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2005年8月31日 (水)

サイモン・ラトル 新譜を聞く

ラトルの新譜が同時に2タイトル。
今回はドビュッシーとドヴォルザーク。
カルミナ・ブラーナとマーラー「千人の交響曲」に続いて
今年だけでもすでに4タイトルである。
さらに年内にもうひとつ、イアン・ボストリッジが歌って、
ブリテンの管弦楽伴奏の歌曲集を出すらしい。
すごい勢いだ。まあ、ラトルなら、売れるし。
そういえば、これらはEMIからのもので、
DGからは、クリスティアン・ツィメルマンの独奏で
ブラームスのピアノ協奏曲第1番が予定に入っている。
本当にすごいペースである。

しかし今回もまた、本当にラトルの表現って、
なんと魅了的で、発見に満ちていて、
心ひきつけられるのだろう。うまい!
ドビュッシーでも、ラトルは自分のやりたいことを
自由自在に、ベルリンフィルという最強兵器を用いて、
隅から隅まで徹底的にやり抜いている。
ここまでやってくれれば、ある意味壮快であり、
これは極致を知る快感である。
マーラーのときと同じで、ラトル流の
自分の発想を思い入れたっぷりに描きこむ表現だが、
それがドビュッシーの本来の響きを壊すことはないし、
結果的にデリケート表現を徹底追及していくことになって、
この辺がラトルの天才的な部分であると思う。
ラトルという人は、作品の本質をしっかりとつかんでいるし、
さらにそこに自分のスタイルを当てはめていくことに関しては、
本当に名人であるととにかく感心してばかりだ。
これだけよく知っている作品を聞いて、
なぜかラトルで聞くと、初めて出会う新鮮味がいつもある。
毎回それが不思議なのである。
ベルリンフィルもラトルの要求にとことん付き合って、
おそらくラトルという人は、自分の思いをイメージ豊かに
オーケストラに的確に伝えられるという点でも
この上なく才能に満たされているのだろう。
ラトルみたいな人って、本当にラトル以外に見つけられないのだ。
ちょうど同じことがゲルギエフにもいえて、
現在ラトルとゲルギエフばかりが
売れっ子になっている理由はそこにある。

コリン・マシューズ編曲による3つの前奏曲、
「西風の見たもの」「枯葉」「花火」だが、
これがまたいい!気に入ってしまった。
ピアノによる原曲に慣れ親しんでいるが、
作品のイメージ、色彩感、その情景が、
見事にいきいきと躍動して、遊びはじめるのである。

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ドヴォルザークの交響詩は面白い!
でもこれらって、そんなには聞けない
ある程度マニアックな作品なのだろう。
まとまっているのでは、私はクーベリック盤を持っているけれど、
他ではアバドが「真昼の魔女」のみを取り上げていたり、
アルノンクールもドヴォルザークの交響詩に熱心だが、
「水の精」は特にたびたび演奏していて、聞く機会も多かった。
このレパートリーはきっとラトルのこだわりに違いない。
ラトルのドヴォルザークって、いいではないか!
やはり細部の描きこみがすごい。
アルノンクールよりもずっと絵画的で情景が広がるし、
ディテールの鋭さ、鮮やかさはアバドのときと同じく大満足である。
こうして聞いているとぜひ交響曲を聞いてみたくなる。
それにスラブ舞曲集の全曲盤などが登場したら、
それはそれはまた我々をとりこにして、放さないだろう。
将来的に大いに期待のできることでもあり、楽しみである。
それにドヴォルザークを聞くと、もっと聞いてみたくなるのが、
スメタナの「わが祖国」だろうか。
ラトルの可能性って、夢も与えてくれる。

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2005年8月30日 (火)

バイロイト音楽祭2004

「ジークフリート」もいよいよ第3幕まで来た。
この第3幕はもう「神々の黄昏」にしっかり結びついて、
ここから一気に「ニーベルングの指環」も
完結に向かって盛り上がっていくと思う。
聞いていると自然にそういうのを音楽の中に感じるのだが、
話の中にもいくつかそれを示す要素を見つけることができる。

まず第1場のさすらい人(ウォータン)と智の神エルダのやり取りで
エルダは「ジークフリートとブリュンヒルデがニーベルングの呪いを解放し
指環をラインの乙女たちに返すであろう」と予言して、
ウォータンの意向に反して、「神々の没落」を暗示する。
「神々の黄昏」におけるこれからの展開がすでにここで示されている。

また第2場で小鳥に導かれてジークフリートが登場してくるが、
先日も書いたとおり、ここでのジークフリートは、
もはや第2幕までの彼ではないのである。
戦いに勝ち抜いて、勝利における孤独を知り、
成長したジークフリートは妻を娶る資格を得た
ということをあらわしているのだろうか。
バイロイトとは関係ないが、
以前キース・ウォーナー演出の「トウキョウ・リング」で
非常に感激したことがあって、
それまでの幼稚なジークフリートは、
ジーパンにスーパーマンのトレーナーを着て暴れまわっているが、
小鳥からブリュンヒルデの存在を聞くと
身支度を整え、女性を迎えに行くということで
しっかりジャケットを羽織って、出発するのである。
それによって、子供のジークフリートが、
大人の男性に成長することが表現されていて、
スーパーマンのトレーナーからジャケットへというのは、
本当に鮮やかな展開であった。
ちなみに東京でのジークフリートも
バイロイトと同じくクリスティアン・フランツである。

第3場からは再びブリュンヒルデが登場して、
ここから「神々の黄昏」まで舞台の中心人物となっていくが、
「ワルキューレ」のときと違うのは、ここからのブリュンヒルデは、
ワルキューレの資格を失い、つまりもはや神々ではなく、
ひとりの人間の女性なのである。

さらにあげれば、ウォータンは第3幕第2場で
すべてをジークフリートに託し、この後は登場しない。
ジークフリートの目は、ウォータンの片目であり、
ジークフリートはウォータンの身代わりというわけだが、
「神々の黄昏」におけるジークフリートの死と
最後の場面で天上のワルハラ城が炎で燃え落ちるという背景のみで、
神話における神々ではあるが、ワーグナーも
神々の終焉を直接的に描くのは避けたのかもしれない。

音楽も緻密で室内楽的だった第1幕、第2幕に比べると
第3幕は圧倒的に雄大であり、明らかに違って盛り上がっていく。
そういえば、この第3幕ではニーベルング族が誰も登場しないので、
主導動機の点からもブラックなテーマが消え、ひたすら美しく展開する。
第1幕、第2幕は、「ニーベルングの動機」にのって、
「呪い」「憎悪」「大蛇」といった不気味なテーマが常に鳴り響いていた。

