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2006年2月28日 (火)

私が聞いた今年の名盤2006

先月からあまり変化がないが、2月末の時点で。
今月はカルロス・クライバーの第7ライブである。
やはりこれ抜きにはいけない。

《交響曲》
○ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番、第12番
   ~マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

《管弦楽》
○R.シュトラウス 英雄の生涯~ラトル指揮ベルリンフィル

《協奏曲》
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第1番
   ~クリスティアン・ツィメルマン、ラトル指揮ベルリンフィル


《室内楽》
今のところなし

《器楽曲》
今のところなし

《歌劇》
今のところなし

《声楽曲》
今のところなし

《ライブ盤》
◎ベートーヴェン 交響曲 第7番~クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
○ブラームス 交響曲 第1番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

(◎は特に大切に感じられる名盤です)

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2006年2月27日 (月)

白菜の漬物をつくる

最近少し白菜の漬物に凝っている。
というのは、買って来た白菜ともらったのとが重なって、
いつの間にかいくつもあって、白菜は日持ちするのだが、
しかし食べないと減らないし、
そこで漬物にしたらとはじめたのである。
私の場合には、最初に食べる大きさに切ってしまって、
(キムチを漬ける場合など葉はそのままだが、スペースもないので)
まずは塩で締めて、しばらく冷蔵庫に寝かせておいて、
水分が出てきたら、またよく絞って、水を切る。
それが最初の作業である。そこまでは一緒。

そこから先がいろいろで
最初に作ったのは、塩漬け状態のものに
にんにくのみじん切りをまぶして、
オリーブオイルとコショウと仕上げに酢をかけて、
マリネにしてみた。
これはおいしかった。私は大好きである。
にんにくが好きなので。
でもにんにくが苦手な人には、厳しいかも。
しかし酢をかけるとさっぱりするので、
にんにくの臭いはそれほど気にならない。

次に作ったのが、にんにくの代わりに
ショウガのみじん切りをのせたもの。
やはり酢でマリネに仕上げる。
これはさらにさっぱりした味で好評だった。
ご飯にもあう。ショウガのピリッとした香りが最高。

さらに今日作ったのが、今回は中華風にしてみて、
オリーブオイルの代わりにゴマ油を使用。
ショウガ少々をやはりみじん切りにして、
それに白ネギを千切りにして、白菜にはさみこむ。
そして仕上げは、今日は酢ではなく、
チキンスープ(粉末)をお湯で溶かして、
それにしょうゆを加えて、味を調え、
白菜にかけて、染みこませて漬け込む。
それがいま冷蔵庫に眠っている。
明日の朝にはいい味になるだろう。
これはよい味になりそうで、楽しみ。

白菜の漬物シリーズは
さらにいろいろなアイデアを考案中。

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2006年2月26日 (日)

サイモン・ラトル

ショスタコーヴィチとプロコフィエフの
それぞれヴァイオリン協奏曲第1番。
独奏はサラ・チャンである。
サラ・チャンのCDを買うのははじめてで、
ラトル指揮ベルリンフィルの存在にひかれて買ってきた。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が大好きで、
これはヴァイオリンだからというよりも
どちらかというとショスタコーヴィチの音楽として好きなようで、
同じような感じで以前に五嶋みどりのCDを買ってきたときも
アバド指揮ベルリンフィルが聞きたかったからなのだ。
今回もラトルとベルリンフィルがどんな演奏をするのか、
それは特に注目である。

でも何となく違う。少し驚かされる。
ラトルといえば、勢いがあって、力にあふれて、
音楽の「喜び」があふれ出てくるような
いつもそんな感じがあるけれど、
今回は軽やかな立ち振る舞いでしなやかに
鳴りっぷりのよさではなく、
ひとつひとつの音が見通しよくて、何かが違う。
ラトルは非常に柔軟な人で
作品とか共演者とか、オーケストラの違いによって
演奏スタイルも自在に変えられるという、
特に近年は、そうした傾向が顕著である気もしていて、
この演奏が、何かそういう特徴を示しているものなのか?

ショスタコーヴィチのこの作品は、誰がやっても、
勢いよく盛り上がって、駆け抜ける作品である。
そしてショスタコーヴィチの音楽そのものに
並々ならぬ力強さが備わっている。
そういうある程度一般的に通っている傾向に対して、
何か新しいものを探そうとしているのか?
第4楽章まで来るとはっきりそうした問題意識へと
私の関心は向けられた。
プロコフィエフについてもそうである。
とにかく発散というものがなくて、室内楽のような、
力の方向性が常に内面的なものへと向いており、
不思議な透明感が漂っている。
プロコフィエフのあの色彩的な印象ではなく、
これまで聞いたことのないような、何か新しいものである。

ショスタコーヴィチについては、この演奏会の前後に
交響曲第1番と第14番が演奏されているようなので、
もしそれらを聞く機会を得られれば、
もっと何かに気づき、教えられるかもしれない。
このCDはもうちょっと聞き込んでみないとわからないことも多く、
やはりラトルは面白くって、目が離せない。

EMI 3 46053 2

「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月24日 (金)

ウィーン芸術週間2005

ピエール・ブーレーズ指揮ウィーンフィルによる
マーラーの交響曲第2番「復活」である。
こちらはウィーン芸術週間のライブで
コンツェルトハウスにおける演奏会(2005年5月31日)。
まもなくDGから発売されるのは、楽友協会における収録のようで、
どんな違いがあるのか?ないのか?これは聞きものであると
このライブ録音をCD発売前にじっくり聞きこんでいる。
しかしこれがまた本当にすごい演奏で
私が今まで聞いてきた「復活」の中でも格別に素晴らしく、
そして演奏会ライブの記録としても
こんなにも完成度の高い録音も珍しくて、私の宝となった。
音響的には専門的なことはわからないが、
とにかくすごい迫力で、音の存在感や力強さに圧倒されて、
私が持っているライブ録音の中でも
本当に究極のレベルにまで達しているような最高の感動だ。
ここまで素晴らしいと、通常のスタジオ収録された演奏では、
この興奮は得られないのではないかと、
私などはついライブ録音を支持したくなってしまうのだが、
しかしここはブーレーズなので、これから発売されるDG盤でも
またもうひとつの究極を我々に示してくれると思う。
とにかくあまりにも素晴らしい演奏で、
細かい特長を書き上げたりしていてもきりがなく、
しかしブーレーズは80歳の巨匠にして、
その解釈は極めて画期的なものでもあり、
新鮮な感覚や音楽に接する上での圧倒的な輝きに夢中にさせられて、
マーラーの「復活」で今さらこんなにも大きな発見と遭遇するなんて、
私は今まで、一体何を聞いてきたのかと思わされる。
この新鮮さというのが何なのか?ということに少し注意してみると
やはり普段とははっきり違う、聞き流している、聞こえてこない、
そういう響きに音楽全体が支配されていて驚かされる。
さすがにブーレーズではあるが、こういうマーラーを聞かせてくれるのって、
やはりブーレーズ以外には考えられないのではないか。
ということは、以前にブーレーズが
(DGでマーラーのシリーズをはじめた)最初の頃、
6番 (ウィーンフィル)とか7番(クリーブランド)、9番(シカゴ)、
そして5番(ウィーンフィル)などで毎回感じていたことなのだけど、
その後、ある程度ブーレーズのマーラーがすごいということにも慣れてしまって、
何となく当たり前のことのようにもなってしまっていたのだが、
この「復活」では、久しぶりにはっきりとそうした感激に心動かされ、
それだけこの演奏がすごいのだと思わされたのである。
この春にはDG盤も登場するのか、早くもアナウンスされているが、
このライブを聞く限り、すごいものに出会えるに違いないと
私は大きな期待で待っている。

