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2005年10月26日 (水)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環も
いよいよ「神々の黄昏」第3幕を聞いている。
昨年末のFM放送の録音を繰り返しながら
これまで順番にこつこつ聞きこんできたが、
ニーベルングの指環は、内容の深まりはもちろんのこと、
この壮大な規模だし、音楽史上における
最高の傑作であるといってもいいのではないか。
というのは、ワーグナー好きの人限定の話で、
広くはいろいろな意見がありそうだが、
私はそう思っている。

「神々の黄昏」第3幕は、リングのこれまでのまとめも含んでおり、
そこがまた、聞いていて、最後になんともいえない気持ちにしてくれる。
ジークフリートの角笛にはじまって、その存在が明確に表現されるが、
その後にラインに関係した主題が流れはじめて、
登場するのはラインの乙女たちである。
「ラインの黄金」の前半部分が懐かしく、
ニーベルングの指環を聞き始めたときの
あの新鮮な喜びをここで再び思い出す。
そして第2場へ進むとこれまたハーゲンの陰謀により、
魔薬を飲まされて、ジークフリートの失われていた記憶が、
順番に思い出され、それらを語りだす。
ここでの音楽は「ジークフリート」の第2幕でのものであり、
ミーメとの滑稽なやり取りや大蛇との戦い(冒険)などを思い出しつつ、
しかし物語は刻一刻とジークフリートの死へと向かっているわけだが、
ここでの音楽はこの上なく透明な響きで美しい。最高である。
ジークフリートはハーゲンの復讐に倒れるが、
ブリュンヒルデへの告別の言葉を述べて、
そこの音楽がまた、何ともいえなく切ない気持ちになるのである。

クリスティアン・フランツの声を聞いていると
思い出してしまうのは「トーキョー・リング」のときの
スーパーマンのトレーナー姿なのだが、
ジークフリートのまっすぐでそれゆえにまわりのことが見えていない
(後ろを見ないのでハーゲンの槍に倒れるのだが)
そういうところ、イメージの話だけれども、本当に素晴らしいと思う。
一方でブリュンヒルデのエヴェリン・ヘルリツィウスも
この人はシノーポリの大抜擢によってバイロイトに来た
という記事を以前に読んだことがあるが、
第3場の後半「ブリュンヒルデの自己犠牲」での凛々しい姿、
これはブリュンヒルデの本来の部分、聡明で強い意志をもち、…、
そういう部分を取り戻し、ジークフリートとの対比となっているが、
迫力があって、やはりここでの顔ぶれって最強なのではないか。

ジークフリートの死の後も、これはニーベルングの呪いによるものなのか、
さらにグンターもハーゲンの剣によって倒れ、
「ラインの黄金」で指環を手にした巨人族の兄弟、
ファフナーとファゾルトが殺し合いをはじめたところから
最後の最後まで血生臭い憎しみと争いの物語である。
しかしすべてはライン河の洪水に飲み込まれ、
最後はワーグナー的にいう「救済」により平和に満たされるので、
音楽は素晴らしく、感動的なフィナーレだ。
この幸せな満足感があるので、何度も何度も繰り返して聞くのである。

ユルゲン・フリムの演出では、2000年の最初の年は、
ライン河にすべてが飲み込まれ、何もかもが失われた後に、
少年が現れ、ジークフリート亡き後、その子供が新たな英雄に育つ、
つまりパルジファルの存在を暗示しているのだが、
その話を聞いたときに、私は素直なので、面白いなと思ったのだが、
これは不評だったそうで、翌年には削除されてしまったそうである。
仕掛けは必要なのだが、見え見えのおせっかいは邪魔のようで、
ワーグナーの演出はすぐに問題となるので、難しい。

しばらく休憩して、11月にはバイロイト音楽祭2004の
残りの最後の演目「さまよえるオランダ人」を聞こうと思っている。

CDR169/170/171/172

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