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2006年1月26日 (木)

セルジュ・チェリビダッケ 1

今日はチェリビダッケを聞いている。
今年はじめなので、古典からにした。
先日買ってきたモーツァルトとハイドンのディスク。
モーツァルトの40番だが、これは本当に美しいモーツァルトで、
チェリビダッケにしては、珍しく遅くなく、意外に速いのだが、
まあ、改めて聞いてみると決して特別に速いわけではなくて、
世間ではこれぐらいが普通のテンポ感覚なのだが、
これがチェリだというと「速いよ!」って思ってしまうから、
やはりさすがにチェリビダッケである。
第2楽章などはゆったりとした息遣いだが、
全体に軽やかさがあり、歯切れもよく、
常に流麗さを大切にしているあたり、
チェリビダッケのモーツァルトに対する特別な想いが表れているのか?
第4楽章なんて、本当にチェリなの?というぐらいに軽快なのである。

チェリビダッケはたいへんな親日家で、
1990年代には、高齢にもかかわらず
毎年のように、このミュンヘンフィルと共に日本を訪れていた。
チェリビダッケの晩年は、実際には聞いてはいないが、
そういうことでよく知っているのである。
同じく晩年のミケランジェリがチェリとたびたび共演していたのは、
ミケランジェリ崇拝の私にとっては、極めて衝撃的なニュースであった。
しかし当時の私にとっては、まだ若かったわけだけれど、
この遅いテンポ、時間が止まったような感覚は、
とてもとても受け入れられるものではなかった。
ここでの演奏もチェリビダッケの最晩年のものだけれど、
今回はそれほどには遅くないのでなんだが、
それから10年がたったわけで、
今はチェリビダッケを聞けるようになりました(笑)
この遅いテンポで、しかしそこにこめられた巨匠の想い、
多彩にして、しかしそれは徹底して完成されている表現、
そういうものをここに感じ取れるようになったと思っている。

モーツァルト(40番)は以前に少しだけ聞いたことがあったのだが、
ハイドン(92番)の方は今回はじめて聞いていて、
こちらもたいへんに素晴らしい。
チェリビダッケの細部にまで深く聞き入って、
こだわりぬいて響きを作り上げていくところ、
そうした部分がここでは、繊細な表情にも結びついて、
チェリビダッケのハイドンもまた美の結晶である。

EMI 5 56519 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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