CDR205/206

「ピエール・ブーレーズ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月23日 (木)

クリストフ・フォン・ドホナーニ

ハンブルクNDR交響楽団の最近のライブから
クリストフ・フォン・ドホナーニの指揮による演奏。
ドホナーニのクリーブランドでの録音は、
私は特にひかれていたので、いろいろ聞いてきたのだが、
クリーブランドを離れ、フィルハーモニア管弦楽団のポストについて、
しかしその頃から、CDでも放送(ライブ録音)でも、
ドホナーニの指揮が全く聞けなくなってしまい、
何年かの間、空白の時期があったのだが、
最近、エッシェンバッハの後任として、ハンブルクに登場して、
ドイツにおけるライブとして、FM放送でときどき聞けるようになって、
そこで思うことは、ドホナーニはずいぶん変わってきたなと感じるのである。

今回のもので、私が最もひかれたのは、
やはり相変わらずであるが、ブラームスの交響曲 第1番である。
これは2003年2月のハンブルクでのライブ。
ずしりとした重みがあって、渋い。
ドホナーニのかつての鋭い、きびきびした感じではなく、
風格を感じるというか、もちろん集中力はすごいのだが。
クリーブランド管弦楽団とで録音されたCDがあるが、
引っ張り出して聞いてみないといけないけれど、
詳しく比較はしていないが、こちらの方が、
大きさ(スケール感)や深まり(濃淡や陰影による内面的密度)で
もう断然違っている。クリーブランド盤も名演なので、
どちらも感動的なのだが、少し方向性が違っている感もあり、
こちらは本当に内面的深まりの充実度で圧倒的である。
前半はどちらかというとじっくりと聞かせているような印象で
後半に行くにつれ、どんどん勢いが出て、突き進むが、
しかしやはり渋くって、決して表面的な効果に走らない、
これがドホナーニの現在であると、感動的なブラームスだった。

ワーグナーのジークフリート牧歌(2004年10月15日)や
昨年のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭における
2005年8月28日、リューベクの音楽会議場におけるライブで
R.シュトラウスの4つの最後の歌も
音楽に対して非常に丁寧に取り組んでいるという印象であり、
表面的な要素よりもむしろ奥深くに存在している大切なものが、
こちらの心にそのままに伝わってくるような、そんな響きであった。
特に4つの最後の歌など、最初から
これまでに聞いたこともないような
突き詰められた緊張感と濃密に満たされていく充実感。
後半に向かうにつれ、決して軽く開放されていくというのではない、
しかし安らかさと透明感をもって、ますます研きぬかれていくという
これは本当にすごい演奏である。

そして「英雄の生涯」(2004年11月14/15日)。
全体に豊かな響きでゆったりとした印象を受けるが、
緩くなったという感覚は全くないのである。
ドホナーニならではの引き締まった音楽で、
しっかりと構築されている枠組みの中に
より厚みの増した音楽がすっぽりと納まっているような
ドホナーニの「英雄の生涯」は本当に素晴らしくて、
以前のクリーブランド管弦楽団との録音を聞いて以来、
最高の「英雄の生涯」を聞かせてくれる指揮者だと
私はずっと認識していたのだが、それは今日でも変わらず、
やはり最高の満足感を与えてくれたのだった。

「クリストフ・フォン・ドホナーニ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月22日 (水)

ハンブルクNDR交響楽団2004/2005

昨日に続き、クリストフ・エッシェンバッハが
ハンブルクNDR交響楽団を指揮したライブを聞かせていただいた。
今日は2004/2005のシーズンから
2004年12月17日にハンブルクのムジーク・ハレにおいて演奏された
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)である。
私の大好きな作品で、エッシェンバッハの指揮で聞けるなんて、
最高の喜びである。うれしい。

この「ダフニスとクロエ」だが、私も最初の頃は、
第二組曲が特に好きで、中学生の頃は、
全曲盤はそれほど聞いていなかったと思う。
最初に自分で買った全曲盤というのがアバド指揮ロンドン交響楽団で、
当時、新譜で発売と同時に買ったのだが、
でも正直、第二組曲の部分を選んで聞いていたような気もする。
その後、私が全曲にはまったのって、
ブーレーズ指揮ベルリンフィルを聞いてからだ。
それ以来「ダフニスとクロエ」はできれば全曲版がいい。
好きになるととても省略することができなくなるのである。
ということで、ここでのエッシェンバッハの演奏には、
じっくり聞き込んで堪能して、至福の58分間であった。

これは本当に素晴らしいライブである。
久しぶりにはまった!最高だ!
ドイツのオーケストラにしては、
実に優美でしなやかな音をさせているけれど、
エッシェンバッハならではの感情のこもった
色彩があって、豊かな音色が響き出して、
そして独自の音楽というものが、しっかりと創造されて、
それがこちらに示されてくる。
エッシェンバッハの大ファンであるとはいえ、
この演奏には本当に感動した。名演。

「クリストフ・エッシェンバッハ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月21日 (火)

ハンブルクNDR交響楽団2005/2006

ハンブルクに住んでいらっしゃる方が、
地元のハンブルクNDR交響楽団の定期演奏会の
エアチェックのコピーを送ってくださった。
クリストフ・エッシェンバッハである!うれしい。
今シーズンのエッシェンバッハはNDR交響楽団に、
昨年12月に登場して、この録音は12月19日、
ハンブルクのムジーク・ハレにおけるライブだが、
プロコフィエフの古典交響曲とベートーヴェンの「田園」である。
考えてみるとついこの前ではないか。
最新のライブである。素晴らしい。
エッシェンバッハは最高である!
他にもドホナーニやなんと!ミヒャエル・ギーレンも、
ハンブルクの指揮台に立っており、なんとうらやましい。

う~ん、12月19日?
昨年の12月って、ハンブルクNDR交響楽団は
NHK音楽祭で、アラン・ギルバートと来日していたのである。
12月10日と11日にNHKホールでコンサートをしている。
それからハンブルクに戻って、すぐの演奏会なわけだ。
なるほど、つながった。この喜び、満足感。
すみません、ついマニアックな興奮に浸っております。

「クリストフ・エッシェンバッハ」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月20日 (月)