少し休む予定だが、9月にはいよいよ、
バイロイト音楽祭2004の「ニーベルングの指環」から
「神々の黄昏」を聞きたいと思っている。

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2005年8月29日 (月)

ラーメン製作所 今日は試食

今日はラーメン製作所の試食に呼ばれた。
いつものように昼の客が途切れた時間帯。
さらに新メニューの登場である。
おそい昼ごはんの時間ということもあって、
両親も連れて行ってしまった。
試食の際の口は多い方がいい。

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カレーライスである。
実はカレーはかなり早い段階から
メニューの予定に入っていたのだが、
店もだいぶ順調になってきたので、
いよいよカレーを出そうということになったのである。
カレーもおいしかった。これもいい!
焼肉製作所から松坂牛が来て、
ラーメンのスープがそこに加わり、
かなりしっかりした味で、こくがあるカレーだ。
これはたくさん出てほしい。
盛り付けや分量、価格設定も含めて、
これからもう少し最終調整が必要だろうが、
近いうちに店のメニューに加わりそうである。
それにあとはネーミングか…
おいしいものを食べると本当に幸せな気持ちになる。

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2005年8月28日 (日)

ギュンター・ヴァント 1979.6.24

最初に来年のバイロイト音楽祭の話題だが、
お知らせいただいて、何より先にまず、
バイロイト音楽祭のホームページにアクセスしてきたが、
たいへん残念なことに大植英次の「トリスタンとイゾルデ」は、
今年限りのようである。理由はわからないが、本当に残念。
年末の放送に注目して、様々な意味で聞き込みたいと思う。
しかしその代わりに、予定されている指揮者が
ペーター・シュナイダーということなので、
それは明るいニュースで、私はかなり楽しみにしている。
ペーター・シュナイダーのバイロイトへの出演は、
長い年月におよんで、そして数多くの公演をこなしているが、
「トリスタンとイゾルデ」ははじめての演目であり、
ということを書いていたら、気が早いがワクワクしてきた。
そして「パルジファル」だが、いただいていた情報の通り、
アダム・フィッシャーである。「祝 バイロイト再登場!」
これもまた明るい話題だ。楽しみである。
「ニーベルングの指環」は予定通りティーレマン。
「オランダ人」については特に記述がないので、
マルク・アルブレヒトの続投ということでいいのだろうか?
ティーレマンの新演出リングが最大の話題だが、
ペーター・シュナイダーとアダム・フィッシャー、
「新しい顔」がないのは少し新鮮味に欠けるけれど、
しかし最高の顔ぶれなのではないか。
おそらく充実した完成度は保障されていて、
信頼と安心すら漂う中で素晴らしい舞台が展開されると思う。
あとは問題となるのは、やはり演出なのか。

最近発売されたギュンター・ヴァントのライブ盤である。
ブルックナーの交響曲第9番。
昨日のキリル・コンドラシンのライブに続いて、
たまたまこちらも1979年の演奏だった。
シュトゥットガルト放送交響楽団を指揮している
ヴァントを聞くのははじめてのことで、これは貴重な録音である。
会場はオットーボイレンというところにある
ベネディクト修道院バジリカ聖堂だそうで、
これがまたなんとも素晴らしく、
ヴァントのブルックナーは、改めて書くまでもないが、
今回も最高に感動して、幸福と感謝に包まれた。
興味深いのがこの会場の音響である。
聖堂ということだが、長い残響で音が重なり合い、
ふわーっと音が伸びて、静かに消えていく感じ、
こういう音響で聞くブルックナーはまた格別である。
ステレオの左右の分離が独特で、
音に包まれているような会場の雰囲気が伝わってくる
本当に素晴らしい録音である。
ケルン放送交響楽団とのこの時期の録音では、
録音のせいだと思うが、かなりやせた響きで
ヴァントの音楽に対する厳しい姿勢ばかりが
強調されているような印象だけど、
(誤解のないよう、ケルンとの録音も名演です!)
この演奏はもっと豊かな響きで、厳しさだけではない
どこか優雅であったり、優しささえも感じられるのは、
少し興味深いことである。
音響やその輝きの見事さで印象もまた違って、
ブルックナーの音楽に内在する暖かさが伝わってきた。

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2005年8月27日 (土)

キリル・コンドラシン 1979.11.29

今日は東京の友人が、わざわざ新宿区から
ラーメン製作所に食べに来てくれて、案内してきた。
ラーメンと餃子を満足してもらえたようで、私もうれしい。

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初公開!これがラーメン製作所のラーメンです。

食べた後、久しぶりに「田谷の洞窟」に行ってきたのだが、
かなり面白かった。前に入ったのは、もう相当に昔で、
今回改めていってみたところ、思っていたよりも深い。
涼しいし、夏は最高である。


キリル・コンドラシンのライブ盤。
1979年11月29日、アムステルダム・コンセルトヘボウ。
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」である。
評判を読んで、以前から狙っていたのだが、
先日タワーレコードのセールで
1590円で売っているのを見つけ買ってきた。
音もかなり聞きやすく、この時期の録音としては、
最上の出来といってもいいのではないか。
もちろん演奏も素晴らしい。コンドラシンのマーラーである。
メジャーレーベルでの正規録音は少ないが、
亡命後に西側の様々なオーケストラと共演して、
こうした録音がもっと残されていないのだろうか?
コンドラシンが亡くなる前夜、最後の演奏を行った
北ドイツ放送交響楽団との「巨人」のライブが、
去年、EMIから発売されたが、それも評判どおりで
今回第7番を聞くことができたけれど、
コンドラシンはもっと聞かなくてはならない!と思っている。

TAHRA TAH451

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2005年8月26日 (金)

バイロイト音楽祭2004

引き続き「ジークフリート」の第2幕を聞いている。
ここまで来ると「ニーベルングの指環」も
いよいよ後半へ向かうなって、いつも感じる。
この第2幕がなぜか昔から大好きで、
森の情景、特に夜明けの場面
つまり「森のささやき」がお気に入りなのは間違いないが、
しかしここでのジークフリートは、
大蛇(ファーフナー)を殺し、そのすぐ後、ミーメを殺して、
よくもまあ、次々と…って、笑ってしまうが、
しかし実際、生きるか死ぬかの展開だし、
とはいっても、これまで自分を育ててくれたミーメをあっさり殺して、
それも何の躊躇もなく、これで「真の英雄」なのだろうか?
って思ってしまうが、まあ物語である。
先に仕掛けたのはミーメだって?そうだし。

