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2006年1月31日 (火)

私が聞いた今年の名盤2006

まだ一月だけど、早くも途中経過。
名盤との出会いがあったので、月末にまとめておきたい。

《交響曲》
○ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番、第12番
   ~マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

《管弦楽》
○R.シュトラウス 英雄の生涯~ラトル指揮ベルリンフィル

《協奏曲》
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第1番
   ~クリスティアン・ツィメルマン、ラトル指揮ベルリンフィル

《室内楽》
今のところなし

《器楽曲》
今のところなし

《歌劇》
今のところなし

《声楽曲》
今のところなし

《ライブ盤》
○ブラームス 交響曲 第1番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

(◎は特に大切に感じられる名盤です)

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2006年1月30日 (月)

オトマール・スウィトナー 4

オトマール・スウィトナーのモーツァルト・ボックスから
交響曲の後、今日はセレナードである。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジークは、
極めてゆったりとした演奏で、
現代の歯切れのいいテンポ感覚からすると
さすがにちょっと…、のどかを通り越して、田舎っぽい、
やはり何とも味のある演奏ではあるが、
今日のそれはあまりいい意味ではない印象である。
しかし続く「セレナータ・ノットゥルナ K.239」はずっとよくて、
作品の好みにもよるものなので、全体では今回も気に入ったが。

しかしモーツァルトの初期の作品を聞いていると、
裏がなくって、ストレートで、なんて癒されるのだろう。
私はマーラーやブルックナーやストラヴィンスキーや
後期ロマン以降、近現代の作品ばかりを聞いているので、
もちろんモーツァルトも大好きだけど、
たまにこうして珍しくセレナードなんて聞くと、極めて室内楽的でもあり、
楽しくって、素直な気持ちになれて、元気をもらえる気がする。

BERLIN Classics 0183972BC

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2006年1月29日 (日)

ベルリンフィル2001/2002

ニコラウス・アルノンクールの指揮で
オール・ドヴォルザークのプログラムである。
2002年1月10日 ベルリンのフィルハーモニー
素晴らしい演奏会。なかなかマニアックな内容。
前半が交響詩「水の精」にはじまり、
トーマス・ツェートマイアがソロを務めるヴァイオリン協奏曲。
そして後半が有名な交響曲第8番。

交響曲だと、私でもさすがによく知り尽くしているので、
アルノンクールのユニークな解釈が面白いが、
でも昔ならば、結構ビックリしていただろうけど、
いまではアルノンクールのこともよく知っているので、
驚くどころか、斬新な解釈が不思議なほど普通に聞けてしまうので、
自分でもそちらの方が驚きである。
ドヴォルザークでも、アルノンクールが指揮すると、
チェコ風な香りはほとんど感じられなくて、しかしだからといって、
ドヴォルザークの美しい音楽が聞けないのかというと、そんなことはなく、
むしろドヴォルザークによって生み出された
音楽のそのままの美しさ、飾り気のない、濁りのない自然な響きで
たいへんに素晴らしい演奏なのである。
でもどうなのだろう?結構好き嫌いはわかれてしまうのだろうか?
辛口の解釈だとは思うし、とにかくハキハキと切れがよくて、
風景もないし、色彩も消しているし、
そう、モノトーンなドヴォルザークって、アルノンクールならではなのか、
いわゆる情緒があって、風景画のようなドヴォルザークを好きな人には、
本当に辛口でドライな印象かもしれない。
なんだか、ビールの感想のようだが、「スーパー・ドライ」である。
でも私はかなり好き。アルノンクールのロマン派はいい。
そしてベルリンフィルのこの響きもいい。
ぐいぐいと押してくる感じは、ベルリンフィルの毎度の凄さであり、力強い。
そういえば、この演奏会って、ラトルが音楽監督に就任する前だけれど、
現在と少し違っているのだろうか?変わってきているのだろうか?
でも何となく、この演奏の印象、あくまでも印象だが、
アバドが指揮したときのベルリンフィルの響きに近い気もする。
近年のアバドの音もかなりドライで鋭さを感じるけど、
アルノンクールもリズム感とか、アクセントを強調して、
音楽に角をはっきりさせるので、そういう点では
ラトルよりもアバド寄りなのかもしれない。

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TBS「情熱大陸」を見てきた。
ベルリンフィルの主席ヴィオラ奏者
清水直子のドキュメンタリー。
面白かった。いい番組だ!(ビデオをとればよかった…)
ちょうどその前にベルリンフィルの演奏を聞いていたので、
それもよかった。ベルリンフィルはやはり素晴らしい。
ジルヴェスター・コンサートのリハーサルや本番の映像もあり、
今回はラトルが登場で、モーツァルトだけれど、ラトルもいいなあ。
世界最高の指揮者と世界最高のオーケストラ。
スーパー・プレイヤーたちである。
素晴らしい音楽と共に彼らの姿がまた、我々に感動を与えてくれる。

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2006年1月28日 (土)

ツィメルマンのブラームス

クリスティアン・ツィメルマンの最新盤で
ブラームスのピアノ協奏曲 第1番。
サイモン・ラトル指揮ベルリンフィル。
これはすごい名演。超名盤。
しかしそれにしてもすごい企画を考えたもので、
ツィメルマンが20年ぶりの再録音で
そこにレーベルの壁を越えて、
EMIからラトルを引っ張り出してきてしまうなんて!
この録音に全くの隙があるはずがない。
私は特にツィメルマンのファンというわけではないのだが、
しかし毎回、あまりにも素晴らしい演奏で、
レコードとなると異常に完成度が高く、
こだわりに満ちた究極的な響きを生み出していて、
聞かないわけにはいかず、
聞くとそれは奇跡との遭遇なのである。

まず冒頭のオーケストラから、その色調というか、
ブラームスでもいろいろなタイプの演奏があるけれど、
私の好きなブラームスである。
渋いながらもラトルは、ブラームスの音楽に深く感じ入っている。
そしてツィメルマンのピアノが入ってくると
今回もその鮮やかさに圧倒されてしまって、
少し控えめな音量にも感じられる
非常に繊細に透明に、細やかな表情を大切にして、
ブラームスが音楽の中に込めた気持ちのすべては
残らず表現しつくさなければならないと
とにかく使命感に燃えた演奏、こだわりなのである。
この上なく美しくささやく弱音と激しく巨大な迫力とが、
音楽の中で必然的に、極めて自然な調和を保ちながら
渾然一体に響いてくるさまは、まさに驚異的であり、
今回もツィメルマンには、叩きのめされてしまった。
第2楽章になると今度は静寂の中に雄大な広がりを感じながら、
底知れぬ深まりが存在して、特に感動的である。
まだ早いけど、今年最高の名演である。
1月に最高を決めてしまったら、とてもこれからもたないので、
一応、「最高の名演(のひとつ)」としておこう。

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2006年1月27日 (金)

モーツァルト生誕250年

1月27日はモーツァルトの誕生日で
今日250回目の記念の日を迎えた。
今年は生誕250年というモーツァルト・イヤーである。
ザルツブルク・モーツァルト週間は、毎年この時期に行われ、
今日は祝祭大劇場でウィーンフィルが記念演奏会を行っている。
マチネ・コンサートではアルノンクールが指揮して、
夕方からはムーティの指揮でガラ・コンサートのような
内田光子(ピアノ協奏曲 K.503)も出演し、
ギドン・クレーメルとユーリ・バシュメット(協奏交響曲 K.364)、
そしてルネ・フレミングやトマス・ハンプソンがオペラのアリアを歌うという、
なんと贅沢なコンサートだろうか。

毎年1月27日を迎えると思い出されるのが、
フリードリヒ・グルダのことである。
モーツァルトの音楽を誰よりも愛していたグルダは、
2000年1月27日に亡くなった。
モーツァルトの誕生日に旅立ったのである。
何か不思議なつながりを感じる。
グルダが弾くモーツァルトは最高だった。
あんなに美しい演奏は他にない。
即興的に生み出される愛情のこもったニュアンスは、
まさにモーツァルトの天才ぶりを感じさせてくれたのである。