ベルリンフィル1998/1999

クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィルによる
バッハのミサ曲 ロ短調 BWV.232
1999年2月26日ベルリンのフィルハーモニーにおける録音である。
私がバッハの音楽を聞くなんて、極めて珍しい。
ピアノ(平均率クラヴィーア曲集やゴルトベルク変奏曲など)や
ヴァイオリン(無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ)による
一部の器楽作品は聞くけれど、ミサ曲やカンタータなど、
特にこのような宗教作品は本当に珍しい。
ならば、どうして聞いているのかというと
先月のヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるN響の定期公演で、
モーツァルトのミサ曲 ハ短調 K.427 が演奏されて、
FM生放送で聞いていたのだが、この曲を聞くのも久しぶりで、
ミサ曲もいいなって、すごくひかれたのである。
そのとき何となく、ふとこの録音の存在が頭に浮かんできて、
バッハを聞こうかなという気持ちになった。
ならば、なぜこの録音が残っているの?ということだが、
それはアバドが指揮しているからである。
バッハのミサ曲は最高傑作のひとつとして有名だが、
私にとっては、あまり馴染みのない作品であり、
しかしアバドの存在によって、この作品と出会うことができた。
ここでの合唱はスウェーデン放送合唱団で、
なんとも美しい響きに包まれる。
彫りの深いバッハの音楽を聞いて、気持ちも引き締まるが、
ここでの合唱の存在は、もうひとつの大きな魅力である。

そういうことで私のところには、バッハの録音って、
本当に少ないのだが、これにちょっと似ている存在で、
サイモン・ラトルが同じくベルリンフィルを指揮した
バッハのヨハネ受難曲も残っている。
ラトルの場合は、より劇的な表現で、
バッハの宗教作品というイメージにとらわれずに
私でもさらに聞きやすかったが、
こちらもいずれ聞きなおしてみよう。
今回のを聞いて、何だか急に聞きたくなってきた。

CDR203/204

「クラウディオ・アバド」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月18日 (土)

カルロス・クライバー

ベートーヴェンの交響曲第7番。
1982年5月3日、昔から有名な
あの交響曲第4番の後半に演奏された
交響曲第7番がついに登場。
かなり信頼のできる録音を元にしてのCD化と推測できるので、
仕上がりとしては期待していたのだが、
一方でクライバーの第7としては、
すでに様々な録音が出回っており、
ファンの間では人気の高い1986年の東京ライブや
私はお気に入りなのだが、1982年のウィーンフィルとのライブと
そういう録音と比べ、今回のものがどこまで行くのか?
という点では、前回の「田園」に比べて、
ある程度冷静に接することができたわけだけれど、
実際に聞くと、やはりカルロス・クライバーである。
興奮しないわけにはいかない。素晴らしい。
この独特の躍動感、うねり、押し寄せてくる感じ、
聞いているこちらも一緒に音楽にドキドキする感覚、
何しろカルロス・クライバーである。
この感動はいつでもやはり天下一品。

音質についても望みうる最高の水準だと思う。
この辺が難しくて、すぐに誤解を呼んでしまうのだが、
私はSACDで鑑賞しており、
弦楽器が多少シャリシャリした音ではあるが、
これは録音というより、ある程度このオーケストラの音であろう。
しかし全体としては、音に広がりが感じられるし、
しっかりとそこに空間が存在していて、
アナログ録音としては完成期でもあるので、
音も柔らかく、暖かい音色など、質感としては最高だと思う。
クライバーマニアやコレクターの方ならば、
ある程度は同感いただけるのではないだろうか。
しかしオーディオマニアやクライバーを初めて聞く方たち、
純粋にベートーヴェンの音楽を聞きたい方、
とにかくレコード店で話題になっているので、
詳しくは知らずについ便乗してしまった方には、
えって思われる方もいると思う。
それが前回の「田園」のときのあの混乱ぶりで
「こんなのを売っていいのか!」という批判が駆け巡って、
「カセットテープからのCD化」というのもうまくなかったのだけれど、
しかし「それだけ必死に聞かせたい!」という作り手の思い、
ファンにとっては、「どうしても聞かせてほしい」とそれが願いなわけで、
その辺を理解できない人たちが、かなり怒っていたわけである。
でも今回は、聞いた印象としては、ある程度十分な音質で、
これだけ楽しませてもらえれば、
文句ないんじゃないかと私は言いたいが。
でもとにかくクライバーの録音に関しては、
隠し録りや訳のわからない個人所有の音源等、
マニアの人たちは様々なものを聞き込んでいるので、
そこに存在する音から聞き出す力に関しては、
はっきり言って、相当に鍛えられているという、なのである。
それがいいのか、悪いのか、微妙な問題ではあるのだが。

同じオーケストラという点で
1986年の東京ライブと比べて、どうだろうか?
演奏の完成度としては、今回の1982年の方が上のような気もするけれど、
しかし強烈さ、爆発する感じ?クライバーが興にのっているという点、
それでは従来からの1986年の東京の方が、いいかもしれない。
いや、でもどちらも素晴らしいと思う。
今回のライブは非常によかった。満足。
私はクライバーの最高クラスの名演のひとつだと思うけど。
とにかくカルロス・クライバーは最高だ!

ORFEO D'OR C 700 051 B

「カルロス・クライバー」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月17日 (金)

セルジュ・チェリビダッケ 5

今日は確定申告で税務署に行ってきて、
少し足を伸ばして、横浜にも寄ってきた。
カルロス・クライバーのベートーヴェンの「第7」
1982年5月3日のライブである。
遅くなってしまったが、やっと手に入れてきた。
聞くのが楽しみである。
それに先日から聞いているチェリビダッケのブルックナーたが、
これらに続いて、交響曲第5番と第9番を買ってきた。
ミュンヘンフィルとのライブでEMIのCDである。
これで残すところ、交響曲第7番とテ・デウム、
それにミサ曲第3番だけとなった。
しかし第7番はすでに買われてしまったようで、
私は安売りセールで買いたいと思っているので、
新たに入荷がなければ、今回は残念ながら手に入らない。
またいずれチャンスはあるだろう。

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ドビュッシーの「海」と「イベリア」。
恐ろしく息の長い演奏で、ちょっとこれは…、
また改めて聞いてみたいと思う。少し慣れが必要だ。
チェリビダッケの指揮はある程度予想していても、
それを上回るスローテンポだと、さすがに戸惑う。
先日のブルックナーの交響曲第8番の第1楽章でも
同じようなことになったのだが。
しかし何回か聞いているうちに、
チェリビダッケの指揮棒がどんな動きをしているのか、
それが音の向こうに見えはじめると
もうそのときはチェリの魔術にはまっているという、
そういうタイプの演奏ではあると思う。
ドビュッシーの音楽にもそういう傾向はあるので。

同じくミュンヘンフィルでティーレマンが指揮をした
「海」を聞いたことがあるのだが、
そちらは完全なドイツ式の方法でほとんど豪快といえるような
そんな荒海を描き出していたが、それはそれで、
方法論はあくまでも表面的な形にすぎず、
ある意味ワーグナー的ともいえるのだろうが、
ティーレマンは聞いている人を音楽に引き込むという点では、
まさに天才的であった。
光が戯れる繊細で柔らかい海というのではなく、
暗い曇り空の元、まるで厳しい冬の海のような。
というのは、ちょっと書きすぎか?
いや、改めて聞きなおしてみると
もしかしたら印象も違うかもしれない。

