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2005年10月 5日 (水)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環を
ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリートと聞いてきたが、
9月はずっとステレオを修理に出していたので、
「神々の黄昏」をやっとここで再開して聞いている。
ひと月ぶりにワーグナーを聞くと、
何ともいえない幸福感がこみ上げてきた。
やはりワーグナーは特別だ。

「神々の黄昏」の音楽は素晴らしい。
でもストーリーはというと、ひどい話で、
騙し合い、憎しみ合い、裏切り、呪いと復讐、
登場人物は次々に倒れ、
この結末はすべてが終末を迎えることにより、
元の秩序が回復されるというような悲惨な展開である。
しかしそのマイナスな要素の集合体にあって、
ひとつひとつを解き明かしながら聞く音楽は、
最高の面白さと充実感に満たされているのである。

「神々の黄昏」第1幕の前におかれた序幕は、
「ジークフリート」第3幕の延長であり、
つまりは「ワルキューレ」の第3幕と
「ジークフリート」第3幕第3場と同じ舞台であり、
音楽もまた、これまでの流れの上に成立している。
しかし第1幕がはじまると場面は変わり、
「神々の黄昏」のその後はギービヒ家を中心とする場面で展開し、
配役もグンター、ハーゲン、グートゥルーネの3人に
ジークフリート、ブリュンヒルデが加わる形となって、
主導動機もかなり変わり、新しい動機も加わり、印象が変わる。
「ニーベルングの指環」は誰が主役なのか?
というのは判断が難しく、善も悪もない、敵も味方もない
というような、そういう傾向にあるが、
しかしそれにしても、ハーゲンは、
ニーベルングの呪いの原因でもあるアルベリヒの息子であり、
復讐に燃え、そして復讐を成し遂げる役柄でもあって、
限りなく黒に近い役柄である。
そんなハーゲンの謀略が「神々の黄昏」の筋書きそのものであり、
とにかくひどい話の展開なのだが、
しかしここで流れる音楽は、なんとも透明な響きであり、
美しく、清らかな流れなのである。
作曲技法も高度を極めていると思うのだが、
様々な主導動機が複雑に絡み合い、
ひとつひとつを理解しながら聞こうと思ったら、
音楽をぶつ切りにして聞かなくてはならない。
解析しながらの鑑賞は極めて困難だ。
「神々の黄昏」のストーリーは、あまり好きではないが、
音楽はとにかく感動的であり、最高であると思っている。

「神々の黄昏」のストーリーの中にも
いろいろ面白いテーマがあり、
これから少しずつ考えをまとめていきたい。
しかしバイロイト音楽祭2004の指環の演奏、
アダム・フィッシャーの指揮は感動的である。
素晴らしい!充実の極みだ。
自然な流れの中にこうあるべきだというのが感じられる。
作為的な部分がなくて、膨大な内容が不思議なぐらいに
見事な調和の中にまとめ上げられている。
先日はアダム・フィッシャーのバルトークを堪能したのだが、
やはり私にとっては、こうしてワーグナーを聞いてしまうと
アダム・フィッシャーのワーグナーをもっと聞き続けていたいと
どうしても思ってしまう。

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