2009年6月18日 (木)

カラヤンの1980年代 30

夏になって暑くなってくるとアルプス交響曲である!
今日はその中でもとっておきの名演で。
カラヤン指揮ベルリンフィルによる1980年12月の録音。
この演奏の特長は、前半のひたすらに雄大な展開。
登山が進むにつれ、驚異的な緻密さと内面的な深まり、
それらは同時に豊かな描写力、美しい風景にも結び付いて、
山頂を制覇する喜び、達成感と感動、その辺は心の情景である。
そして後半の嵐の前における静けさでは、恐るべき神秘性が漂い、
風雨と雷鳴に襲われると何かあまりにも大きい存在に
それが自然の力なのかもしれないけれど、
目に見える自然現象を超えた巨大なものが感じられるのである。
決して越えられないものがあるのであり、過ぎ去るのを待つしかない。
これほどにまで恐怖心を煽る演奏は他にはないのでは…
録音の素晴らしさもあると思うが、隅々にまで表情豊かで
それは現代の明瞭にして克明な演奏形態とは少し違う…
やはりカラヤンの圧倒的な創造活動の結晶なのである。
ベルリンフィルの表現力もあるが、偉大な名演だ。

DG 439 017-2

「ヘルベルト・フォン・カラヤン」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2008年9月 8日 (月)

カラヤンの1980年代 29

カラヤン指揮ベルリンフィルによるブラームスで
交響曲第3番と第4番。全集はこれで完成。
1988年10月の演奏でカラヤン最晩年の録音である。
交響曲第3番が特に素晴らしい。
カラヤン独特の流麗な表現が冴えわたり、
大袈裟にならない引き締まった部分がこの作品にふさわしい。
隅々にまで細やかな配慮が行き届き、
集中力の充実でもカラヤン全盛期の名演を思わせる。
一方で交響曲第4番は、感情のこもった表現が美しく、
そうした部分には非常に大きな感動をおぼえ、
しかし同時にカラヤンは雄大にたっぷり音楽を聞かせて、
どこを目指したのだろう?という、少しまとまらない印象も。
交響曲第4番における複雑な書法を鮮やかに聞くのであれば、
やはり1970年代の圧倒的完成度は究極の存在である。
ここではカラヤンの指示もあったのだろうが、
ベルリンフィルはより濃密な想いを演奏にぶつけているのであり、
巨匠が最後に到達した境地がうかがい知れる。

DG WEB SHOP CDR494

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2008年9月 7日 (日)

カラヤンの1980年代 28

カラヤン指揮ベルリンフィルによるブラームスで
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(1983年2月)
そして交響曲第2番(1986年6月)
二重協奏曲ではムターとアントニオ・メネゼスという
カラヤンお気に入りの若手が登場しているが、
巨匠風な響きを聞かせるオーケストラで
全体に落ち着きと貫録で満たされている。
ゆったりと聞かせるところなど、少し年寄りくさい印象か…
交響曲第2番も第1番の名演に比べると
緊張感はそれほどでもなく、1970年代の集中力を思っても
ここでは明らかに穏やかでリラックスした空気に満たされている。
カラヤンも歳にはかなわなかったのかって…
しかし悠然とした広がりがひたすら感動を呼ぶのは間違いなく、
演奏としてはもちろん名演であることは疑いないし、
晩年のカラヤンだからこその豊かな表現も魅力的なのである。
でもブラームスも最近では、ずいぶんしなやかな音色で聞けることが多く、
やはりカラヤンの演奏は、基本は重厚な音作りであり、
特に晩年の演奏では、流麗さが後退している部分で腰が低く、
より低音が強調されて聞こえてくる傾向もあるといえるか。

DG WEB SHOP CDR493

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2008年9月 6日 (土)

カラヤンの1980年代 27

昨日のドイツ・レクイエムに続いて
カラヤンのブラームスを聞いていく。
交響曲や協奏曲はベルリンフィルの演奏である。
最初に悲劇的序曲(1983年2月)
そして交響曲第1番(1987年1月)
悲劇的序曲から圧倒的に素晴らしいのだが、
中間部でゆったりと歌うところなど
いかにも巨匠風な雄大さであり、
どうもそういうのは、カラヤンには似合わないって
私などは思うのだが、1980年代で晩年のスタイルである。
しかし交響曲第1番は、さすがにカラヤンのは名盤として有名だけど、
気迫、迫力、緊張感も充実し、重厚な響き、濃密な音楽、
何から何までもが理想で、とにかく感動的だ。
やはりカラヤンのこの演奏は、究極なのかもしれない。
フィナーレは恐るべき壮大な広がりを築くのだけど、
最後まで決して集中力が途切れることはなく、
最晩年のカラヤンが時折見せた奇跡のひとつがこれである。

