただいて、
浄楽寺というかつて菩提寺だったお寺にお参り。
50年前のことだが、このお寺にお世話になっていた。

20180717c

少し離れた山の上にある浄楽寺の墓地。
もちろん墓はないが、古い先祖はこのどこかに
眠っていると思う。当時は土葬だったようで
墓を移すときにその場所の土を持ってきたらしい。

20180717d1

20180717d2

20180717d3

20180717d4

20180717d5

古い戸籍謄本に載っている祖母の父、
祖母の祖父の本籍地付近。現在の上田市上田。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月16日 (月)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四九)

土手の甚蔵がお賤のところへ強請りに来る場面。

丁度九月十一日で、余程寒いから素肌へ馬の腹掛を
巻付けましたから、太輪(ふとわ)に抱茗荷(だきみょうが)の
紋が肩の処へ出て居ります、妙な姿(なり)を致して、

博打ですっかり取られてきた甚蔵の姿だが、
9月11日で大そう寒いそうである。旧暦のことであり、
いま(新暦)に直すと10月下旬から11月はじめの頃。
すると、寒いというのも頷ける。現在の9月はまだ暑い。

新吉は他人(ひと)が来ると火鉢の側に食客(いそうろう)の様な
風をして居るが、人が帰って仕舞えば亭主振(ていしぶ)って(後略)

「居候」だが、「食客」と書いて「いそうろう」と読ませている。
落語では、「湯屋番」や「船徳」など、居候の若旦那の噺で
別のいい方として「食客」というのがよく出てくるのだが。

惜まれる人は早く死ぬと云うが、五十五じゃア
定命(じょうみょう)とは云われねえ位(くれえ)で

圓生師匠の「真景累ヶ淵~(八)聖天山」を聞いていると
まさにこの通りに聞けるのだが、「寿命」を「じょうみょう」と
読んでいるのかとこれまで勘違いをして聞いていた。
定められた命であり、字で読むとたしかに「定命」である。

甚蔵「(前略)借金の眼鼻を付けて身の立つ様にして貰うにゃア、
何様(どん)な事をしても三拾両貰わなけりゃア追付(おっつ)かねえから、
三拾両お借り申してえのさ、ねえ何うか」
お賤「何(なん)だえ三拾両呆れ返って仕舞うよ、女と思って
馬鹿にしてお呉れでないよ、何だエお前さんは、お前さんと私は何だエ、
碌にお目に掛った事も有りませんよ、女一人と思って馬鹿にして三拾両、
ハイ、そうですかと誰が貸しますえ、訝(おか)しな事をいって、なん、なん、
なん何をお前さんに三拾両お金を貸す縁がないでは有りませんか」

お賤の啖呵が聞きものだ。江戸の女である。
「お富与三郎」の「玄冶店」でお富の啖呵も迫力あるが、
それを思い出すような鮮やかな言い回しに聞き惚れてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月15日 (日)

東海道の風景から 69~保土ヶ谷宿

20180715d1

20180715d2

20180715d3

20180715d4

保土ヶ谷宿へ向かう途中の浅間神社。
西区浅間町1丁目の崖上にある神社。

20180715e

松原商店街の入口で八王子道との追分。
浅間町4丁目から保土ヶ谷区宮田町へ。

20180715f

保土ヶ谷駅近くにある宿場そば桑名屋。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東海道の風景から 68~神奈川宿

神奈川宿から保土ヶ谷宿まで歩いてきた。
暑かった。横浜の最高気温は33.4度らしい。

20180715a

京急神奈川駅の青木橋にて。
正面に山(公園)があるが、国鉄開通時、
切通しにして、線路が敷かれたらしい。
土は海の埋め立てに使われたのであろう。

20180715b1

20180715b2

神奈川区台町にある大綱金毘羅神社。

20180715c

同じく神奈川区台町にある料亭田中家の周辺。
広重の神奈川台の浮世絵にも描かれている場所。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月14日 (土)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「指のポキポキって何の音?」
関節の中に滑液があり、動くとガスが溜まるが、
そのガスの泡がはじける音である。