それはいいとして、今日は演奏について。
アダム・フィッシャーのリングは本当に素晴らしい。
まあ、様々な批評の通り、良くなったというのが正しい。
2001年のときは手探り状態だったと思う。いま思えば。
2001年から2004年まで、毎年3サイクル、
3×4=12で、バイロイトで計12サイクル指揮したことになる。
その間、他にもマンハイムとウィーンで指揮しているそうで、
アダム・フィッシャーのこの数年は、
おそらく朝にも晩にもリングとの生活だったに違いない。
と書いたら、他にも様々なコンサートをこなしているわけで、
そんなことはないって、怒られてしまうかもしれないが、
しかしリングがいかに重要な位置を占めていたかということは、
容易に想像のできることである。

本当にずいぶん変わったという印象がある。
例えばこの「ジークフリート」第2幕。
2001年のときは、82分ぐらいだったように記憶している。
演出上の問題でシノーポリのテンポ設定を引き継いでいるのか?
そういうことがあるのかどうかはわからないが、
2002年は80分だったか?2003年の段階で79分弱?
そしてこの2004年の演奏では76分50秒ほど。
早くなっている。しかしそういう印象はない。
というよりも、手馴れた、無駄がなくなった
というのが正しいのだろう。とにかく迷いがない。
音楽もテキストも舞台進行もそこに存在するあらゆるものが
すべて完全にアダム・フィッシャーの指揮とひとつに
作品が血となり肉となり、不思議なぐらいに
自然に合理的に展開されているのである。
バイロイトのリングはワーグナーの頂点だと思っているが、
いまその最高の音楽を聞いているという実感がここにはある。

参考までにやはり同様に顕著な「ワルキューレ」の第3幕。
それ以前までは77分、76分程度だったのだが、
2004年の公演では、72分30秒だった。
勢いが違う。音楽に流れがあり、その流れはきわめて自然だ。

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2005年8月24日 (水)

ザルツブルク音楽祭1987

6月14日に亡くなった
カルロ・マリア・ジュリーニの追悼盤である。
ジュリーニの死は、私にとってはたいへんに悲しいことで、
というのも、最初の頃から現在に至るまで、
ジュリーニはずっと聞き続けてきた大切な指揮者なのである。

1987年8月2日ザルツブルク祝祭大劇場
これは本当に懐かしい演奏である。
当時、中学生の私は、FM放送でこの録音を聞いて、
その感動は今も強く記憶に残っている。
こうしてCD化されるのは、ずっと待っていたことだが、
追悼盤となってしまったことを思うと複雑である。

モーツァルトの40番が前半に演奏されたが、
なんとも気品に満ちて、心に染み入る演奏だ。
その美しさにハッとさせられる。
それは今も昔も変わらない。
思い切り遅いテンポで音楽を格調高く構築していくが、
そこには優しさやモーツァルトへの深い想いが存在していて、
極めて自然な流れを創り出している。
巨匠の域に達したこの時期のジュリーニならではのモーツァルトだ。
実はジュリーニはこの後、ベルリンフィルとこの交響曲を録音していて、
当時私は喜んで買ったのだが、正直しっくり来なかった。
やはり今回久しぶりに聞いてみても、
このウィーンフィルとの演奏が格別に素晴らしく、
私にとっては、やはりこちらである。

そして後半が「大地の歌」。
ブリギット・ファスベンダーとフランシスコ・アライサという
ベルリンフィルとのCDと歌手の顔ぶれは一緒で、
こちらは逆にオーケストラがウィーンフィルになっているが、
この「大地の歌」も本当に素晴らしい。
改めて聞いてみて、本当に感動する。
この日のウィーンフィルは本当に美しい響きだ。
夏のザルツブルクであり、季節はちょうど今の時期に近いわけだが、
これから来る秋の訪れを少し感じとって、
その寂しさや孤独な大地の香りに心が透明になる。

ジュリーニのキャリアを見たら、
それは偉大な業績が数多く積み上げられていると思うが、
しかしその中でも、このライブは本当に見事なもので
特に重要な演奏会として、高く評価されるべきであると私は考える。
このディスクは音もたいへんに素晴らしく、
こうして今聞けることに感謝の気持ちでいっぱいになる。

ORFEO D'OR C 654 052 B

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2005年8月23日 (火)

バイロイト音楽祭2004

「ジークフリート」第1幕を聞いて、
そこから教えられること。

「ニーベルングの指環」で何が描かれているか、
その中のひとつに「神々の没落」があると思う。
神話の世界とはいえ、神々が没落していく姿を描く
というのはいかがなものか。
ここで登場する神々って、かなりひどい。
ウォータンなど、ある意味、欲の塊で、
騙しあい、奪い合いの源は、はっきりいってウォータンにある。
計画性のない判断、いつも自己中心的な発想。
また「ラインの黄金」で美の神フライアが奪われたときなど
神々は急に衰えはじめたり、そのあたりの表現、
人間ではありえぬことだが、しかしどこか人間的でもある。
「ニーベルングの指環」の世界って、まさに人間社会である。

しかし考えてみると、
ここでいう神話の世界における神々、
それは多神教における神々であり、
一方でワーグナーのいるヨーロッパ世界は、
キリスト教の一神教世界である。
つまり「ニーベルングの指環」における神々は、
神とはいっても神ではないのだ。
「神々の黄昏」つまり神々の没落は、
「多神教の没落」というふうに言い換えることができると思う。

「神々の黄昏」の最後の場面で
ワルハラ城は炎とともに陥落するが、多神教の終焉であり、
その後に来る「パルジファル」で、
そこではキリスト教世界が描かれており、
ワーグナーの表現もただただ神聖に浄化された世界であり、
そうした相違点を見れば納得できるだろう。

ならば「ニーベルングの指環」の世界における神々って、
一体何者なのか?という疑問がわいてくる。
「ジークフリート」第1幕第2場の
さすらい人(ウォータン)とミーメの問答で、
そこにひとつの回答が示されている。

「大地の下にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「ニーベルハイムに住むニーベルング族である。」
「地上の国にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「リーゼンハイムという国に住むファゾルトとファーフナー(巨人族)である。」
「天上にはいかなる種族が住んでいるのか?」
「天上のワルハラ城にはウォータンがいて支配している。(神々についての説明)」

地下、地上、天上と違いはあるが、
それぞれは同列な扱いであり、神々が特別な扱いをされることはない。
またウォータンの回答も神々を種族として扱うことに異議はないのである。

つまりは「神々」を神として理解するよりも
ひとつの民族、部族として捉えるほうがいいのかもしれない。

バイロイト音楽祭2004における新演出「パルジファル」で、
クリストフ・シュリンゲンジーフの演出は、
キリスト教世界をアフリカの民族宗教に置き換えて、
結果的に「キリスト教を冒涜した」と批判を浴びたが、
それが「ニーベルングの指環」においてだったならば、
そこまで悲惨なことにはならなかったのかもしれない。
ということは、少し感じていた。

