2018年4月21日 (土)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「ドレミのドって何?」
ドレミファソラシドの元々は、
イタリアのグイード・ダレッツォが
ヨハネ讃歌の小節ごとに一音ずつ
上がっていく法則に気が付いて、
歌詞の頭の文字から取って、
ドレミファソラシドと決めた。
ドは「Ut」で「~のように」の意。

「お風呂に入るときのうぁ~はなに?」
湯船に浸かるときの体温との温度差による
ストレスを声に出すことで解消している。

「人はなぜペットを飼うのか?」
人は元々、群れの生活をする生き物だった。
資源を他に分け与えることで幸せを感じる
本性がある。それで群れを維持している。

「泥棒はなぜ唐草模様の風呂敷?」
明治30年頃から唐草模様の風呂敷が流行り、
どこの家にも箪笥の一番下には風呂敷が入っていた。
泥棒は手ぶらで空き巣に入り、箪笥を物色して、
その家の風呂敷に盗んだものを包んで出てきた。
当時は唐草模様の風呂敷は誰でも持っていたので、
街を歩いていて、怪しまれることはなかった。
その後、風呂敷は廃れたが、泥棒の唐草模様の
風呂敷包みのイメージだけが、今も残っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小満ん語録~夏子物語

久須美酒造の「夏子物語」という日本酒の
瓶のラベルが小満ん師匠の書である。
新潟の酒屋さんからネットで取り寄せてみた。
語録ではないのだけど、師匠の見慣れた字。
どういう経緯で字を書いたのかはわからないが、
新潟県長岡市(旧和島村)にある久須美酒造は、
漫画「夏子の酒」のモデルになった蔵元だそうで、
1994年にドラマ化されて、和久井映見や中井貴一、
萩原聖人が出演したようだが、知っているような…
知らないような、それにちなんでの「夏子物語」。
久須美酒造は、天保四年(1833)の創業。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月20日 (金)

ヴァーツラフ・ノイマン 9

ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコフィルで
マルティヌーの交響曲全曲を作品順に聞いてきた。
今日は、交響曲 第5番と第6番「交響的幻想曲」。
第5番が1978年9月26-29日で全集が完成し、
一方で第6番がシリーズの最初の録音であって、
1976年1月9-14日にプラハのルドルフィヌムで収録。
第6番「交響的幻想曲」はマルティヌーの代表作だが、
他の交響曲はこうして全集を探さないと聞く機会がなく、
しかし改めて丁寧に聞いてみると素晴らしい作品だ。
チェコの指揮者は取り上げているし、チェコの楽団も
このように録音を行っているのだけど、もっと世界的に
メジャーな場所で演奏されれば、親しまれるのにと思う。
交響曲第6番はボストン交響楽団の委嘱作品だが、
完成した1953年は、マルティヌーがアメリカを離れ、
ヨーロッパに戻った年。帰国は果たせなかった。

CDR933

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月19日 (木)

マルク・アンドレ・アムラン 12

マルク・アンドレ・アムランでアルベニスの「イベリア」、
昨日に続いて、「イベリア」の第4集と晩年の小品から
ラ・ベガ、イヴォンヌの訪問、スペインの思い出、ナバーラ、
2004年8月25,26日にロンドンのヘンリー・ウッド・ホール。
「イベリア」では躍動するリズムが鮮やかに力強く運動するが、
ラ・ベガ以降の小品では、非常に繊細な響きが印象的であり、
世界がガラッと変わって、またよかった。そしてナバーラだが、
こちらも派手になることのない抑制の効かせたディテールで
細やかな動きが普段以上にクリアに鳴り出し、独特である。
薄味に聞こえるというのとは違って、これがアムランであり、
クールな装いを徹底して、超絶技巧や演奏者の存在にまで
気配を消していくような、これが真のヴィルトゥオーゾである。

hyperion CDA67476/7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月18日 (水)

マルク・アンドレ・アムラン 11

マルク・アンドレ・アムランでアルベニスの「イベリア」、
今日はその前半で、第1集から第3集を聞いている。
2004年4月7,8日にロンドンのヘンリー・ウッド・ホール。
アリシア・デ・ラローチャの演奏が音色も表現も自然体で
基準にもなっていると思うのだが、アムランは精妙であり、
スペインのピアニストたちとは違うアプローチを目指してか、
切れ味のよさ、鋭角なリズム処理は極めて特徴的である。
独特な情熱的な表情は抑えられて、響きは澄んでいて、
この研き抜かれた感覚はアムランならではの仕上がり。
色彩もなく、モノトーンであり、しかしここは、夜の世界で
闇の中にふと気付いた大地の薫りを想うとピンとくる。
それにしてもこの音楽の中にある風景は素晴らしい。

hyperion CDA67476/7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月17日 (火)

