2018年1月20日 (土)

東京の風景から 70~大黒屋

20180120

東海道大森のミハラ通りには、
餅甚ともうひとつ御菓子司があり、
こちらは大森本町の大黒屋である。
名物はのり大福。実においしい。
戦後、海が埋め立てられるまでは、
蒲田、大森の海でも海苔の養殖が
盛んに行われていた。その名残りで
餅に青海苔を練り込んだ大福である。
海苔は、今はもう作っていないけれど、
この辺りは海苔屋さんが非常に多い。
大田区大森本町で京急平和島の近く。

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2018年1月19日 (金)

アレクサンドル・タロー 4

アレクサンドル・タローによるプーランクの作品集。
プレスト 変ロ長調、メランコリー、
フランス組曲(ブルゴーニュのブランル舞曲、パヴァーヌ、
小軍隊行進曲、コンプラント、シャンパーニュのブランル舞曲、
シシリエンヌ、カリヨン)、8つの夜想曲、3つの常動曲、
村人たち(チロル風ワルツ、スタッカート、田舎風に、ポルカ、
小さなロンド、コーダ)、間奏曲 第2番 変ニ長調、
3つの小品(パストラル、讃歌、トッカータ)
アレクサンドル・タローが26歳ぐらいのときの録音と思われる。
詳しくはわからないのだが、流通しているCDでは最初の時期。
プーランクはあまり聞かないので、これで勉強している感じだが、
若き日のアレクサンドル・タローは、素晴らしく魅力的な演奏。
プーランクのピアノ作品は基本的に心地よい曲ばかりなので
きちんと聞けば、すぐに親しみを覚えるが、興味が湧いてきた。

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2018年1月18日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四三)

新吉と作蔵が戻ってくる場面。

新吉「…蚊帳を窃(そっ)と畳んで、離れた処(とけ)え
持って行って質に入れれば、二両や三両は貸すから、
病人に知れねえ様に持出そう」
作蔵「だから金と云うものは何処(どこ)から来るか
知れねえなア、取るべえ」

三蔵の置いていった蚊帳を取り上げようとして

新吉「金を置いて行った、そうか、どれ見せろ」
作蔵「だから金は何処(どこ)から出るか知んねえ、
富貴(ふうき)天にあり牡丹餅(ぼたもち)棚にありと
神道者(しんどうしゃ)が云う通りだ、おいサア行くべえ」

「牡丹餅は棚にあり」は落語によく出てくる。
もちろん「棚から牡丹餅」の棚の上。

累「…金をお持ち遊ばして其の上蚊帳までも持って行っては
私(わたくし)は構いませんが坊が憫然で」
新吉「何(なん)だ坊は己の餓鬼だ、何だ放さねえかよう、
此畜生(こんちきしょう)め」
と拳(こぶし)を固めて病人の頬をポカリポカリ撲(ぶ)つから、
是を見て居る作蔵も身の毛立(だ)つようで、

何かに憑りつかれたかのように新吉は残酷な振る舞いで。

新吉「なに、此畜生め、オイ頭の兀(はげ)てる所(とこ)を打(ぶ)つと、
手が粘って変な心持がするから、棒か何か無(ね)えか、…」

新吉はこれまでとまるで別人のようである。
一体、何がそうさせているのか。

累「アアお情ない、新吉さん此の蚊帳は私が死んでも放しません」
と縋(すが)りつくのを五つ六つ続け打(うち)にする。
泣転(なきころ)がる処を無理に取ろうとするから、
ピリピリと蚊帳が裂ける生爪が剥(は)がれる。
(中略)
作蔵「爪がよう」
新吉「どう、違(ちげ)えねえ縋り付きやアがるから生爪が剥がれた、
厭な色だな、血が付いて居らア、作蔵舐(な)めろ」

気持ち悪くて、ゾッとする表現。
幽霊が出るよりもよっぽど恐ろしい。

新吉「何をいやアがる」
とツカツカと立ち戻って来て、脇に掛って有った薬鑵(やかん)を取って
沸湯(にえゆ)を口から掛けると、現在我が子與之助の顔へ掛ったから、
子供「ヒー」
と二声(ふたこえ)三声(みこえ)泣入ったのが此の世のなごり。

