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2005年9月21日 (水)

ウィーンフィル1993/1994

1993年12月、サイモン・ラトルが
ウィーンフィルの定期演奏会にはじめて出演したのがこのときで、
そこで取り上げたのが、マーラーの交響曲第9番であった。
その演奏会ライブはEMIからCD化されており、
バーミンガム市交響楽団とその後のベルリンフィルによって
マーラーの交響曲全集が進められていたラトルのシリーズでは、
第九だけがウィーンフィルであり、特徴的である。
しかしこれが、私にとっては納得のいかないCDなのだ。
ちょっと今日は、改めてじっくり聞きなおしているのだが、
やはり残念ながら、物足りない。音質の点で特にである。
録音がもっと優れていて、迫力もあって、
ラトルならではのディテールが精妙に聞こえてくれば、
印象は全く違っていたと思う。
しかしそれだけでもないようで、
ラトルの表現もどちらかというと中途半端である。
この第九は残念だ。

マーラーの第九というと、やはり、
ついこだわりをもって、理想の演奏を求めてしまう。
聞くこちらにとっても、それだけの心構えをもって臨むのである。
そしてラトルのマーラーの素晴らしさは改めていうまでもなく、
それゆえに常に納得の完成度でなくては、満足できないのだ。
ラトルのマーラーは、残念ながら「大地の歌」だけ、
現在手に入らないのだが(輸入盤はちょうど在庫切れなのだろう)、
番号がついている交響曲はすべて聞いている。
今年はじめに発売された「千人の交響曲」で全集が完成した。
最近はベルリンフィルとの録音になり、
クック版による第10番、そしてその後の第5番は、
圧倒的な素晴らしさであり、
ラトルは現在を代表するマーラーのスペシャリストであると思う。
最後を飾る第8番「千人の交響曲」では、
バーミンガム市交響楽団に復活するという心憎い演出もあり、
とにかく最高の感動である。これ以上はない。
そう思うと、やはりこの第九は納得の出来とはいえないのである。
いずれ再録音ということにもなると思うが、私はそれを熱望する。

ラトルのマーラーをはじめて聞いたのは、第7番であった。
深刻さから開放されるような新しい感覚に虜になった。
第3番や第6番が特に私のお気に入りである。
ディテールの描きこみがとにかく克明で、
徹底したこだわりに満ちている。
第4番も独特なテンポ設定と思い切った表情作りで
かなりユニークな印象にまで、
ラトルならではのコントロールを聞くことができるのだが、
それが逸脱してしまうことはないし、
むしろ説得力があって、気づいたらうっとりとしているのである。
そしてまだ最近の第5番、第8番では、
ここに頂点を極めたという達成感を
全編にわたって感じることができる。
ぜひ第九を何とかしてほしい。
普通に望むならベルリンフィルとの再録音であろうが、
ウィーンフィルで再びチャレンジするというのもいいと思う。
ウィーンフィルが実力を出し切ったときのその魅力というのは、
他のどんなオーケストラでも太刀打ちできないものがあるではないか。
現在のラトルならば、きっとやってくれるに違いない。

EMI 5 56580 2

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