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2005年10月30日 (日)

ドホナーニのベートーヴェン

ドホナーニ指揮クリーブランド管弦楽団による
ベートーヴェン交響曲全集の後半
田園と第7、そして第9を聞いた。
昨日からの印象のとおり、
やはりこの全集はすごい名演である。
そして録音についても本当に素晴らしい。

田園の前半は流れるように快適だが、
後半に行くほど、盛り上がって、
第4楽章の嵐の場面など、かなりドライな印象だが、
それがまたシンフォニックな効果を生み出している。
第5楽章へと進むととにかく感動的で
昔から言われてきていることだが、
表題よりも交響曲としての田園であり、私は好きだ。
第7も引き締まった演奏で、終楽章のスピード感覚はすごい。
しかしオーケストラは完璧に弾けているという印象で、
さすがにクリーブランド管弦楽団ならではである。
そして第9交響曲は、とにかく隙がなく、
研き抜かれた印象とこの響きの美しさ、
第9ならではの重みや深みも適度なバランスを保ち、
今日における理想的な演奏である。

ベートーヴェンの交響曲というと、
人によって様々な思い入れがあって、
好みもいろいろあると思うのだけれど、
私にとっては、本当に大切な演奏に出会えて、
うれしい気持ちでいっぱいである。
ドホナーニはもっと聞きたいのだが、
最近はその機会がすっかり減ってしまって、残念だ。
しかし去年からハンブルクNDR交響楽団の主席指揮者になって、
少し録音を聞ける機会もできてきたので
これからますます期待したい。

TELARC CD-80200

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2005年10月29日 (土)

ドホナーニのベートーヴェン

1983年から1988年にかけて録音された
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーブランド管弦楽団
によるベートーヴェンの交響曲全集である。
ずっと欲しいと思っていたのだが、
スペシャルプライスでかなり安く売っていたので、
ついに聞くぞ!と買ってきた。

ドホナーニとクリーブランド管弦楽団は、
この当時、このベートーヴェンの他にも、
ブラームス、シューマン、ドヴォルザークなど、
主要な交響曲を次々に録音して、
中学生だった私は、夢中になっていた。
とはいっても、CDは高かったので、
これらを実際に聞いたのって、後のことなのだが。
その後90年代になって、ブルックナー、マーラーへと発展し、
ドホナーニとクリーブランド管弦楽団は、
すごい勢いで注目を集めていたと思う。

このベートーヴェン全集は名演だ!
私が聞いてきた中でも、最高の部類である。
なぜ今まで放っておいたのだろう。
もっと早く聞くべきだった!
当時のドホナーニの指揮は、
速めのテンポでかなりエネルギッシュであり、
クリーブランド管弦楽団の妙技をフルにいかして、
徹底的にクリアな響きでメカニックを追及していく。
これでどうだ!というような、圧倒的な鮮やかさがあり、
もう参りましたとしかいいようがない。
シャキシャキ動き回り、弦楽器など弾きまくっていて、
それがもう完璧な仕上がり具合で本当にすごい!
1、2、レオノーレ序曲第3番、そして英雄と第8番、
第4、第5と前半のここまで聞き終えた。
特に英雄が素晴らしく、そして第4番のスピード感も最高だ!
第5も今日では当たり前のようになっているけれど、
リズム感を強調したり、楽器のリアルな響きを際立たせたり、
20年前の当時にしては、かなり斬新だったのではないか。
残りの田園、第7、第9と傑作を聞くのが楽しみである。

TELARC CD-80200

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2005年10月28日 (金)

ポリーニのノクターン集

今日は横浜に出る用事があって、
やっとポリーニのノクターン集を買ってきた。
早速聞いてみたのだが、これは…、
その素晴らしさはわかっていたけれど、
予想以上にはまってしまった。
期待していた以上に、もっともっとさらに
私はひき込まれ、夢中にさせてくれるショパンだった。

ポリーニの現在を聞き、喜びで満たされる。
この何年かでシューマンもよかったし、
熱情や悲愴やみなそれぞれ最高だったのだが、
私的には、それら以上に今回のノクターンにはひかれるものがある。
いままで私の中では、あくまでも私の好みで、お気に入りで、
ポリーニの究極は、ドビュッシーのエチュード集だったのだが、
ここでのノクターンを聞いて、さらに上のような気がしてくる。

相当に快速なテンポなのだが、速いという印象がない。
これが不思議。しかしポリーニのショパンはこうなのだ。
なめらかに流れて、しかし造形は今回も立体的な音楽、
バラードのときに聞いたような迫力や力強さや
しっかりとした響きを聞いているような気がするのだけれど、
よく聞くと力を込めているようなところは全くなくて、
本当に不思議なのだが、これがポリーニのショパンである。
微妙なところで絶妙の調和が保たれているが、
ポリーニ好きの人は、それを知っていて、
それを求め、そこを聞き、確認できると安心するという、
その辺が合わない人には、おそらく合わないのだろう。

CDを聞いての印象だが、ここでのピアノの音色が、
私が知っている、まさに現在のポリーニそのもので、
ちょっとカラフルだな…って(私は)思うときもあるのだが、
そういうものも含めて、すごくいい。
装飾音の処理がまさにポリーニ的であり、
音色と密接に関連して、独特の印象がある。
ポリーニならではの鮮やかでくっきりとした音色だけれど、
今回はノクターンということで、
ときに優しくそっと語り掛けてくるようなところもあって、
そういうときの感じ、この印象、思わずため息がもれてしまうが、
みんな、うっとりして聞いているのだろう。
本当に絶妙な部分を完璧に再現してくれるポリーニ、
究極である。究極のノクターン、究極のショパンだ。
好みもあるので、人それぞれだろうけど、
しかしこのノクターンは、とにかく私は最高の言葉を贈りたい。

前半の6曲、作品9と作品15だが、
近年のポリーニでは、あまり弾いている姿がイメージできなくて、
正直、聞くのがちょっと恐かったが、
これが意外によかった。まあ、当たり前である。
考えてみると、例えば作品15などは、
ゆったりのいわゆる夜想曲風の音楽に
中間部の(激しい)音楽がはさまれていて、
その辺の形式的な部分は、後期の作品に比べたら、
極端というか、ずっとはっきりしているので、
ポリーニが弾くと、それがまたさらに際立ってくるので、
面白いのである。かなり特徴的である。

作品27の2曲はポリーニのお得意の作品だし、
これはいうまでもなく、私にとっては、
このノクターン集の中心的存在であり、
そして前半最後の作品32あたりで
ポリーニ独特の前に突き進む勢いのある迫力が出てきて、
後半、いよいよ力強く押していくのかと思いきや、
作品48や作品55など、実演とは違って、
非常に穏やかにゆったりとした広がりをもって、
思いを抑え、感情をひっそりと心にしまっていくような
なんともいえない静寂の美しさがあり、
今回は夜想曲なのだということを思い出す。
そして作品62ですべてが完成する。
(作品72-1もいい。決しておまけではない格調高い演奏。)

今回の来日では、いつもより多めに
ノクターンが演奏されるが、楽しみである。
実演とCDではかなり印象も異なってくると思うが、
その辺も期待しつつ、待ち遠しい。

DG 00289 477 5718

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2005年10月27日 (木)

今日は4号家

今日は夕方から工務店で打ち合わせだったのだが、
話がまとまったのが7時過ぎで、
それから晩御飯に社長とラーメンを食べに行った。
いつも行く「4号家」である。
横浜市瀬谷区南瀬谷の日向山団地にある
家系ラーメンの店。おいしかった。
今日食べたのは、「塩スペシャル」である。
塩味の家系スープに具を全部盛り。
横浜には家系のラーメン屋が星の数ほどあるが、
私はここの店が好みで、今日思ったのは、
その中でもこの塩味の家系スープが特にいいみたいだ。
後ひかれる味。すごく満足した。
帰りが遅くなってしまったので、今日はこの辺で。

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2005年10月26日 (水)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環も
いよいよ「神々の黄昏」第3幕を聞いている。
昨年末のFM放送の録音を繰り返しながら
これまで順番にこつこつ聞きこんできたが、
ニーベルングの指環は、内容の深まりはもちろんのこと、
この壮大な規模だし、音楽史上における
最高の傑作であるといってもいいのではないか。
というのは、ワーグナー好きの人限定の話で、
広くはいろいろな意見がありそうだが、
私はそう思っている。

