2024年6月20日 (木)

クリスティアン・ティーレマン 19

クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンで
ブルックナーの交響曲 第8番 ハ短調(ハース版)
2009年9月14日にドレスデンのゼンパーオーパー。
ティーレマンのブルックナーの交響曲 第8番というと、
かなり作り込み、大見得切った演奏を思い浮かべるが、
ここでは抑えられているのか、わりと普通に感じられる。
するとどこか物足りない気もして、いろいろ考えてしまう。
荒々しいまでの跳躍とか、大胆なアクセント付けもなく、
シュターツカペレ・ドレスデンの音色の輝きを聞かせて、
優先するものが変わってきているというのもありそうだ。
それ以前からのティーレマンの独特の表現スタイルは、
ここにも存在しているので、しかしそれが目立つことは、
なくなってきて、音楽の中に存在している様々な要素が、
ひとつずつクローズアップされて、際立っていたのから、
ここではそれよりも音楽の全体像が明確に表れるよう、
かなり変わってきているようにも思われる。この演奏も
15年前の録音で、その後、ティーレマンがどのように
変貌してきたのか、というのを順に聞き進めていきたい。
この第8番は2019年にウィーン・フィルで再録音して、
ドレスデンでのライヴに続いて、そちらも聞いていく。

Profil PH10031

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2024年6月19日 (水)

ダニエル・バレンボイム 63

ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルによる
ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第3幕
1994年10,11月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
前奏曲からトリスタンの苦しみを際立たせるような、
壮絶な感じはなく、穏やかに聞かせていくけれど、
夢の中で希望と絶望を行き来して、表れる明暗で
そこで個性を発揮するのではなく、ただただ誠実に
丁寧に聞かせ、それがいいのである。浮き沈みで
切り替わるのではなく、波があって、波が大きいと
荒々しく、錯乱状態に陥るのであって、表現の幅で、
トリスタンの心理を描き、音で情景が伝わってくる。
この第3幕第1場のトリスタンの場面は感動的だ。
どこまでも献身的に付き添うクルヴェナールであり、
注目のファルク・シュトルックマンだが、素晴らしい。
このとき36歳ですでに活躍していたのであろうが、
やはりここでも存在感を発揮し、聞き入ってしまう。
イゾルデの船が到着し、音楽もいきいきと高揚して、
濃厚にならずに、この豊かな表現には、感動する。
この時代には、ジークフリート・イェルザレムは、
ワーグナー・テノールの代表的存在であったが、
どうも耳に届いてこない。それはなぜであろうか。
ヴァルトラウト・マイアーのイゾルデは圧倒的で
登場して、トリスタンの元に駆けつけるところから、
第3場の愛の死まで、ハッキリとその存在を感じ、
音だけで聞いていても目の前にいるのである。
声が通って、こちらに伝えてくる想いがすごい。
この1990年代、バレンボイムのワーグナーは、
一定の評価を得ていたが、その録音に関しては、
どうも絶賛されている印象はなかったのだけど、
時間も経ち、時代も変わって、いま改めて聞くと
引き込まれる要素は多々あり、心から感動する。

TELDEC 4509-94568-2

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2024年6月18日 (火)

ダニエル・バレンボイム 62

ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルによる
ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第2幕
1994年10,11月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
第2幕は圧倒的に素晴らしい。トリスタンとイゾルデの
互いに感情を抑え、気持ちを押し殺してきたところが、
ここで一気に開放されて、歯止めが効かないのであり、
その爆発する想いが音楽に反映され、描かれている。
バレンボイムは彫りの深い音で豊かに、あえてここで、
大きく飛躍する展開を生み出して、忍耐の第1幕との
それは対比でもあり、耐え抜いた人だけに与えられる、
ご褒美のようなもので、この感動はまさに絶大である。
バレンボイムの51歳から52歳にかけての録音だが、
少し前の演奏であり、まだ若かった頃ともいえるけど、
やはりワーグナーを深く愛して、理解している。それを
こうして聞ける我々は幸せである。二人の再会までの
いきいきとした盛り上がりから第2場の愛の二重唱で
静かに深く、没入していく感覚は、まさに理想である。
それが絶頂へと高揚し続け、死に向かって突き進む、
その煽り、まくし立てる感覚は、またさらに感動的だ。
マルケ王の一団が乱入し、暗く沈むモノローグへと、
マッティ・サルミネンがマルケ王を歌い、苦悩の中に
慈悲に満ちた印象もあり、メロートがヨハン・ボータ、
クルヴェナールがファルク・シュトルックマンという、
後の重要なワーグナー歌手がここに結集している。
第3幕で活躍するが、ファルク・シュトルックマンが
凛とした歌声で、クルヴェナールでは独特なのだが、
存在感があって、素晴らしい。これは最高の感動だ。