「イベリア」の方が理解しやすいのかもしれない。
リズムに活気があり、情景がはっきりと見えるということか。
チェリビダッケの描き方は、色彩的だし、
ここではドイツ的な印象とも違う気がする。
しかしフランス人指揮者たちの繊細な感覚とも違うけれど。
ずっと濃厚だけど、でも厚ぼったさはそれほどなく、
この辺の独特な仕上がりはまさにチェリビダッケということか。
チェリビダッケは、テンポはとにかく遅いけど、
しかし細部の描き方や細かい表情、
音色にも極度にこだわりを見せるので、
遅いからといって、それが重いということでもなく、
押しつぶされるような鈍さは、これまで感じたことがない。
それはブルックナーのときもそうなのである。
しかしブルックナーに比べると
チェリのドビュッシーはもう少し聞いてみたい。

EMI 5 56520 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月16日 (木)

ベルリン・ドイツ交響楽団1998/1999

先日聞いたラドゥ・ルプーのブラームスの素晴らしさに
さらにもっと聞きたくなってしまって、
今日はモーツァルトのピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491。
1998年12月17日ベルリンのフィルハーモニーにおける
アシュケナージ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会である。
このモーツァルトがまた、なんとも形容しがたい絶品の美しさで、
こんなにも上品で透明感に満ちて、
とにかくあらゆる褒め言葉をいくら書き連ねても
この輝きは言葉では決して書き表せないのである。
なんと表現すればいいのか難しいのだが、
ルプー独特の縦の線を微妙にずらして、
草書体のような自由な流れを取り入れて、
柔軟な動きを自在に操る、崩した表現といってしまえば簡単だけど、
しかし音楽は決して壊れない、骨格はしっかりとしているという、
これはルプーでしか聞けない絶妙の感覚なのである。
この心地よさはなんなのか?ちょうど「ゆらぎ」の感覚のような、
光や風が時折、柔らかい影を見せる、
モーツァルトの短調の音楽における憂いの響きに
独特の表情が生み出されるのである。
ルプーは最高だ!なんと美しいモーツァルトだろう。

CDR202

「ラドゥ・ルプー」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月15日 (水)

ハノーファーNDRフィルハーモニー

6月8日にサントリーホールで行われる
大植英次指揮NDRフィルハーモニーの
チケット予約が今日からはじまり、席を確保することができた。
「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)である。
うれしい。楽しみだ!
私にとっては、今年最も期待しているコンサートであり、
ずっと前からこれに絞って狙っていた。
席は残念ながら少し右側になってしまい、
しかしピアノの演奏会ではないので、
たまには右側で聞くのもいいかと。

ついに「ワルキューレ」を生の演奏会で聞く。
演奏会形式だが、大植英次の指揮だし、
何といってもジークムントがロバート・ディーン・スミスである。
すごい!大植英次はバイロイトの響きを堪能してもらいたい!と
気合が入って、インタビュー記事だったか?応えていたが、
ロバート・ディーン・スミスは昨年のバイロイトのトリスタン、
そして2001年から2004年の4年間、
「ワルキューレ」において、ジークムントを歌っていたのだ。
バイロイトである!今から興奮している。
今年の夏はまたワーグナーに燃えることになろう。

あともうひとつ、私のドイツの放送オーケストラシリーズに
ハノーファーNDRフィルハーモニーが加わる。
一年にひとつずつぐらい聞きに行っているが、
今年もまたひとつ加えることができそうだ。
ハンブルクNDR交響楽団、ライプツィヒMDR交響楽団、
シュトゥットガルト放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団ときて、
これで5つ目のオーケストラである。
年末にザールブリュッケン放送交響楽団の来日が予定されているが、
そちらも行きたいのだけど、まだどうするかわからない。
でもやはりスクロヴァチェフスキで聞きたいし…。

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2006年2月14日 (火)

第1244回N響定期公演

ラドゥ・ルプーがN響の定期公演で弾いた
ブラームスのピアノ協奏曲第1番。
指揮はウォルフガング・サヴァリッシュである。

私はラドゥ・ルプーが大好きで、
書き出すと止まらなくなってしまいそうなので、
最初に書いておくが、サヴァリッシュの指揮がまた素晴らしい。
まるで交響曲のようなというと、そういう作品なのだけれど、
まさに交響曲を演奏しているのと少しも変わらない、
隅々まで充実して鳴り響く、これはもう伴奏などではない、
ちょうどポリーニ盤のカール・ベームのような存在である。
協奏曲において交響的であることを良く言わない人もいるけれど、
やはりブラームスであるから、私はその方がいいと思う。
まあ、サヴァリッシュも昔からずっとファンなので、
こういう演奏こそ、私は聞いて落ち着けるのかもしれない。

ラドゥ・ルプーのピアノであるが、もうとにかく美しい演奏で、
巨大な迫力と繊細な弱音を大胆に使い分けて、
やはりこの弱音の抒情性こそ、ルプーの持ち味か。
放送音源でバランスが整えられているわけではないので、
ルプーが思い切って、優しい音色をさせたりすると
オーケストラにすっかりかき消されてしまいそうな
そういうところもあるのだが、
弱音でも基本的にいつも鳴って、しっかり聞こえてくる
そういうピアニストとは、やはり違うので、
その辺はまさにルプーであり、そこを聞くべきである。
とてもピアノ協奏曲とは思えないような、
繊細な音で弾き始めるところもあって、少し驚くのだけれど、
そういうところのハッとする美しさは格別である。
それがまた、サヴァリッシュの引き締まったブラームスと相性がいい。
これは本当に感動的な名演だ。最高のブラームスである。
やはり今聞きなおしてみても、宝物だった。

考えてみるとこの演奏からもう11年以上がたつ。
現在のルプーの演奏も聞いてみたいが、
海外のオーケストラのホームページでプログラムなどを見ると
今ももちろんブラームスやベートーヴェン、
得意のシューマンやモーツァルトなど、
ピアノ協奏曲も積極的に演奏しているようだが、
残念ながら、FM放送のライブやCDの最新録音など、
聞く機会がすっかり減ってしまっている。
ルプーの現在の演奏を聞きたい。ストレスがたまる!