「神々の黄昏」第3幕は、リングのこれまでのまとめも含んでおり、
そこがまた、聞いていて、最後になんともいえない気持ちにしてくれる。
ジークフリートの角笛にはじまって、その存在が明確に表現されるが、
その後にラインに関係した主題が流れはじめて、
登場するのはラインの乙女たちである。
「ラインの黄金」の前半部分が懐かしく、
ニーベルングの指環を聞き始めたときの
あの新鮮な喜びをここで再び思い出す。
そして第2場へ進むとこれまたハーゲンの陰謀により、
魔薬を飲まされて、ジークフリートの失われていた記憶が、
順番に思い出され、それらを語りだす。
ここでの音楽は「ジークフリート」の第2幕でのものであり、
ミーメとの滑稽なやり取りや大蛇との戦い(冒険)などを思い出しつつ、
しかし物語は刻一刻とジークフリートの死へと向かっているわけだが、
ここでの音楽はこの上なく透明な響きで美しい。最高である。
ジークフリートはハーゲンの復讐に倒れるが、
ブリュンヒルデへの告別の言葉を述べて、
そこの音楽がまた、何ともいえなく切ない気持ちになるのである。

クリスティアン・フランツの声を聞いていると
思い出してしまうのは「トーキョー・リング」のときの
スーパーマンのトレーナー姿なのだが、
ジークフリートのまっすぐでそれゆえにまわりのことが見えていない
(後ろを見ないのでハーゲンの槍に倒れるのだが)
そういうところ、イメージの話だけれども、本当に素晴らしいと思う。
一方でブリュンヒルデのエヴェリン・ヘルリツィウスも
この人はシノーポリの大抜擢によってバイロイトに来た
という記事を以前に読んだことがあるが、
第3場の後半「ブリュンヒルデの自己犠牲」での凛々しい姿、
これはブリュンヒルデの本来の部分、聡明で強い意志をもち、…、
そういう部分を取り戻し、ジークフリートとの対比となっているが、
迫力があって、やはりここでの顔ぶれって最強なのではないか。

ジークフリートの死の後も、これはニーベルングの呪いによるものなのか、
さらにグンターもハーゲンの剣によって倒れ、
「ラインの黄金」で指環を手にした巨人族の兄弟、
ファフナーとファゾルトが殺し合いをはじめたところから
最後の最後まで血生臭い憎しみと争いの物語である。
しかしすべてはライン河の洪水に飲み込まれ、
最後はワーグナー的にいう「救済」により平和に満たされるので、
音楽は素晴らしく、感動的なフィナーレだ。
この幸せな満足感があるので、何度も何度も繰り返して聞くのである。

ユルゲン・フリムの演出では、2000年の最初の年は、
ライン河にすべてが飲み込まれ、何もかもが失われた後に、
少年が現れ、ジークフリート亡き後、その子供が新たな英雄に育つ、
つまりパルジファルの存在を暗示しているのだが、
その話を聞いたときに、私は素直なので、面白いなと思ったのだが、
これは不評だったそうで、翌年には削除されてしまったそうである。
仕掛けは必要なのだが、見え見えのおせっかいは邪魔のようで、
ワーグナーの演出はすぐに問題となるので、難しい。

しばらく休憩して、11月にはバイロイト音楽祭2004の
残りの最後の演目「さまよえるオランダ人」を聞こうと思っている。

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2005年10月24日 (月)

ノリントンのマーラー「巨人」

ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
による新譜、マーラーの交響曲第1番「巨人」である。
かなりユニークなことになってるのかと
私の場合、ノリントンファン(マニア)なので、
なんでもOK!的なところがあるのだが、
しかしマーラーなので、今回ばかりは覚悟して臨んだのだが、
これはいいぞ!って、かえってそれの方が驚きの
心から素晴らしい、こうあるべきだというマーラーであった。
やはり今回もいろいろ仕掛けはあるし、考え抜かれているが、
それが目立ってしまうのではなく、
むしろマーラーの様々な音楽的長所が、
より効果的に浮かび上がってきて、
透明感のある響き、本当に美しく、爽やかに、
そして何より立体的に奥行きの感じられる音楽には驚かされた。

アルノンクールがブルックナーをやるときによく言っている
「本来の響きを取り戻したい」というような
ノリントンはマーラーでまさにそれをやってくれて、
きれいに洗い流されたようで、清潔感が漂っている。
リズム処理など、かなり際立たせて、
舞曲風な音楽など、本当に踊りだしているが、
俗っぽくなることもないし、下品な響きは皆無で、
とにかく「こうあるべき」というすごい説得力を感じる。
納得してしまった。さすがにノリントン。
マーラーでもやってくれる。
ノリントンがマーラーをやるというと
何となく先入観で誤解されていそうなので、
もう一度書くけれど、むしろ原点に戻って、
スコアにも忠実な結果だと思うし、
音楽の感動においては、懐かしさみたいな親しみだってある。

そういえば、ノリントン自身がここで解説を加えているが、
弦楽器のノンビブラートについて、
マーラー、ブルックナーの時代においても、
当時のオーケストラは、現在ほどには
ビブラートを多用していなかったそうである。
そういう意味でもここでのノリントンの意図するところは、
マーラーが実際に聞いたであろう響きを再現する
ということに尽きるらしい。
しかしこの説明が、ここでの演奏を聞けば聞くほどに
説得力を帯びてくるところに素晴らしさがある。

もうひとつの再現でもある第2楽章の「花の章」について、
花の章はラトルのCDで聞いていたのだが、
ラトルの場合は、楽章間に盛り込むことはせず、
「巨人」を聞く前にその関連性は指摘しながらも
独立した作品のように扱っていたが、
ここでのノリントンは、完全に第2楽章に復活させている。
でも正直なところ、私にとっては、まだあまりなじめてなく、
第3楽章で「スケルツォ」の楽章が出てくると
「やっと戻った」という印象で、ちょっとホッとしたのが現実だった。
これについては、もう少し回数を重ねないと(私は)無理そうだ。

Hanssler CD 93.137

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2005年10月23日 (日)

ウィーンフィル2005/2006

今日はFM放送でウィーン楽友協会大ホールからの
ウィーンフィル第2回定期演奏会の生中継があり、
指揮はダニエル・バレンボイム、感動だ!最高。
だが残念!前半モーツァルトのピアノ協奏曲K.482の
第2楽章の途中で衛星回線トラブルの事故があった。
ヨーロッパからの衛星回線による生中継は、
これまでにも結構事故があった。
ガーッというデジタルノイズが中心だけど、
しかし今回はひどくて、数分にわたって中断した。
はじめはビックリした。えっ何?って。
突然音が消えてしまい、何が起きたのだろうと、
こちらのステレオの故障かと、
でもそういう感じではなかったので、
すぐにこれは中継のトラブルだなと思ったのだが、
第2楽章の美しい音楽が流れている中で、
突然目の前のバレンボイムがいなくなってしまったのは、
すごく悲しかった。本当に残念。
でもNHKのスタジオも同じくビックリしたようで、
今日のゲストは伊藤恵だったのだが、
同じく衛星回線から流れてくる音に一緒に集中していたわけで、
やはり気持ちは同じに、不意にモーツァルトの音楽が中断されたのには、
かなり残念そうだった。日本中のファン全員が同じ気持ちだった。
ヨーロッパ内での回線事故だったようで、
残念がっているのは、もっと広いのかも。
今日の放送は、ぜひいずれ再放送してほしい。
オーストリア放送協会収録の録音である。
よろしくお願いします。