TELDEC 4509-94568-2

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2024年6月17日 (月)

ダニエル・バレンボイム 61

ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルによる
ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第1幕
1994年10,11月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
バレンボイムによるワーグナーの楽劇を久しぶりに聞く。
ベルリン・フィルとの楽劇「トリスタンとイゾルデ」だが、
まさにこの時代にバイロイト音楽祭でバレンボイムが
「トリスタンとイゾルデ」を指揮していたので、この当時、
ワーグナーの楽劇では象徴的存在として知られていた。
この第1幕は比較的、安定して落ち着いた仕上がりで、
骨太に重厚に進めていくところもあり、しなやかな表現で
作り込まれた音色で聞かせるクライバーの演奏などとは、
かなり印象は違っている。スタンダードな感想も出てきて、
ワグネリアンならば、すぐに入り込んで、惹かれるけれど、
馴染まない人には、なかなか厄介に長い第1幕である。
音楽の流れよりもベルリン・フィルの力強い響きにより
各所で迫力の音を聞かせて、それらがひとつひとつに
聞く人に衝撃を形作っていく点で、マニア向けではある。
ということで、この演奏も買って最初に聞いたときには、
どうも音が心にまで浸透してくることはなかったのだが、
現在は隅々まで聞き取れる耳を持つことができたので、
バレンボイムの音楽を堪能できている。81分の中で、
着実にしっかりと盛り上げていき、後半の第5場など、
見違えるように勢いが出て、圧倒されるところもあり、
やはり感動的である。それは抑えていた想いを爆発し、
死に向かって、毒をあおる激しい感情の表れであって、
トリスタンとイゾルデの二人の状態を表現することに
尽きるのであり、バレンボイムは丁寧に誠実である。
歌手も充実でヴァルトラウト・マイアーのイゾルデが、
ひと際、目立ち、歌がこちらに届いてくるのを感じる。

TELDEC 4509-94568-2

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2024年6月16日 (日)

マティアス・ゲルネ 3

マティアス・ゲルネの歌うシューベルトの歌曲で
郷愁 D.456、ドナウ河の上で D.553
ウルフルが釣りをする時 D.525
星の夜 D.670、帰り道 D.476、秘密 D.491
ゴンドラの舟人 D.808、夕べの星 D.806
勝利 D.805、夜の曲 D.672、解消 D.807
ヴィルヘルム・マイスターからミニョンの歌
語らずともよい、黙っているがよい D.877-2
ただ憧れを知るひとだけが D.877-4
ミニョンに D.161
竪琴弾きの歌 D.478-480
孤独に身を委ねる者は D.478
涙を流しながらパンを食べたことのない者は D.479
家々の門辺に歩み寄り D.480
流れのほとりで D.160、恋人の近くに D.162
漁師 D.225、湖上にて D.543
悲しみの喜び D.260、出会いと別れ D.767
ピアノはエリック・シュナイダーで
2007年10月にベルリンのテルデックス・スタジオ。
マティアス・ゲルネのシューベルトのシリーズから
エリック・シュナイダーとの共演による歌曲集である。
これは渋い選曲で、しかしそれゆえに味わい深くて、
じっくりと落ち着いて、その世界に引き込まれていく。
ごく有名な曲はないのだが、親しみある作品はあり、
それらを頼りに聞き進めていくとまた先に踏み込み、
満たされるものがある。マティアス・ゲルネの歌は、
やはり魅力的だ。エリック・シュナイダーのピアノも
歯切れのよい表現を基本に、しかし歌に合わせて、
奥行きのある音色を聞かせている。シューベルトの
歌曲の世界は最高だ。聞くほどに関心は深まって、
聞いていないといられない惹きつけるものがある。