CDR201

「ラドゥ・ルプー」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月13日 (月)

第1244回N響定期公演

1994年11月のN響定期公演で
指揮はウォルフガング・サヴァリッシュ。
このときはサヴァリッシュの指揮する4つのプログラムが、
すべてブラームスの作品で、その中でも特に
この第1244回定期公演における
ラドゥ・ルプーが登場したピアノ協奏曲第1番は、
録音が残っている。私の宝物である。
とはいっても、この頃はまだカセットテープの時代であり、
はっきりって、録音状態はよくない。
パチパチ、ジジってところどころに入るし、
ついでに最悪なのが、第2楽章の盛り上がったところで、
オートリバースで音が消えてしまうのである。
しかし本当に感動的な演奏で、忘れられない。
MDが登場したときにダビングしておいたものが今もあり、
なぜか急に久しぶりに聞きたくなって、
せっかくの機会なのでCD-Rに焼いて、
きちんとこれからも保存していきたいと思う。
ノイズは多いのだが、幸いにも音質は十分に楽しめる。

この演奏会は、N響定期公演のFM生放送を聞いたのだが、
ルプーのピアノの美しさに感動して、夢中になってしまい、
どうしてももう一度聞きたいと、実は録音をしたのは、
後に「N響に登場した名手たち」という再放送でのものなのである。
この演奏会は本当に宝なので、「N響アワー」もわざわざ録画して、
ビデオも残っている。私もずいぶん気合が入っている。
しかしお恥ずかしい話だが、宝といっておきながら、
いつの演奏会だったのか、詳しい記録が失われてしまって、
1994年11月のものというのは、インターネットで調べがついたのだが、
ビデオで確認したところ、映像は11月5日となっている。
しかし当時のことはちょっと思い出せないのだが、
FM生放送とテレビ用の映像収録が同じ日だったのか、
昔のことは忘れてしまって、結局詳しいことはわからない。
FM放送とテレビの映像が同一の演奏であるか?
その辺はまだ確認していないが、やはり情報は
きちんと保存しておかなくてはダメである。
もしどなたか情報をお持ちの方がいらしたら、ぜひ教えてください。
ちょっとマニアックだけど、N響のファンは多そうだし。
感想については、また明日書こうと思う。

ちょっと話は変わるが、ビデオで日付だけ、先ほど確認したのだが、
そこでビックリ!N響アワーって、そういえば、
昔は中村紘子が司会をしていたのだ。
池辺さんになって、ダジャレを聞くようになって、
もうずいぶん長いので、すっかり忘れていた。
もっと昔は、芥川也寸志、木村尚三郎、なかにし礼の三人組で
そちらの時代は印象深いのだけど。懐かしい。

「ラドゥ・ルプー」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月12日 (日)

後輩の結婚式

今日は高校時代の後輩の結婚式で
恵比寿のウェスティンホテル東京に行ってきた。
人の幸せにふれることって大切なことで
幸せを分けてもらえるというか、
何だか自分にもいいことがあるのではないかと
前向きになれるような気がして、
招待されるというのは、光栄であると同時に
本当に感謝すべきことである。

あまり実質で考えてはいけないが、
以前に高校時代の同級生の友人が、
あるブライダル産業の結婚式場で式を挙げて、
そうしたら、ちょうど一週間して、
そこが新たに建設する結婚式場の
実施設計の図面作成の手伝いなのだが、急に頼まれて、
正直、結構稼がせてもらったので、ありがたかった。
そのときは本当に驚いた。すごい偶然だなと。
別に期待はしてないけど、でも世の中そう捨て物ではないと
また明日から新たな日々がはじまる、
そういうふうに考えられることが大切。

しかし自分自身のことを考えると
すっかり最近は縁がなくなってしまって、
ひとりで自由にしているとそれもいいか
なんて考えてしまうからときどき自分でも恐ろしくなるが、
今日のように幸せそうな結婚式に行ってくると
さすがに少しは気分も変わってくる。
古今亭志ん生の落語だとこんな感じかなって。
「え~、ひとりってえのは、さむしいですな。」
さむしい:最近覚えた江戸言葉?を使ってみた。
「祝いをふるしきにくるんで行く」
ふるしき:もちろん風呂敷のこと
のような感じである。
風呂敷にはくるんでいかなかったけど。

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2006年2月11日 (土)

落語のCD化

三遊亭圓生で「やかん」「茶の湯」「百年目」をCD化した。
「やかん」は落語の定番のひとつで、ここでの録音は短いが、
そのかわり「茶の湯」と「百年目」が本格的。

「百年目」は35分ほどで、これまでの中では最も長い噺。
大店の堅物の番頭さんが、実は外では遊び上手で、
ある日、花見に出かけて、酔っ払って大騒ぎしていると
偶然に店の旦那と出会ってしまうという。
番頭さんは自分の秘密がすっかりばれてしまって、
これが原因で店をくびになってしまうだろうと寝込んでしまうが、
旦那は逆に「あなたはちょっと堅物すぎます。もっと遊びなさい。」って
後半はちょっと人情噺のようなしんみりとした展開なのだが、
花見という季節感もあるし、明るく、楽しく、素晴らしい落語である。

圓生の名人芸、それはそれは見事であり、
「茶の湯」では、ご隠居さんが小僧の定吉を連れて、
根岸の隠居所に引っ越すが、静かな里ですることもなく、
作法も知らずに茶の湯をはじめるという。
ご隠居と定吉の会話が長く続くが、
圓生の話術、全く別人がふたりいるような印象。
声色を変えるとか、そんな簡単なものではなく、
本当に全く違う声が聞こえてきて、
そのやり取りの様子に引き込まれる。
その後も長屋の豆腐屋さんとそのおかみさん、
鳶の頭、手習いの師匠など、茶の湯に呼ばれて登場してくるが、
ひとりひとり、声が違って、その状況はリアル!楽しめます。
圓生の落語はさすがに格調高い。

落語は素晴らしい。

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2006年2月10日 (金)

セルジュ・チェリビダッケ 4

今日はチェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ブルックナーの交響曲第8番である。
いや~すごいスローテンポ。
表記の演奏時間を見れば明らかなのだが、
ある程度予想していたにもかかわらず、
実際に聞きだすとそれはすごい。
20.56/16.05/35.04/32.08 となっており、
合計時間は約104分といったところか。
ノヴァーク版による演奏だが、通常だと75分から78分ほどで、
だいたいCD1枚に収まってしまう。
第1楽章を聞き終えた段階で、さすがの私も…、
何だかよくわからなくなってしまって、聞きなおしてしまった。
しかし慣れとはすごいもので、二回続けて聞くと
今度はよく音楽が入ってきた。
先日聞いた第4番の演奏が1988年10月の演奏で、
80年代の演奏だと少し違っていて、集中力も強いということを書いたが、
こちらの演奏はさらに5年たった1993年9月の演奏で、
雄大な広がりはより強調され、穏やかでゆったりとした安らかさが前面に
一方で緊張感や音楽の構成における確固たる響きというものは緩まり、
チェリビダッケのかなり個人的な感情による音楽観に支配されている
という印象は避けられない。
ファンにとっては、それこそを望んでいたということもあるが、
音楽そのもののあり方と指揮者による表現というもの、
これら両者の間にあって、ギリギリのところでかろうじて存在している
といったところである。私にはそう感じられた。
そのギリギリを成し遂げられるというのも
チェリビダッケならではであり、巨匠の芸術なのだが。
(というのは、第1楽章を聞き終えての感想)

しかし続いてスケルツォの楽章になると意外に速く、
まあ、速いというほどでもなく、より普通のテンポ感覚なのだが、
この極端な変化をどう捉えればいいのか、難しい。
これまた前回の第4番の交響曲で第3楽章は
いきいきとした音楽で驚いたと書いたが、
ブルックナーのスケルツォ楽章における
チェリビダッケの考え方がこの辺に現れているのだろうか?