最近はバイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環を聞いているが、
もう「神々の黄昏」まで来ており、いよいよ終わりも近づいてきた。
一昨年は、秋にヤノフスキのリングが再発売されたり、
そして年末に念願のカラヤンのリングを購入して、
さらにはクレメンス・クラウスが指揮した1953年バイロイトがCD化されたり、
振り返るといろいろな演奏を聞いていたのだが、
その後去年は2003年のバイロイトのリング、
今年は2004年のバイロイトのリングをこれまで繰り返し聞いてきたので、
考えてみるとアダム・フィッシャーのリングばかりを聞いている。
素晴らしいのでそれでいいし、それだけひきつけられる魅力があるのだが、
ちょっと私の中でイメージが固定化されつつあるか?
などと感じはじめてもいるのだけれど、
今年のバイロイトでは、ニーベルングの指環はお休みだし、
ということは年末の放送でも聞けないわけで、
来年になって、2005年のバイロイト音楽祭をじっくり振り返っても、
その中にリングはないのだ!
いずれリングを別の演奏でまたじっくり聞きなおしたいと
ちょっと最近、先のことを考えているのだが、
そういうことを思うと、聞きなおしてみたいというと、
今の心境では、1966年バイロイトのカール・ベーム盤である。
やはりそこへ行ってしまう。思い出したのはベームだった。
久しぶりに引き締まったベームのリングで、
私自身も引き締めたいと、なんてことなのだろうか。
聞きたくなってきた。

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2005年10月22日 (土)

バイロイト音楽祭2004

今日は引き続き「神々の黄昏」から第2幕を聞いている。
ニーベルングの指環のこれまでの印象と比べると
「神々の黄昏」第2幕はちょっと感じが違うのだが、
ここから後半は合唱が登場して、
特に第2幕では、結婚式を祝う合唱が大活躍するので、
大いに盛り上がって、すごい迫力である。
しかしリングの舞台というのは、
配役のひとりひとりに重要な言葉が託されており、
余分な脇役など一人もいなくて、
動きやひとつひとつの言葉に主導動機が絡んで、
緻密な構造で室内楽的な効果が圧倒的であり、
その辺が最大な魅力のようにも感じられるが、
その点では、ここでの第2幕は、合唱が騒いでいると
そこらの普通のオペラと変わらなくなってしまうような気もする
そんなことも最初の頃は思っていたのだが、
ブリュンヒルデの言葉に合唱が反応したり、
それにジークフリートが答えたり、
舞台の上で明確な関係性が成立しているのであれば、
かえってそこにも面白さが発見できそうで、
最近はすごく興味をもって聞くようになってきた。
まあ、あまり考えて聞かなくても
素直にいくなら、ここでの盛り上がりはたいへんに感動的だし。
第3幕はこれまた非常に透明感のある音楽で、
「ニーベルングの指環」を総括するような部分もあり、
俗っぽい部分も認めて、ここでの第2幕が、
物語の展開も音楽の盛り上がりでも
最高のピークが形成されているのかもしれない。

くどいけど、2004年のリングは素晴らしい!
音楽も(おそらく舞台も)物語が進行する上で
全く迷いなく、停滞なく、まっすぐに進んでいる。
テンポが速いというのではない。
どっしりと重厚だし、よく鳴っているし、
これは密度の高さだ!
2000年以降、ユルゲン・フリム演出による
このプロジェクトも5年目で、ここまで来た!
考えてみると本来はシノーポリの指揮だったので、
極めてユニークな展開になったとしてもおかしくなかったわけで、
しかし結果的には、アダム・フィッシャーの登場で危機を乗り越え、
終わってみれば、誰もが納得の充実の極みとなって、
それは第2幕が終わった瞬間におこる
会場からの心のこもった拍手にも示されている。
あとは残すところ、ついに「神々の黄昏」第3幕だけだ。

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2005年10月21日 (金)

ロンドン交響楽団2004/2005

今年5月のコリン・デイヴィス指揮によるライブ盤。
スメタナの「わが祖国」である。
ロンドン交響楽団の「わが祖国」ってどんなだろう?って、
私はすごく興味あったのだが、
こういう思いの方って意外と多そうで、
しかしこれがやはり大当たりで、すごくよかったのである。

「わが祖国」は、チェコの人々にとって、
特別な作品であることはよく知っているけれど、
聞くほうも演奏する側も、どこかそういうのを意識しすぎで、
なぜか、これまで聞いてきたのも、チェコのオーケストラだったり、
オーケストラはよその国でも指揮者がチェコの出身だったり、
そういうのが多かったように思うのだが、
コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団の演奏は、
そういう変に意識してしまう「お国もの」意識を排除して、
客観的なバランス感覚を保ちながら、
最高に巧いロンドン交響楽団が全力で臨んで、
これは素晴らしい演奏である。シンフォニックだ!
美しい響きを聞かせてくれるけど、情景描写的ではなくて、
あくまでも音楽的で、引き締まっている。
しかしもともとロンドン交響楽団は、
色彩豊かな明るい音色をさせるオーケストラでもあり、
そういうのも合っているし、聞いていて気持ちいい。

私はロンドン交響楽団が大好きで、
演奏会のライブ録音をCD化する
この自主制作シリーズがお気に入りなのだが、
おなじみのコリン・デイヴィスとのコンビでは、
今回はちょっと異色の作品が出てきて、
すごく楽しませてもらった。
こういう企画は今後もどんどん来てほしい!

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2005年10月20日 (木)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環から
「神々の黄昏」の序幕と第1幕を聞いている。
序幕の部分には有名な音楽があふれていて、
夜明けの情景の後、ジークフリートとブリュンヒルデが登場し、
ジークフリートは指環を贈り、ブリュンヒルデは愛馬を差し出し、
それによって愛の証として契約が成立するが、
そのすぐ後(第1幕第2場)には、
今度はグートゥルーネとの結婚、そして
グンターとの義兄弟の誓い(偽りのもの)をかわし、
ブリュンヒルデとの愛は薬によってその記憶が失われるという、
なんとも悲劇的、というより皮肉な展開だが、
音楽は美しく、愛好家(ワグネリアン)にはたまらないのである。
音楽でいうと私はやはり「神々の黄昏」が最も好きなのだが、
うっとりの場面があふれて、充実の極みである。

序幕と第1幕をつなぐのがこれも有名な
「ジークフリートのラインの旅」と呼ばれる間奏曲で、
ここでの演奏がもう極楽的に美しい。
なんて書くと誤解を招きそうだが、ご存知の通り、
音楽は激しく盛り上がり、雄大な広がりのある
ワーグナー音楽のあらゆる要素が理想的に結晶化されているような
そんな音楽だが、アダム・フィッシャー指揮のバイロイト祝祭管弦楽団は、
研きぬかれた響きでいきいきと、そしてきびきびと自在に動き回り、
音楽の流れは、あくまでもつややかに感動的である。
バイロイト音楽祭のリングを指揮して、
「ラインの黄金」から「神々の黄昏」へここまで来ると
やはり特別な思い、気持ちの高揚があるのではないかと
勝手ながら推測してしまうのだが、いかがなものなのだろう?
計り知れないものがある。
もちろん何回もリングのサイクルをこなしているわけだけれど、
しかし毎回、それぞれに驚くべき高揚が存在して、
それは演奏者が生み出すもの、というよりも
ワーグナーの音楽にすべてが支配されているような
聴衆も含め、ワーグナーに操られているような、
そういうところがあるのではないかと、私は感じているのだが、
これは本当にすごい。ため息がもれる。

アダム・フィッシャーはウィーン国立歌劇場でもリングを指揮しているが、
ウィーンは世界の歌劇場の最高峰といっていいのではないかと思うけど、
それらに比べ、バイロイト音楽祭というのは、
演奏者にとっては、どういう思いが込められているのだろう。
ヴェルディにとってミラノ・スカラ座があるように、
ワーグナーの場合には、バイロイト祝祭劇場が存在するので、
必ずしも「ウィーンが最高」というのは当てはまらないような気もするのだが、
ここでの「神々の黄昏」を聞いていると、
そういうことをはっきりと実感できるような充実した空間に満たされる。

第1幕第3場で面白いと思うことがあるのだが、
ブリュンヒルデはジークフリートから贈られた指環に見とれて、
ワルトラウテ(ワルキューレのひとり)に
神々の黄昏が近い警告の内容を告げられても耳を貸さずに
ついには「神々の幸福よりも愛が大切だ」とまでいう。
ブリュンヒルデはワルキューレの中でも最も賢く、
自分を犠牲にしてもウォータンの真意を貫こうとした
神々の意向に最も忠実に行動するワルキューレ、
「ワルキューレ」において、そういう存在だったのだが、
「ジークフリート」の第3幕で目覚め、神としての位を失い、
ジークフリートとの愛によって、ここではひとりの人間の女性なのである。
愛の力によるものなのか、ここに描かれる神々と人間の対立構造は面白い。
神々という存在を創り出すことによって、
「人間はこういうものだ」というワーグナーの考え方が
より強調されて伝わってくるような気がして、興味深い。

