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2005年11月 4日 (金)

ノリントンのシューマン

ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団による
2004年9月に行われた「シューマンとメンデルスゾーン」
それぞれの交響曲を組み合わせて行われたコンサートから
シューマンの交響曲全4曲が登場した。

今回もノリントンは快調!である。
ところどころ面白い表現もあるが、
解釈としてはそれほどには極端なこともなく、
テンポもせかせかせずに、どちらかといえばゆったりだし
やはり特長は、なんといってもその響きだろう。
今回ももちろん古楽の方向性を貫いているので、
音そのものは非常に素朴で、飾り気ないのだが、
しかしその印象は、驚くほど刺激的なのが
さすがにノリントンの存在である。
純粋な響きを追求しているので、その透明感は格別だが、
見通しがよくて、各楽器のいろいろな動きが見えてくる。
考えてみると、シューマンのオーケストレーションって、
こういう仕上がり方をすることって、普通はなくて、
そこはノリントンの研究と創造と鍛錬の賜物なのだ。
いつものノリントンサウンドなので、
つい当たり前のように感じてしまうけれど、
シューマンでこれだけスッキリした響きを聞くのって、
極めて稀であり、それを忘れてはならなかった。

シュトゥットガルト放送交響楽団という
モダンオーケストラで「なぜ古楽奏法を追求するのか?」
という問いに対して、ノリントンは、
「ただ美しい音を求めていたら、そこにたどり着いただけ」
というようなことをいつも言っているが、
結果的に音の構成とか、全く濁りのない澄んだ音が鳴り出して、
和音の響きなど、スコアの上にある音符が初めて奏でられて、
それを耳にしてしまったというような感覚、そんな喜びがあって、
極端なことをいってしまえば、シューマンを演奏する
他のあらゆる演奏が、長年をかけて、
いかに濁った響きで、音楽そのものを汚してしまったか、
というようなことまでも考えさせられてしまうのだ。
交響曲第3番「ライン」で、特に考えさせられる。
特別に奇抜な表現は取り入れられてないが、
音そのものに対しての純粋な感動である。

という感じで順番に来たのだが、
最後の第4番が、ビックリである。
これが同じ曲なの?という感じで、
全く違った響きだし、解釈も衝撃的新感覚である。
テンポも自由に変幻自在。
楽器の扱いも面白くて、ノリントンって、発明家である。
聞いているほうもだが、この音楽を提示された
オーケストラが一番驚いたのではないだろうか。
ほとんどゼロから全く新しい音楽を作り直していくみたいな、
丁寧な作業をひとつひとつ指揮者と取り組み、
そういう積み重ねの苦労が、ここに見事に実を結んでいる。
これだけでも聞く価値あると思う。
なんだか、いろいろ考えながら聞いていたのだが、
響きの違いにばかり気をとられていたけれど、
最近演奏の機会が増えてきてもいる
原典版にある表現を取り入れてもいるようだ。
ご存知の通り、第4番の交響曲は、
実はシューマンの最初の交響曲であり、
現在、通常演奏されているのは、後年改定された版なのである。
特に表記はないのだが、これは原典版であろう。
音の鳴らし方がかなり違っているので、
それがスコアの違いによるものなのか、
解釈(ノリントンの各パートへの指示)によるものなのか、
一回聞いただけではちょっと判断がつきにくい。
私の勉強不足だが、この原典版というのは、
CDを持っていないので、確認できなくて、
ガーディナーの演奏が有名であり、
以前N響でサヴァリッシュも取り上げていたし、
今年春のケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団でも
原典版を用いた演奏であった。
もう少し研究してみたいと思う。

Hanssler CD 93.160, CD 93.161

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