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2005年9月19日 (月)

アレクシス・ワイセンベルク

私は以前からワイセンベルクにたいへん興味があって、
壮絶なテクニックでものすごいスピードで駆け抜ける演奏、
作品によっては、それが全く意味不明な結果に終わっていたり、
そういうこともあるのだが、しかしワイセンベルクという人は、
自分のスタイルがあって、それを徹底的に貫いている
というところに、独特の魅力が感じられるのである。

もう昔の話だが、リサイタルを聞きにいったこともある。
オーチャード・ホールだった。
しかしその日の演奏会は残念なことに
ワイセンベルクの体調不良によって、
途中で中止となってしまった。
CDで聞くあの壮絶なテクニックを披露するピアニストが、
冒頭のシューベルトのピアノソナタ「幻想」の第1楽章で
ミスを連発し、というより、ボロボロの演奏で、
和音のコントロールなども全くできていなくて、
第1楽章の終わりまでたどり着かなかったのである。
本当にショックだった。ものすごい辛い体験だった。
思い描いていたイメージとのギャップ。
もちろん本人は、自身の演奏に耐え難い苦痛を味わっている。
その姿を目の当たりにしている聴衆にとっての重さ。
それ以来、ワイセンベルクの話題を耳にしたことがない。
ピアニストとしての来日は、そのときが最後だと思う。
現在の消息を知っている方がいたら、教えてほしい。
しかしその後も私は、かつての録音などで
ワイセンベルクを今も追い続けている。

カラヤンと共演している有名な録音、
チャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲。
しかしこれは、私にとってはわからない。
一時期のカラヤンがワイセンベルクをたびたび起用して、
演奏会や録音を数多く残していることはよく知られているが、
カラヤンの方向性とワイセンベルクのピアノって、
どこに互いが惹かれる部分を感じていたのか、
それをここに見つけることが私にはできないのだ。
カラヤンのチャイコフスキー(ピアノ協奏曲)は、
リヒテルとの録音、ベルマンとの録音、
そして最晩年のキーシンとの録音というふうに、
これらは最高の名演でカラヤンの最重要なレパートリーである。
キーシンとの演奏は、当時NHKで映像も流れたが、
本当に感動的で、涙があふれてくるぐらいに
心がいっぱいに満たされたのだった。
ここでの演奏もカラヤンは壮大なスケールで
まさにカラヤン美学による究極的オーケストラコントロールで
独特なロマンティシズムを創造している。
しかしワイセンベルクは、全く別の世界に
自分の存在価値を見出しており、
この演奏はここでのカラヤンにはふさわしくない。
ワイセンベルクの硬質なピアノ、
圧倒的に鮮やかな切れ味の鋭さ、突進する勢い、力強さ、
このピアノには、カラヤンは重すぎる。
ラフマニノフとなるとその方向性の違いは、
さらに顕著となる。なぜなんだ?
ワイセンベルクのラフマニノフは素晴らしい。
独奏による前奏曲集や80年代のピアノソナタ、
協奏曲でも第3番(ジョルジュ・プレートル指揮)は、
違和感は全く感じられず、ワイセンベルクは、
自らの世界を明確に力強く主張している。

ワイセンベルクは、もっともっと探求しなくてはならない。
ラフマニノフの終楽章で少し気づきはじめたことがある。
全盛期のカラヤンとベルリンフィルがあまりにも素晴らしすぎる。
オーケストラに耳を奪われてしまうのである。
その意味でワイセンベルクのピアノは、
この音作りだと、少し分が悪い。
一方でチャイコフスキーはパリ管弦楽団である。
カラヤンにしては、普段と勝手が違うのか?
その辺で聞く側としては、新たな迷いが生まれるのか?

EMI 5 85706 2

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