「フリードリヒ・グルダ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月26日 (木)

セルジュ・チェリビダッケ 1

今日はチェリビダッケを聞いている。
今年はじめなので、古典からにした。
先日買ってきたモーツァルトとハイドンのディスク。
モーツァルトの40番だが、これは本当に美しいモーツァルトで、
チェリビダッケにしては、珍しく遅くなく、意外に速いのだが、
まあ、改めて聞いてみると決して特別に速いわけではなくて、
世間ではこれぐらいが普通のテンポ感覚なのだが、
これがチェリだというと「速いよ!」って思ってしまうから、
やはりさすがにチェリビダッケである。
第2楽章などはゆったりとした息遣いだが、
全体に軽やかさがあり、歯切れもよく、
常に流麗さを大切にしているあたり、
チェリビダッケのモーツァルトに対する特別な想いが表れているのか?
第4楽章なんて、本当にチェリなの?というぐらいに軽快なのである。

チェリビダッケはたいへんな親日家で、
1990年代には、高齢にもかかわらず
毎年のように、このミュンヘンフィルと共に日本を訪れていた。
チェリビダッケの晩年は、実際には聞いてはいないが、
そういうことでよく知っているのである。
同じく晩年のミケランジェリがチェリとたびたび共演していたのは、
ミケランジェリ崇拝の私にとっては、極めて衝撃的なニュースであった。
しかし当時の私にとっては、まだ若かったわけだけれど、
この遅いテンポ、時間が止まったような感覚は、
とてもとても受け入れられるものではなかった。
ここでの演奏もチェリビダッケの最晩年のものだけれど、
今回はそれほどには遅くないのでなんだが、
それから10年がたったわけで、
今はチェリビダッケを聞けるようになりました(笑)
この遅いテンポで、しかしそこにこめられた巨匠の想い、
多彩にして、しかしそれは徹底して完成されている表現、
そういうものをここに感じ取れるようになったと思っている。

モーツァルト(40番)は以前に少しだけ聞いたことがあったのだが、
ハイドン(92番)の方は今回はじめて聞いていて、
こちらもたいへんに素晴らしい。
チェリビダッケの細部にまで深く聞き入って、
こだわりぬいて響きを作り上げていくところ、
そうした部分がここでは、繊細な表情にも結びついて、
チェリビダッケのハイドンもまた美の結晶である。

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「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月25日 (水)

バイロイト音楽祭2005

バイロイト音楽祭2005の「トリスタンとイゾルデ」
今日は第3幕を聞いている。素晴らしい。
年末に最初聞いたとき、とにかく第3幕が感動的だったのだが、
今改めてじっくり聞くと、第1幕と第3幕で何かが違うということはない。
もちろん後半に向かうにつれて、どんどん盛り上がってきているが、
やはり聞き進むうちに引き込まれていったのだろう。
しかし第3幕での魅力は何よりこの圧倒的な「冴え」である。
オーケストラと歌手のバランスという問題はあるのだろうが、
ここでのオーケストラの壮絶な力強さに
絶賛された歌手たちも最高潮にものすごい迫力、
凝縮の音楽には圧倒される。
オーケストラの響きが美しい。
軽いという印象はないが、独特の透明感が印象的である。
大植英次の美意識をはっきりと感じる。

「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月24日 (火)

バイロイト音楽祭2005

昨日に続いて、バイロイト音楽祭2005の
「トリスタンとイゾルデ」から第2幕を聞いている。
素晴らしい。聞いているうちに私はすっかり
大植英次の「トリスタンとイゾルデ」にはまってしまった。

ライブドアの堀江社長が逮捕されたが、
これまでタレントのような活躍をしてきたし、
流行語大賞とか、選挙のときの注目度とか、
相当な人気者であったことは事実だと思うが、
今回の逮捕で世の中の反応はどうなるのだろうか?
手のひらを返したように悪人扱いをするのか?
私はご存知の通り、「構造強度偽装問題」でも
近年のIT関連企業の急成長でも
人の犠牲の上にのし上がってきた人は大嫌いなので、
というか、そんな人のことを好きな人はいないと思うが、
勝ち組といわれるIT長者たちに極めて批判的できているので、
まあそれは、そういうふうに振舞えない者の嫉妬なのだけれど、
しかしだからといって、無視したりはしない。
日本の社会がどう裁くのか?それはきちんと見届ける。
去年の衆議院選挙では志をひとつにした
小泉総理は「法律は守らないといけない」とか言っていたが、
もちろん法律は大切な基準ではあると思うけれど、
それより何より、人の道を踏み外した生き方をしてきたのか?
それこそが重大な問題だと私は思う。
報道では、堀江社長は実刑を免れず、
責任追及や損害賠償等で最終的に自己破産に追い込まれ、
つまりいったんはこれで破滅である。すべては終わりだ。
しかし堀江さんという人は、頭もいいし、
人並みはずれた強運、人の目を集める、まわりに人が集まる
という特別なキャラクターの持ち主である。
このまま消えるのか、またいつの日か復活して、
再び頂点にのし上がってくるのか?それは、
人としての道を正しく生きられるかどうかだと私は思っている。

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2006年1月23日 (月)

バイロイト音楽祭2005

昨年のバイロイト音楽祭を聞きはじめた。
もちろん7月25日の開幕公演
「トリスタンとイゾルデ」からである。
大植英次の指揮に批判があったのは事実だが、
改めて聞くと、素晴らしく感動的ではないか!
繰り返し聞くことで慣れてくるということはあるので、
最初に聞いたときの素直な感想の方が
本当は当てになるのかもしれない。
年末の放送で聞いたときに思ったことは、
後半に行くにつれ、どんどん素晴らしくなっていったのだが、
第1幕では、オーケストラの勢いが、
歌手を押しつぶしているような印象もあったのだけれど、
しかし今はあまりそういうことは気にならなくて、
とにかく充実した表現につい知らぬうちに熱くなってしまう。
そういう音楽であり、そういう演奏である。
聞けば聞くほどに感動的であり、
私は大植英次の「トリスタンとイゾルデ」は好きだ。
重すぎず、しかし隅々にいたるまで充足感に満たされて、
音楽の流れがしなやかであり、動きがあって、
最初に聞いたとき、第3幕では何となく気づいていたのだが、
非常に輝きがあって、強い光を放っているワーグナーである。
あえていえば、ここが個性的な主張であり、
大きな存在感であるとも思うのだが、
このワーグナーは、バレンボイムとも違うし、
レヴァインとも違うし、ティーレマンとも違っている。
簡単にいうと怒られてしまいそうだが、
この勢い、力強く音楽を進めていくところ、
そのしなやかな流れ、持続する緊張感、
その先に爽快感や達成感があるならば、
どちらかというとクライバーのタイプの演奏である。
クライバーの「トリスタンとイゾルデ」が好きな人には、
向くのかもしれないと少し思ってしまった。
第2幕第2場の前半、トリスタンがイゾルデの元に現れ、
激しく盛り上がっていくところなど、
ここでの演奏は壮絶を極めて、オーケストラのバランスも大きいが、
批評家にいわせるとここがうるさいのかもしれないけど、
この興奮と絶頂感、聞いていて、これがなかったら、
なんと色あせてしまうことだろう。
そしてその後にくる、トリスタンとイゾルデの愛の二重唱、
ワーグナーのあらゆる作品の中でも最も美しい音楽だと思うが、
このコントラストである。これがすべてである。
これからじっくり聞き込みたいと思うので、また詳しくは改めて。

「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

ライブドアの堀江社長が逮捕されたようだ。
ニュースになっている。今夜はこれで持ちきりだ。
それ以上に明日、また大混乱になるだろう。東証…。
どうなるのか?それもまたよく見極めてから。

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2006年1月22日 (日)

ニューイヤーコンサート2006

先日買ってきた今年の
ウィーンフィル「ニューイヤーコンサート」を聞いている。
元日のあの素晴らしい感動を再び!