これは関係ないが、猿の惑星の続編で、
宇宙飛行士が地底の国に下りていくシーンがあったが、
(そこには核戦争によってミュータントと化した人間がいた)
「ラインの黄金」でウォータンとローゲが、
地下のニーベルハイムに下りていくところを思い出す。

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2005年8月22日 (月)

バイロイト音楽祭2004

先日の続きで「ジークフリート」第3幕第3場について。

第1幕第2場のさすらい人(ウォータン)とミーメの問答で
「ノートゥングを鍛え上げられるのは、恐れを知らない英雄だけである」
「賭けに負けたミーメの頭は恐れを知らない男の手にわたしてやろう」と
ウォータンはミーメに答えるが、ミーメの不安の通り、
第1幕第3場でジークフリートはノートゥングを鍛え上げ、
さらに第2幕第3場でミーメを斬り倒す。
ジークフリートこそが、恐れを知らない英雄である。

ミーメはジークフリートに対して、大蛇の恐ろしさを教えるが、
第2幕第2場でジークフリートは、
大蛇(ファーフナー)に恐怖を感じない。
そしてウォータンは、第3幕第2場で、
ジークフリートに炎の恐ろしさを教えるが、全く相手にしないのである。
そして舞台は第3幕第3場へと移る。
魔の炎を越え、ブリュンヒルデを眠りから覚ましたジークフリートを
「勝利の英雄」とたたえる。

しかしジークフリートは、はじめて見る美しい女性に
どう接したらいいのかわからないという
「恐れ」を感じる。ここが面白い。
大蛇にも炎にも、「恐れ」というものが理解できなかった
ジークフリートが、はじめて感じとった
「戸惑い」、「不安」、「恐怖」は女性の存在だった。

そしてもうひとつ、それ以前のジークフリートは、
とにかくわがままで自分中心、
ウォータンに対しても失礼な態度であり、
はっきりいって、これで英雄と呼べるのか?
という、力ばかりの幼稚な存在だった。
しかしブリュンヒルデとの出会いで、
分別ある大人の男、真の英雄へと育つのである。
この辺には、「女性(妻)の存在が男を育てる」という
ワーグナー独特の思想がこめられていると思うが、
このジークフリートの変化(成長)を見ても、
第3幕第3場のフィナーレは
やはり重要な場面であると感じられる。

しかしその真の英雄が、「神々の黄昏」において、
再び極めて幼稚な展開を見せるのが、なんとも皮肉なことであり、
「(人間には)真の英雄などありえない」ということを言いたいのか、
ジークフリートは、ウォータンによって作り出された英雄であって、
意図的に作られたものの中に「真実なもの」などありえない
ということをいいたいのか、どちらにしても、
ニーベルングの指環の奥深さであり、極上の面白さである。

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2005年8月20日 (土)

ラーメン製作所 メニューの続報

午前中から新メニューを届けに行ってきたのだが、
さらにその後、すごいことになっている。
昨日も書いた「冷やし中華」(のような)の他に
つけ麺も登場したのである。
今回の新体制のメニューは、
明日から実際に出ることになった。

何がすごいことになっているのか?それは、
ここの店は、各メニューのネーミングが
実は非常に変わっているのだが、
あえてそれについては、ここではふれなかったのだけど、
今回の「つけ麺」、それはそれはもう、
私の口からは恥ずかしくて言えない。
しかし時間がたって、思ってきたことは、
もうとことん行くとこまで行こうではないかと、
結果的に売れてくれれば、それが一番だし、
「これで有名になりましょう!」と
さっきまた、電話でオーナーと話したのだった。

今日の昼に、「冷やし」の方をきちんと一食、
試食してきたのだが、おいしかった。
しかしそのときの私の食べ方や、
その感想に基づいて、私が帰った後、
急遽改良型が検討されて、
いわゆるつけ麺タイプの方が、私の好みには合っている
ということで生まれたのが、今回の「つけ麺」なのだが、
話を聞いたところ、なるほど、その方がおいしいだろうと
おそらく、よくなっていると思う。
「冷やし」で冷たくして食べたいという人もいるだろうと
「冷やし」も生きており、今回2タイプのメニューが加わった。
興味ある方は、明日以降、ぜひ行っていただきたい。
それで最初笑ってください。爆笑してください。
でも出てきたら、「あ~、なるほど」って、
それで実際おいしいと満足していただけると思う。

ということで、新メニューの店内の表示があるので、
明日も朝から行ってくる。

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2005年8月19日 (金)

ラーメン製作所 新メニュー

「ラーメン製作所」のメニューが増えてきた。
開店前にいろいろ準備していたのだが、
とりあえず慣れるまではということで、
オープンのときにかなり削ってしまって、
ここで復活したもの、新しく登場したもの、様々である。
ラーメンの方にもご飯ものがほしいというリクエストが多いそうで、
「焼肉製作所」の人気メニューからビビンバが来る。
あと新しく「牛肉チゲクッパ」が登場した。
本来オーナーは、ラーメンの方には焼肉のメニューを出さないし、
焼肉の方にはラーメンを出さない!と豪語していたのだが、
やはり客のリクエストには甘くなってしまうのか?
ここだけの話、ちょっと私はその成り行きを密かに楽しんでいる。
新しいメニューを午後、昼が一段落した頃にも届けようと
今日は朝から準備していた。

それでまた今日も夕方の営業時間まで、
いろいろ相談&試食会をしてきたところ、
さらにメニューは増えた!
明日から「ソース焼きそば」と冷やし中華
というか、冷やし中華ではないのだが、
まあ、世間で言う冷やし中華といえばわかりやすいだろう。
これらを明日から出すことになった。
これからさらに新しいメニューを作り、
また明日の午前、開店前に届ける予定である。
「ソース焼きそば」はまだ食べていないが、
冷やし中華(のような)は、おいしかった。
これはいけると思う。人気が出ると思う。
ぜひ好きな方は食べに行ってほしい。
冷やし中華というよりも「つけ麺」の印象だろうか?
しかし冷やしているので、とにかく暑い夏、
今おいしいメニューだ。

一応、宣伝もかねて、もう一度ご案内したい。
場所は横浜市栄区の田谷。
田谷の交差点にある白い看板の建物である。
入り口が二つあり、左が「焼肉製作所」、
右が「ラーメン製作所」となっている。
車で行く場合、国道1号線の原宿交差点を
大船方面に曲がり、田谷の交差点である。
電車の場合には、JR大船駅から、
たくさんバスが出ており、田谷のバス停下車で
降りたら目の前がそこである。

