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2005年8月31日 (水)

サイモン・ラトル 新譜を聞く

ラトルの新譜が同時に2タイトル。
今回はドビュッシーとドヴォルザーク。
カルミナ・ブラーナとマーラー「千人の交響曲」に続いて
今年だけでもすでに4タイトルである。
さらに年内にもうひとつ、イアン・ボストリッジが歌って、
ブリテンの管弦楽伴奏の歌曲集を出すらしい。
すごい勢いだ。まあ、ラトルなら、売れるし。
そういえば、これらはEMIからのもので、
DGからは、クリスティアン・ツィメルマンの独奏で
ブラームスのピアノ協奏曲第1番が予定に入っている。
本当にすごいペースである。

しかし今回もまた、本当にラトルの表現って、
なんと魅了的で、発見に満ちていて、
心ひきつけられるのだろう。うまい!
ドビュッシーでも、ラトルは自分のやりたいことを
自由自在に、ベルリンフィルという最強兵器を用いて、
隅から隅まで徹底的にやり抜いている。
ここまでやってくれれば、ある意味壮快であり、
これは極致を知る快感である。
マーラーのときと同じで、ラトル流の
自分の発想を思い入れたっぷりに描きこむ表現だが、
それがドビュッシーの本来の響きを壊すことはないし、
結果的にデリケート表現を徹底追及していくことになって、
この辺がラトルの天才的な部分であると思う。
ラトルという人は、作品の本質をしっかりとつかんでいるし、
さらにそこに自分のスタイルを当てはめていくことに関しては、
本当に名人であるととにかく感心してばかりだ。
これだけよく知っている作品を聞いて、
なぜかラトルで聞くと、初めて出会う新鮮味がいつもある。
毎回それが不思議なのである。
ベルリンフィルもラトルの要求にとことん付き合って、
おそらくラトルという人は、自分の思いをイメージ豊かに
オーケストラに的確に伝えられるという点でも
この上なく才能に満たされているのだろう。
ラトルみたいな人って、本当にラトル以外に見つけられないのだ。
ちょうど同じことがゲルギエフにもいえて、
現在ラトルとゲルギエフばかりが
売れっ子になっている理由はそこにある。

コリン・マシューズ編曲による3つの前奏曲、
「西風の見たもの」「枯葉」「花火」だが、
これがまたいい!気に入ってしまった。
ピアノによる原曲に慣れ親しんでいるが、
作品のイメージ、色彩感、その情景が、
見事にいきいきと躍動して、遊びはじめるのである。

EMI 5 58045 2

ドヴォルザークの交響詩は面白い!
でもこれらって、そんなには聞けない
ある程度マニアックな作品なのだろう。
まとまっているのでは、私はクーベリック盤を持っているけれど、
他ではアバドが「真昼の魔女」のみを取り上げていたり、
アルノンクールもドヴォルザークの交響詩に熱心だが、
「水の精」は特にたびたび演奏していて、聞く機会も多かった。
このレパートリーはきっとラトルのこだわりに違いない。
ラトルのドヴォルザークって、いいではないか!
やはり細部の描きこみがすごい。
アルノンクールよりもずっと絵画的で情景が広がるし、
ディテールの鋭さ、鮮やかさはアバドのときと同じく大満足である。
こうして聞いているとぜひ交響曲を聞いてみたくなる。
それにスラブ舞曲集の全曲盤などが登場したら、
それはそれはまた我々をとりこにして、放さないだろう。
将来的に大いに期待のできることでもあり、楽しみである。
それにドヴォルザークを聞くと、もっと聞いてみたくなるのが、
スメタナの「わが祖国」だろうか。
ラトルの可能性って、夢も与えてくれる。

EMI 5 58019 2

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