2018年11月13日 (火)

第294回 柳家小満んの会

13日で小満んの会である。夕方から日本橋へ。
横須賀線が品川で人身事故であり、東海道線で
新橋からは銀座線で三越前に向かおうとしたが、
そのルートの方が正規であり、時間も早いのである。
メトロに乗り換えで高いのだが、こういう日は仕方ない。

三遊亭歌つを:牛ほめ
柳家小満ん:風呂敷
柳家小満ん:大仏餅
柳家小満ん:三井の大黒

今回の三席は、共通ではないのだが、布(風呂敷)を
さっと取るというので、「風呂敷」と「三井の大黒」に
似た場面があり、大黒様の目が開く、政五郎には
そう見えたのだが、開眼するというので「大仏餅」に
関係してくる。その辺で繋がっている気がするのだが、
まあ、例によって考えすぎで、それは偶然であろう。
お馴染みの「風呂敷」だが、寄席でもよく掛かるけど
師匠で聞くのははじめてである。小満ん師匠のでは、
お得意の「厩火事」と同じパターンの展開なのであり、
雰囲気もよく似て、その辺でわかりやすく、楽しめる。
逆に文楽師匠の得意ネタで小満ん師匠にとっても
重要な噺であろう「大仏餅」は、他であまり聞けない。
そんなに面白い噺でもないと思っていたが、そういう
笑いの噺ではなくて、気付かないところで人と人との
つながりがしっかりと存在しているのであり、目が開く
最後のところでの感動もあるし、文楽師匠らしい噺で
そのイメージが湧いてきたのは小満ん師匠だからだ。
今日、聞いての印象にもより文楽師匠の「大仏餅」が
改めて聞いてみたくなった。違う聞き方ができそうだ。
師匠の「三井の大黒」は二度目で、2012年11月の
関内での小満んの会で聞いている。六年ぶりか。
普請場で板を削るのは、小僧上がりの仕事だそうで、
客人の扱いの職人にそれをさせるのは失礼であり、
という前提があるのだが、ポンシュウも一日かけて、
板を削り、挙げ句、二枚を一枚にしてしまうというのも
皮肉なことではないか。火事の後で年末なのであり、
忙しく人手が足りないというのになんと無駄なこと。
左甚五郎はのんびりとした性格でそんなにひねくれた
嫌味な人でもなさそうだが、どういう意図だったのか、
そこだけ不思議。後半の大黒様を彫り上げるところで
大工が小遣い稼ぎに道具や縁起物の木像を彫るのは、
歳の市で売るためであり、つまりここは年末に向けて、
年の瀬の風景や空気の感じられるところなのである。
師匠の「三井の大黒」は、二回とも11月の会で聞いて、
まさに今年の締めくくりである。甚五郎が彫った大黒様に
光が当たると目がパッと開く…という、何ともおめでたく、
「三井の大黒」って、やはりいい噺である。後味がいい。
ということで、来週21日の水曜日が横浜の小満んの会、
「近日息子」「粗忽の使者」「富久」の三席、楽しみである。

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2018年11月12日 (月)

ダニエル・バレンボイム 33

ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンで
ブルックナーの交響曲 第4番 変ホ長調(1878/1880)
2010年6月にベルリンのフィルハーモニーでライブ収録。
バレンボイムが編み出した独特な演奏法も盛り込まれ、
ときにそうした場面がくっきりと浮かび上がる自由度が、
ここでの最大の特長だが、ライブ収録がそうした傾向を
よりクローズアップしているのかも。長年の実績に基づき、
バレンボイムの確信に満ちた音作りは説得力あるけれど、
より変化に富んだ仕上がりで引き締まっている感じはない。
テンポは速めに勢いよく聞かせているのだが、豊かに鳴り、
壮大な作りのようでもあって、その辺りが自在な可能性で
大きなうねりや動きを生み出して、興奮が伝わってくる。
元は映像収録された音源のCD化であり、それも大きい。

DG 00289 479 6985

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2018年11月11日 (日)

11月11日の感想

日曜の夜は「下町ロケット」で、面白かったが、
その後、「N響定期公演」にチャンネルを変えて、
ブロムシュテット指揮のマーラー「巨人」である。
さらに貴重だったのが、その後の時間の余りで
1981年の若き日のブロムシュテットによる「悲愴」。
当時のN響はいまと音も違って、何とも硬質だが、
ブロムシュテットも東ドイツで活躍していた時代。
ソ連式のチャイコフスキーとまではいかないが、
西側の演奏とは大いに違って、真剣で厳しい。
しかしその険しさにはすっかり感動してしまった。
この数年、チャイコフスキーの交響曲はどの曲も
よく聞いているが、触れるとまた聞きたくなる。