Harmonia Mundi HMX2904046

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2024年6月15日 (土)

マウリツィオ・ポリーニ 21

マウリツィオ・ポリーニによるノーノで
力と光の波のように(1971-72)
クラウディオ・アバド指揮バイエルン放送交響楽団で
1973年10月にミュンヘンのヘルクレスザール、
苦悩に満ちながらも晴朗な波…(1976)
1977年9月にミュンヘンのヘルクレスザール、
コントラプント・ディアレティコ・アラ・メンテ(1968)
ニノ・アントネリーニ指揮RAI室内合唱団で
ミラノのRAIスタジオで制作されたテープ作品。
ポリーニの現代音楽で、お気に入りのCDだが、
久しぶりに聞いてみている。ノーノの作品というと
断絶する響きに緊張感の生まれる後年の作品を
思い浮かべるが、1970年代は過激な作風であり、
録音して、加工されている音響と同時に演奏して、
力強く、熱のこもった作品である。かなり凄まじい。
最初に聞いたときは衝撃的で、夢中になったが、
いまではごく自然な気持ちで、普通に聞いている。
これらの演奏を原点にして、興味は広がり続けた。
「苦悩に満ちながらも晴朗な波…」は実演も聞いて、
この録音の後もポリーニはずっと大切にしていたが、
素晴らしい作品で、強く惹かれて、音がまた美しい。
最後のコントラプント・ディアレティコ・アラ・メンテは、
テープ作品だが、極限まで可能性の追求であり、
できないことはないと思わせる壮大な実験である。

DG 423 248-2

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2024年6月14日 (金)

ピエール・ブーレーズ 18

ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルで
ラヴェルのバレエ「ダフニスとクロエ」
1994年5月にベルリンのイエス・キリスト教会で収録、
ラ・ヴァルス
1993年3月にベルリンのイエス・キリスト教会で収録。
ブーレーズの「ダフニスとクロエ」をDGでの再録音で
久しぶりに聞いている。やはり最高だ。感動的である。
1990年代以降のブーレーズはすっかり穏やかになり、
普通になってしまって、もうブーレーズではないって、
そういうことをいう人もいるが、全くそんなことはなく、
ただただひたすらに素晴らしい。キレキレに鋭く攻め、
改めて聞くと思う以上によく鳴っているし、テキパキと
音楽を明解に進め、独特の歯切れよさもあるわけで、
その辺はまさに絶好調のブーレーズそのものである。
歌い込んで、雰囲気で聞かせるという、甘い情景は、
どこにも見られないが、ブーレーズにそういうものは、
期待していないのであり、これがよく、これなのである。
間違いなく究極の「ダフニスとクロエ」であり、理想だ。
真っすぐにこちらに向かってくる輝きには驚かされる。
ラ・ヴァルスはボレロやマ・メール・ロワと同じときの
1年前の録音であり、少し分析的でもあり、端正に
さらに明瞭な音に仕上がっている。ここではあえて、
躍動する感じを抑え、熱気もなく、それもまた独特か。
後半は冷静なアプローチで、迫力だけが強調されて、
その不思議なバランス感覚がまたとりわけ個性的だ。

DG 447 057-2

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2024年6月13日 (木)

ベルナルト・ハイティンク 66

ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団で
ショスタコーヴィチの交響曲 第8番 ハ短調 作品65
2006年9月23日にミュンヘンのフィルハーモニー。
ベルナルト・ハイティンクが77歳のときの録音だが、
後年の演奏は、どの録音を聞いていても力みは取れ、
自然体な音楽作りであり、一方で引き締まった響きは、
若い頃と変わらず、緊張感に満ちて、感動的である。
ハイティンクは素晴らしく、聞けば聞くほどにそう思う。
交響曲 第8番 ハ短調は、コンセルトヘボウでの
1982年の録音が知られるが、その後も取り上げて、
知る限りでもベルリンやドレスデンでも演奏しており、
バイエルン放送交響楽団とこれは極め付けである。
確固たる表現は不変であり、一方で少し雄弁になり、
表情に豊かさも見られるような、厳しさだけでなくて、
ユーモアに加え、優しさもにじみ出るような、後年の
ハイティンクの余裕と貫禄にはすっかり夢中である。
バイエルン放送交響楽団では、間違いなく、他にも
ショスタコーヴィチの交響曲を取り上げているかと、
残されている録音は、ぜひ聞かせてほしいのである。