しかしブリュンヒルデがここまで一途に
ジークフリートのことを愛している間に
第1幕第2場では、ジークフリートは、
ハーゲンによる陰謀により魔薬を飲まされたとはいえ、
今度はグートゥルーネにうっとりして、愛を語っているわけで、
全くジークフリートとは、「どこが真の英雄なんだよ!」って
突っ込みを入れたいとこだが、
ここにもワーグナーの「男なんてこんなものだよ」という
そういうメッセージも伝わってくる。
ワーグナーの人生観とはあまりいいたくないが、
人間観察の結果は示されているのだろうか。
皮肉な展開だが、これまで神々を中心とする物語だったのが、
「神々の黄昏」になって、人間の物語となっていることを
そこに示しているのである。

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2005年10月19日 (水)

サカリ・オラモ マーラー

サカリ・オラモの新譜はなんとマーラーである。
バーミンガム市交響楽団を指揮した交響曲第5番
2004年10月26日、28日のライブ録音。
オラモをずっと追ってきたが、
今まではシベリウスやニールセンなど、
北欧を中心とする作品が主流だったので、
もちろんそれだけをやっているわけではないので、
やっとここでマーラーの作品が聞けて、
うれしいことである。どんどんやってほしい。
マーラーは聞きたいではないか!

しかし実際にここで5番を聞いてみると
オラモのマーラーを知るというのでは
もう少し他の作品も聞いてみたいというのが正直なところか。
録音のせいもありそうだけど、もう少し情熱的な感じでも
作品が5番だし、華やかだったり、過剰な思い入れがあったりでも
というような印象もあるのだが、しかしそうかと思うと
終楽章などは一気にヒートアップするし、
でも全体に色彩などはかなり抑えられた仕上がりで、
やはりこれまでのシベリウス、ニールセンの路線の延長線上にある
というような感想をついもってしまう。
レコードメーカーがある程度、意図的に
音を作り上げている部分もあるのかもしれない。
オラモの音楽作りは、私は「流れ」を意識していつも聞いているのだが、
今回も第2楽章での思い切りテンポを速めて盛り上げていく
そのスピード感覚や先ほどの終楽章でのフィナーレを駆け抜ける爽快感、
そういうところにここでの演奏の魅力を感じ取った。
とりあえず今回は一回通して聞いたので、
また改めて聞き込むと、違う発見も見つかるような気もする。
「抑えられた色彩」ということを書いたが、
この辺も今日の私のコンディションしだいということもあるかもしれないし。

Warner Classics 2564 62055-2

今度の土曜日(10/22)19時より
「NHK音楽祭2005」の開幕公演、NHKホールからの生放送で
オラモ指揮のマーラーの交響曲第4番が聞ける予定で、
そちらも楽しみである。
「他の作品も聞いてみたい」というのが早速実現するが、
音色の問題など、CDとFM生放送でどこまで違いが出るのか?
つまりWarner ClassicsとNHKとでは、音作りに違いがあるのか?
ということも注目すべき点で気になるところである。
しかしながらこちらはフィンランド放送交響楽団でもあり、
北欧のオーケストラによるマーラーということもあって、
その辺もどうなってしまうのだろう

しかしフィンランド放送交響楽団は、これまでにも
サラステが熱心にマーラーを取り上げてきていると思うので、
大いに期待できると思う。

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2005年10月18日 (火)

ベルリンフィル2004/2005

アバド指揮ベルリンフィルによる新譜、
ライブ録音のマーラー交響曲第4番である。
ベルクの初期の7つの歌曲も収録されていて、
CDの順は逆だが、演奏会での曲順に従い、
ベルクの歌曲から聞き始めた。
このドライな感触は近年のアバド独特で、
独奏楽器中心の室内楽的な要素と
後期ロマン派的な大オーケストラによる退廃的な音色とが、
微妙なバランスを保って、絶妙に絡み合う効果は、
とにかく最高に素晴らしく、アバドである。

そしてマーラーの交響曲を聞く。これはいい!
不思議なぐらいに見通しのいい演奏だ。
こんなにクリアなのって、アバドらしい部分でもあるけれど、
とにかくベルリンフィルのスーパー・オーケストラにはノックアウト。
近年のアバドのますますのマーラー熱は高まっているが、
ここまで来ると究極的であり、自由自在に
やりたいように徹底的にコントロールして、
かつて聞いたことのないような平衡感覚を生み出してしまうという、
この凄さは、言葉ではいくら書き連ねても書きつくせない。
本当に圧倒されて、言葉を失う。
これからもずっとアバドには活躍を続けてほしいが、
ここにひとつの完成を見てしまったかのような、
マーラー演奏の完成形がここにあるし、
オーケストラ演奏の究極の姿とは、これをいうのだろう。
2004年6月の交響曲第6番も圧倒されたのだが、
室内楽的効果と響きの透明感、微細な色彩のコントロール、
そして最も大切な部分でもあるマーラーの歌謡性、
この第4番は、さらに上を行く完成度でもあり、
アバドのこれまでのマーラー演奏の中でも最高かもしれない。
私がこれまでに聞いてきたたくさんのマーラーの中でも、
最高かもしれない。そんな気がしてくる。
正直なところ、まさか4番の交響曲で、
最高の演奏に出会い、こういう結論に至るとは。
今の段階では、「感動」という言葉が出てこない。
それよりも圧倒されてしまって、
この驚きで途方にくれているような感じである。
ちょっと言葉が見つからずに、
とにかくそれぐらいに凄かったということを
ここにひたすら書き残しておこうと思う。

DG 00289 477 5574

先日ここで指摘した
ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団
によるブラームスの交響曲第1番、
第1楽章の冒頭部分(2~3秒付近)での
右チャンネルの音落ちについて、
早速、横浜新星堂が返事の連絡をくれて、
やはり原因はマスターテープによるものだそうだ。
つまり今後も修正・編集を行っての
再発売はないということである。
当日のライブ音源を一切の編集を行わずに
という、制作者のこだわりが伝わってくるものの
その考え方は素晴らしいと思うのだが、
しかし音楽がはじまってすぐに起こる事故でもあって、
このドキッとする驚きはちょっと嫌な感じだし、
残念な結果である。仕方ない…。

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2005年10月16日 (日)

第1463回N響定期公演

シャルル・デュトワの指揮で
ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」にはじまり、
後半はバルトークの管弦楽のための協奏曲。
2002年6月13日 NHKホール

ベルリオーズの序曲にはじまるというところが
デュトワならではのプログラムであり、快調な出足である。
この日の演奏を改めて聞きなおしてみると、
やはりデュトワ時代のN響は素晴らしかったと
バルトークにしても圧倒的な爽快感を堪能することができる。
私としては、その後現在のアシュケナージとのN響も魅力的で、
指揮者アシュケナージと彼のレパートリーも支持しているのだが、
デュトワ時代のN響も、取り上げた作品に関しても、
まさに私好みのプログラミングであったし、
近年のN響は指揮者も音楽も、そして素晴らしい演奏も
本当に充実していて、楽しませてもらっているのである。
ここでのバルトークの管弦楽のための協奏曲は、
まさにデュトワ&N響の最良の成果に接している感があり、
現在もデュトワは名誉音楽監督として、
毎年一ヶ月の定期公演を担当しているが、
これからも長く、ぜひ日本を訪れ、
名演を聞かせ続けてほしいと思うのである。

CDR168

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2005年10月15日 (土)

ヒラリー・ハーン モーツァルト

2006年はモーツァルト・イヤーであり、
今シーズンは世界中でモーツァルトが演奏され、
CDでも様々な新譜が出そうだが、
早速ムターのヴァイオリン協奏曲が登場して、
さらにヒラリー・ハーンのヴァイオリン・ソナタ集が出た。
私が興味ひかれて買ったのは、ヒラリー・ハーン!