ヤンソンスが指揮すると、何とも清潔な音がする。
元日は映像があったので、また印象も異なるが、
音だけで純粋に雰囲気を味わうと本当に新鮮な空気で
改めて驚きすら、ヤンソンスだとニューイヤーはこうなるのだ。
これまでのムーティやマゼールのあの濃厚な香りとも違うし、
アルノンクールの挑戦に満ちた感覚とも違うし、
こちらもすごく自然な気持ちでコンサートに入っていける。
元日も書いたかもしれないけど、
モーツァルト・イヤーにちなんでの
歌劇「フィガロの結婚」序曲やランナーの「モーツァルト党」など、
これらの作品がシュトラウス・ファミリーの音楽に見事に馴染んで、
本当に魅力的である。私はこの辺がお気に入り。
ランナーがモーツァルトのオペラのメロディーを散りばめた
「モーツァルト党」やその後も
シュトラウスの「芸術家のカドリーユ」など
引用を含む作品がまとめて取り上げられて、
これらの作品は特に有名ではないが、
しかし楽しくて、幸福な気持ちにしてくれる。
「今年は選曲がよかった」といろいろな人が言っているけれど、
ほとんど演奏されることのないような作品が、
実はそのようにたいへんにうれしくなってしまう曲ばかりで、
それに後半は「狂乱のポルカ」や「ハンガリー万歳」、「山賊のギャロップ」と
かつてのニューイヤーでもお馴染みの作品が順番に来て、
盛り上げていくので、いいコンサートである。
本当に素晴らしい!

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「マリス・ヤンソンス」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月21日 (土)

第1383回N響定期公演

1999年6月のN響定期公演には、
大植英次、上岡敏之、大勝秀也という
3人の指揮者が登場した。
「海外で活躍する日本人指揮者」ということだったか?
その演奏から、第1382回の大植英次指揮で
ベートーヴェンのピアノ協奏曲 第4番(イヴァン・モラヴェツ)
第1383回の上岡敏之指揮で
プロコフィエフのピアノ協奏曲 第3番(ミシェル・ベロフ)
の録音が残っている。
今となってみれば、非常に残念なのだが、これしかない。
特に第1382回の大植英次が指揮する
ブラームスの交響曲第1番は録音すればよかった。
現在は世界で活躍し、注目を集める大植英次だが、
正直な話、まだこの頃には、私はあまりよく知らなかった。
時期的にはハノーバーでの活動を開始しているが、
ミネソタ交響楽団を率いて来日公演を行ったりしていたのは、
もっと昔の話だろうか?ということは、知ってはいたのだけれど。

第1383回定期公演に登場したソリストのミシェル・ベロフ。
ベロフは私にとっては注目の存在である。
どうやらペーテル・ヤブロンスキーの代役だったらしい。
ミシェル・ベロフといえば、ドビュッシーやメシアンの演奏で有名であり、
それらが最高の名演にも数えられているピアニストである。
しかし1980年代半ばあたりから1993年とか94年とか、
そのあたりまで?右手の故障で、左手のみによる演奏を行っていた。
1995年のロンドンでのブーレーズ・フェスティバル(ブーレーズ70歳記念)で
ポリーニの代役でベロフがバルトークの第2番を弾いたというニュースで
そのときベロフの両手での活動の再開を知ったように記憶している。
その後、ドビュッシーのピアノ独奏曲全曲録音を行って、
1996年の来日公演では、私も紀尾井ホールに聞きに行った。
しかし正直なところ、レコードで聞く非常に完成度の高い演奏と
実演でのちょっと厳しい危うい演奏の間には、何か違いがあって、
右手の故障がどこまで影響しているのか、それはわからないが、
後半疲労が来る頃に自身が目指す音楽に指が付いていけていない
というような様子も伺えた。
かつてのようには自由でなくなって、
さらには無理もきかなくなっている
というのがこちらに伝わってくるのは、やはりつらいこと。
もはや若い頃のような、圧倒的に鮮やかな演奏はできないのかと
かなり心配していたのだが、ここでは協奏曲であり、
それもプロコフィエフを弾いているのだけれど、印象はずっといい。
ベロフは1970年代にプロコフィエフの協奏曲全集を録音しているので、
得意の作品といってもいいのかもしれないが、
ここでの演奏では、それまで感じていた不安感みたいなものは消えて、
音楽の躍動感も盛り上がりも決してピアノが落ちないのでよかった。
聞く人が聞けば、やはり多少不安定な部分もあるかもしれないけれど、
音楽作りの点では、さすがにセンス抜群というか、私は好きだ。
リズムの切れや鋭さは、完璧ではないのかもしれないけれど、
そこで作り上げられていく音楽は、技巧を超えた魅力であふれている。
かつて驚異的な技巧を誇った人なだけに
現在では思うようにいかないテクニックに苦しんでいるのかもしれないけれど、
ベロフの中にある音楽は、今も全く昔の輝きを失ってはいない。
深みやより弾力性をも獲得しているので、
これからもベロフの魅力的な演奏を聞き続けたいものである。

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2006年1月20日 (金)

セルジュ・チェリビダッケ

今日は横浜へ行ってきたのだが、
無理に用事を作って行ったようなもので、
まずはウィーンフィルのニューイヤーコンサートを手に入れ、
そしてクリスティアン・ツィメルマンの最新盤
ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ラトル指揮ベルリンフィル)も
聞くのが楽しみ。うれしいことである。
カルロス・クライバーのベートーヴェンの交響曲第7番も
すでに入荷して、すごい量が並んでいたが、
ケースに挟んである紙の印刷(色使い)に誤りがあって、
正しいものがそのうち改めて入荷するそうなので、
まあ、何もあせって聞かなくてもいいかと
じっくり待つことにした。

そしてセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルである。
晩年のライブ盤でEMIがチェリビダッケの死後に発売した。
以前にも安売りセールをしていたことがあり、
すでに何枚かは持っているのだが、
ここで再び安売りのプライスが付いていて、
まだ聞いていないものを探し出して、
ここぞとばかりに買ってきた。
(普段は高く、種類も多いので…)
ブルックナーの交響曲第4番と第8番。
これで「3,4,6,8」がそろったことになる。
第5番と第9番もあったが、これらは二枚組なので、
またいずれ機会があったらということにした。
モーツァルトの40番とハイドンの92番「オックスフォード」。
これは少しだけ聞いたことがあって、
ずっと欲しいと思っていたもの。
モーツァルトの40番で、珍しくチェリは速いのである。
聞くのが楽しみ。ハイドンの「103&104」は持っていない。
それにドビュッシーの「海」と「イベリア」。こんな感じである。
ベートーヴェンの「英雄」がぜひ欲しいのだが、
今日は残念ながら売っていなかった。
それにブラームスの交響曲だが、
私はDGのシュトゥットガルト放送交響楽団の全集は持っているのだが、
残念ながら、ミュンヘンフィルとの晩年の演奏はなくて、
こちらも今日は一枚もおいてなかった。
以前から持っているものも含めて、
これから少しずつチェリビダッケを聞き、
ここでも取り上げていきたいと思っている。

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月19日 (木)