エリーザベト・レオンスカヤ 5

エリーザベト・レオンスカヤでシューベルトの作品、
ピアノ・ソナタ ハ短調 D.958と変ロ長調 D.960
1997年2月にベルリンのテルデック・スタジオで収録。
雄大な構えで、ここで音楽は再び引き締まり、硬質に
細部にまで丁寧に作り上げられた表現は素晴らしい。
華やかさよりもシューベルト晩年の作風に合わせて、
音色も渋めの印象があり、まさにロシアの伝統である。
レオンスカヤのシューベルト(独奏曲)はこれで完結、
すると主要な作品でも何曲か残っており、惜しい。
この2曲を一遍に聞いてしまうのは、贅沢である。
どちらもそれだけの重みがあって、感動的だった。

WARNER 0190295974954

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月16日 (月)

落語につぶやき 292~残り富

テレビで宝くじの一億円に当たった人が、
買い方や当たる秘訣を話していたのだけど、
「残り物には福がある」そうで、それを思うと
「富久」でも「宿屋の富」でも最後の一枚である。
江戸の頃にも残り物の福が信じられていたのか。
また「最後の日に買うべし」という教えもあり、
それは「宿屋の富」でも「御慶」でも札を買うと
富の当日ですぐに突きはじめるので直前である。
当たる秘訣はあるのかもしれない。もうひとつ、
連番ではなく「バラで買う」のがいいそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月15日 (日)

落語につぶやき 291~松葉屋瀬川

去年、安倍首相が森友か加計問題の答弁で
「李下に冠を正さずの例えもある」として
李(すもも)の木の下で冠をかぶり直すと
実を盗んでいるのと勘違いされることがある、
そういう誤解を招くようなことはするなという、
諺が引用されたのだったが、圓生師匠で
「松葉屋瀬川」を聞いていると出てくるのだ。
若旦那が吉原の花の会に行くといい出して、
儒者と偽った幇間が「君子危うきに近寄らず、
李下に冠を正さずという例えもある」と戒める。
それは策略なのであり、行くなといわれると
行きたくなるものであって、案の定、その後、
若旦那の吉原通いがはじまり、勘当になる。
落語には、そういう難しい言葉が使われて、
それを口にするのが幇間だったりもする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月14日 (土)

東京の風景から 79~合羽橋

20180414a

ちょっと合羽橋に行ってきた。
青海波のきれいな盃を見付けて、
気に入って買ってきた。有田焼。
合羽橋なので値段は良心的だ。

20180414b

ヨシカミで遅いお昼ごはん。
今回はポークソテー、美味しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「人はなぜうれしいと胴上げをするのか」
民俗学的には、悪いものを払うという意味で
振り上げる風習があった。興奮状態の人は、
何かにとり憑かれているとも昔は考えられて、
素面に戻すため胴上げされるようになった。

「ショートケーキはどれか?」
不二家の創始者がアメリカで見つけたのが、
クッキーでイチゴと生クリームを挟んだ
ショートケーキであった。クッキーには、
材料にショートニングが使用されており、
この場合の「ショート」とは「サクサク」と
食感を表す意味で使われて、日本に戻り、
それを再現する際に広く馴染みのあった
カステラを用いることにした。カステラで
イチゴと生クリームを挟んだケーキを
総じて「ショートケーキ」と呼んでいる。

「桜はなぜいっせいに咲くのか?」
江戸時代に大島桜と江戸彼岸桜を掛け合わせ、
突然変異で生まれたのがソメイヨシノである。
よってその種を育てても同じ花が咲くことはなく、
接ぎ木によって、クローンを増やしていった。
つまり世界中に広まっていったソメイヨシノは、
元は同じ一本の木であり、同じ遺伝子なので
時期が来るといっせいに咲きはじめるのである。
ちなみにアメリカに桜を贈った際、その返礼に
日本に送られて来たのが、ハナミズキであった。

「なぜ右利きが多いのか?」
人類が進化の過程で狩猟をはじめると仲間を作り、
意思疏通のために言語をもつようになった。
言葉を使うと左脳が発達し、左脳は右半身を司り、
その結果、右利きの人が増えた。9:1の割合。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«ルイ・ロルティ 2