このCDは録音が素晴らしくて、
目の前で二人が私のために弾いてくれている
というような見事な音響空間が体験できる。
しかしバランスのことをいうと
元々私はついピアノばかりを聞いてしまう傾向があって、
作品がこういう作品でもあるし、
もう少しヴァイオリンを前にして、
ピアノを後方に下げてほしかった。
でないとピアノばかりが耳に入ってくる。
そのわりには、ここでのピアノ、ナタリー・シューは、
かつてのルプーやバレンボイムに比べると、
正直なところ、大きな存在ではないし、
(古くはクララ・ハスキルが弾いていたということもあるわけで)
デュメイのときのピレシュのような、圧倒的な名演奏と比較しても、
やはりハーンの伴奏者としての印象は消し去れない。

ヒラリー・ハーンのヴァイオリンを聞かねば!と
耳をヴァイオリンに向けると
端整な造形と極めて誠実な演奏でもあり、
模範的であればあるほどに、
練習しているのを聞かされているような…。
これもまた、ショスタコーヴィチやプロコフィエフなど、
前回のCDはエルガーの協奏曲だったが、
それらの作品でのイメージがあまりにも鮮烈で、
そのギャップもあるのかもしれない。
ナタリー・シューのピアノもまた、
角の取れた優しい音色の本当に美しいモーツァルトで、
大人の音楽ですでに完成されちゃっているようなところ、
この安定感がかえって意外だったのだが、
もう少し二人とも、遊んじゃってもらったほうが、
聞くほうには理解しやすく、魅力も掘り出しやすかったのかもしれない。
なんか、落ち着き払っているようなところ、これが面白くない。
もっとスリリングな展開やら、
近現代作品と同じ土俵にモーツァルトをあげてしまうような
圧倒的な鋭さやまさに21世紀の現在を象徴しているような
そんな演奏をつい期待してしまっていた。
そんな考えが誤りなわけで、もっと素直に、
秋の夜長にモーツァルトを心安らかに楽しむことにしよう。

DG 00289 477 5572

「モーツァルト・イヤー 2006」の企画には、
DGは気合が入っているのか、これらの他にも、
ポリーニのピアノ協奏曲(ウィーンフィル)や
プレトニョフのピアノ・ソナタ集、そして
アバドの「魔笛」(マーラー室内管弦楽団)、
他に室内楽もあるらしい、
ピアノ四重奏曲(フォーレ・カルテット)、
ピアノ三重奏曲(ムター、プレヴィン、ミュラー・スコット)など、
すでに録音を終え、発売待ちであることが発表されている。
交響曲の録音がないが、これから控えているのかもしれない。
モーツァルト・イヤーを楽しもう!

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2005年10月14日 (金)

バイエルン放送交響楽団1979.1.26

カルロ・マリア・ジュリーニが指揮した
ブラームスの交響曲第1番のライブ盤である。
1991年のウィーンフィルとの録音を持っているのだが、
ジュリーニの独特のスローテンポによる演奏であり、
それよりもだいぶ前の今回のライブ録音は
どうなのだろう?と非常に興味あったのだが、
ここでもやはり冒頭から悠然とした構えで、
巨匠の風格はこの時点ですでに確立されていた。
しかし私も最近のスピード感覚に相当慣れてしまったのか、
思わずこの演奏を二回繰り返して聞いてしまった。
というのは、最初はここでのテンポ設定になじめずに
二度目になるとやっと自分の中でここでの演奏にあわせ
同じ歩みをできるようになるのである。
しかし終楽章などは、さすがに濃厚なブラームスで、
その重量感も心地よく、感動が押し寄せてきたのだった。

このCDだが、第1楽章の最初の部分で、
一箇所、右のチャンネルで音が落ちるところがあり、
これは元のテープに起因するものなのか、
編集上のミスによる欠陥なのか、
手元にあるCDが不良品なのか、非常に残念である。
明日にもレコード店に確認してみようと思う。
ライブとはいったもののこのレーベルは、
バイエルン放送提供による良質な音源を元にしており、
録音年代としてはかなり高音質であることを売り物にしていて、
この欠陥は、ちょっと考えにくいのだが…。
これについて何か情報がありましたら、ぜひ教えてください。

Profil PH05021

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2005年10月13日 (木)

ロンドン交響楽団2004/2005

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが指揮した
ショスタコーヴィチの交響曲第8番のライブ盤。
2004年11月3, 4日の録音。
おなじみのロンドン交響楽団自主制作盤である。

感動的な演奏だ。これはすごい。
静かに歌い上げるところ、じっくり聞かせるところ、
こんなにも深く感じ入ってしまった演奏はない。
それが悲しみなのか、嘆きなのか、苦悩の表現なのか、
そこに込められた深い思いは、
ロストロポーヴィチのこれまでの人生の上に成り立っており、
決して単純に語りつくせるものではないし、
伝わってくるメッセージは重く、
直接に心に響いてくるような演奏である。
私はこの第8番の交響曲が大好きで、
近年様々なオーケストラで取り上げられてもいるし、
いろいろと聞いてきているのだが、
しかし心情をストレートに表現するという点では、
これほどに壮絶な内容を語りかけてくる演奏も珍しい。
音量や激しさではないのである。
静けさの中にそれらが集約されており、
追い込まれているかのような心境が切々と歌われる。
ショスタコーヴィチを表現するということにおいて、
何が普通で常識的なのかというのは難しいが、
しかしここでの全体の印象は、ただならぬものがあり、
言葉では言い表しにくいロストロポーヴィチの深い心境を
音楽を通して、共有できたことが、
何よりもの感動体験であった。

LSO 0060

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2005年10月12日 (水)

ノリントンのメンデルスゾーン

今日聞いたのは、ロジャー・ノリントンのメンデルスゾーン。
1&5「宗教改革」と3「スコットランド」&4「イタリア」
シュトゥットガルト放送交響楽団との新譜である。
これらは少し前に発売されたのだが、
3&4の方が初期不良ですぐに回収されてしまったので、
ぜひまとめて聞きたいという思いがあったので、
良品が入荷するのを待って、最近やっと購入した。

私はノリントンの大ファンなので、ひいきの心もたっぷり、
絶賛の言葉しか出てこないので、何にも面白くないが、
でもこのメンデルスゾーンを悪く言う人はいないだろう。
ノリントンの演奏にある独特の面白さ、発見とかよりも
純粋に美しくて、気持ちよくて、爽やかな風を楽しめる演奏である。
もちろん響きは、いつものノリントンの音作りで
シュトゥットガルト放送交響楽団も快調だし、
これまでのベートーヴェン、シューベルト、ベルリオーズなど、
それらの延長線上にあって、求めているものがここにある。
しかしメンデルスゾーンだと、よりピッタリとはまっている感もあって、
「古楽」と「現在」の間にあって、ノリントンがいかに
自らの位置、存在をそこに築いていくのか、
そしてそれらを融合させるという試みが
すでに見事な結果を生み出しつつあるというのが、
ここにはっきりと示されているのである。
このとき同時に演奏されたシューマンの交響曲もまもなく出るようだし、
シューマンとメンデルスゾーンの交響曲は、
ノリントンの挑戦が最も理解されやすい形で
広く受け入れられるのではないかと
私にとっては、そんな印象を受けた。
その後に演奏されたブラームスの交響曲(2005年前半)や
昨年のチャイコフスキー、ワーグナーと比べると
驚きよりも、とにかく心地よさでうっとりしてしまうのに、
かえってそれの方が意外でもあって、
この辺が、私がノリントンに慣れてしまったからなのか、
ノリントンの音が私の中でひとつの基準となりつつあるのも間違いないし、
音楽を感じるという部分では、少しずつ理解が深まっているのだと思う。

ブラームスもぜひ発表してほしい。
今までの流れの中で、おそらく次に来る全集はブラームスであると思うが、
先日のFM放送の感想では、かなり「やっちゃったよ!」という印象もあって、
ブラームス全集のCD発売を期待している。
マーラーも「巨人」にスタートして、全集になるそうなので、
正直「本当かな?」って思うが、それこそ結末が全く想像できずに、
でも限りなく面白いことになると思う。
実際2005/2006のシーズンには、マーラーの交響曲第4、第5、
そしてシーズン最後にはなんと「復活」が予定されており、
現実なのだ…。一体どんな?