DG WEB SHOP CDR492

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2008年9月 5日 (金)

カラヤンの1980年代 26

先日の歌劇「トゥーランドット」に続いて、
カラヤンがウィーンフィルを指揮した演奏。
ブラームスのドイツ・レクイエム(1983年5月4-8日録音)
1976年の演奏(ベルリンフィル)でも同様のことを感じるのだが、
カラヤンのドイツ・レクイエムは非常に明るい響きで
あまり深刻になりすぎず、ほどよく軽やかに流れる印象。
穏やかな響きが聞き取れると、集中力に関しては、
もう少し強い緊張感、求心力ある厳粛な音色がほしいところだけど
しかし後半に行くにつれ盛り上がっていき、
壮大な感動へと導かれていく点では
やはりさすがにカラヤンであるとしかいいようがない。

DG WEB SHOP CDR491

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2008年9月 2日 (火)

カラヤンの1980年代 25

カラヤンがウィーンフィルを指揮した録音で
プッチーニの歌劇「トゥーランドット」(1981年5月録音)
まず「トゥーランドット」はとにかく素晴らしい音楽で
プッチーニのかなり斬新な音色に陶酔せずにはいられないのだけど
特に弱音を中心とする場面でカラヤンは恐るべき精妙な響きをさせて、
さすがにこだわりの偉大な芸術の完成がここにはあり、感動的である。
でもこのときから早いものですでに30年近くが経過しようとしているわけであり、
現在の感覚からするとカラヤンはやはり重厚な音を引き出していたのだと
全体に壮大な広がりを感じるし、ゆったりとした流れは巨匠の芸といったところか。
プッチーニの作品は、普段そんなには聞かないので
正直あまり詳しくないのだけど、アントニオ・パッパーノとかは
もっと切れのよい響きを聞かせるし、「トゥーランドット」はぜひ聞いてみたく、
バイエルンでドイツの歌劇場になってしまうけれど
例えばケント・ナガノだったなら、どんな響きを聞かせるのか?
なんて考えてみたら、興味は尽きない。
ファビオ・ルイージは以前からプッチーニを指揮しているが、
ドレスデンではR.シュトラウスやワーグナーなどドイツ物が多くて、
プッチーニは取り上げていないのか?どうなのだろう。

カラフをドミンゴが歌って、もちろん最高のキャストということだけど
すごく有名になってしまった「誰も寝てはならぬ」などは
パヴァロッティの方が甘い歌声で何となくいいか?
ドミンゴの方が全体とのバランスはよくって、突出しすぎない点で
その辺はカラヤンの意図が反映されているのか?
やはりカラヤンの影響力は絶大で、すべてはカラヤンを中心に
指揮者の存在を強く感じさせる演奏である。

DG 423 855-2

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2008年8月 1日 (金)

カラヤンの1980年代 24

今日は1982年のカラヤンでベルリンフィルを指揮した
マーラーの交響曲第9番(ベルリン芸術週間1982のライブ録音)。
有名な演奏だが、今日の感覚からすると録音の点でかなり残念な印象。
1982年の時点でもちろんマーラーの音楽は広く認識されていたが、
第9ともなると現在のように日常的に聞けるという作品ではなかったのかも。
カラヤンにとっても、それは同様にベルリンフィルにとっても
マーラーの作品に不慣れな仕上がりは明らかであり、
その後の月日でアバドやラトルともマーラーは数多く演奏しているが、
今日のベルリンフィルの演奏からするとあまりにも違いが目立ちすぎる。
そういうふうに感じさせるのも録音による要因は大きいか。
1980年代前半でデジタル録音初期の失敗したものは、
すごく乾いた音で薄っぺらな平坦な印象がある。
他の指揮者に比べるとカラヤンの音は
そうなりやすいというのもあるのかもしれないが。
この録音はカラヤンの重要な記録なので私は大切にしているが、
でも批評などでいわれるほどの感動はない…
実は今日は2回続けて聞いたのだが、
音に慣れるということもあるけれど、2回目はずっとよい印象だった。

DG 439 024-2

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2008年7月13日 (日)

カラヤンの1980年代 23

カラヤン指揮ベルリンフィルによる1981年の録音。
9月22日にはアンネ・ゾフィー・ムターの独奏で
ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
そして27日と28日でクリスティアン・ツィメルマンが登場して、
シューマンのピアノ協奏曲が録音された。
(そのとき同時にグリーグのピアノ協奏曲も収録されている)
ムターもツィメルマンもどちらも圧倒的素晴らしさ。
グリーグのときにも書いたが、ツィメルマンの透明な音色、
技巧の切れ味で音楽が爽やかに鳴り響き、
この美しい仕上がりは何よりもの魅力である。
でも少し感じるのは、カラヤンの重厚な音楽に引っ張られて、
全体的には、落ち着いた印象となっているのではないだろうか。
今日のツィメルマンだったなら、さらに繊細にしなやかに
もっと違った展開が聞けるだろう。
ムターもツィメルマンも若き日の演奏であり、
非常に若々しく瑞々しくというふうに表現したいのだが、
同時にその音楽の完成度はというと、
驚くべき成熟と安定感なのであり、
やはり名手には年齢は関係ないようだ。