「なんで牛乳を飲むとき腰に手を当てるのか?」
牛乳瓶の飲み口の上が鼻に当たるので、無意識に
体をのけ反らせている。腰に手を当てた方が、
より後ろへのけ反らせることができるようだ。
牛乳瓶の飲み口は、昭和33年、26mm以上と定められた。
現在は34mmで瓶の中を洗いやすい形状となっている。

「ジーンズのポケットの中にある小さなポケットは何?」
ジーンズを履く労働者たちに懐中時計を入れるポケットを
求められ、リーバイスの創業者リーバイ・ストライスが、
懐中時計を入れるポケットを考案した。ウォッチポケット
といわれていたが、現在はコインポケットと呼ばれている。

「日本ではどうして左側通行なのか?」
道路交通法で道路の左側を通行するよう定められている。
江戸時代には、武士は左側の腰に刀を差していたので、
すれ違いで刀が当たり、伐り合いにならないように
左側を通行することとされていた。一方で世界では、
右側通行の国が多いが、ナポレオンが右側の通行を命じ、
フランスの征服地は右側通行である。明治時代に日本は、
イギリスの交通法を参考にして決めたが、イギリスは
ナポレオンに征服されなかったため、左側通行であった。
イギリス人も日本の武士と同じく左腰に刀を差していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月13日 (金)

第292回 柳家小満んの会

13日で小満んの会である。夕方から日本橋へ。
横須賀線で新日本橋へ行ったが、電車を降りて、
駅構内は暑いし、地上へ上がってくるとさらに暑く、
この蒸し暑い空気で、それでなくても体力消耗。

春風亭朝七:牛ほめ
柳家小満ん:浮世床
柳家小満ん:化物娘
柳家小満ん:涼み船

小満ん師匠の「浮世床」を聞くのは、今回がはじめてで、
寄席版とは違って、いろいろな挿入もあって、本と夢の間に
将棋の場面があり、駒の進め方で差しながら洒落をいい合う。
夢の後、髪結の親方が、代金を置かずに帰った者がいると。
畳屋の職人だから、とってきてやるということになるのだが、
「畳屋だけに床を踏みに来た」というオチ。畳の芯が畳床で、
藁やら土を踏み固めて作るのであり、畳屋の用語としては
イメージできるのだが、「床を踏む」で調べてみたのだが、
よくわからなかった。「太閤記」を読み上げる本の部分は、
くどくてしつこく、あまり好きじゃないのだが、でもなぜか?
小満ん師匠だと不思議に素直に笑えた。つかえて先に
進めないというのではなくて、読み違えて、間違えている、
音が異なると意味まで違ってきて、そうした言葉遊び的な
もって行き方なので、そこが重要なのかも。しつこくって、
もういいと不愉快になってくるのは、吃音的な演り方だ。
「化物娘」は、「本所の七不思議」のひとつだそうである。
実は行く前にちょっと検索してみたら、あらすじが出てきて、
つい読んでしまったものだから、話をしっかりなぞって聞いて、
年頃の娘さんを化物扱いするという、とんでもない噺ながら、
面白くて、大いに笑ってしまった。了見が問われてしまう。
禽語楼小さんというから明治前半の二代目の小さんだが、
速記(百花園)が残っていると書いてあって、近いところでは
志ん生師匠の録音が残されているらしい。帰ってきてから、
改めて落語事典で調べてみたのが掲載はなく、どことなく
圓生師匠の「遠山政談」に似ているのだが、それは別の噺。
「涼み船」は「汲みたて」である。しかしそこはサゲが違って、
「糞でも食らえ!」「食ってやるから持ってこい!」と船と船で
いい争っているところに肥船が一艘、抜けていくのではなく、
熊さんだったか、風呂上がりに師匠のところで一杯飲みたい、
刺身が食いたいと、なのに煙草まみれの湿気た塩煎餅を
食わされたものだから、食い物の恨みは恐ろしいのであり、
師匠と栄さんの船に飛び移ってきて、殴りかかると思いきや
「一杯飲ましてくれ!」と頼み込むオチ。抜け駆けをして、
師匠といい仲になった栄治を袋叩きにしてやろうという
なんとも物騒な展開なのだが、そういう嫌な雰囲気はなくて、
ただ陽気に楽しい印象なのは、小満ん師匠の工夫であろう。
肥船の「汲みたて」が出てこないので、よって題名も変わり、
「棚卸し」の際に「囃子船」の題名で演じられていたのだが、
その後、三遊亭圓右の公演記録に「涼み船」を見付けて、
内容は不明ながら、師匠はその題名が気に入られたそうで
今後は「涼み船」で演じてみたいとお聞きしたことがあった。
今回は「浮世床」と「涼み船」と仲間がワイワイ盛り上がり、
夏のノリでドタバタ騒動も沸き起こるものだから、より一層、
楽しく、笑って、なんとも心地のよい小満んの会であった。
ということで、来週19日の木曜日が横浜での小満んの会、
「道具屋」「麻のれん」「付き馬」の三席である。楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月12日 (木)

