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2005年8月23日 (火)

バイロイト音楽祭2004

「ジークフリート」第1幕を聞いて、
そこから教えられること。

「ニーベルングの指環」で何が描かれているか、
その中のひとつに「神々の没落」があると思う。
神話の世界とはいえ、神々が没落していく姿を描く
というのはいかがなものか。
ここで登場する神々って、かなりひどい。
ウォータンなど、ある意味、欲の塊で、
騙しあい、奪い合いの源は、はっきりいってウォータンにある。
計画性のない判断、いつも自己中心的な発想。
また「ラインの黄金」で美の神フライアが奪われたときなど
神々は急に衰えはじめたり、そのあたりの表現、
人間ではありえぬことだが、しかしどこか人間的でもある。
「ニーベルングの指環」の世界って、まさに人間社会である。

しかし考えてみると、
ここでいう神話の世界における神々、
それは多神教における神々であり、
一方でワーグナーのいるヨーロッパ世界は、
キリスト教の一神教世界である。
つまり「ニーベルングの指環」における神々は、
神とはいっても神ではないのだ。
「神々の黄昏」つまり神々の没落は、
「多神教の没落」というふうに言い換えることができると思う。

「神々の黄昏」の最後の場面で
ワルハラ城は炎とともに陥落するが、多神教の終焉であり、
その後に来る「パルジファル」で、
そこではキリスト教世界が描かれており、
ワーグナーの表現もただただ神聖に浄化された世界であり、
そうした相違点を見れば納得できるだろう。

ならば「ニーベルングの指環」の世界における神々って、
一体何者なのか?という疑問がわいてくる。
「ジークフリート」第1幕第2場の
さすらい人(ウォータン)とミーメの問答で、
そこにひとつの回答が示されている。

「大地の下にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「ニーベルハイムに住むニーベルング族である。」
「地上の国にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「リーゼンハイムという国に住むファゾルトとファーフナー(巨人族)である。」
「天上にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「天上のワルハラ城にはウォータンがいて支配している。(神々についての説明)」

地下、地上、天上と違いはあるが、
それぞれは同列な扱いであり、神々が特別な扱いをされることはない。
またウォータンの回答も神々を種族として扱うことに異議はないのである。

つまりは「神々」を神として理解するよりも
ひとつの民族、部族として捉えるほうがいいのかもしれない。

バイロイト音楽祭2004における新演出「パルジファル」で、
クリストフ・シュリンゲンジーフの演出は、
キリスト教世界をアフリカの民族宗教に置き換えて、
結果的に「キリスト教を冒涜した」と批判を浴びたが、
それが「ニーベルングの指環」においてだったならば、
そこまで悲惨なことにはならなかったのかもしれない。
ということは、少し感じていた。

これは関係ないが、猿の惑星の続編で、
宇宙飛行士が地底の国に下りていくシーンがあったが、
(そこには核戦争によってミュータントと化した人間がいた)
「ラインの黄金」でウォータンとローゲが、
地下のニーベルハイムに下りていくところを思い出す。

CDR161/162/163/164/165

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