BR 900214

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2024年6月12日 (水)

ダニエル・バレンボイム 60

ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルによる
ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」~第3幕
1989年12月、1990年1,3月にベルリンのイエス・キリスト教会。
前奏曲からまたさらにテンポを落として、極限にまで
精妙な響きが追及されており、瞬時に引き込まれて、
これは感動的である。ここまでくるとバレンボイムの
意図や音作りのすべてに協調できるようにもなるが、
この第3幕はまた一層に微細なところまで描き出し、
そもそもバレンボイムは、清らかに美しい音色など、
引き出そうとはせずに、ただただ厳粛なのである。
表面的なものではなく、精神の清らかさがなくては、
この響きは出せないのであり、その想いを汲み取り、
その意味で、この第3幕は圧倒的な演奏であった。
マティアス・ヘレのグルネマンツに聞き惚れてしまう。
バレンボイムがバイロイトにて、1987年の1年だけ、
「パルジファル」を指揮しているのだが、そこでは、
マティアス・ヘレはティトゥレルであった。2年後に、
バレンボイムはグルネマンツに抜擢して、一方で
その時代のバイロイトの「指環」でファーゾルトと
フンディングで共演していた。マティアス・ヘレが
グルネマンツを歌ったのは、1996年以降であり、
当初はハンス・ゾーティンの代役であったのだが、
2000年と2001年は、全公演で歌いきっている。
ジークフリート・イェルザレムのパルジファルは、
どうも心に響いてこないのだが、録音上の問題で、
歌声が捉えられていないということを感じてしまう。
久しぶりにバレンボイムの「パルジファル」を聞き、
本当に素晴らしい演奏であった。最初のときには、
まだ作品への理解が浅かった頃でもあったので、
細かいところに気付けなかったのだけど、今回は、
しっかりと隅々まで聞き取れて、バレンボイムの
考え方や音に込められた想いを堪能できたと思う。

TELDEC 9031-74448-2

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2024年6月11日 (火)

ダニエル・バレンボイム 59

ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルによる
ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」~第2幕
1989年12月、1990年1,3月にベルリンのイエス・キリスト教会。
第1幕を聞き込んで、バレンボイムの音作りに馴染み、
するとこの第2幕でも自然に聞きはじめてしまうのだが、
やはりシンフォニックな響きで、渋く、色彩は抑えられ、
この前半の花園の場面でも派手さはなく、流れるように
極彩色な印象はどこにもない。舞台はなく、音で聞いて、
それゆえにこの仕上がりがいいのかもしれず、一方で
舞台があっても色彩的な情景を引き立たせるのには、
音楽はこれもひとつの答えでもあるように思えてきた。
若き日のバレンボイムによる誠実な表現なのであって、
後にはさらにしなやかに豊かな色彩を獲得するという、
そうしたことはあったかもしれないけれど、どちらにせよ、
この変わらず、モノトーンな色調を貫く姿勢も感動する。
クンドリーのパルジファルへの誘惑は、クリングゾルの
命令に逆らえなかったのであり、自らの意思ではないと
その前提があるのかもしれないが、ここで聞いていても
ヴァルトラウト・マイアーの歌には、甘美な印象はなく、
むしろ清らかさも漂う歌声に、それがパルジファルの
記憶を呼び起こし、悟りを開かせることにつながると
そういうことかもしれないが、どこか哲学的な二重唱で
引き込まれてしまう。アンフォルタスの苦しみを理解し、
パルジファルの歌には力がこもり、説得力が生まれ、
劇的に変化するが、ジークフリート・イェルザレムの
歌が仕上がりの点で、少し遠く、迫りくる感じがなくて、
これは録音上の問題であろうけれど、残念ではある。
音楽とのイメージもあろうが、クリングゾルが好きで、
ギュンター・フォン・カンネンだが、ここでも実にいい。

TELDEC 9031-74448-2

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