一番恐ろしいのは、幽霊でもなく、この世の人間だと。

斯う憎くなると云うのは、仏説でいう悪因縁で、心から鬼は有りませんが、
憎い憎いと思って居る処から自然と斯様(かよう)な事になります。

と、圓朝は締めくくっている。

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2018年1月17日 (水)

ミシェル・ダルベルト 3

ミシェル・ダルベルトによるドビュッシーの作品で
映像 第1集と前奏曲集 第1巻を聞いている。
1997年12月9-12日にラ・ショード・フォンで収録。
洒落の効いた表現の揺らぎを爽快な中に漂わせて、
そうしたところに何とも抜群のセンスを感じるのだが、
明瞭なテクニックは鮮やかであり、研ぎ澄まされて、
どうもリストの作品のように響いてしまうところは、
好みが分れる。音楽の明解さは最大の武器だけど、
霧の中に見え隠れする柔らかな風景は存在しない。
その点では、前奏曲集の方が好みに近い気がする。
音色の透明感と絶妙な色付けの仕上がりは絶品だ。
ダルベルトは2015年の最近になって、続編のような
映像 第2集と前奏曲集 第2巻を録音しており、
その前に比較の意味でもこちらを聞くことにした。

RCA 74321 606292

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2018年1月16日 (火)

エリーザベト・レオンスカヤ 2

エリーザベト・レオンスカヤでシューベルトの作品、
ピアノ・ソナタ イ長調 D.959とト長調 D.664
1992年3月にベルリンのテルデック・スタジオで収録。
まさにリヒテル、ギレリス、ベルマンを思わせるような
ロシア的な硬質な響きなのだが、音色は明るい色調で
ゆったりとした流れの中で豊かな表情で描き込まれて、
これは感動的な演奏だ。ソ連時代のどこか威圧的で
音楽への厳しさゆえに聞く人を寄せ付けないような、
そうした感覚はここにはない。親しみをもって聞けて、
それが時代の変化なのか、レオンスカヤの音楽性か、
どちらにしても魅力にあふれたシューベルトである。

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2018年1月15日 (月)

小満ん語録~ブルドック

13日の小満んの会で戌年にちなんだ小噺。
正確にはわからないが、こんな感じだったと。

はじめてブルドックを見る子供には、
それは恐ろしい形相だと思いますが、
「おっかぁ、おっかぁ、いまね、ブルドックがね」
「あらま、たいへん、恐かったでしょ」
「うん、あたいのことをね、べろべろっと味見した」

この程度にしか思い出せないのだけど、
すっかり気に入ってしまって、ブルドックは、
イギリスで闘犬用に改良された品種で
ブル(bull)とは雄牛のことだそうである。

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2018年1月14日 (日)

東京の風景から 69~餅甚

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12日の朝日新聞夕刊で紹介された
大森のミハラ通りにある「餅甚」で
名物の名代あべ川餅を買ってきた。
享保元年(1716)創業の御菓子司。
大田区大森東一丁目の旧東海道沿い。
この餅が絶妙な美味で私のお気に入り。

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内川橋にて内川の風景である。

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2018年1月13日 (土)