Hanssler CD 93.132, 93.133

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2005年10月11日 (火)

アスコーナ音楽週間2002

今晩はFMでウィーンフィル来日公演の生中継だった。
サントリーホールから指揮はリッカルド・ムーティ。
ムーティ指揮のウィーンフィルがいいのである。
私はそう思う。やはり素晴らしいコンサートだった。
ムーティやメータって、ウィーンフィルとは古くからなので、
もうよく知ってるし、いまさら新鮮さとかないはずなのに、
しかしウィーンフィルの魅力をしっかり伝えてくれるのは、
やはり彼らなのである。
今日もシューベルト、モーツァルトにはじまり、
後半はラヴェルのスペイン狂詩曲、ファリャの三角帽子、
そしてアンコールはヴェルディの「運命の力」序曲だった。
なんと多彩なプログラムだろう。
詳しくはまたいずれ改めて。

今日聞いたのは「アスコーナ音楽週間2002」から
ヴィクトリア・ムローヴァによるバッハの作品。
古楽仕様の楽器と演奏法によって、
ヴァイオリン・ソナタ(第6番、第3番)と
無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの第2番。
2002年9月13日 アスコーナのパピオ大学教会
バッハは普段あまり聞かないし、
バロック音楽というと私はほとんど聞かないのだが、
そうした中で、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは、
最も偉大な芸術作品のひとつであると例外的である。
ムローヴァは古楽の解釈により非常に柔軟な表現をしているが、
新鮮な発想に満たされていることは認めるが、
かつての格調高く厳粛な演奏も感動的であり、
好みによるというか、私にとっては微妙だ。
しかしこういう芸当ができてしまって、
すっかり聞かされてしまうところがさすがはムローヴァであり、
他にはなかなかこういう天才がいないことにも気づいてしまう。
若手で素晴らしいヴァイオリニストが次々と登場してきているが、
ムローヴァはその上の年代にいて、
不動の貫禄というか、存在の大きさを改めて認識してしまった。

CDR167

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2005年10月10日 (月)

ドイツのオーケストラ

今週のFM放送の特集は「ドイツのオーケストラ」である。
昨日の午後は、ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団。
ブラームスの交響曲、面白かった。いつもながらすごい。
そして今日はマレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団。
明日の「ウィーンフィル来日公演生中継」をはさんで、
水曜はギュンター・ヘルビヒ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
木曜はファビオ・ルイージ指揮ライプツィヒMDR交響楽団
金曜はケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団である。
素晴らしい内容だ!楽しみだ!

ザールブリュッケン放送交響楽団なんて、何と通好みのことだろう。
指揮がスクロヴァチェフスキだったら、その人気でありそうだが、
今回は主席指揮者のギュンター・ヘルビヒである。
今までそんなには放送されていないので、
特に今回はブルックナー(第9番)だし、期待している。
今日のヤノフスキのR.シュトラウスも素晴らしかった。
番組内の解説で聞いたのだが、
ベルリン放送交響楽団は、現在ベルリンフィルに次いで、
定期会員の数で第2位だそうである。
ケント・ナガノのベルリン・ドイツ交響楽団より上だなんて、
少し驚きである(何か理由があるのかもしれないが)。
しかし昔から、私は何となく、マレク・ヤノフスキを注目してきたので、
それはうれしいことである。ヤノフスキは素晴らしい指揮者だ。

私はドイツの放送オーケストラが大好きで、この中でも
シュトゥットガルト放送交響楽団とライプツィヒMDR交響楽団
この2つのオーケストラの昨年の来日公演を聞きに行ってきた。
指揮もまさにノリントンとルイージであった。
ドイツの放送オーケストラ、渋い存在ではあるかもしれないが、
これが本当に素晴らしいのである!
今年の秋は、バイエルン放送交響楽団のチケットを買ってある。
指揮はマリス・ヤンソンス。ついに行く!
(以前からヤンソンスファンなのもので)

ノリントンが指揮するようになって以来、
シュトゥットガルト放送交響楽団は
ちょっと抜きん出てきたような気もするが、
ハンブルクNDR交響楽団も
エッシェンバッハからドホナーニへと興味ある存在だし、
バイエルン放送交響楽団は、以前からのスター性を持続、
ドイツの放送オーケストラは、面白い!
FMで放送されるドイツのオーケストラは、
ベルリンフィルだけでなくて、
いろいろと録音を熱心に集めるようにしている。

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2005年10月 8日 (土)

GMユーゲント・オーケストラ

2005年3月14日ウィーン楽友協会でのライブ録音で、
指揮はフランツ・ウェルザー・メスト、
R.シュトラウスのアルプス交響曲である。

私は以前からGMユーゲント・オーケストラを
結構聞いてきている方で、
2003年の初来日の際には
サントリーホールで実演も聞いてきた。
あの時はピエール・ブーレーズの指揮だったし、
ユース・オーケストラといっても、レベルが違って、
指揮者やソリストも豪華な顔ぶれ。
しかしそのとき少し感じたことなのだが、
このオーケストラの音、そして個性や特長とか、
そういうものは不足している部分もあり、
あくまでも指揮者しだいということがいえると思う。
毎年メンバーが入れ替わるということもあるし、
しかし団員ひとりひとりの技量は、
これ以上はない最強の集団でもあり、
こういう演奏でアルプス交響曲を聞いてしまうと、
それはそれは本当にすごい。
またメストの指揮がシャープでクリア、
テンポも速めで、カッコいい!
しかしその反面、絵画的な要素は少なめであり、
交響詩というより、まさに交響曲を実践しているのかも。
音は美しいが、あえて色彩を消しているようなところもあり、
オーケストラの巧さはとにかく堪能できて、何だかすごいのだが、
しかし私的には、この作品の中に存在する面白さ、楽しみ、
そういうものを感じる余裕は、あまり与えてもらえなかったような気がする。
完成度の高さに比べて、音楽を聞く喜びという点では、
中途半端な印象も残るのだ。
譜面を音にするという点では、究極的なところにまで達しているが、
どうも創造性に欠け、感情面での豊かさや自発性においては、
それほどメッセージを感じない。
メストのR.シュトラウスについても、もう少しいろいろと聞いてみたい。
今回ので、結論付けをするのはちょっと私には無理である。

EMI 3 34569 2

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2005年10月 7日 (金)

レヴァイン&ミュンヘンフィル

昨日の続きでジェームズ・レヴァイン指揮ミュンヘンフィルの
演奏会ライブのシリーズからベートーヴェンの交響曲第7番。
これは最高に素晴らしい!
今まで聞いたベートーヴェンの第7の中でも
最高に感動した名演のひとつである。
レヴァイン独特の音楽を雄大に創りあげていく特長を出しながらも
速いところでは速く、リズムもいきいきと躍り、
響きをきめ細かくコントロールして、
いつも歌い、そして深い感情が込められている。
ベートーヴェンの音楽の理想的な姿をここに見た。
終楽章もテンポを一定に速く進め、
余計な盛り上げ効果など不要であり、
堂々とした中にも、古典的な様式における
格調の高い感動に満たされた。
一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思う。

OEHMS OC 508

続いてのディスク。
冒頭はウェーバーの「オベロン」序曲。
これがまた素晴らしい!
じっくり聞かせるところと一気に加速するところで
そのコントラストは圧倒的に鮮やか!気に入った。
モーツァルトの交響曲第39番。
昔買ったウィーンフィルとのレヴァインの39番は、
今でもお気に入りのディスクだが、
それからずいぶん時間がたっているので、
当時の若かったレヴァインに比べて、
もしかしたら巨匠風なモーツァルトに変貌しているのかも?
などと気になっていたが、心配御無用!
現在も変わらず、この軽やかさ、優雅な流れ、いいではないか!
ウィーンフィルのモーツァルトは格別なものがあるので、
それに挑むのって、聞く方もある程度あきらめがあったりするのだが、
ミュンヘンフィルのモーツァルトも極上の美しい響きで、
レヴァインのモーツァルトは、ここでも本当にセンスがいい。
考えてみれば、ミュンヘンフィルはチェリビダッケに鍛えられてきたので、
指揮者の要求がありさえすれば、
その響きを徹底的に追求していくのには慣れているのだろう。
この流麗でしなやかなリズム感覚は、そうは出会えない代物である。

後半はコープランドのクラリネット協奏曲。
この作品ははじめて聞いたが、親しみやすい曲で楽しめた。
くつろげる響きと元気が出てくるリズム感が魅力。
レヴァインは、ミュンヘンフィルにおいて、
アメリカの作品を積極的に紹介したそうで、
この演奏もその中の大成功のひとつなのだろう。
そしてR.シュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら。
録音も素晴らしいし、劇的な描写も表情豊かで満足だ!
このディスクは、本当に魅力的な一枚である。

OEHMS OC 504

最後にバルトークのディスク。
歌劇「青ひげ公の城」、ピアノ協奏曲第3番、
そして「中国の不思議な役人」組曲という、
偶然にも先日のアダム・フィッシャーと全く同じ選曲で、
私としては、面白いことになっているが、魅力的な作品である。
「青ひげ公の城」では、レヴァインの本領発揮という感じで、
スケールが大きく、ゆったりとした足取りで、
雰囲気の演出が素晴らしい。絵画的だ。
前衛的でもないし、民族的でもないし、
美しい響きと色彩感、この演奏は魅力が多い。
私は好きである。すぐに気に入った!
昨日聞いた「ジークフリート」第3幕と比べて、
こちらは歌手とオーケストラのバランスもよく、
録音が素晴らしくて、これはいい!

