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2005年9月 7日 (水)

イヴァン・フィッシャー 新譜

20050907

台風が過ぎ去った後、今日の夕焼けである。

イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団による
マーラーの交響曲第6番の新譜。

私はとにかくマーラーが大好きで、
一年中聞いているが、いや、正確にいうと、
ワーグナーを聞いているとき以外はマーラーを聞いている、
いや、もっと正確にいわなければならない、
ワーグナーを聞いているとき以外で、
ベートーヴェンやシューベルトやブルックナーを
聞いていないときはいつも、…、まあ、いいや、
とにかく一年を通して、しょっちゅうマーラーを聞いているのだが、
ここ数年、この交響曲第6番が好きで好きでたまらない。
マーラーの交響曲は第1番から第9番まで、そして大地の歌も
みなそれぞれ魅力的で、どれが一番とはいいにくいほどに
私にとってはすべてが大切な作品なのだが、
その中でもこの第6番が、このところの私には、
特に聞きたい作品であり、聞くたびに幸福で満たされる。
マーラーの作品の中でも最も濃厚でストレート、
巨大な全体像の中に交響曲としての構成が
きわめて明確にカラフルな色彩で示されており、最高に面白い。
仕掛け好きなマーラーの中にあっても、
特に実験の多い作品で、それがことごとく鮮やかに決まって、
演奏効果は絶大、こんなに充実の音楽ってそうはない。
音楽に身をゆだねれば、自然に素直に感動が押し寄せてくる。

イヴァン・フィッシャーのマーラーは今回はじめて聞いたが、
今日的なスピード感覚で、明るい音色は肯定的であり、
よく流れ、常に前を向いている音楽作りは心地よい。
テンシュテットの重量級の演奏や
ラトルのような徹底して描きこみを行っている演奏に比べると
やや軽いというか、考え込む瞬間が少なくて、
その辺が現代的というか新感覚といいたくなってしまうのだが、
私はイヴァン・フィッシャーの指揮はたいへんに気に入った。
マーラーの皮肉や屈折を誇張しない表現であり、
その点では、全体に整ったフォルムで、
確固たる自らの美意識に基づいて音楽が構築されているのを感じる。

最近よく話題になる中間楽章の演奏順だが、
第二楽章をアンダンテ、第三楽章をスケルツォで演奏している。
イヴァン・フィッシャーもこの解釈だ。
これが標準になっていくのか?
はっきりいって、はじめの頃はかなり抵抗があった。
美しいアンダンテの楽章が、高らかと盛り上がって、
静かに終わった後、終楽章の不吉な響きへと向かわずに、
再びスケルツォの楽章に戻ってしまうような展開、
かなり変!おかしいと思ったものだ。拍子抜け。
メジャーなところで最初に話題になったのが80年代のラトル。
最近はヤンソンス、昨年のアバド、そしてメータまでこれで、
今年の春のラトルの演奏でもやはりこの解釈であった。
何だか、いろいろ聞いているうちに
さすがに慣れてしまった。こっちの順番も。
あんまりこういうのは嫌だが、
どちらでも気にせずに聞けるようになってしまった。
この新解釈を取り入れて演奏するのが、
今的みたいなところがあるのだろう。
もしブーレーズがいま指揮するならば、
やはり楽章の順を入れ換えて演奏するだろうか?
どうなんだろう?

CHANNEL CLASSICS CCS 22998

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