ロリン・マゼール 37

ロリン・マゼール指揮クリーブランド管弦楽団で
チャイコフスキーの交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
1981年10月5日にマソニック・オーディトリアムで収録。
昨日も聞いた「悲愴」の翌日に録音されているようである。
こちらも快速なテンポで、実に滑らかに音楽が進行して、
その集中力はすごい。驚異的な鮮やかさとバランス感覚、
引き締まっている部分とエネルギーが解放されるところで
そのスカッと鳴る気持ちのよさは最高であり、メリハリだが、
とにかく感動的だ。なんて素晴らしい演奏なのだろう。
マゼールの天才的なところとそれを仕上げていく上手さ、
第3楽章のピツィカートなど、あまりの速さに唖然として、
そして終楽章のさらに畳みかけるような盛り上がりで、
これで興奮しない人はいないのである。究極の名演!

SONY 88697932382

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月11日 (水)

ロリン・マゼール 36

ロリン・マゼール指揮クリーブランド管弦楽団で
チャイコフスキーの交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
1981年10月4日にマソニック・オーディトリアムで収録。
後半はウィーンフィルとの演奏でスラブ行進曲 作品31、
序曲「1812年」 作品49(ウィーン国立歌劇場合唱団)
1981年6月にウィーン楽友協会大ホールで収録。
これは間違いなく感動的な名演だ。マゼールは絶好調。
流れるように快速なテンポで音楽の仕上がりは滑らかに
すべての要素が合理的に成立して、そして明確に鳴る。
こんなにもハッキリとした表現はないのに少しも角がない。
どんどん前に進め、音楽の要素が次々に湧き出てくるのに
一点の揺るぎもなく、完璧に細部まで描き切る徹底ぶりだ。
音も美しくて、研き抜かれて吟味されたこの響きは究極的。
ウィーンフィルとの演奏では、音色がかなり明るくなって、
印象も変わってくるが、やはり隙なく、引き締まっている。

SONY 88697932382

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月10日 (火)

フランクフルト歌劇場2013

セバスティアン・ヴァイグレ指揮フランクフルト歌劇場による
R.シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」から後半。
2013年10月にフランクフルト歌劇場におけるライブ録音。
劇中劇の後半部分を聞いている。踊り子のツェルビネッタが
アリアドネの悲劇に見当違いな励ましをして、実に喜劇であり、
そこがコロラトゥーラな歌声で有名なアリアだが、その対比で
アリアドネの切々と歌うところやバッカスの説得は感動的だ。
貴族社会の遊びという雰囲気に満ちているが、その軽妙さに
モーツァルト的な世界を感じる瞬間が多々あり、響きも美しく、
しかしそのサロン的な時間の流れに迫力の展開は見られず、
そこは通好みの作品のようにも思われる。聞けば聞くほどに
面白くなってくることは間違いなく、内容が抜けない程度で
定期的に聞かなければと思った。「サロメ」や「エレクトラ」、
「ばらの騎士」以外の作品もR.シュトラウスは素晴らしい。

OEHMS OC947

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«フランクフルト歌劇場2013