今日聞いたのは、ウィーンフィル2000/2001のシーズンから
ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮の演奏会。
2001年1月14日、ウィーン楽友協会大ホールである。
フランツ・シュミットの歌劇「ノートルダム」から間奏曲
シューベルトの交響曲 第8番 ハ長調 D.944 「ザ・グレイト」
雄大でありながら、締めるところは締めており、
そして何より、音楽が自然に湧き出てくるようなところ、
ちょっとかつてのカール・ベームを思い出す。
「グレイト」はベームの時代以降も
アバドやムーティ、最近はラトル、
記憶があいまいだが、アルノンクールも指揮したっけ?
ウィーンフィルにとっては定番中の定番だし、
何度も聞いた気がして、ウィーンフィルのシューベルトは、
さすがにいつも素晴らしい。
しかしサヴァリッシュの指揮で聞くと、
こういうシューベルトって、久しぶりに聞けたって思ってしまう。
ベーム以来だとしたならば、20年以上になるわけだ。
どこか懐かしい大らかさが感じられる演奏である。

しかしこれは私の方に原因があるわけだが、
この暑さのためか、夏バテなのか、
「グレイト」が長く感じられてしかたない。
何だか、気を抜くとボーっとしてしまう。
気づいて、ハッとして。
「グレイト」は私の大好きな交響曲なのだが、
さすがにこの暑さがずっと続いて、
少し疲れがたまってきているのだろうか。
早く涼しくなってほしい。

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2005年8月17日 (水)

バイロイト音楽祭2004

2004年の指環から「ジークフリート」を聞いている。
これからもう少し聞き込むが、
今日は第3幕で一回目を聞き終える。

「ジークフリート」はやはり面白い。
探り合い、騙し合い、心理戦である。
要はミーメがせこくて、よく動き回る。
そしてまた、さすらい人に扮したウォータンが、
各場面で出ずっぱりに登場してきて、
ウォータンの言葉はいちいち無駄がなく、
極めて知的な語り口だが、
つまりはワーグナーがウォータンの言葉を通して、
いろいろと解説を施したり、
ある意味、我々に問いかけてくるのである。
室内楽的に緻密な音楽も相まって、
こうした傾向はより強調されている。
「ラインの黄金」、「ワルキューレ」での物語が、
ここですべて集約され、この先の「神々の黄昏」では、
指環の物語はひたすらに急ぎ駆け足で完結に向かっていく。
「ジークフリート」って、中間にあるが、
非常に重要で、中心にある作品であるとずっと思ってきた。

第1幕のミーメとさすらい人の問答は面白い。
ウォータンにとっては、結果が見えている駆け引きであり、
誘導しているようなところが悪質だが、
さらには哀れなミーメの同情を引いて、
そこには謎解きと解説がある。
第2幕では大蛇(ファーフナー)がジークフリートに
ここでもまた、警告を通して、ひとつの解説を施し、
さらには小鳥の導きを通して、
結果的に我々も導かれるわけである。

第3幕のさすらい人とジークフリートの問答は最高だ!
力あり余るジークフリートは、最後はウォータンをも退け、
しかしそこでウォータンは、すかさず、
「これですべてはうまくいったのだ」と
密かに笑みをこぼすシーンがある。
このシーンはしびれてしまう。
自己満足と過信に陥っている部分もあり、
結果的には神々の没落を招くわけだが、
ウォータンが登場する最後のシーンでもあり、
すでに哀れな姿に身を変え、衰えすら伝わってくるのだが、
それは不思議と恐ろしく迫力が感じられるのである。

この後、第3幕第3場となり、
ジークフリートとブリュンヒルデの出会いで
「ジークフリート」後半のフィナーレは、
ひたすら愛の二重唱というかなり豪快な盛り上がりだが、
ここにも非常に面白い内容が含まれており、
しかしそれは長くなるので、また今度にしよう。

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2005年8月16日 (火)

第1523回N響定期公演

アシュケナージの音楽監督就任で
N響も少し変わるのかもしれない。
とはいっても、オーケストラは指揮者しだいで違う音を出すし、
すべてがアシュケナージに染まるということではない。
しかしながら年間10公演ほどをアシュケナージの指揮で聞くのなら、
その音で聞く機会が増えるということも事実であり、
つまりはそれによってオーケストラのイメージが形成されるであろう。
デュトワのときがまさにそうであったし、
現在もデュトワ指揮の年間3公演は以前からの音が復活する。

デュトワ時代のN響は徹底的に管理されて、
多少萎縮ぎみな中での見事にコントロールされた
整った響き、平衡感覚、バランス感覚が心地よかった。
勘違いのないように、私はデュトワ指揮のN響が好きである。
しかしここでアシュケナージ指揮の(得意の)R.シュトラウスを聞くと、
これがまた実に感動的で、これからにますます期待してしまう。
アシュケナージはN響を開放する。
響きを開放する。個性も開放する。心を開放する。
豊かな響きが鳴り出して、音は広がり、
角が取れて、音楽に奥行きが増す。
平面的ではない、大きく包み込まれるような大らかさがある。

私は「アルプス交響曲」が大好きだ。
R.シュトラウスの作品は何でも好きというのがあるけれど、
この壮大な絵巻は、不思議なぐらいに心にしみてくる。
アルプス交響曲における起承転結を人生にたとえることも多いが、
私は素直に、交響詩風に「アルプスでの一日」として
絵画的にこの作品を聞いている。
というのは、子供の頃から、よく父に連れられ、
山歩きをしてきたというのがあるかもしれない。
そんなにすごい(危険な)山は登ったことがないけれど、
日本でも北アルプスなどを思い浮かべれば、
多少は「アルプス交響曲」の情景を共有できるのではないか。
「山の一日、その情景、登山における心の移り変わり」である。
この作品は、R.シュトラウスの目を通して、
アルプスの風景、その自然の美しさ、厳しさ、優しさ、
輝き、透明感、底知れぬ暗さ、恐怖、不安、
描写と心理が一体に、あまりにも見事に描かれている。
登山の前半における希望に燃えて逸る心、
後半には激しい雷雨に襲われ、切迫した心理が描かれる。
最後は無事に登山を終えての感謝、
静かに日没を迎える光景、その雄大さが素晴らしい。
私は「アルプス交響曲」が大好きである。
アシュケナージの名演で今日も心が満たされた。

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2005年8月15日 (月)