第3楽章は感動的である。これは最高!
チェリビダッケのブルックナーに独特な美の極致に触れる感覚、
そしてここでは、それだけではない、
広大な音楽に暖かさや人間的なものが詰まっていて、
音楽に愛情を感じるという、そうした喜びが満ち溢れている。
こんなにも幸せな気持ちにしてくれる演奏って、本当に大切である。
そして終楽章もその圧倒的な感動が持続して、何ともいえなく素晴らしい。
音楽の巨大さもあり、興奮も高まってくる。
第1楽章では戸惑ってしまったが、
さすがにここまでくるとチェリの魔術にどっぷりはまって、
この演奏は後半が特に素晴らしいのである。
前半は少し集中力に物足りなさも感じたが、
ここでの終楽章など、圧倒的な緊張感と音の厚み、
密度と重圧感、会場全体がその迫力に圧倒され、
ひとつになって音楽に集中していることが伝わってくる。
フィナーレなど、理解をはるかに超越した
こんな演奏が可能なのかという不思議なほどの巨大さだが、
聞き終えて、久々にすごいものを聞いてしまったと
とてつもなく満たされた気持ちである。
最後の音が鳴り止んで、しばらくの間沈黙が続く。
その沈黙こそ、この演奏の偉大さを物語っていると思う。
チェリビダッケは1912年生まれである。
ということは、この演奏のとき、81歳。
1時間40分という長時間、もちろん途中に休憩などなく、
そして後半に行くにつれ、音楽は高まり、深まり、
晩年のチェリビダッケの記録の中でも
本当に偉大な演奏会、特別に重要な録音であると感じられる。

EMI 5 56696 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月 9日 (木)

落語のCD化

昨年末から少し時間がたったが、
落語は本当に素晴らしい。
最近人に会うたびにそう言っている。
騙されたと思って、一度聞いてみてほしい。
祝日ごとに落語をCD化しようかなと
まもなく建国記念日なので、ただいま準備している。

その後も父がNHKの「ラジオ名人寄席」を録音し、
たまにラジオ深夜便の「演芸特選」でも落語が放送されるが、
深夜便はFMでも同時放送されるので、
そちらは私がタイマー録音で対応ということになり、
私も少しライブラリーができた。
今年最初に放送された林家三平の「源平盛衰記」。
林家三平というのは、ご存知、林家正蔵、林家いっ平の父である。
林家正蔵というのは、こぶ平が襲名して、正蔵になったわけで、
林家こぶ平といえば、もうおわかりか。テレビでもお馴染みのこぶ平。
こぶ平の弟がいっ平。その義理の兄が、峰竜太である。
さらに義理の兄といえば、春風亭小朝。
海老名家の人々ということで。

そして春風亭柳昇の「日照権」。
こちらは春風亭昇太の師匠といえば、おわかりか。
林家三平の「源平盛衰記」と柳昇の「日照権」は、
古典ではなく、創作落語である。現代風。
というか、昭和30年代とか、昭和40年代とか。
柳昇なんて、「田原俊彦です」とかいって、
田原俊彦の口調を真似たりするから、
時代がわかってしまう。かなり古い。

他は古典で、三遊亭金馬の「薮入り」、
春風亭柳好の「禁酒番屋」。
落語家の名前は変換が出なくて困る。
春風亭柳枝の「たらちね」。
この「たらちね」は時間が短く、放送用なのか?
かなり話を短縮していて、抜かしていることが多く、
残念だが、気に入らない。
柳家小さんの「たらちね」があるが、倍ぐらいの時間で、
小さんの方がずっといい。面白い。
そして古今亭志ん生の「文七元結」。これ最高!
人情噺である。会場のお客さんも笑わないで、真剣に聞いている。
最初聞いたときは、何だかよくわからなかったのだが、
私も真剣に聞いてみたら、人情噺であり、すごくいい。
聞かされる落語。しっとり、しみじみ。
志ん生といえば、名人の中の名人だが、
やはり本当に見事な話芸で、はまるとこれぞ究極。
最初はちょっと聞き取りにくいのだけれど…。

今回のCD化は、これらは置いておいて、
父のライブラリーから三遊亭圓生である。
圓生といえば、志ん生と同じく、昭和の大名人。
これまた素晴らしい。究極の話芸。
今回は「やかん」「茶の湯」「百年目」を予定している。
できあがったら、また感想など。

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2006年2月 8日 (水)

セルジュ・チェリビダッケ 3

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。
EMIがCD化したミュンヘンフィルとの録音の中では、
比較的早い時期のものといえるのか?
1988年10月のライブ録音である。
チェリビダッケの晩年の演奏スタイルには変わりないが、
しかしその密度において、より高い集中力も感じられ、
スケルツォの楽章では、驚きのいきいきとした表現であり、
1980年代の録音だからこそなのかと少し考えなくもない。
冒頭から極上の美しさであり、これまでに聞いてきた中でも
最高のブルックナー、感動的な演奏である。
やはりチェリビダッケだ!これこそである。

ブルックナーの第4番「ロマンティック」は通常に演奏されると
だいたい65分から68分の演奏時間となるのだが、
少し前のエッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団の演奏、
これもライブ録音だが、それが73分ほどかけてじっくり表現しており、
聞くとこれまた最高の美しさに心奪われるのだが、そのとき、
ここでの美の追求、かなり徹底して研きぬかれた表情創りが行われているが、
これはチェリビダッケに通ずるものがあると何となく感じていたのだけれど、
チェリビダッケの演奏では、なんと79分であり、究極である。
しかし先ほども書いたが、第1楽章や第3楽章では、
それほどテンポが遅いという印象はなく、
まあ、実際はかなり遅いのだけれど、
特にここで際立って個性的なのは、第2楽章と第4楽章である。
細部へのこだわりがすごいし、不思議なほどに豊かな響きがして、
音楽はまるで生まれ変わったような、これは美の極致である。
私はギュンター・ヴァントのブルックナーが大好きで、
しかしチェリビダッケと比べるとずいぶん違うのだが、
ヴァントや朝比奈隆、そしてチェリビダッケは、
1990年代にブルックナー指揮者として有名だったけれど、
ヴァントと朝比奈隆が深く内面に精神性を求めていったのに対して、
ある意味、チェリビダッケは、ひたすら表面にこだわっている。
といっていいのか、いや違うといわれてしまうかもしれないけど、
響きも明るく、つややかな音色で、角もとれて、
宇宙的に雄大に膨れ上がっていく存在、
包み込まれるような幸福感、やはりチェリビダッケはすごいと思う。
どうなのだろうか?ヴァントとチェリビダッケ、
ブルックナー・ファンならどちらか選べよ!と迫られてしまうのか、
いや、私はブルックナー好きなので、
どちらのブルックナーを聞いても、最高の感動である。

EMI 5 56690 2

先ほど、少しふれたエッシェンバッハのブルックナーだが、
以前にちょっと興味深かったことがあり、
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルクNDR交響楽団)といえばギュンター・ヴァント、
晩年のヴァントが最後までブルックナーを熱心に指揮し続けていたその当時、
ちょうどNDR交響楽団の主席指揮者だったのがエッシェンバッハであり、
エッシェンバッハもまたブルックナーを取り上げて、
残念ながらヴァントが亡くなったが、その追悼の演奏会で
ブルックナーを指揮したのもエッシェンバッハであった。
ヴァントとエッシェンバッハは、先ほども書いたが、
かなり方向性の違うブルックナーであり、
それをハンブルクのファンたちは、どう感じていたのか?
余計なお世話かもしれないけど、遠く日本から私は、
そのことが気になってしかたなかったのである。
その後のエッシェンバッハは、スローテンポを駆使して、
徹底的に練り上げられた表現で、チェリビダッケ的ともいえる
美の追求をひたすら実践しているのである。