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2018年11月10日 (土)

チコちゃんに叱られる

今週はフィギュアスケートのNHK杯の放送で
「チコちゃんに叱られる」はお休みだったのだが、
チコちゃんネタはないけれど、今朝は再放送で
「応援の三三七拍子」や「あかんべえ」の由来など。
チコちゃんに尋ねられ、出演者が正解してしまうことを
「チコる」というのだが、すると「つまんねえやつ」となり、
知っているけれどなかなか書けない漢字が出題されて、
「サッポロ」であり、なんとなくそれらしく書けたのだが、
「札幌」は読めても書こうとすると出てこない。難しい。

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2018年11月 9日 (金)

ベルナルト・ハイティンク 34

ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
ベートーヴェンの交響曲全集を収録順に聞いている。
交響曲 第1番 ハ長調 作品21(1987.3.14)
交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(1987.4.27-29)
アムステルダム・コンセルトヘボウで収録されている。
力強く、引き締まった響きでこれはもう断然、素晴らしい。
当時のハイティンクのイメージというのは、きちっとして、
スタンダードな音作りながら、深い成熟が出てきたと
そういうことがいわれていたのだが、いま改めて聞いて、
堅苦しさはないし、勢いがあって、明るい躍動があって、
とにかく魅力的なベートーヴェンである。すでに30年が
経っているけれど、古くなった感じはどこにもなく、常に
新鮮な音楽がいきいきと鳴り響く。ちょうどこの時期に
コンセルトヘボウはリッカルド・シャイーと関係を深め、
ハイティンクはブルックナーをウィーンフィルで、そして
マーラーをベルリンフィルで録音しはじめるのだが、
そうした演奏もこの辺で聞き直してみたくなってくる。

DECCA 478 6360

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2018年11月 8日 (木)

ツィモン・バルト 8

ツィモン・バルトでシューベルトの作品を聞いている。
楽興の時 D.780-4,5,6とピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 D.894
2007年11月29,30日にファルテルモント・コンサートホール。
まずは楽興の時の後半だが、最後の第6番には驚かされた。
瞑想である。極度の静寂と遅いテンポで一歩ずつ歩んでいき、
しかし自然な響きで、こうあるべき説得力でとにかく深い感動。
続く「幻想」ソナタも予想されるごとく、何とも止まりそうであり、
リヒテルの演奏などもあったので、こちらはわかりやすいが、
しかしツィモン・バルトの演奏の魅力は、ここでは沈黙でなく、
最大限の想いを込めて、優しい表情で語りかけてくるので、
とにかく美しいし、柔らかい光の中、程よい色合いの情景で
心地のよい空間が広がる。なんて素晴らしい世界であろう。
ツィモン・バルトで他のソナタも聞いてみたい。これを聞くと
ベートーヴェンもいいに違いない。本当に奇跡の響きだ。

CAPRICCIO C5028

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2018年11月 7日 (水)

ツィモン・バルト 7

ツィモン・バルトでシューベルトの作品を聞いている。
4つの即興曲 D.899(2008.9.19)
楽興の時 D.780-1,2,3(2007.11.29,30)
ファルテルモントのコンサートホールで収録されている。
聞いたこともないような極端に遅いテンポで弾かれるのは、
アファナシエフとよく似ているのだが、ツィモン・バルトは、
消えてしまいそうなギリギリの弱音で止まりそうになりつつ、
しかし信じられないような滑らかな流れで音楽を進めていき、
まさに天才、奇跡としか思えない演奏に引き込まれてしまう。
とにかく素晴らしい。このテンポで弾くとこうなるのか…という
すべてが発見なのであり、一般的常識というのはあるけれど、
どちらが正しいのか?というのが、わからなくなってしまう。
芸術である以上、正しいも正しくないもないのかもしれないが、
その意味では、ツィモン・バルトのシューベルトは、これこそ
真の芸術であり、どんな瞬間にも生命が吹き込まれている。
アファナシエフは音楽の構造とか造形に関心がありそうだが、
ツィモン・バルトはもっと個人的なところで音楽と深く関わり、
極度に感情移入して、作曲家と一体になり、そこで得られる
心の機微を演奏に反映させている気がする。なんと美しい。
この微妙なところに喜びを感じるというのも私も成長したし、
ツィモン・バルトが本当に好きなのだなと自分でも思う。