ベルリンフィル2004/2005

今年も夏の恒例「ベルリンフィル」の放送がはじまった。
昨日の午後も加えて、2004/2005のシーズンから6公演。
ラトル、クリスティ、アルノンクール、ヤンソンス
といった、豪華な顔ぶれ。
そのうちラトルが3公演もあるからうれしい!
期待していた昨年秋のマーラーの交響曲第5番も
昨日の午後、放送してくれた。
いずれじっくり聞いてみたいと思っているが、
2002年の芸術監督就任の際のライブとの比較は楽しみだ。
あと私はヤンソンスのファンなので、シベリウスは特に注目している。
面白いことに3月はウィーンフィルで交響曲第1番を指揮して、
その2ヵ月後にはベルリンフィルで第2番を指揮していたわけだ。
興味深い。待ち遠しい。

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2005年8月13日 (土)

NHK音楽祭2004

少しだけラーメン製作所の話。
昨日オーナーから電話があったのだが、
ラーメン製作所ではラーメンが2種類、
肉中心のものと野菜中心のものとがあり、
野菜の方はヘルシーなイメージもあって、
女性に好評なのだが、一方で問題が発生して、
生ビールを飲みながら食べた人に
評判が悪いそうなのである。
「味を感じない」「スープがぬるい」
ビールを飲まない人は、
「おいしい」と喜んで帰るそうで、
原因は明らかにビールである。
冷えた生ビールが口の中の温度を下げ、
そしてスープの味(油分)を流してしまうのである。
さらには味覚を曇らしているのだろう。
繊細なスープなので、それは厳しい。
もう少し様子を見て、もしかしたら、
生ビールはやめるかもしれないということだそうだ。
ラーメンを食べる店なわけで、
酒を出すためにやっているのではなく、
何よりもラーメンが主役である!

NHK音楽祭2004における
ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
考えてみるとニューヨークフィルって、
あまり聞くチャンスがなくて、
しばらく聞いていなかった気がする。
というより、ニューヨークフィルの音って、
イメージできない、知らないことに気づいた。

「タンホイザー」序曲など、
ドイツのオーケストラと比べると、かなり印象が違っている。
特にバイロイトにおけるティーレマンの演奏など聞いてしまうと、
あの重厚でぐいぐい低音で押してくる響きと比べたら、
正直少し物足りなくも感じてしまう。
マゼールの趣味も強く反映されているように感じられるが、
洗練の極みであり、よくブレンドされた丸い音色が魅力である。
ひたすら美しさに焦点をあてたワーグナーであり、
考えてみると、私の中では新鮮な存在だ。
後半のドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」も同じである。
ニューヨークフィルはかなり機能的で、
オーケストラの音という点でも、全く押し付けがない。
しかしドヴォルザークでは、それがたいへんに好ましく、
特にこう蒸し暑い日が長く続くと、
こんなにも爽やかなドヴォルザークは本当に救いである。
きっとここでは、マゼールの現在の心境が示されているのであろう。
ドイツからアメリカに異動して、
これから様々な新しい展開を知ることができるなら、
マゼールとニューヨークフィルという組み合わせは、
かなり面白くて、期待できるかもしれない。

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2005年8月11日 (木)

焼肉製作所も本日開店!

昨日のラーメン製作所に続き、
本日18時に焼肉製作所も開店である。
今日の午前、最終的に値段が決まったと連絡が来て、
私の方で準備していたメニューを早速仕上げ、
午後、届けてきた。オープンに間に合った。

ラーメン製作所の方で今日から出ている
「餃子」を食べてきた。
おいしいとは聞いていたが、なるほどこれはいい!
野菜の食感がよくて、肉の甘みとの相性がよく、
これもまたかつて味わったことのない餃子である。
肉の臭みが全くなく、野菜のうまみを感じられる餃子は珍しい。
ラーメンと一緒にぜひ多くの人に味わっていただきたい。
これはオススメ!である。
空腹の状況によるが、腹が許せば、
私もぜひ毎回、餃子も頼みたいものだ


夕方になって、ラーメンの方に
そろそろ客が集まり始めたので、帰ってきた。
焼肉の方はどうなっているだろうか?気になる。

今日聞いたのは、バーバラ・ボニー。
ドナウ・アルトミュール・サマーコンサート 2003における
シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」
その他リストの歌曲などを取り上げたリート・リサイタル。
2003年7月13日 インゴルシュタット劇場フェストザール
ピアノはウォルフラム・リーガーである。
バーバラ・ボニーは素晴らしい!

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2005年8月10日 (水)

ラーメン製作所 開店しました!

今日も午後から行ってきた。
お昼の時間は少しずらしたのだが、
客が入っていた。食べていた。
うれしいことである。

まず最初に両親と叔父を案内してきた。
気に入ってもらえたようで、ホッとした。
つまり年齢が高い人の意見だが、
この年代にラーメンが受け入れられるというのは、
なかなかすごいことではないか!と
私も感じたし、オーナーもひと安心のようである。

楽しい一日だったが、少し疲れた。
明日はいよいよ焼肉製作所のオープンである。
夜になって、先ほど電話してみたのだが、
ラーメン製作所の初日を無事に終えて、
早速明日の準備に追われているようだった。

夜になると眠い。
ここのところ、眠くなるのが早い。
これは夏バテなのだろうか?
夜はちゃんと眠れています。おそらく。

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2005年8月 9日 (火)

ラーメン製作所 明日開店!

いよいよ明日開店ということで、
今日は最後の試食でラーメンを食べさせてもらった。
午後1時に食べて、いろいろ話したあと、
なんと、3時にさらにもう一杯食べてしまった。
ラーメンを一日に2杯食べたのははじめてだ。
私は決して大食いではない。
でもここのラーメンは食べられてしまう。
本当においしい。

去年の夏、初期段階の試作品を食べさせてもらって、
久しぶりなのだが、今回はスープも完成品なわけだし、
麺も明日から店で出る本物になって、
麺とスープの絡みも素晴らしく、いい味だった。
これを言葉で表現するのは難しく、
そして味覚は人それぞれだし、
とにかく多くの方に吟味していただきたいのだが、
ひとつ確実にいえることは、
若い人から年配の人にまで、
広い世代の人にきっと受け入れられるであろう
スープの味は間違いないと私は考えている。

ここでもう一度
ラーメン製作所の行き方について、
ご案内したい。

場所は横浜市栄区の田谷。
田谷の交差点にある白い看板の建物である。
入り口が二つあり、左が「焼肉製作所」
右が「ラーメン製作所」となっている。
車で行く場合、国道1号線の原宿交差点を
大船方面に曲がり、田谷の交差点である。
電車の場合には、JR大船駅から、
たくさんバスが出ており、田谷のバス停下車で
降りたら目の前がそこである。

明日も午後、食べに行く予定でいる。

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2005年8月 8日 (月)