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月 7日 (火)

ウィーン芸術週間2005

昨年のウィーン芸術週間から
ピエール・ブーレーズ指揮ウィーンフィルの演奏会。
マーラーの交響曲第2番「復活」である。
夏前にDGからCDが発売になるそうなので、
もちろんCDは買いたいと思っているが、
わざわざその前にこのライブを聞きはじめた。
昨年のウィーン芸術週間は、
奇数年(2005年)なので会場はコンツェルトハウス。
DG盤は、楽友協会でレコーディングされたようなので、
もちろん完全なる別録音である。
それもあるし、気合を入れて、CD発売よりも先に聞く。
ブーレーズのマーラーは、ウィーンフィルと
少し前の交響曲第3番、そして昨年の歌曲集と
どちらかというと最近は穏やかな印象にもなっていたので、
さすがに巨匠になって、それほどには過激な挑戦はしないのかなと
今回の「復活」でもその延長線で聞きはじめたのだが、
いや、今回はだいぶ違う。かなり切り込み鋭い「復活」である。
これからじっくり聞きたいと思う。

「ピエール・ブーレーズ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月 6日 (月)

バイロイト音楽祭2005

3act

バイロイト音楽祭のホームページより
楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

いよいよ第3幕である。繰り返し書いているけれど、
ドイツの批評家たちが何と書こうが、
この「トリスタンとイゾルデ」は私の宝物である。
この新鮮な喜び、超新星のような強い輝きは、
かつてのワーグナーの伝統、「トリスタンとイゾルデ」ならば、
1952年にカラヤンがバイロイトで指揮して、
その後は、ヨッフム、サヴァリッシュ、ベーム、…と続き、
そういった歴史的な響きとは、少し方向性の異なる存在なのかもしれない。
しかし1974年にカルロス・クライバーが登場したときに
それまでの伝統なんて、ふっ飛ばしてしまうような
圧倒的なパワーで一気に駆け抜けたに違いない。
この大植英次の演奏にクライバーを持ち出すのがいいのか知らないが、
しかしこの輝きこそが最大の力であり、私はそこにひかれる。

第3幕の舞台写真である。
ここでも基本的に舞台はあまり変わっていない印象だが、
重傷を負ったトリスタンのためのベッドが横たわり、
そして内装が少し違っていて、集中治療室のようなイメージも。
まあ、舞台のことは先日も書いたので、もういいか。
というぐらい、この第3幕の演奏は圧倒的である。
年末に放送で最初に聞いたときも書いたが、
前半の第1幕や第2幕よりも格段に違って、
この第3幕は本当にびっくりするぐらいに輝いていた。
大植英次はこの公演を終えて、直後の新聞記事に
「信じられないぐらいにしなやかな響きを出せた」というような
インタビューにそういうことを応えていたような気がするが、
まさに直後のその興奮の言葉は、
この第3幕のことであると私は受け取っている。
オーケストラの素晴らしさ、それを讃えれば讃えるほどに
つまりは歌手との一体感の不足もあって、
オーケストラが突出してしまった、ということもあるのか
批評家や保守的なワグネリアンたちは
それを問題にしたがっているのか、それとも違うのか?
でも私はこの演奏に感動して、本当に素晴らしいと思うのである。
いいではないか。最高だ!
ドイツの批評家たちが何と書こうと
この「トリスタンとイゾルデ」は最高だ!

先週から「トリスタンとイゾルデ」をじっくり聞いてきたが、
この素晴らしさにはまると、つい永遠にこのまま
ずっと聞いていたいと思いはじめるが、
ワーグナーを聞くことをやめる方が恐くなるが、
年中ワーグナーだけを聞いているわけではなく、
少し休んでから、次は「バイロイト音楽祭2005」の
順番に7月26日の歌劇「ローエングリン」を聞きたいと思う。
ペーター・シュナイダーの復活に最高の期待。

CDR198/199/200

「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月 4日 (土)

バイロイト音楽祭2005

2act

バイロイト音楽祭のホームページより
楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

今日は第2幕を聞いているが、大植英次指揮の演奏については、
もうくどいぐらいに書いているけれど、私はかなりはまっていて、
ドイツの批評家たちが何と書こうが、
この「トリスタンとイゾルデ」は私の宝物である。

第2幕の舞台写真を見ると、基本的に部屋の様子はそれほど変わりないが、
ここでは天井があり、照明がついている。
先日の写真で第1幕のときは天井もなく、上は闇という感じだった。
第3幕では再び天井はなく、照明もなく、闇となっている。
その点を少し考えてみたい。

第1幕について、ワーグナーの台本では、
船の上という設定になっているが、それで天井がない、
というのが単純な理解だけれど、そんな簡単なものでもなく、
同時にイゾルデの心理状態の不安定を闇に表現しているのか?
第1幕第1場では、マルケ王に嫁がなくてはならない未来を憎み、
「上陸したくない」「嵐が来て沈没してしまえばいい」という。
第1幕第3場から第4場においては、
イゾルデはブランゲーネに毒薬を預け、
想いを寄せながらも仇であるトリスタンを殺し、
自分もまた毒薬を飲んで死ぬと決意して、
ブランゲーネに別れを告げる。
また第2幕でトリスタンは死(永遠の愛)を「夜の国」と表現しているので、
その点で第1幕後半の二人が死のうとする場面が闇というのも納得である。

そして第2幕であるが、愛の酒(ほれ薬)の力を借りているとはいえ、
ここでトリスタンとイゾルデが愛し合っているのは事実であり、
それが現実であるという点で、天井から照明をあびているのか。
第2幕第2場で愛の絶頂の中、トリスタンは「死のう」と叫ぶ。
そして第3場でメロートの陰謀により、二人の密会は明るみになり、
ここでトリスタンは、「夜の国に自分と行くか?」とイゾルデにたずねる。
そしてトリスタンは、メロートの刀に自ら飛び込み、重傷を負う。
つまり死のうとして、夜の国、愛の世界に行こうとしているのである。
実際に第3幕では、再び天井と照明がなくなって、闇になるが、
明から暗に行くという点での第2幕は「明」なのかもしれない。
第3幕では、トリスタンは重傷に倒れ、夢と現実の間をさまよい、
トリスタンの死の後、追うようにイゾルデもまた、
幕切れ「愛の死」で夜の国に旅たつ。
つまり舞台もまた、死を表す闇なのか、天井の照明はない。
第3幕については、また詳しく第3幕を聞くときに。