後半はピアノ協奏曲第3番から。
ジョナサン・ビスというピアニストは知らないのだが、
これがまた最高だ!
さっきからすべて絶賛していて、
たまには欠点も見つけ出したいって思ってしまうけれど、
さすがに数ある中からの選りすぐりの名演集である。
ピアノ協奏曲だが、先日のラーンキの演奏が、
自然な呼吸で力が入っていないと書いたが、
こちらは逆で、実に表情豊かに、一音一音にいたるまで、
すべての響きに思いが込められているかのような演奏である。
これはこれでまた魅力的で、素晴らしい。

最後は「中国の不思議な役人」組曲。
これはミュンヘンフィルの技、恐ろしく巧い仕上がりに感激。
高度な技術は、ある意味迫力までも吸い上げてしまうような
端整で凝縮された響きに聞き入ってしまう。
オーケストラは大編成であり、音もデカイが、
この集中力とシャープさが徹底的に浸透して、
とにかく研ぎ澄まされた演奏である。
「中国の不思議な役人」だと、広く世の中では、
迫力自慢のような演奏も多いのだが、
この演奏は、純粋に高い水準の完成度で勝負している。
すごい!圧倒されて、言葉を失った。

OEHMS OC 505

ミュンヘンフィルにおけるレヴァインの存在は、
チェリビダッケと現在のティーレマンの間にあって、
結果的にはつなぎのような感じになってしまった印象もあるけれど、
私は昔からレヴァインにすごく親しみを感じてきたので、
このライブ・シリーズを聞いていると
もっとミュンヘンフィルでの活動をたくさん知りたかった。
正式なレコーディングなども残して欲しかった。
おそらくライブの記録として発表されるものは、
これですべてなのだろう。もっと聞きたい。
レヴァインは、メトロポリタン歌劇場での活動で手一杯のようだし、
ミュンヘンフィルと兼任するようになって以来、
最近はウィーンフィルやベルリンフィルからも姿を消してしまって、
コンサートでの活動を聞くチャンスがめっきり減ってしまった。
もちろん歌劇は重要だが、しかしできることなら、もう少し、
レヴァインの指揮するコンサートも聞きたいと思う。
ベートーヴェンの他の交響曲も興味あるし、
あと本来レヴァインが大得意でもあるマーラーの交響曲、
特にマーラーが聞くチャンスがなくて、本当に残念。
いずれ機会がめぐってくることを願っている。

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2005年10月 6日 (木)

レヴァイン&ミュンヘンフィル

タワーレコードでOEHMSのセールをやっており、
ジェームズ・レヴァイン指揮ミュンヘンフィルの
演奏会ライブのシリーズも半額で売っていて、
欲しいと思いながら何となく今まで後回しにしていたものを
今がチャンスとばかりに買ってきた。
その中から演奏会形式による「ジークフリート」の第3幕。

レヴァインの指環は、メトロポリタン歌劇場との録音(DG)、
そしてその後も90年代後半にバイロイト音楽祭でも指揮していたし、
おなじみの存在だが、今回はミュンヘンフィルということで、
ライブというのがいいし、興味ひかれた。
録音は鮮明で十分に満足の完成度だが、
ちょっとオーケストラの響きが薄っぺらで軽く、残念である。
さらにはオーケストラとのバランスで、独唱が遠い。
この音響環境が、楽劇ではない、「演奏会形式」ということだろうか。
レヴァインの指揮が、予想以上にきびきびとしていて、これも驚き。
かなり細やかにいろいろな変化をつけつつ、動き回っている。
テンポも速くて、レヴァインのワーグナーとしては意外な展開。
というのは、第2場までのジークフリートが旅してくる部分で、
第3場に入り、岩山の場面にたどり着くと、
これがいつもの雄大な感じとも違って、精妙に響きを扱って、
この演奏は、かなり先入観と離れて、聞く価値がある。
速い部分のメリハリをきかせている箇所と
後半のじっくり丁寧に音楽を運んでいく展開とで、
その大きな落差や表現の幅、広がりは、
以前の演奏に比べ、より研きがかかっているのかもしれない。
というのも、レヴァインは、メトロポリタン歌劇場で
数え切れないぐらいに指環を上演しているであろうし、
バイロイトでも5年間を担当して、
世界中でも、現在最も指環を知り抜いている指揮者の一人である。
どちらかというと、ミュンヘンフィルの方が、
通常と違うことに取り組んでいるわけで、挑戦なわけだが、
ここに存在する表現の点では、完全にレヴァインに聞かされてしまう。
後半に行けば行くほど、本当に美しい響きになって、
オーケストラの集中力もどんどん上がっていったようだ。
このへんは最高に素晴らしい。

OEHMS OC 508

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2005年10月 5日 (水)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト音楽祭2004のニーベルングの指環を
ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリートと聞いてきたが、
9月はずっとステレオを修理に出していたので、
「神々の黄昏」をやっとここで再開して聞いている。
ひと月ぶりにワーグナーを聞くと、
何ともいえない幸福感がこみ上げてきた。
やはりワーグナーは特別だ。

「神々の黄昏」の音楽は素晴らしい。
でもストーリーはというと、ひどい話で、
騙し合い、憎しみ合い、裏切り、呪いと復讐、
登場人物は次々に倒れ、
この結末はすべてが終末を迎えることにより、
元の秩序が回復されるというような悲惨な展開である。
しかしそのマイナスな要素の集合体にあって、
ひとつひとつを解き明かしながら聞く音楽は、
最高の面白さと充実感に満たされているのである。

「神々の黄昏」第1幕の前におかれた序幕は、
「ジークフリート」第3幕の延長であり、
つまりは「ワルキューレ」の第3幕と
「ジークフリート」第3幕第3場と同じ舞台であり、
音楽もまた、これまでの流れの上に成立している。
しかし第1幕がはじまると場面は変わり、
「神々の黄昏」のその後はギービヒ家を中心とする場面で展開し、
配役もグンター、ハーゲン、グートゥルーネの3人に
ジークフリート、ブリュンヒルデが加わる形となって、
主導動機もかなり変わり、新しい動機も加わり、印象が変わる。
「ニーベルングの指環」は誰が主役なのか?
というのは判断が難しく、善も悪もない、敵も味方もない
というような、そういう傾向にあるが、
しかしそれにしても、ハーゲンは、
ニーベルングの呪いの原因でもあるアルベリヒの息子であり、
復讐に燃え、そして復讐を成し遂げる役柄でもあって、
限りなく黒に近い役柄である。
そんなハーゲンの謀略が「神々の黄昏」の筋書きそのものであり、
とにかくひどい話の展開なのだが、
しかしここで流れる音楽は、なんとも透明な響きであり、
美しく、清らかな流れなのである。
作曲技法も高度を極めていると思うのだが、
様々な主導動機が複雑に絡み合い、
ひとつひとつを理解しながら聞こうと思ったら、
音楽をぶつ切りにして聞かなくてはならない。
解析しながらの鑑賞は極めて困難だ。
「神々の黄昏」のストーリーは、あまり好きではないが、
音楽はとにかく感動的であり、最高であると思っている。