構造設計の偽造事件 10

「構造強度偽装問題」に関する
今日は衆議院国土交通委員会の参考人質疑が行われた。
元請けの設計事務所や総研四ヶ所氏が質問に答えた。
先日の小嶋社長のときに比べれば、
ひとりひとりが自らの言葉で答えているので、
質疑としては、成立しているようにも思うが、
聞いていて、もうこうなってくると、
「誰が悪なの?」というのはよくわからない。
ここに登場している4人は、全員一級建築士か?
話している内容を聞いていると
答えられることに関しては、きちんと答えているような気がする。
偽証とか、極端におかしな発言もないように思うし、
むしろ質問している議員の方が、とんちんかんだったりして、
質問の仕方や言葉がおかしいので、
質問と回答のやりとりがちぐはぐになっている場面が多く、
つまりはここで登場の建築士は、
質問から想像できる範囲で、きちんと答えているようで、
結果的に質問の議員がそれを理解できないがために
「答えになっていない」と怒りだしたり、
質問の議員はもう少し、ある程度の知恵袋となる人を見つけるか、
建築の実務的な話も、本音と建前を理解したうえで、
知識を身につけてから質問に立った方がいいのではないだろうか。
問題の発覚からかなり時間がたっているので、答えるほうも、
保身となるニュアンスが多用されていることも事実であろうが、
しかし黒か白かの思い込みを捨てて、
客観的に話の内容を冷静に聞くならば、
間違っていることや身を守るための嘘(偽証)など、
そういう悪質な返答で自分を守っているという印象はない。
ということで「誰が悪か?」というとよくわからないのである。
そう書くと一般の方は不満に思うかもしれないけれど、
つまりは国会での追及はこの辺が限界なのかもしれない。
もし私がここで見事に作られた返答に騙されているとするならば、
そういう回答を用意して、国会に来たということだと思う。

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2006年1月18日 (水)

ラトルの「英雄の生涯」

最近入荷したラトルの新譜2種類から
今日はR.シュトラウスの「英雄の生涯」「町人貴族」である。
「英雄の生涯」だが、これも私が持っているラトルの録音で
今回のが3種類目となる。
最初に聞いたのはウィーンフィル2002/2003のシーズン
第3回定期演奏会のFM生中継で
2003年1月12日の演奏会であった。
同じ時期にベルリンフィルの定期演奏会でも
ラトルは指揮しているが、そちらは放送されていない。
そのかわりベルリンフィルとの演奏ということでは、
同じ年の夏、プロムス2003における2003年9月1日の公演
ロンドンのロイヤル・アルバートホールで収録された録音が放送された。
それから2年になるが、今回のCDは、
2005年9月23-25日のベルリンでのライブ録音である。

この「英雄の生涯」は素晴らしい。
文句なし圧倒的な充実度。感動に包まれた。
ラトルにしては、いろいろ仕掛けるよりも
真正面からぶつかっていって、それがまた感動を呼ぶ。
ベルリンフィルの演奏は間違いなく極致に達しているが、
この音で聞かされるとやはり、もうとにかくすごい。
そしてこれはラトルならではのいいところだが、
多少ゆったりめにして、さらに音をたっぷりと鳴らし、
豊潤な響きというか、幸福の音色である。
よく音楽をワインとかに例える人がいそうだが、
そういうことって、私は得意ではないのだが、
でも何となく、この感動はそういう表現の方がピッタリな気もする。
これは本当に深みがあって、濃厚な味わいであり、
味わえば味わうほど、時間をかけて全体にそれが広がるというか、
熟成した「赤」だろう、これは。うん、間違いない。
私は自分でいうのもなんだが、
「英雄の生涯」は特に好きで、ずっと聞き続けていて、
ハイティンク、ドホナーニ、プレヴィン、バレンボイム、
メータはロサンゼルスフィルとベルリンフィルの2種類があり、
ティーレマン、ヤンソンス、ビシュコフ、アシュケナージ、ジンマン、
ブロムシュテットもサンフランシスコとドレスデンで2種類である。
カラヤン、ショルティ、チェリビダッケ、ケンペ、バルビローリ、
ベームに関しては、ウィーンとドレスデンそれにバイエルン放送と3種類、
それにこれは究極だろうが、クライバーのウィーンフィル(ライブ)、
結構聞いているほうである。
今回のラトルは、それらの中にあっても、かなりの決定盤である。
またひとつお気に入りのディスクができた。

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「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月17日 (火)

構造設計の偽造事件 9

「構造強度偽装問題」に関する
衆議院国土交通委員会の証人喚問が行われた。
ヒューザーの小嶋進社長である。
あまりにもひどい。これまでで一番ひどい内容。
「刑事訴追の恐れがある」とほとんどの質問に証言を拒否。
これぐらい答えられるんじゃないの?という質問にも
いつもの「記憶にございません」が出そうな質問にも
とにかく証言を拒否し続けた。
この人は一体何のために国会へ来たのだろう?
この証人喚問に何の意味があるのだろうか?
以前の喚問でも偽証すれすれのあいまいな回答だったり、
明らかにとぼけているのか内容をずらしたりして、
質問の議員が「それでは答えになってないですよ」
と怒るシーンはよく見られたが、
そういうのがいいとはいわないが、
自らの言葉で答えようとはしているわけであり、
しかし今回の度重なる証言拒否を見ていると、
要するに「はじめから答える気がない」のであり、
これはさらにひどいのではないか。
質問している国会議員をあまりにもバカにしている。
国会を侮辱している。国民全員を侮辱している。
何でテレビのインタビューには喋り捲って、
国会ではだんまりを決め込んだのか?
そこにはどんな意味があるのだろうか?
疑惑は明らかにならず、ますます深まり、
ここには何の進展も存在しないことが明らかになった。

これまで建築の角度からこの問題を扱いたいと思ってきたが、
今回の証人喚問では証言拒否のこともあるし、
取り上げる内容すらないわけで、
それにマンションの販売会社が、
コストダウンの圧力はかけたとしても
構造の偽装をしろとか、鉄筋を抜けとか
そうした具体的なことに関係しているとは思えず、
当然、構造担当の建築士(姉歯元建築士)とも
接点があるとは考えられないわけで、
結果として質問の内容も主に「政界との癒着」に向けられていたようだ。
ここまでくると話についていけなくなってくるが、
この点についても「刑事訴追の恐れがある」と自らいっているわけであり、
グレーというよりも、もうこれは黒なのだろう。
ということを誰もが感じるような証人喚問であったと私は思う。

これと時期を同じくして
ライブドア・ショックで株が大暴落である。
新年ムードが抜けて、そろそろ本格的に動きはじめるのか
というこの時期に、その結果がこれである。
やっと明るい展望が見えはじめた?
という期待も一気に吹っ飛んでしまった。
短期的にはかなり厳しい状況に落ち込みそうだが、
しかし長期的に見れば、経済の健全化が図れるそうで、
長い目でそちらを望むことにしよう。
ここ数年で急成長を成し遂げた彼らだが、
儲ける人がいれば、損する人がいるわけで、
成長する会社があれば、その陰で多くの会社が倒産している。
のっとる人がいれば、のっとられる人がおり、
騙す人がいれば、騙される人がいる。
勝ち組といわれている彼らだが、
多くの人々の犠牲の上に今がある。
合法である(違法性はない)との主張だが、
人間としては、私は決してそういうのは好きになれない。
まじめに生きている人が、まじめに努力しただけ、
それだけ報われる社会であってほしい。
しかし今の社会はどうだろう。
まじめにしている人がどうも損をする。
こちらの問題もまた、最後はどこに行き着くのか?
私はきっちり見極めたいと思っている。

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2006年1月16日 (月)

ラトルのシューベルト

今年のウィーンフィル「ニューイヤーコンサート」は
すでに入荷しているようなのだが、
残念ながら、先日私が横浜で見たときには、
まだ入荷していなかった。
そのかわりサイモン・ラトルの新譜が2種類、
シューベルトの交響曲 第9番 ハ長調 D.944
R.シュトラウスの「英雄の生涯」「町人貴族」が入荷していて、
早速そちらを購入してきた。

