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2005年9月23日 (金)

セルジュ・チェリビダッケ

チェリビダッケが晩年にミュンヘンフィルを指揮して
ライブ収録されたワーグナーの管弦楽作品集を聞いている。

チェリビダッケのシュトゥットガルト時代(1970年代)の録音を
悪く言う人って少ないと思うが、
それはあのこだわりに満ちた響きで
まだテンポもそれほどには遅くなく、
ということで、それはすごいのである。
しかし1980年代になって、ミュンヘンフィルでの活躍がはじまり、
晩年の超スローテンポの音楽となると、
それはやはり限られた信奉者のみのための
というのは、そう思われても仕方ない。
私も以前はきつかった。
今でもテンポに関しては、遅いよりは速いほうがいい。
しかしチェリビダッケは特別、別格である。
そう思い始めたのはいつからか?
気づくとある段階から、全くの別世界にいて、
超スローテンポだが、それを遅いと感じることはもうない。
だってこれだけのものを詰め込むのには、時間が必要である。
ここでのジークフリート牧歌は、こだわりの表現の宝庫であり、
研き抜かれた美しさだけではない、
音楽への様々な愛情の形が、表情豊かに描かれている。
全体が与える印象というのは、非常に妥当なのである。
しかしこのテンポで他の指揮者だったならば、
とんでもないことになるに違いない。
聞いている人の全員がだれて、退屈して、
演奏会として崩壊してしまうだろう。
この音楽が許されるのは、チェリビダッケのみなのだ。

チェリビダッケの音を言葉で評するのって、
非常に難しい。
やはり遅かった晩年のバーンスタイン、
とことん感情的に思い入れが過ぎて、
音楽に時間がかかってしまったのである。
チェリビダッケは違う。
スローテンポの中で造形には異常なほどにこだわりを見せ、
格調高くもあり、壮麗な音響を会場に響かせて、
そんなに簡単に言ってしまってはいけないような気もするのだが、
感情表現と別のところで独自の世界観を築いている。
ここでの「タンホイザー」序曲を聞くと、
響きの徹底したコントロールに仰天してしまう。
チェリビダッケの頭の中にあるイメージ、
造形や響きや色彩や、確固たるイメージがそこにあって、
それが演奏の隅々にまで、表現されつくされていると思う。
チェリビダッケのイメージどおりに、
忠実に完璧に演奏したミュンヘンフィルもすごいのだが、
その背後にある膨大なリハーサル、練習に費やした時間、
そして指揮者の要求に応えるべく、その集中力の高さ、
それを思うとここでこの偉大な芸術がなされたことに
その尊さに心から感謝の気持ちでいっぱいになる。

チェリビダッケは自らの死後に発表されるべく、
晩年に数多くの録音を残してくれたが、
これらの録音群は、ものすごい価値を含んでおり、
本当に貴重な記録であるといつも考えさせられる。

EMI 5 56524 2

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