DG WEB SHOP CDR470

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2008年6月14日 (土)

カラヤンの1980年代 22

カラヤン指揮ベルリンフィルによる1981年の録音。
グリーグのピアノ協奏曲(1981.9.27,28)と
ニールセンの交響曲第4番「不滅」(1981.2.21-23)。
ピアノ協奏曲の独奏はクリスティアン・ツィメルマンである。
グリーグが絶品だ。この演奏はどこかで聞いているけれど、
きちんと聞くのははじめてで、思っていた以上の感動。
透明な音色とデリケートの極致のような表現。
若き日のツィメルマンがすでにこの当時に
こうした響きをさせていたとは正直驚きだ。
現在の徹底したコントロールとこだわりに満ちた演奏に通じるし、
それをカラヤン相手に堂々と雄大なスケールで
カラヤンがこう弾かせているのではなく、
ツィメルマンの音楽は圧倒的な完成度でしっかりと鳴っている。
カラヤンの指揮ももっとドイツ的な重厚な音なのではないかと
何となく思い描いていたのだが、クリスタルな輝きが魅力的。
ニールセンも素晴らしい。でもこちらはちょっとカラヤン色が強いか。
交響曲「不滅」はニールセンの代表作だとしても
そんなにたくさんの演奏を知っているわけではないし、
私の基準となっているのは、実際ブロムシュテットなのだけど、
カラヤンの解釈がはっきり打ち出されている部分も多々発見される。
グリーグと同様、北欧の音楽を扱う際のカラヤンは、
明るい輝きが清々しい印象を創り出して、私はいいと思う。
ニールセンの音楽はもう少しコンパクトに聞こえてくることが多いのだが、
カラヤンは雄大に高らかに歌い上げている。

DG WEB SHOP CDR455

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2008年6月 6日 (金)

カラヤンの1980年代 21

カラヤン指揮ベルリンフィルによる
シベリウスの交響詩「タピオラ」(1984.2.19,24)と
ショスタコーヴィチの交響曲第10番(1981.2.20,23,27)。
1984年に録音されたカラヤンのシベリウス管弦楽作品集だが、
現在ではグリーグの「ペール・ギュント」組曲と1枚にまとめられて、
その際に落ちてしまったのが、この「タピオラ」なのである。
DG WEB SHOPでニールセンの「不滅」と一緒に見つけて、
私の好みでは、ショスタコーヴィチの交響曲と組み合わせることにした。
交響曲第10番は、カラヤンが唯一取り上げたショスタコーヴィチの作品。
第8番の録音も希望していたそうだが、ムラヴィンスキーの存在を意識して、
結局実現させなかったという話を読んだことがある。
「タピオラ」がさすがに緊張感のみなぎった演奏で感動的。
カラヤンのシベリウスは徹底して研き抜かれているけれど、
安定感のあるしっかりとした構成、分厚い響き、
この辺はドイツ的と表現してもいいものだろうか?
ベルリンフィルはやはり、本場のオーケストラとは違う音色である。
少しだけ色彩も豊かに、盛り上がりとともに温度が上がってくるようなところ
その辺はカラヤンの演奏を聞いての特色として、いくつか気付く点。
一方でシベリウスとの組み合わせがあう理由の一つなんだけど、
ショスタコーヴィチはむしろ北欧的な透明感が全体を支配して、
カラヤンの表現は洗練の極みであり、その音楽には気品すら漂う。
当時はまだ東西がはっきりしていた時代なのであり、
カラヤンの手にかかれば、完全なるヨーロッパ的解釈と評すればいいのか、
今日聞いた印象としては、独特の仕上がりであるようにも思える。
カラヤンもこの時期、巨匠の芸風に到達していたのだろうが、
もう少し力強く、豪快な迫力で圧倒するような、
そういうところも欲しいって、思わなくもない。
もちろん第2楽章などは完璧なコントロールで最高の盛り上がりなのだけど、
ここでも鮮やかさが勝って、予想以上のシャープな仕上がりである。
カラヤンにしては、響きを絞って、驚くほど引き締めているし、
このショスタコーヴィチは非常に興味深い。異彩を放っている。

DG WEB SHOP CDR449

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