まず今日はシューベルトを聞いてみた。
ラトルは本当に面白くて、やはりこれは簡単には語りつくせない。
ラトルが指揮しているシューベルトの「グレイト」だが、
ここ数年の演奏で、私が持っている録音だけでも、
今回ので3種類目である。この曲を頻繁に取り上げている。
最初のが「ザルツブルク・モーツァルト週間2002」における
ウィーンフィルとの演奏(2002年1月29日)である。
そしてラトルは、その秋のシーズンから
ベルリンフィルの音楽監督に就任して、
さらに翌シーズン(2003/2004)に
今度はベルリンフィルでこの作品を取り上げ、
その録音は、2003年11月5日の演奏だが、
再び一年半ほどの時間をおいて、これが今回のCDだが
2005年6月8-11日にライブ・レコーディングを行った。
この3種類の演奏だが、驚くほど違うのである。
詳しく比較したわけではないのだが、印象はかなり違う。
2002年のウィーンフィルとの演奏では、当時は
ベートーヴェンの交響曲全集でも聞けるように
その延長線上にあって、古楽的というか、
かなり原典の響きを意識しているというか、
攻撃的で挑戦にあふれる演奏であったと思う。
それが2003年の演奏になると、
ベルリンフィルの音を得たというのもあるのかもしれないが、
さらにスケールが大きくなって、重厚になって、
音楽に広がり、深まりが出て、堂々とした演奏であった。
もちろん刺激的な解釈は健在でもあったのだが。
そして今回の演奏となると、ちょっと驚いたのだが、
もうこれは自由奔放というか、ラトルの思うがまま、
自在にコントロールして、音楽の振幅は恐ろしく大きく、
ラトルの創造力には本当に発見だらけである。
わずか3年あまりの間に、これだけの新しい展開を見せてくれるラトル、
きっと作品に向かうたびに新しいアイデアが浮かんできて、
常に発見に満ちて、一期一会というか、
ラトルほど「天才」がぴったりの指揮者はいない。

ここでひとつ注目すべき点がある。
CDの表記だが、「交響曲 第9番」となっている。
1990年代以降「第8番」というのが主流になってきているのだが、
ラトルはあえて昔のように「第9番」としている。
(ラトルの意向でなくEMIの理由だったらごめんなさい)
2004年がフルトヴェングラーの没後50年で
そのときラトルはベートーヴェンの「第9」を指揮して、
フルトヴェングラーの演奏を研究して、
かつての巨匠を意識しながら演奏したと解説されていたが、
その前後からか、一時のように快速でただ攻めるだけではない、
より雄大に心のこもった表情で、音楽がその内から語りだしてくるような
豊かさの感じられる演奏になってきている気がするのである。
ここでの演奏でも、以前のような「概してテンポが速い指揮者」という
イメージは姿を潜め、どちらかというとかつての巨匠風というか、
必要以上にテンポを落として、ゆったりと歌ったり、
強弱の変化も大きいし、リズムの扱いも独自なものを生み出して、
これらを「ロマンティック」というならば、
フルトヴェングラーやその時代の趣ある音楽であると思う。
今日的な均質感やバランス感覚を重んじる演奏とは違って、
これを現代的ではないといって、しかしそれが、
50年前の昔へのただの回帰なのか、いやそれとも
ひとつの時代を先に脱したラトルの未知との遭遇なのか、
それはいわずと知れた後者である。

もうひとつだけ指摘しておきたいのが、
このディテールへのこだわりである。
そこから生まれてくる斬新な感覚、
恐ろしく細やかな表情を生み出して、
この新鮮な発想、まさにこれこそが、
先ほどから書いている「ラトルの天才的創造力」である。
ラトルはこれからどこへ向かうのか?
この自由な才能、本当に最後まで
我々はついていくことができるのだろうか?
いまはそれを楽しんで、夢中になって喜んでいる。
固定観念という常識から外れてしまった天才ぶりを発揮して、
そのときそれを受け入れられるだけの柔らかい発想を
我々ももち続けなくてはならない。

EMI 3 39382 2

「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月15日 (日)

ウィーンフィル2005/2006

今日はウィーンフィルの今シーズン
第5回定期演奏会の生中継であった。
指揮はジョルジュ・プレートル。
プログラムも前半にブラームスの交響曲で
後半はストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲
そしてラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲という
今シーズンの中でも最も面白い選曲であり
それがプレートルらしい、魅力的な演奏会であると
私は期待して、ずっと楽しみにしていた。
しかし残念ながら、またもやブラームスの第1楽章途中で
回線が中断して、音が途絶えてしまったのである。
なぜだろう?今年はものすごく調子悪いのでは?
いまのところ4回の定期演奏会が生中継されて、
無事にきちんと放送されたのは、前回の1回だけである。
幸いにもバレンボイム指揮の第2回定期演奏会は、
正月にすでに再放送してくれたし、
小沢征爾指揮の第3回定期演奏会も
2月に再放送してくれるそうで、
今日の演奏会もぜひとも再放送してほしい。

あともうひとつ、これはNHKに切にお願いしたいのだが、
オーストリア放送協会の中継がはじまって、
楽友協会からの音が入ってきたら、
もう余計なアナウンスはやめてほしいのだが、
みなさんのご意見はいかがだろうか?
特に今日の放送では、演奏の前に
昨年12月25日に亡くなったブリギット・ニルソンに
会場全員で黙祷を捧げると
ウィーンフィルの楽団長クレメンス・ヘルスベルクさんだと思うが、
最初にウィーンフィルからのメッセージを読み上げ、
会場は静寂に包まれて、黙祷を捧げたが、
メッセージの合間にNHKのアナウンスが入るし、
黙祷の間にも「ただいま黙祷しています」のような解説が入って、
ちょっと無神経なタイミングのような印象もあり、
私にとっては、かなり不快であった。
だいたい黙祷を捧げているというのに、
それにアナウンスを入れるなんて、
ブリギット・ニルソンに対して、失礼なのではないか。
そして厳粛な気持ちで黙祷している聴衆の方々にも
やはり配慮が足りないというか、無神経だと思う。
最初にきちんと今日の演奏の進行を説明してくれているのだから、
もう中継に入ったら、余計な小細工みたいなのはやめてほしい。
ラジオの前の聴衆も、思っている以上に
会場の雰囲気はつかんでいるのです。
次回以降、ぜひお願いしたいと思う。
って、ここで書いても伝わらないのだけど、
今日に限らず、ずっと私が感じ続けていることである。

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2006年1月13日 (金)

ウィーン芸術週間2001

ニコラウス・アルノンクールがウィーンフィルを指揮した演奏会。
2001年6月17日 ウィーンのコンツェルトハウス大ホールである。
この演奏会は、当時、ウィーンフィルのシーズンプログラムを見ていて、
非常に興味があって、放送されたときは期待で夢中になって聞いたのだが、
いま改めて聞いても面白く、その辺はさすがにアルノンクールである。
前半がベートーヴェンの「田園」、後半がドヴォルザーク「新世界から」という
なんとも魅力的なプログラムだが、
最初聞くとやはりそのユニークさに驚かされるけれど、
何度か聞いているうちに次第に印象は変わってきて、
非常に丁寧にアルノンクールは細かな指示を出して、
ウィーンフィルもそれにひとつひとつ応えて、
まるで室内楽のような演奏をしているのに驚かされる。
特に「田園」など、細部へのこだわり、創りこみは緻密を極め、
描写的な表現では、妙に田舎くさい部分もあって、
鳥のさえずりや風景に溶け込んだ音など、
これらは主に管楽器の扱い方かもしれないが、
そうしたところはリアルで楽しめる。
ドヴォルザークになるとさすがにスケールも大きくなり、迫力もあるが、
やはりアルノンクールの表現は、繊細であり、
各楽器のバランスが明瞭で、響きはいつも透明感にあふれている。
田舎っぽい「田園」に対して「新世界から」では、
都会の感覚をスタイリッシュに表現したのかもしれない。
前半後半での作品のコントラストもいいし、
それと同時に音楽そのものの色合いというか、
描写的にいえば、音楽が創り出す風景というか、
なんと素晴らしいプログラムであろう。
アルノンクールのこういう取り組み方って好きだ。

CDR192/193

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2006年1月12日 (木)

オトマール・スウィトナー 3

今日は設計事務所に勤めていた頃の先輩と
新年会、いや勉強会であった。
東京に行ってきたが、湘南新宿ラインが便利で本当に早い。
快速に乗れば、横浜の次が大崎なのである。
何も飲み食いしただけではなく!って、
確定申告の話も出たのだが、
そろそろ計算をはじめたほうがいいかなと気にはしている。
レシート類は全部集めて、整理してあるのだが…。

