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2006年2月10日 (金)

セルジュ・チェリビダッケ 4

今日はチェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ブルックナーの交響曲第8番である。
いや~すごいスローテンポ。
表記の演奏時間を見れば明らかなのだが、
ある程度予想していたにもかかわらず、
実際に聞きだすとそれはすごい。
20.56/16.05/35.04/32.08 となっており、
合計時間は約104分といったところか。
ノヴァーク版による演奏だが、通常だと75分から78分ほどで、
だいたいCD1枚に収まってしまう。
第1楽章を聞き終えた段階で、さすがの私も…、
何だかよくわからなくなってしまって、聞きなおしてしまった。
しかし慣れとはすごいもので、二回続けて聞くと
今度はよく音楽が入ってきた。
先日聞いた第4番の演奏が1988年10月の演奏で、
80年代の演奏だと少し違っていて、集中力も強いということを書いたが、
こちらの演奏はさらに5年たった1993年9月の演奏で、
雄大な広がりはより強調され、穏やかでゆったりとした安らかさが前面に
一方で緊張感や音楽の構成における確固たる響きというものは緩まり、
チェリビダッケのかなり個人的な感情による音楽観に支配されている
という印象は避けられない。
ファンにとっては、それこそを望んでいたということもあるが、
音楽そのもののあり方と指揮者による表現というもの、
これら両者の間にあって、ギリギリのところでかろうじて存在している
といったところである。私にはそう感じられた。
そのギリギリを成し遂げられるというのも
チェリビダッケならではであり、巨匠の芸術なのだが。
(というのは、第1楽章を聞き終えての感想)

しかし続いてスケルツォの楽章になると意外に速く、
まあ、速いというほどでもなく、より普通のテンポ感覚なのだが、
この極端な変化をどう捉えればいいのか、難しい。
これまた前回の第4番の交響曲で第3楽章は
いきいきとした音楽で驚いたと書いたが、
ブルックナーのスケルツォ楽章における
チェリビダッケの考え方がこの辺に現れているのだろうか?

第3楽章は感動的である。これは最高!
チェリビダッケのブルックナーに独特な美の極致に触れる感覚、
そしてここでは、それだけではない、
広大な音楽に暖かさや人間的なものが詰まっていて、
音楽に愛情を感じるという、そうした喜びが満ち溢れている。
こんなにも幸せな気持ちにしてくれる演奏って、本当に大切である。
そして終楽章もその圧倒的な感動が持続して、何ともいえなく素晴らしい。
音楽の巨大さもあり、興奮も高まってくる。
第1楽章では戸惑ってしまったが、
さすがにここまでくるとチェリの魔術にどっぷりはまって、
この演奏は後半が特に素晴らしいのである。
前半は少し集中力に物足りなさも感じたが、
ここでの終楽章など、圧倒的な緊張感と音の厚み、
密度と重圧感、会場全体がその迫力に圧倒され、
ひとつになって音楽に集中していることが伝わってくる。
フィナーレなど、理解をはるかに超越した
こんな演奏が可能なのかという不思議なほどの巨大さだが、
聞き終えて、久々にすごいものを聞いてしまったと
とてつもなく満たされた気持ちである。
最後の音が鳴り止んで、しばらくの間沈黙が続く。
その沈黙こそ、この演奏の偉大さを物語っていると思う。
チェリビダッケは1912年生まれである。
ということは、この演奏のとき、81歳。
1時間40分という長時間、もちろん途中に休憩などなく、
そして後半に行くにつれ、音楽は高まり、深まり、
晩年のチェリビダッケの記録の中でも
本当に偉大な演奏会、特別に重要な録音であると感じられる。

EMI 5 56696 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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