「神々の黄昏」のストーリーの中にも
いろいろ面白いテーマがあり、
これから少しずつ考えをまとめていきたい。
しかしバイロイト音楽祭2004の指環の演奏、
アダム・フィッシャーの指揮は感動的である。
素晴らしい!充実の極みだ。
自然な流れの中にこうあるべきだというのが感じられる。
作為的な部分がなくて、膨大な内容が不思議なぐらいに
見事な調和の中にまとめ上げられている。
先日はアダム・フィッシャーのバルトークを堪能したのだが、
やはり私にとっては、こうしてワーグナーを聞いてしまうと
アダム・フィッシャーのワーグナーをもっと聞き続けていたいと
どうしても思ってしまう。

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2005年10月 3日 (月)

ハンガリー放送交響楽団2005/2006

昨日の続きでハンガリー放送交響楽団の演奏会。
まずは9月26日のバルトーク没後60周年記念演奏会から
プログラムの前半に演奏された
バルトークのピアノ協奏曲第3番。
ピアノがデジュー・ラーンキである。
ラーンキは1980年代にはスーパースターだったようだが、
現在はあまり活躍の情報が伝わってきていない気がするし、
アンドラーシュ・シフやゾルターン・コチシュに比べて、
一歩後退してしまったような印象もあったのだが、
ハンガリーにアクセスすることにより、
再び演奏を聞くことができた。
世界中で距離感がなくなってきているけれど、
しかしそれにしてもインターネットにつなげばいいという
やはり不思議な感覚である。
バルトーク・ラジオに注意していれば、
きっとこれからもラーンキの最新の演奏に出会えることであろう。
ラーンキのバルトークは、すごく自然な呼吸で、
余計な力が全く入っていないというさすがの演奏であった。
バルトークの音楽と格闘しているという部分がなく、
ごくそれが当たり前のように、体の中から湧き出てきたかのような
こういう気持ちで聞けるバルトークはあまり聞いてこなかったので、
今回たいへんに喜びをかみしめながら聞かせてもらった。
その辺のことについては、同様のことが
アダム・フィッシャーの指揮についてもいえると思う。
ハンガリー人にとって、やはりバルトークの音楽は、
特別な深いつながりを感じながら演奏しているのであろう。

そして9月29日の演奏会。
冒頭はリゲティの「ロンターノ」。
すでに現代音楽の古典ともいうべき、
20世紀を代表するような作品である。
ハンガリーの人々にとって、
こうした作品が自国から生まれたことが誇りであるに違いない。
アダム・フィッシャーもはじまりのこの場面にこの作品をもってきた。
以前、イヴァン・フィッシャーが2000年のN響定期公演に出演した際にも、
もう一方の代表作「アトモスフェール」が取り上げられていたが、
リゲティという作曲家が彼らにとって、いかに重要な作曲家であるか、
そしてこれらの作品を、機会を見つけては取り上げたいという
そうしたメッセージが何となく伝わってくるのだが、どうだろうか?
しかしいつ聞いてもすごい作品である。
音楽が一種の騒音ともいうべきものへと向かっていくが、
しかしその果てにあるもの、それは究極の調和でもあるように感じられ、
そこには安息があり、輝きの光に満たされ、
東洋の日本にいて、神の存在と無縁に暮らす私のような人間にとっては、
西洋の人々は、ここに神を感じ取っているのではないか、
といった、そんなことも考えさせられる
透明で清らかな響きが生み出されるのである。

続いてバルトークの「中国の不思議な役人」組曲。
かなり野蛮な感じの思い切ったリズム感に驚かされた。
これについては、オーケストラの一人一人にいたるまで、
きっと独特のリズム感覚が共有されているのであろう。
豪快な盛り上げに興奮した。
アダム・フィッシャーの唸り声と思われる音も収録されており、
音楽にあわせて、かなり力のこもった指揮振りが想像され、
なかなか素晴らしいライブだ!カッコいい!
前半から聴衆も熱狂している。
だと思う。これだけの迫力の演奏ならば。

後半はマーラーの交響曲第1番「巨人」。
バルトークではよかったのだが、
マーラーだと、もう少し精妙な弱音がほしいところで、
しかし生中継のライブだし、このいきいきとまっすぐなところを
私はいつも積極的に聞いて、プラスに受け取っている。
しかしオーケストラが変われば、アダム・フィッシャーの指揮も
きっと変わるであろう。というのは、正直感じた。
ここで何を引き出すべきか、それによって演奏会がうまくいく、
というのが、アダム・フィッシャーには見えていて、
焦点を明確に絞って、オーケストラをまとめているというのを感じる。
ハンガリー放送交響楽団は、今後アダム・フィッシャーと共演を重ね、
それできっと、ずいぶん変わっていくであろう。
今後の方向性や課題も見えていて、一つずつクリアされていくと思う。
その過程をバルトーク・ラジオのライブで追うことができれば、
それは素晴らしい。楽しみに期待している。

Bartok Radio MP3

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2005年10月 2日 (日)

ハンガリー放送交響楽団2005/2006

ハンガリー放送交響楽団の演奏会は、
バルトーク・ラジオで生中継されるようで、
日本においては、おそらくFM放送では、
まず聞くチャンスはないと思うので
かなり楽しみにしている。
楽しみの対象は、アダム・フィッシャーの存在である。
ハンガリーの音楽事情には詳しくないが、
アダム、イヴァンのフィッシャー兄弟は注目の指揮者で、
ハンガリー放送交響楽団をチェックしていれば、
今後はアダム・フィッシャーの活躍を追っかけられそうである。

バルトーク・ラジオからMP3ファイルをダウンロードして、
音楽だけを取り出して、気に入ったものは、
CDに焼いて、ステレオで聞いている。
ハンガリー放送交響楽団の最新ライブ、
9月26日と29日の演奏会を3枚のCDにまとめた。
そのうち今日は26日のバルトーク没後60周年記念演奏会から
歌劇「青ひげ公の城」を聞いている。

「青ひげ公の城」は、ちょっと久しぶりだ。
ハイティンクとブーレーズの2種類のCDを持っているが、
ずいぶん出してないので、今日は新鮮な気持ちで聞いている。
素晴らしい!作品も魅力的だし、演奏も気に入った。
この独特な世界が、バルトーク好きにはたまらない。
この続きで29日の演奏会も明日聞こうと思っている。
リゲティのロンターノにはじまり、
バルトークの「中国の不思議な役人」組曲、
後半はマーラーの交響曲第1番「巨人」である。
お国ものというわけだ。ますます期待。
これまた私にとっては、たまらなく大好きなプログラムである。

Bartok Radio MP3

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2005年10月 1日 (土)

第1543回N響定期公演

アレクサンドル・トラーゼが出演した定期公演である。
指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
2005年6月12日 NHKホール。

トラーゼといえば、ゲルギエフのお友達
というので知られようになったのだが、
最初はそのようにして、ゲルギエフとの共演盤で聞いたのだけれど、
ホントに素晴らしい魅力的な演奏で、
私はこういう聞けるチャンスをいつも待っている。
しかし実際そうは多くないので、N響に登場してくれるのは、喜びだ。
ゲルギエフとの録音でプロコフィエフの協奏曲など、
とにかく新鮮な発見に満ちていて、面白くて、
聴きなれた作品が、全く違って聞こえてきたりする。
個性的ではあるが、それがしっかりと私の心をつかみ、
吸い込まれて、夢中になって聞いてしまう。
ある程度、親しみやすさがあるということも事実であり、
少々荒っぽかったり、音楽を勢いでもって行くところがあるが、
しかしそのスリリングな感覚、豪快な迫力はすごくて、
音楽が与えてくれる元気、この楽しさは、
ちょっとこういうピアニストは他に思い浮かばない。
ユニークである。貴重な存在である。

この日演奏したのも、そのプロコフィエフで、
ピアノ協奏曲第3番であった。
なんと表現すればいいのか、音が立っている。
ビンビン伝わってくるし、いきいきと溌剌、
リズムは過剰に踊りだすし、この勢いは何?
ときには割れんばかりの叩きつけるようなフォルテを鳴らして、
そういうのがまた効果的で、興奮する。
そしてさらに、アンコールにプロコフィエフである!
ピアノ・ソナタ 第7番の終楽章が来て、
トラーゼにもう参った!

CDR166

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