先週から少し時間が空いてしまったが、
オトマール・スウィトナーのモーツァルト
交響曲第39番から第41番を聞いた。
第28番から順番に聞いてきたが、
特に最後の第41番は最高だった。
最近の演奏のような緻密に響きをコントロールして
鋭いリズム感、テンポ感を楽しむ演奏とは相当な隔たりだが、
逆にこだわりが少ないような部分にこそ自然な響きがあって、
音楽そのものが元気に歌いだしてくるようなところは感動的だった。
アンコールのように第3楽章と第4楽章を繰り返し聞いてしまった。
モーツァルトの交響曲は、第41番「ジュピター」でも、
通常だとコンサートの前半に演奏されるほうが多いように思うが、
最近では、昨年のベルリンフィルでラトルが、
前半にマーラーやブリテンを演奏して、第41番を最後にもってきているし、
昨年末のウィーンフィルの定期演奏会(メータ指揮)でも
この第41番が最後に演奏されている。
今日のスウィトナーの演奏を聞いても、
終楽章での力強い勢い、フーガをスケール大きく描き出して、
この第41番をメインで聞くのって意外にいいではないかと思いはじめている。
ハ長調だし、演奏が素晴らしければ、それは非常に存在感も大きい。

BERLIN Classics 0183972BC

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2006年1月11日 (水)

ミヒャエル・ギーレン

ミヒャエル・ギーレンの最新盤。
ブラームスの悲劇的序曲と交響曲第1番。
バーデン・バーデン、フライブルクの南西ドイツ放送交響楽団である。
このブラームスはいい!!気に入った。
決して立ち止まらないブラームス。
特に交響曲第1番の快調さ、最高だ!!
ドイツの放送オーケストラならではの重厚で深みのある音、
ガッチリとした構えで、渋いけど、
そこをギーレンがシャキっと引き締めて、
勢いよく突き進んでいく。
全体の時間で45分を切っているが、
なんと第1楽章の繰り返しはきちんと行っている。
しかし特別に速いという印象はない。
実際はかなり速いのだと思う。
ギーレンのブラームスは堂々とスケール雄大で、
ここでのテンポ感覚、速度は、あくまでも響きをクリアに
音楽の流れを濁すことなく、
いつも澄んだ透明感を忘れないためなのだろう。
音は次々と澱みなく前進し続け、
ゆったりと余韻に浸っているような余裕はないが、
あせっている印象や必要以上にオーケストラをあおっている感じはなく、
ギーレンの音楽全体の設計の見事さやバランスの構築は素晴らしい。
終楽章での盛り上がりなど感動的であり、
第1楽章の冒頭から最後の一音にまで、
まっすぐに一本の線が描かれており、
その流れ、広がり、フィナーレへの到達は極めて合理的でもある。
今年、これに続いて、交響曲第2番、そして第3番&第4番と
続編が登場するようで、これは期待である。

Hanssler CD 93.134

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2006年1月10日 (火)

市長選挙の翌日開票

3月26日に予定されている横浜市長選挙で
開票作業を翌日にするそうである。
私はそれがいいと思う。
そうすることで3200万円の経費節減になるそうだ。
8時に投票を終えて、開票は深夜にまで及ぶのである。
大体これまで、すべての選挙区で票が開くのって、
翌日になって午前2時とか、そういう時間までかかっていた。
市の職員や選挙管理委員会が動員されるのか?
詳しいことは知らないが、
休日出勤で、深夜だから特別手当が出て、
それで帰れなくなっちゃって、タクシーチケットがでて、
そんな無駄な経費、本当にバカバカしい。
とにかく無駄は少しでも省くべき。
国としては、選挙はなるべく即日開票をして、
結果をいち早く有権者に示すべきという考えのようだが、
しかし作業をする人々だって、きっと、
誰が好き好んで、日曜の深夜に開票して、
やっと家に帰ったら、もう明け方で、
そんなこと好んでやりたい人なんて、そうはいない。
新聞の報道によるとやはり一番の理由は、
「市の財政難」によるものだそうである。
こんな時代にそんな無理なこと、わざわざする必要なし。
いろんな考え方があるのだと思うけど、
私は横浜市の現実を受け止めての判断は正しいと思う。

地方選挙と国政選挙では違うかもしれないが、
しかし私が住んでいるところなんて、
人口も多いのだろうけれど、
例えば、ここ何回かの衆議院選挙なんて、
12時すぎても、「当確」はでないし、
当然、他の都道府県ではとっくに結果がでていて、
大勢は決してしまって、まとめや今後の展望がはじまっている。
そのうち待ちきれなくなって寝てしまう。
たしか、地方選挙だって、そんな感じだった。
市長、県知事は差がつくので、
わりと「当確」が出るのは早いが、
市会議員とか、当選順位の5位、6位、7位あたりになると
最後までギリギリのところで票争いをして、
というのは結果的に500票差で決まったりするわけで、
それはそれは遅くなる。待っていられない。
現在はインターネットがあるので、
選挙管理委員会のホームページなどを見れば、
最新の途中経過も随時更新されているので情報はある。
でもそんなにあせらなくても、翌日になって、
明るいところでじっくりやってもらったほうがいいのではないか。
月曜の夕刊にも最終の結果は間に合わないかもしれないが、
でも大体の報告を知ることができれば、それで文句は出ない。

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2006年1月 9日 (月)

ニューイヤーコンサート1992

昨日に続いて、カルロス・クライバーの指揮による
ニューイヤーコンサート1992を楽しんでいる。
本当に素晴らしい。うっとりしてしまう。
昨日も書いたが、これはSONYが発売したCDではなく、
友人が提供してくれた、衛星放送からの完全ライブ。
会場の雑音も長い拍手も、チューニングも
拍手が終わってから演奏までの間も
何もかもすべてが完全なライブ音源である。
友人もいうとおり、そうした臨場感や
会場の空気に引き込まれるという点において、
演奏もまた、ますます素晴らしく感じられてくる。
たしかにそれは、そういう印象なのかもしれない。
しかし感動や興奮、音楽がいかに心に響いてくるか、
その点でやはり違うと思うのである。
今度SONY盤を出して、聞き比べようかなって思うが…。

前半の最初に演奏された
オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
これはクライバーならではの超名演である。
楽しい作品で大好きなのだけれど、
クライバーのしなやかさ、きびきびとした動きを知ってしまうと
他のどんな演奏も重くって、聞くのが辛くなってしまうほど。
後半の演奏で私が特に引き込まれてしまったのは、
ペルシャ行進曲から拍手なしに
トリッチ・トラッチ・ポルカになだれ込むところ、
ここでのトリッチ・トラッチ・ポルカは最高速である。
そしてワルツ「天体の音楽」がはじまる。
美しい。最高の瞬間である。
「天体の音楽」から「雷鳴と電光」へのコンサートの流れは、
最も盛り上がるところであり、この演出はとにかくうまい。
「雷鳴と電光」でのクライバーは、いまさらいうまでもなく、
まさにこれこそがカルロス・クライバーである。

1992年にクライバーが指揮して、
結果的にこの年が最後のニューイヤーとなったが、
その後、ムーティ、マゼール、メータ、
最近ではアルノンクール、小沢征爾、そして今年のヤンソンスと
豪華な顔ぶれであり、どの年も素晴らしかった。
ムーティの年は、ムーティらしい個性が発揮されているし、
アルノンクールの年はさすがにユニークな発想もあり、
そして何よりウィーンフィルの演奏はいつも絶品で、
毎年ニューイヤーコンサートによって新年がはじまるのである。
しかしこうして14年を経て、改めて気づいてしまうのだが、
やはりクライバーのニューイヤーは格別であった。
こんなワルツやポルカ、クライバー以外では絶対に聞けない。
今年はヤンソンスのニューイヤーにはじまって、
その延長でクライバーを聞いているから、
幸福いっぱいの新しい年を迎えることができた。