ザルツブルク音楽祭2002

グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ。
指揮はクラウディオ・アバド。
2002年8月25日ザルツブルク祝祭大劇場から
FM生中継された公演である。
お聞きになって、ご存知の方も多いだろう。
本当に素晴らしい演奏だった。

手術後の復帰から無理を押し切って
活発な活動を続けていたアバドだが、
この年の春でベルリンフィルを放れ、
その先どうなるのか?
ゆっくり休養をとってほしいと思いながらも、
少しでも聞かせてほしいという気持ちは抑えきれず、
寂しく残念な思いをしていたのだが、
そんな気持ちを一気に吹き飛ばしてくれる
超快演をここで聞かせてくれたのである。

若き天才集団を相手に
バルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では
ディテールの精妙な描きこみが見事で、
近年のアバドならではの淡白でドライな音作りが
よりいっそうにリアルで鮮やかな音楽を聞かせている。

この日最も注目を浴びたのが、きっと、
アルゲリッチがソリストを務めるラヴェルのピアノ協奏曲で、
これがまた、ものすごい演奏。興奮。
はっきりいって、アルゲリッチは好きではないが、
しかしこういう演奏を聞かされると、もう何もいえない。
天才的であり、このスリリングな展開は、
他の人に求めるのは不可能であろう。
アルゲリッチはときどき、
どうしようもなく荒っぽい乱暴な演奏を聞かせることがあるが、
アバドの指揮だと、全く違って聞こえる。
(デュトワのときもすごくいい)
アルゲリッチは共演者しだいで、影響されやすいと思う。
ここでも繊細な音色がいきているし、
デリケートな音楽と終楽章のような快速で
躍動感あふれる音楽とのコントラストは圧倒的。
表現の幅の広さ、そしてそうした効果が生み出す
音楽の立体感、奥行きは素晴らしい。
それらすべてが本能のままに自然なことなのである。
奇跡的な名演だ!

そしてドビュッシーの海。
なんとしなやかなことであろう。
小さな動きで音楽に大きな波を生み出している。
近年のアバドならではの精緻なバランス感覚だ。
細部に宿るこの輝き、透明感。
この一年後のルツェルン祝祭管弦楽団との
ライブ録音が正規にCD化されているが、
こちらも本当に素晴らしく、感動する。

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2005年8月 7日 (日)

ラーメン製作所 さらに続報!

今日、ラーメンにのるあるものを
実は先ほど試食してきた。
おいしかった。ホントに最高!
あるものが何か?それはいえない。
いったら、食べるときに面白くなくなってしまう。
本当に絶品だった。口の中でとろけるような。
口に入れるとあっという間に広がっていき、
そのままとろけて、消えていってしまう感じ。
そして次を口に入れたくなる。

開店の日が決まった!
ラーメン製作所のオープンは、

8月10日(水)だそうである。
さらに焼肉製作所のオープンが、

8月11日(木)である。
ぜひ行ってみてほしい。
きっとあの味は、食べた人を幸せにしてくれるだろう。


今日はザルツブルク音楽祭2002から
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラの演奏会を
聞いたのだが、また明日レポートしたいと思う。

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2005年8月 5日 (金)

ラーメン製作所 まもなく開店!

今日の午後は、ラーメン製作所の開店に向け、
保健所による店舗の検査だったのだが、
先ほど電話があって、
問題なく、見事!合格したそうである。
早速月曜日にも、営業許可書が出るらしい。
いよいよだ。

まもなく開店なので、
「ラーメン製作所」について、ご案内したいと思う。
場所は横浜市栄区の田谷。
田谷の交差点にある白い看板の建物である。
入り口が二つあり、左が「焼肉製作所」、
右が「ラーメン製作所」となっている。
先にラーメン製作所がオープンして、
そして少しして焼肉製作所もオープンの予定。
(焼肉の方が少し準備に時間がかかります)
車で行く場合、国道1号線の原宿交差点を
大船方面に曲がり、田谷の交差点である。
電車の場合には、JR大船駅から、
たくさんバスが出ており、田谷のバス停下車で
降りたら目の前がそこである。
近くには田谷の洞窟など、名所もあるので、
ぜひ立ち寄っていただきたい。
味は保障つき!

今日聞いた音楽
タスミン・リトルが昨年2月6日、
東京のトッパンホールで開いたリサイタルから
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ K.454
バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番
シマノフスキの「神話」からナルシス
アンコールにクライスラーの「中国の太鼓」
そしてモンティの「チャールダーシュ」
ピアノは江口玲である。

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2005年8月 4日 (木)

ゴキブリ撲滅!

昨日の晩、出た!今年もついに。
ゴキブリである。
私の部屋は2階だし、食べ物は何も置いていないので、
台所などと違って、ほとんど出たことないのだが、
おそらく外から飛んできて、窓から入ってきたのだろう。
一日中、夜寝る前まで網戸にしているので、
外に漏れている光を目指して来て、
隙間から入ってきたに違いない。

物陰から出てきて、あの独特な動き。
ゾッとする。苦手である。一気に寒くなった。
こちらと目が合った瞬間、暗闇に消えた。
ものすごい殺気を感じ取ったのかもしれない。
すぐに「ゴキブリホイホイ」を持ってきて、
いたところにそっとセットした。
気分が悪いので、とにかくそのまま寝た。

今朝である。朝起きて、早速見てみると
見事!かかっていた。デカイ!
黒々とテカテカな光沢、なんてやつだ!!

最近の「ゴキブリホイホイ」はすごい効き目である。
ゴキブリを呼び寄せる臭いの粉末。
タマネギやら、肉やら、混ざり合って強烈だ。
人間だって、わかるくらいの強い香り。
ゴキブリの嗅覚なら、それはそれは引き付けられるのだろう。
よくゴキブリを見つけると徹底的に追いまわす人もいるが、
(例えばうちの母である)、追いまわすと逃げてしまうし、
どこか陰に潜んでしまうかもしれない。
そのまま出てこないかもしれない。
そしてきっと、ひどく興奮させて、警戒させて、
隠れてしまうかもしれないのである。
むしろ、そっと静かに、さっきいたところに
「ゴキブリホイホイ」を仕掛ければ、
翌朝きっと捕まっている。
すぐにかからなかったら、
もうどこかへ行ってしまったということなのだろう。
ゴキブリは臭いにつられて寄ってくるので、
むしろ遠くへ逃がさないということが重要なのかもしれない。

ゴキブリ嫌いの同志たち!
今年の夏も見事ゴキブリを生け捕り、
撲滅せんことを祈っている。
別に「ゴキブリホイホイ」の宣伝ではないので。

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2005年8月 3日 (水)