CAPRICCIO C5028

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2018年11月 6日 (火)

ジョルジュ・プレートル 2

ジョルジュ・プレートルの指揮によるミラノ・スカラ座で
レオンカヴァッロの歌劇「道化師」を聞いている。
1983年にミラノ・スカラ座で映画制作用に音源収録。
昨日の歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」に続いて、
主演はプラシド・ドミンゴで主役のカニオを歌っている。
ジョルジュ・プレートルの音作りは、ゆったりと大らかで
あまり緊迫感はないが、それがどこか劇場的でもあり、
そうした中で細やかな表情付けがいきいきと素晴らしく、
色彩的で艶やかなスカラ座管弦楽団の魅力もあって、
すっかり夢中になってしまう。しかしプレートルの音って、
昨日から思っているのだけど、イタリア的というよりも
やはりフランス風な印象で独特の仕上がりではあるか。
深刻な感じがなく、劇中劇のこの作品をそのまた外で
穏やかに眺めていることのできる余裕は、劇場鑑賞。
悲劇的な感覚はなくて、あまり感情移入は求めずに
楽しんで観る、聞くことを我々に望んでいるのかも。
有名な「衣装を付けろ」も淡々と進んでしまう感じで、
アリアが独立してしまうことなく、歌劇の一部であり、
物語の進行を考えて、これが本当なのかもしれない。

DECCA 478 4174

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2018年11月 5日 (月)

ジョルジュ・プレートル 1

ジョルジュ・プレートルの指揮によるミラノ・スカラ座で
マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
1983年にミラノ・スカラ座で収録されている。
プラシド・ドミンゴの主演で映画制作された音源である。
ミラノ・スカラ座の本場イタリア的な音色が特長的だが、
ジョルジュ・プレートルの軽やかでしなやかな音作りが
見事にひとつになって、昔から広く知られる名盤だけど、
やはり感動的だ。この明るい輝きって、実にプレートル。
同じスカラ座でもカラヤンの演奏は全く別な仕上がりだし、
ムーティとも印象は違っていて、独特の歌わせ方である。
いかにも歌劇場の職人気質といった手堅い指揮振りで
しかしそれこそが、今となっては魅力にも感じられる。
トゥリッドゥのドミンゴはもちろん一番に耳に残るのだが、
この1980年代の存在感はやはり格別かもしれない。
そしてアルフィオのレナート・ブルゾンの歌声も最高。

DECCA 478 4174

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2018年11月 4日 (日)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「中高年男性がおやじギャグをいうのはなぜ?」
左脳の側頭連合野に言葉が辞書のように蓄積され、
歳が上がるにつれ連想記憶の能力は上がっていく。
一方で理性を司る前頭葉の働きは、歳をとると衰え、
目の前の言葉と脳に蓄積された言葉とを結び付け、
おやじギャグ(ダジャレなど)が浮かんだときに
つい口にしてしまう脳の暴走を止められなくなる。
男性は目の前にバナナを見付けると似た言葉を探し、
「そんなバナナ」が浮かぶ。それに対して女性は
「バナナが食べたい」「買いたい」などと考える。

「挨拶」の漢字、チコちゃんの覚え方
手偏を二つ、矢沢がムというとタモリはクククと笑う。

「視力検査の数字は何か?」
視力検査はスネレン視標というアルファベットで
検査されていたが、読めない国では使えないため
隙間のある円でランドル環が使われるようになった。
視力とは、隙間があることで二つの点を認識して、
[1/記号の隙間と目を結んだ角度]で表される。
ランドル環は、1909年に世界共通の記号となった。
視力の限界は4.0程度で、2km先の15cmが見える。

「エースって何?」
エースピッチャー、エースストライカーなどなど、
エースといわれるが、それはアメリカの野球選手で、
アサヘル・ブレイナードの子供の頃のニックネーム。
エイサであり、後にエースと呼ばれるようになった。
当時は50km/hほどのバッターに打ちやすい球を投げ、
野球は勝敗にこだわらない貴族のスポーツであった。
エイサは勝ちにこだわり、98km/hの豪速球を投げ、
変化球のカーブも投げた。57試合中、56勝0敗1分で
優秀な成績を上げ、それ以来は、他のチームでも
次々と勝利を上げる投手のことをエースと呼んだ。
富裕層のリクリエーションだった野球は真剣勝負の
スポーツとなり、エイサによってその基礎が作られた。

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