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「カルロス・クライバー」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月 8日 (日)

ニューイヤーコンサート1992

1992年の元日、カルロス・クライバーが指揮した
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートである。
衛星放送からMDに録音したものを
友人が貸してくれた。もちろん超高音質。
パソコンに取り込んだのだが、
素晴らしい。感動。興奮。
もう14年前になるのか?ついこの前のようだ。
もちろんこのコンサートはNHKの生中継を見たし、
SONYから発売されたCDも持っている。
しかし友人の言うとおり、
これは会場の雑音から拍手から、
拍手が鳴り止んでから演奏までの間も
何から何まで編集のない完全なるライブなのだが、
編集なしのこの音で聞くほうが、断然素晴らしい。
会場の興奮がリアルに伝わってくる。
クライバーの指揮によるウィーンフィルは、
何という気高き誇りある響きであろう。
ウィーンフィルからその魅力を存分に引き出して、
ここまで自在に踊らせることができる指揮者って、
クライバー以外にいるだろうか?
この年以降の毎年のニューイヤーも
もちろんみな最高に魅力にあふれているが、
しかしやはりこれを聞いてしまうと、
カルロス・クライバーは特別である。

「カルロス・クライバー」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月 7日 (土)

構造設計の偽造事件 8

久しぶりにこの話題である。
といって、新たな展開や話題があるわけではない。
むしろ新年を迎えて、「構造強度偽装問題」については、
新聞にちょっとだけ記事が載っている程度、
テレビにおいてはすっかり忘れられてしまったかの印象である。
NHKのニュースでも、新たな偽装物件が発覚するたびに
あれだけ毎日ニュースになっていたのに、
今ではもう過去の話なのか?
さすがに年末・年始のムードでかき消されてしまったのか、
しかしこうなることは最初からわかっていたこと。
年末に民主党の議員たちが、
「マンション・ルート」についても解明しなくてはならないと
なんとしても年内にもう一度証人喚問(参考人質疑)を行うんだと
大騒ぎしていたが、それは単なるパフォーマンスにすぎなかったのか?
数の上で自民党にはかなわないと
はじめからあきらめムードも漂っていたような気もする。
全国のマンションで補償問題がおきたなら、
国は崩壊しかねないと、この話題、葬り去られたのか?
1月中旬にヒューザーの小嶋社長の参考人質疑が予定されているが、
それでは遅すぎるというのはみなさんお感じのこと。

私も施工(工事)関係の方々から、雑談の範囲ではあるけれど、
いろいろな話を聞いているが、
以前ここでも書いたが、マンション開発会社(不動産関係)とは
全く接点を持たずにこれまで来ているので、
今回はじめてわかったことも多いのだが、
知っている人に言わせれば、
「(ある意味)こんなの当たり前」
「先生、もっとアウト・ローを知らないと!」って
笑われてしまった。これ本当の話。
鉄筋が少なかったり、柱が細かったり、
(職人たちは)気づいていて、なんでそれで造るの?って
一般の方は思われるでしょう。
「だって、上の指示で、その上の人に仕事もらっているんですから、
仕事もらえなくなったら、明日からどう生活するんですか?」って
造った人は「マンションなんて、自分なら住みたくないね(苦笑)」
ということなのである。
もちろん日本中のマンションがそうではない(と願いたいです)が、
しかしこれから買おうとしている方々は、
やはり売っている人をよく見た方がいいのではないかと思うけど…。
買う前に建築士が立ち会うという方法もあるが、
建ってしまったら、基本的には「仕上げ」の話であり、
肝心な躯体(構造)は見ることができないのです。
鉄筋が少ないのか?シャブコンなのか?
その辺はすべて「仕上げ」で証拠隠滅ということです。
だから我々がやっているような
適切な建築士による「工事監理」が重要なのです。
しかしどうもこの考え方が伝わらない。
(建築主で)これを省こうとする人さえいるけれど、
それは「手抜き工事をやってください」といわんばかり。
みなさん、ここのところ、よく考えてください。

この問題、今後どうなるのでしょうか?
人の噂も75日というが、熱しやすく、すぐ忘れる日本人。
これまでの報道で「構造偽装問題」が発覚したのは、
10月下旬ということがいわれているが、
まもなく75日となろう。
最初の頃は日本中が「こんなことは許されない」と
住民の方たち(被害者)へ励ましや応援、
救ってあげたいという気持ちで満たされていたが、
今はどうだろう?関係なく済んだ人はそれでよしであり、
結局は「騙される人が悪い」ということになりかねない。
騙した者勝ち、騙した方が得なのか?
悲しいこと、そういう社会なのである。
これでいいのだろうか?

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2006年1月 6日 (金)

マリス・ヤンソンス

今日はモーツァルトをお休みして、ショスタコーヴィチである。
マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団による
交響曲第2番「十月革命」と第12番「1917年」
私がショスタコーヴィチの交響曲で一番好きなのが、
第8番なのだが、続いて第4番、
そしてここでの第12番が素晴らしい!
ショスタコーヴィチのオーケストレーションや作風など、
この第12番あたりで極まっており、
こんなにカッコいい交響曲はない!と私はいつも感じる。
第11番「1905年」も第12番「1917年」もその内容で
より交響詩に近いのかもしれないが、
ショスタコーヴィチ独特の内面的な深まりに加えて、
より表面的な部分における効果や外に発散するエネルギーなど、
そこにみなぎっているものに感動する。

そうしたら、逆にこれまで最も親しみのない交響曲と思ってきた
第2番にすっかり魅了されて、驚いた。
音楽的には、暗い混沌から明るい開放へと向かう作品であり
(テキストについて「開放」という言葉がいいのかわからないが)
ヤンソンスのシャープな音楽作りが、
迷いなくストレートに自然な盛り上がりを築いて、
変に考え込まなくてもいいので、
私にとっては受け入れやすかったのかもしれない。
美しい響きである。輝きのショスタコーヴィチだ。

第12番はやはり圧倒的だ!
ヤンソンスの先ほどからのシャープで
非常にバランスのとれた感性が、
この壮大な迫力において、冴えまくっている。
オーケストラがまた、鮮やかに弾きまくっている。
これは素晴らしい!感動的だ!巧い!!
バイエルン放送交響楽団とは、
これまで第4番、第13番と録音を進めてきたが、
もちろんこの第12番が圧倒的に名演だと思う。最高だ!
その前は、私はすべてを持っているわけではないのだが、
第1番をベルリンフィル、第5番をウィーンフィル、
第6番と第9番がオスロフィル、
第7番「レニングラード」はレニングラードフィル、
第8番はピッツバーグ交響楽団、
第10番はフィラデルフィア管弦楽団、
第11番もフィラデルフィア管弦楽団、
第15番はロンドンフィルというふうに
世界の一流オーケストラを適材適所に用いて、
まもなく全集完成というところにまで来た。
今回のこの第12番が今のところ最高傑作ではないだろうか?
こうしてまとめてみると意外と聞いていないのが多いので、
ヤンソンス・ファンとしては、これは大問題であり、
聞いてみたくなった。今年のテーマとしよう!
そう!今年はショスタコーヴィチの生誕100年でもあるのだ。

EMI 3 35994 2

「マリス・ヤンソンス」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年1月 5日 (木)