NDR交響楽団2003/2004

本題に行く前にラーメンを食べてきた話。
最近話題にしている「ラーメン製作所」のことではなく、
お昼に食べてきたラーメンの話である。
せっかくなので「ラーメン製作所」の速報!
というほどでもないが、まもなくオープンという予定で、
現在準備中だそうである。楽しみにしていただきたい。

先日、いつもの友人とお昼にラーメンを食べて、
そのとき偶然にも、毎回仕事をお願いしている
工務店の社長もその店に昼を食べに来たのだ。
「高橋さん、こんにちは。いつもここ来るんですか?」
よく来るらしい。おいしい店には、やはり人が集まる。

おいしいお店とは、横浜市瀬谷区南瀬谷の環状4号線沿い
日向山団地の「ラーメン4号家」である。

それで今日のこと。
これから工事をお願いしてある現場を見てもらうために
朝から工務店の社長を案内して来たのだが、
お昼になってしまって、どっかで食べようという話になり、
「ラーメンがいいよ」ということで、おいしいお店は、
うちの近くで「太打家」というところがあるんですが、
行ったことありますか?と聞いてみたら、
知らなくて、行ってみたいということになった。

「太打家」は、横浜市旭区善部町にあり、
新幹線沿いの道を「桃源台」交差点で、
緑園都市方面に曲がったところにある。
「太打」は「だいうち」と読むらしい。

そうしたら、今日は「太打」は臨時休業だった。
いや~残念!急に食べようと思っても食べさせない斬り!
今回も「4号家」に行くことにした。
でもここのラーメンはおいしくて、
もう何回か足を運んでいるが、
今日も大満足であった。


戻ってきて、聞いたのは、
ハンブルクNDR交響楽団の2003年10月17日の演奏会ライブ。
もちろんクリストフ・エッシェンバッハの指揮。
ツィモン・バルトのピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。
後半は「春の祭典」である。素晴らしい!
エッシェンバッハは、ここ数年、私にとっての最高の指揮者である。
今年の春の来日(フィラデルフィア管弦楽団)でも聞きに行ったし、
彼のひたすら個性的に濃い音楽づくりで
自分の表現を自分らしく自分なりに表現していくところ、
決して代わりのいない、エッシェンバッハでなくてはならない
といえる数少ない大切な指揮者である。
個性的だと、作品によっては、私の好みというものもあるので、
これは他の演奏の方がいいということもたまにはあるが、
しかしここでの「春の祭典」は最高だ。
ラフマニノフもエッシェンバッハのお気に入り
ツィモン・バルトが登場して、やりたい放題の好き放題である。
しかしこれがグッと来てしまって、酔いしれてしまう。
後半の迫力、というか音楽の大きさ、それは凄まじいものがある。
実際、会場の様子も爆発的に盛り上がったようだ。

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2005年8月 2日 (火)

バイエルン放送交響楽団2003/2004

2004年1月30日のマリス・ヤンソンス指揮の演奏会。
「オール・ベートーヴェン」プログラムである。
最初の「レオノーレ」序曲第3番から感動的であり、
そこでふと思い出したこと、それは、
20年ぐらい前のレコード批評で
ジェームズ・レヴァインのベートーヴェンについて、
「まるで全盛期のカール・ベームのようだ」
という言葉が印象に残っており、
ここでのヤンソンスのベートーヴェンも
なぜかそれがぴったりではないかと思ってしまったのである。
しかしヤンソンスについてよくいわれることは、
「現在で最もカラヤン的な響きを出せる存在」であり、
ヤンソンスはベームよりは、むしろカラヤンなのである。
しかしここでの見事なベートーヴェン、これはベームだ!

なぜそう感じたのか?
それは「レオノーレ」序曲第3番ということもあって、
名演を残しているカール・ベームの存在に重ね合わせたのかもしれない。
そしてこれは私にとってのひとつの基準なのかもしれないが、
「素晴らしいベートーヴェン、それはカール・ベームの演奏」
というのが、いつになってもあるのかもしれない。
それは人によって様々なことであろう。
カラヤンが最高という人、フルトヴェングラーでなくてはダメな人、
朝比奈隆を尊敬する人、ギュンター・ヴァント、クレンペラー、…。

この演奏会は、本当に素晴らしかったに違いない。
ピアノ協奏曲第4番をキーシンが弾き、
後半は交響曲第5番である。
古楽の発想から来る斬新な解釈が多い現在にあって、
ヤンソンスはここでも、ひたすらスタンダードに正道を突き進み、
それは不思議なぐらいにまともであり、
ビックリの仕掛けなど、どこにも必要ないのだが、
しかしそれでここまで人々の心をひきつけ、
熱い感動を与えられるのって、
それがまさにヤンソンスの存在であると
私には感じられるのである。
表面的な演奏スタイルでの共通点というよりは、
そこにこそ、カール・ベームの存在を
ヤンソンスに重ね合わせたのかもしれない。
本当に素晴らしい指揮者であり、
私の中では、現在最も評価が高く、
重要な指揮者のひとりである。

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2005年8月 1日 (月)

WDR交響楽団2003/2004

先日セミヨン・ビシュコフの話題を取り上げたが、
今日は彼が主席指揮者を務めている
WDR交響楽団を指揮した公演のライブ盤を出してみたので、
再びビシュコフを話題にしたい。
2004年3月24日ジュネーブでの録音である。

前半がラドゥ・ルプーをソリストに迎えた
シューマンのピアノ協奏曲で、
実はこの盤を手に入れたのは、
ルプーが目当てであったのだが、
大胆でかつ独創的な表現は貫禄の芸風である。
しかし録音のせいも大いにあると思うが、
ルプー本来のデリケートな表情が伝わってこないのは、
残念でもあった。かなり大袈裟な立ち回りである。
近年のルプーは、比較的こういった傾向にある
というのも事実であろう。決してすべてではないと思うが。

本題のセミヨン・ビシュコフ、
後半はブラームスの交響曲第2番である。
これがまた最高に素晴らしい。
先日のチャイコフスキーについても書いたが、
ビシュコフの劇的に盛り上げていく展開は、
聞いていて熱くなり、とにかく興奮する。
第二楽章など、クライバー級に激しいし、
終楽章などすごい迫力でそれが見事に決まっている。
しかし作品がブラームスということもあるし、
じっくりと聞かせて、音楽の構造などに深みも出し、
感情的に盛り上げていく部分と端整に構築していく部分
それらが共存して、極めて自然な形に
音楽の中で両立させてしまうところがすごいと私は感じる。

WDR交響楽団の正規録音によるライブ録音の
ブラームス交響曲全集(2002-2004)も存在し、
以前から欲しいと思っているのだが、
今回聞いてみて、全集の方もぜひ
真剣に聞いてみたいと思ったのだ。
今度ぜひ。

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