第1幕「暗」 ⇒ 第2幕「明」 ⇒ 第3幕「暗」という流れであり、
第1幕「夢(憧れ)」 ⇒ 第2幕「現実そして発覚」 ⇒ 第3幕「夢(さまよい)」
第1幕「死」 ⇒ 第2幕「生」 ⇒ 第3幕「死(夜の国そして愛は永遠)」
という、物語の流れを、変化のないほぼ同じ舞台上において、
天井と照明が表現しているのかと写真からそんな想像をしているが、
深読みしすぎなのか?もっとそこには違う狙いがあるのか?
実際のところはわからない。でもこの写真は、
飾りの少ない殺風景な舞台だけど、
いろいろと面白い想像を提供してくれた。

しかし第2幕は本当に素晴らしい。やはり最高である。
その美しさ、陶酔感、熱狂的な盛り上がり、永遠に続く高揚感、
引き込まれる。感動的である。熱くなる。

CDR198/199/200

「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
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2006年2月 3日 (金)

バイロイト音楽祭2005

Smith

バイロイト音楽祭のホームページより
トリスタン役のロバート・ディーン・スミスの写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

クリストフ・マルターラーの演出が、
ワーグナー自身による台本とかなり設定を変えている
ということは、明らかであり、昨日も書いたが、
この衣装は、どのように理解すればいいのか?
衣装担当は、アンナ・ヴィーブロックである。
役人のような堅い印象も受けるし、
タクシー運転手か駅員さんのような、
とにかく制服のようなイメージである。
ブルーのスーツ姿。グレーに近いブルーで、これは制服の色である。
男性の役柄は、色は違っていても、みなこんな感じの衣装であり、
特にこのトリスタンだが、スーツの下にねずみ色のセーターのような
間に着込んでいて、ちょっときつそうだけど、
スーツのボタンはきっちりとめている。
このイメージは、先ほど役人と書いたけど、
まじめなイメージを強調しているかのようである。

イゾルデはマルケ王の妻になるわけであり(第1幕)、
第2幕では、すでに結婚しているイゾルデが、
狩に出ている夫の留守にトリスタンを呼び出して密会、
これは完全に不倫である。
第1幕第5場で毒薬を飲んで死のうとしたイゾルデに
ブランゲーネが機転を利かせて、
二人にほれ薬を飲ませるという、これがすべての原因だが、
密かに想いを寄せていた二人、その想いを断念しようとしていた二人が、
そんな展開によって、信じられないような大胆な行動へと出て、
衣装でそのギャップを強調しているような印象も受ける。
その第1幕第5場でトリスタンはイゾルデに
「仇である自分を殺せ」と、しかしイゾルデは、
「マルケ王の最勇の部下であるトリスタンは殺せない」と返し、
本来のトリスタンはそういう人物なのである。
イゾルデに対しても、マルケ王に対しても、
極めて堅い人柄であり、マルケ王に忠実に仕えている、
その辺で役人的なのか、今回の衣装を見ると
ついそっちの方に注意が向いてしまう。
舞台衣装としては、パッとしない、こんな制服のような地味な印象で
どういう意図でこうなったのか、それについては詳しくは知らないが、
第1幕第5場でトリスタンとイゾルデがほれ薬を飲んで
話が全く違う方向に動き出すこの物語のその前後のギャップ、
現実と比較すれば、矛盾のような、皮肉のような、
その辺をあまり変化しない舞台と地味な服装で表現しているようでもある。
というのが写真の感想だが、映像を見ているわけではないので、
実際のところはどうなのだろうか?

CDR198/199/200

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2006年2月 2日 (木)

バイロイト音楽祭2005

act1

バイロイト音楽祭のホームページより
第1幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

「トリスタンとイゾルデ」から第1幕を聞いている。
すでに何度か聞いて、大植英次の指揮による音楽は
前回あたりからすっかり私は気に入ってしまっているが、
今回CD-Rに焼いて、再びじっくり聞いていると
最初のときに感じたこと、それは
音質は悪いながらも無理にウェブラジオで聞いたとき、
そしてきちんとした音質で昨年末のFM放送で聞いたときに
まず思ったこと、オーケストラが中心になって
全体を引っ張っている、そのことを今回改めて感じつつ、
つまり第1幕の特に前半では、
どういうふうに書けばいいか難しいが、
オーケストラの鳴らし方がちょっと自分勝手に
舞台の上でのことや歌手がどのように歌っているかなど
あまり注意がいっていないような、そんな印象もある。
しかしこの勢いとか非常に前向きな姿勢で音楽が進行していくという、
私はすでにはまりつつあるので、聞けば聞くほどに魅力となって、
悪く考えるということはなくなってしまうのだが、どうなのだろうか。
この辺は音を聞いている分には素晴らしくて、
映像がないので、もし舞台の上で無理な展開があって、
その原因としてオーケストラに対する批判があったのならば、
詳しくはよくわからないが、音で楽しんでいる分には、
ここが限界であるようにも思う。

ということで、視覚的に少しでも知ろうと舞台の写真を見てみるが、
三幕を通して、基本的には同じ情景であり、
内装や照明のスタイルが変わる程度で、
第1幕の船の上の場面など、全体に大広間のような印象となっているから、
設定を変更して、新たに創り出していることは明らかである。
クリストフ・マルターラーの演出には、
はじめからかなり批判があったようだけれど、
この前の1990年代のハリー・クプファー演出には、
さらに激しいブーイングが集中していたので、
舞台としては、それほど挑発的ではないし、
やはりあとは内容次第ということなのだろう。
写真から想像できることにとどまるが、
もう少しこれから、いろいろ考えつつ、聞いていきたいと思う。

CDR198/199/200

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http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年2月 1日 (水)

セルジュ・チェリビダッケ 2

ブルックナーに行く前にベートーヴェンを。
交響曲第6番「田園」とレオノーレ序曲第3番の一枚。
チェリビダッケのベートーヴェンを
最近では少しも遅いと感じないのだから、
私もずいぶん変わったものである。
といって、クライバーやギーレン、ノリントン、ジンマン、…、
快速系のベートーヴェンも大好きなのだが。
別に何でもいいというわけではないのだけれど。
しかしチェリビダッケのゆったりとしたテンポで
それぞれの楽器が何と豊かな音色を響かせていることか!
「ここはこう響くべきである」という指揮者の絶対的な支配下にあって、
各楽器の響きの徹底したコントロールは驚異的であり、
遅いから見通しがいいという、単にそれだけではない、
非常にリアルな音の質感というか、美しいものもザラザラしたものも
あらゆることがチェリビダッケの強い意思のもと伝えられるのである。
今回も非常に時間がかかっている演奏だが、
こういう展開だと、音楽を解体して、
音のひとつひとつを問い直してしまうような、そういう演奏もあるのだが、
チェリビダッケは決してそういうのではない、
音楽の流れも失われないし、音の連なりが常に有機的で、
だからこそ、ここでの「田園」は美しく、
心のこもった音楽に感じられるのである。
そしてレオノーレ序曲第3番も最高!
どうも私はレオノーレ序曲で素晴らしい演奏と出会うと
いつもカール・ベームの演奏を思い出してしまうのだが、
今日もまた、そして今日は、迫力のベームではない、
晩年のゆったりとしたカール・ベームのことが思い出されたのである。

EMI 5 56840 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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