オトマール・スウィトナー 2

モーツァルトの中期の交響曲といえばいいのだろうか?
30番台の前半って、有名ではないが、
しかし聞きなれると素晴らしい作品ばかりで
魅力たっぷりである。実は!
第31番K.297は「パリ」というニックネームもあって
比較的よく演奏される方だろうか?
第32番K.318は、単一楽章の交響曲であり、
印象は序曲に近く、実際イタリア風序曲の形式っていわれるが、
急・緩・急としっかりとした形をとっていて、
コンパクトにまとまっているのも都合がいいのか?
演奏の機会も多い。この作品はよく聞く。
第32番の交響曲は、私も大好きである。
そして第33番K.319だが、この曲は
カルロス・クライバーのレパ-トリーでもあったし、
きっと親しんでいる人も多いはず。
クライバーが指揮したことに関係があるのか知らないが、
わざわざこの曲を取り上げている指揮者を何人も挙げられる。
第34番K.338はこの中ではちょっとマイナーか?
第31番と同じく全三楽章の形式で
メヌエットの楽章(通常の第3楽章)がないのだが、
簡潔な形式であり、悪く言うと中途半端な印象もあるのか?
しかし聞くと堂々として、立派な作品である。
これぞハ長調!グレイト!
この曲も聞くといい作品だ!って思う。
まあ、正直あまり聞く機会はない。
そしてこれらに続くのが、第35番K.385「ハフナー」。
ここから先はお馴染みだ。
第36番K.425「リンツ」は、後期といっていいのだろうか?
「リンツ」も素晴らしい作品。大好きな曲。
これもまたカルロス・クライバーの定番。
この辺の作品をオトマール・スウィトナーのCDで聞いている。
最近の指揮者たちのような、ちょっと必要以上に速い印象で
しかしそれが見事に決まってしまったときの鮮やかさ、
快感みたいなものは得られないけれど、
音楽に勢いはあるし、音がどんどん語りかけてきて、
味があるって書くと、何だかちょっと古臭いような印象だが、
なんとも味がある演奏。しかし名演!

BERLIN Classics 0183972BC

そして今日も「古畑任三郎」である。
今日もではあるが、しかし今日こそがいよいよ最後となるのか?
今回は本当に素晴らしい!最高傑作なのではないか?
犯人は脚本家役の松嶋菜々子。
双子の姉妹で脚本家という一人二役である。
これまで様々な状況であらゆる職業の犯人が登場してきたが、
今回の「脚本家」というのには、ちょっと私なりに期待があった。
というのは、もう8年ぐらい昔かもしれないけれど、
ホームページ(http://homepage3.nifty.com/tsukimura/)に
「三谷幸喜」のことを書いたことがあって、
その内容を探してみたのだが、一部を抜粋すると、

> いつの日か自身のために脚本を書き、
> 古畑任三郎の犯人として、
> ゲスト出演することは実現しないであろうか。
> 「古畑任三郎 VS 脚本家三谷幸喜」である。

ということを書いていて、今日の場合は、
三谷幸喜自身は出演していないけれど、
この脚本家は「古畑任三郎」ならぬ「鬼警部ブルガリ三四郎」
なる作品を書いており、このドラマは「古畑任三郎」なのである。
この設定は、ある程度、私の夢を実現してくれたかの印象で
大満足であった。ありがとうございます。
まあ三谷幸喜を画面でずっと見ているより
松嶋菜々子を見ている方がもっと幸せ?
って書いたら失礼いたしました。
しかしその三谷幸喜であるが、
今年の大河ドラマで足利義昭を演じるそうなので、
私は楽しみで楽しみでならない。
そちらもまもなく夢がかなうのである。

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2006年1月 4日 (水)

オトマール・スウィトナー

今年2006年はモーツァルト生誕250年である。
そこで私もこの祝福ムードを盛り上げて、
モーツァルトの音楽を積極的に聞きたいと思っているが、
まずはオトマール・スウィトナーの1970年代の名盤
シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した
モーツァルトの交響曲、セレナード、ピアノ協奏曲を収録した
CD6枚組みボックスを聞きはじめた。
まだ最初の方で交響曲第28番や第29番である。
比較的初期の交響曲から後期に向かって聞き進んでいくのは、
たいへん楽しみである。

BERLIN Classics 0183972BC

そして「古畑任三郎」面白かった。
今日の犯人はイチローである。
もちろんフィクションであり、
最初の設定では「ハチロー選手」だったのを
演じるイチロー自身が「イチロー」での出演を望んだそうだ。
「もちろんイチローは殺人を犯しません。古畑でした~」とのこと。
三谷幸喜の作品は素晴らしい!

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2006年1月 3日 (火)

正月ってテレビで 2

毎年そのつもりはないのだが、
正月って、ついテレビで
今年も結局そう過ごしてしまった。

1月3日といえば、毎年恒例の
「初笑い東西寄席」で漫才、漫談、マジック、落語を楽しむ。
最近はすっかり落語ブームであり、楽しみにしていたのだが、
今日は桂小三治で正月といえばこれ!「初天神」である。
そして桂歌丸で「後生鰻」も聞けた。面白かった。
落語は素晴らしい!

若手の笑いも魅力であり、
すごく面白いのだが、タカアンドトシも登場した。
タカアンドトシといえば!
「欧米かよ」…「欧米かよ」「南米かよ」「OBかよ」「横暴かよ」である。
面白い。大好きである。注目の存在。

東京ボーイズのネタの中に
「一富士、二鷹、三なすび」のことが話題に上って、
「三なすび」は「事を成す」ということから来ているそうだが、
その「成す」というのが、昨日も時代劇「天下騒乱」で見た
荒木又右衛門の仇討ちのことだそうな。へぇ~。

さらに初夢に関係するが、
今日の朝日新聞朝刊の天声人語で
「おたから~、おたから~、おたから~」のことが書かれているが、
これは落語「七福神」に登場してくる「くじ屋さん」のことで、
落語の知識って、役立つではないか!!
江戸時代には、初夢で良い夢を見たいと
枕の下に「七福神の乗った宝船」の絵を敷いて寝たそうなのである。

今日は三谷幸喜の「新選組!!土方歳三 最後の一日」を
楽しみにしていたのだが、これは必ず見ようと思っていたけれど、
その前の一昨年の大河ドラマの総集編まで見てしまった。つい。
話は知っているので、総集編アンコールはいいと思っていたのに、
でもやはり面白かったのである。さすがに三谷幸喜だ!
さらには「古畑任三郎ファイナル」に続く。
すごい。今年は幸せな正月だ!
こんな正月でした。

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2006年1月 2日 (月)

正月ってテレビで

毎年そのつもりはないのだが、
正月って、ついテレビで過ごしてしまう。
1月2日は昔からテレビ東京で
長時間時代劇(10時間である)をやっているが、
今年も特に見るつもりはなかったのに、
両親が見ていたので、つい私も見てしまった。
途中抜けているところもあるが、
後半はずっと真剣に見てしまった。
というのは、三代将軍家光の時代の話で、
土井利勝や柳生十兵衛を中心に話が展開して、
今まであまり詳しくなかったところでもあり、
新鮮で面白かったのだ。
後半は荒木又右衛門の敵討ちの話で
名前は聞いたことあるけど、全然知らなかった。
大河ドラマなどを中心に時代劇はいつも
信長・秀吉・家康の戦国時代関連の物語ばかりなので、
すでにもううんざりの部分もあるし、
時代が少しずれるだけで新鮮味があったりもする。

そういいながら、今年の大河ドラマ「功名が辻」も
信長・秀吉・家康の時代の物語である。
その点では「またかよ!」という突っ込みを入れるが、
しかし「山内一豊の妻」という点では、
切り口が違うので楽しめるかもしれないと期待はしている。

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2006年1月 1日 (日)

ニューイヤーコンサート2006

みなさま、本年も何卒よろしくお願いいたします。
元旦はウィーンフィルのニューイヤーコンサートです。
今年の指揮者はマリス・ヤンソンス!
私はヤンソンスの大ファンですので、
気合入って、幸せな気持ちで楽しんでいました。
今日はFM放送ではなく、テレビに釘付けでした。
素晴らしい映像でした。ご覧になりましたか?
ヤンソンスの指揮ぶりは、いつもながらで
カラヤンやクライバーのときのような
優雅な雰囲気とはちょっと違っていましたが、
ヤンソンスのいかなるときも音楽に対して誠実に
強い集中力で真剣に向き合っている
そうした姿が世界に広く伝わったと思います。
今日は映像から演奏会の空気を楽しみました。
10日もすれば、CDも発売になると思いますし、
そのとき深く音楽を楽しみたいと思っています。

「マリス・ヤンソンス」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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