第289回 柳家小満んの会

今年最初の小満んの会で夕方から日本橋へ。

金原亭駒六:道灌
柳家小満ん:犬の字
柳家小満ん:葱鮪の殿様
柳家小満ん:明烏

2018年は戌年であり、初っ端は犬の噺で「犬の字」から。
「元犬」の元という噺で三代目圓馬師匠の速記を頼りに
ということが案内されていたが、満願の日に毛が抜けて、
人になったところに…ここまでは「元犬」とほぼ一緒だが、
かわいがってくれた上総屋さんの旦那がやって来て、
白犬が人になった経緯をきちんと話し、上総屋の弟で
越後屋さんに恩返しの奉公をしたいと只四郎はいう。
場所が蔵前の八幡様だが、蔵前なので上総屋は札差し、
その弟で牛込の越後屋は、米つながりで搗米屋である。
お馴染みの「元犬」は、上総屋が口入屋でちょっと違い、
その恩返しの奉公の訳はというと、五年前の野犬狩りで
白犬が捕まりそうになったところを越後屋の旦那が助け、
命の恩人なのであり、それで一年間、我武者羅に働き、
上総屋の女中でおもよさんと夫婦にしようと話しが出る。
犬の本性が表れてはいけないと酒を飲ませ試すのだが、
只四郎はすっかり酔って、大の字になって寝てしまった。
肩のところに枕があって、犬の本性が表れたというオチ。
大の字でなくて、それで「犬の字」の題名なのである。
「元犬」の別型でもっと演じられればいいのに。面白い。
続いて、この寒い季節にぴったりの「葱鮪の殿様」だが、
小満ん師匠の「葱鮪の殿様」は以前に聞き逃しており、
今回がはじめてだと思う。ときどき演じられているので
聞いている方は多いと思うのだが、下谷の七不思議が
わかりやすくて、勉強になり、ありがたかったのだけど、
湯島の切通しから上野広小路の様子を説明する中で、
昔からこの「下谷の七不思議」が入っているものだが、
どうも噺が脱線して、流れが分断されている気がする。
そういうものだから仕方ないか。雪の極寒の風景に、
煮売屋から湯気が立ち上り、庶民の雑な料理ながら、
こんなにも美味そうな料理はないと思わせる葱鮪鍋、
それに熱燗の酒であり、その暖かさが最高の贅沢だ。
殿様の衝撃を一緒に味わうと幸せな噺なのである。
そして三席目は、新年にふさわしいお馴染み「明烏」。
二月の初午の情景なので、正月ということもないけれど、
はじめに聞くというイメージもあって、横浜でも以前に、
1月に演じられたことがある。明るい気持ちになって、
実に楽しい。小満ん師匠の「明烏」も有名ではあるが、
文楽師匠と同じく十八番で鉄板ネタという印象がある。
ということで、22日の月曜日は、横浜の小満んの会、
演目は「お楠物語」「花筏」「火事息子」。楽しみである。

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2018年1月12日 (金)

ギャリック・オールソン 3

ギャリック・オールソンによるリストの作品集(第1巻)で
バッハのコラールによる幻想曲とフーガ(ブゾーニ編曲)、
そしてピアノ・ソナタ ロ短調という大作2曲を聞いている。
2009年4月にニューヨーク州立大学の舞台芸術センター。
バッハのコラールによる厳粛な雰囲気をもつ作品にはじまり、
その流れでリストの華麗な側面を抑え、ピアノ・ソナタも含め、
全体に荘厳な響きで統一されているところに私は惹かれた。
ベーゼンドルファーのピアノが使用されており、深い音色で、
角の取れた輪郭ながら豊かに鳴り響いて、素晴らしい録音。
ギャリック・オールソンのスケール大きい演奏にぴったりで
細部の表情にまで丁寧に感動的な名演だ。巨匠の風格で
一方の超絶技巧の安定感も圧倒的であり、完璧に思える。

BRIDGE 9337

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2018年1月11日 (木)

マルタ・アルゲリッチ 1

マルタ・アルゲリッチによるシューマンの作品で
子供の情景 作品15、クライスレリアーナ 作品16
1983年4月22-26日にミュンヘンのプレーナーザール。
昨日はジョナサン・ビスのクライスレリアーナを聞いたが、
そのひと時代昔の1980年代を代表する名盤を聞いている。
アルゲリッチは天才的というか、感情の起伏が極端に激しく、
繊細な弱音から叩きつけるような強打まで思いのままである。
いま改めて聞くとその繊細な表現の方が美しくて、私はいい。
逆に感情の激しい部分は、やはりどうも基本的には好まない。
とはいいながらも聞く人をこれだけに惹き付けるのだから、
やはりそこがアルゲリッチなのであり、たとえ好みでなくても
これは名演であることを認めざるを得ない、そんな境地だ。

DG 410 653-2

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