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2005年11月 8日 (火)

バイロイト音楽祭2004

バイロイト2004年の最後の演目
「さまよえるオランダ人」の一回目を聞き始めた。
ちょうど今、第二幕に入って、
紡ぎ歌の場面を聞いているところである。

ここでのクラウス・グートの演出というのが、
詳しくは覚えていないのだが、
すべてはゼンタの幻想であった
つまりはオランダ人などいなかったという
そういう結末に導いていたというのを聞いた気がするのだけれど、
(よって全体は同じ舞台、ダーラントの家の広間で展開される)
心理劇に仕上がって、この演出は最初の年から好評のようである。
たしか憧れのオランダ人の存在を
ゼンタは父ダーラントに重ね合わせたというような展開だったと思う。
しかしオランダ人の存在を心の中の幻影としてしまうなんて、
かなり大胆な演出だと思うのだが、
それがドイツの保守的なワグネリアンたちに受け入れられるというのも、
この「さまよえるオランダ人」のかなり特殊なストーリー展開ゆえにだと思う。
ゼンタがいかなる心理状態だったのかというのは、
かなり理解に苦しむところがある。
会ったこともない、さまよえるオランダ人の肖像画に対して、
自分こそがオランダ人を救い出すのだと勝手に思い込んで、
その執着ぶりは、常識的に考えて、ちょっと変わった人である。
しかしそれゆえに、ここでのクラウス・グートの演出が出てきて、
ピッタリはまってしまうということなのか。
私は演出の表面的な報告のみしか知らないので、
もっと奥深いものがあってのことかもしれない。
しかしひとついえることは、オランダ人は幻想の中での存在だったので、
この舞台の最後の場面では、ゼンタの救済はないのである。
初演版による上演で、当初はゼンタの後追いにより
オランダ人が救済されるというのがなかったそうだが、
この初版での上演を正当化する意味でも、
ここでのクラウス・グートの演出が登場してきたということなのであろう。
詳しくはまた今後じっくり聞き進む中で考えてみたい。

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