« ラーメン製作所 今日は試食 | トップページ | サイモン・ラトル 新譜を聞く »

2005年8月30日 (火)

バイロイト音楽祭2004

「ジークフリート」もいよいよ第3幕まで来た。
この第3幕はもう「神々の黄昏」にしっかり結びついて、
ここから一気に「ニーベルングの指環」も
完結に向かって盛り上がっていくと思う。
聞いていると自然にそういうのを音楽の中に感じるのだが、
話の中にもいくつかそれを示す要素を見つけることができる。

まず第1場のさすらい人(ウォータン)と智の神エルダのやり取りで
エルダは「ジークフリートとブリュンヒルデがニーベルングの呪いを解放し
指環をラインの乙女たちに返すであろう」と予言して、
ウォータンの意向に反して、「神々の没落」を暗示する。
「神々の黄昏」におけるこれからの展開がすでにここで示されている。

また第2場で小鳥に導かれてジークフリートが登場してくるが、
先日も書いたとおり、ここでのジークフリートは、
もはや第2幕までの彼ではないのである。
戦いに勝ち抜いて、勝利における孤独を知り、
成長したジークフリートは妻を娶る資格を得た
ということをあらわしているのだろうか。
バイロイトとは関係ないが、
以前キース・ウォーナー演出の「トウキョウ・リング」で
非常に感激したことがあって、
それまでの幼稚なジークフリートは、
ジーパンにスーパーマンのトレーナーを着て暴れまわっているが、
小鳥からブリュンヒルデの存在を聞くと
身支度を整え、女性を迎えに行くということで
しっかりジャケットを羽織って、出発するのである。
それによって、子供のジークフリートが、
大人の男性に成長することが表現されていて、
スーパーマンのトレーナーからジャケットへというのは、
本当に鮮やかな展開であった。
ちなみに東京でのジークフリートも
バイロイトと同じくクリスティアン・フランツである。

第3場からは再びブリュンヒルデが登場して、
ここから「神々の黄昏」まで舞台の中心人物となっていくが、
「ワルキューレ」のときと違うのは、ここからのブリュンヒルデは、
ワルキューレの資格を失い、つまりもはや神々ではなく、
ひとりの人間の女性なのである。

さらにあげれば、ウォータンは第3幕第2場で
すべてをジークフリートに託し、この後は登場しない。
ジークフリートの目は、ウォータンの片目であり、
ジークフリートはウォータンの身代わりというわけだが、
「神々の黄昏」におけるジークフリートの死と
最後の場面で天上のワルハラ城が炎で燃え落ちるという背景のみで、
神話における神々ではあるが、ワーグナーも
神々の終焉を直接的に描くのは避けたのかもしれない。

音楽も緻密で室内楽的だった第1幕、第2幕に比べると
第3幕は圧倒的に雄大であり、明らかに違って盛り上がっていく。
そういえば、この第3幕ではニーベルング族が誰も登場しないので、
主導動機の点からもブラックなテーマが消え、ひたすら美しく展開する。
第1幕、第2幕は、「ニーベルングの動機」にのって、
「呪い」「憎悪」「大蛇」といった不気味なテーマが常に鳴り響いていた。

少し休む予定だが、9月にはいよいよ、
バイロイト音楽祭2004の「ニーベルングの指環」から
「神々の黄昏」を聞きたいと思っている。

CDR161/162/163/164/165

|

« ラーメン製作所 今日は試食 | トップページ | サイモン・ラトル 新譜を聞く »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121598/5710806

この記事へのトラックバック一覧です: バイロイト音楽祭2004:

« ラーメン製作所 今日は試食 | トップページ | サイモン・ラトル 新譜を聞く »