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2006年3月31日 (金)

私が聞いた今年の名盤2006

バレンボイム、ネルソン・フレイレ、
そしてミヒャエル・ギーレンのライブと
を一気に出してしまったが、
まだ3月なのにこんなにたくさん出して、
これから先どうなってしまうの?とは思うけど、
しかし良かったのだから仕方がない。
ネルソン・フレイレは、特に第2番が素晴らしくて、
そちらを
に推薦します。

《交響曲》
◎マーラー 交響曲 第7番~バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
○ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番、第12番
  ~マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

《管弦楽》
○R.シュトラウス 英雄の生涯~ラトル指揮ベルリンフィル

《協奏曲》
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第1番
  ~クリスティアン・ツィメルマン、ラトル指揮ベルリンフィル
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第2番
  ~ネルソン・フレイレ、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


《室内楽》
今のところなし

《器楽曲》
◎ベートーヴェン ピアノソナタ op.109-111~内田光子

《歌劇》
今のところなし

《声楽曲》
今のところなし

《ライブ盤》
◎ベートーヴェン 交響曲 第7番~クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
◎ブラームス 交響曲 第2番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

○ブラームス 交響曲 第1番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

は特に大切に感じられる名盤です)

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2006年3月30日 (木)

落語のCD化

落語の話の前にちょっと最近のことを。
このブログに書くのは初めてだが、
最近インテリア・ブランドの設立に関わっていて、
私がするのは家具やプロダクトのデザイン、
といいつつ、実際のところは、
開発だけでなく、製造や商品発送まで、
製作に関する全般を見なければならないのだが、
それで今日、商品のアイデアを現実にする意味でも
工場に打ち合わせに行ってきたのだが、
私が考えていたことが、これが難しい。
というのは、製造を順調に運ばせるということと
私が望む品質の商品を製作した場合に
コスト面で通常の売れる金額に抑えられるのか?
などという問題、話をしてみると、
これは仕切りなおししなければいけないと
なかなか難しいのである。
今日はすっかり疲れてしまった。


ということで、疲れた心を癒してくれるのは、
志ん生さんの落語である。
ずいぶん前から準備できていた「文七元結」、
そして同じ一枚に並べるのは「鰍沢」である。
つい先日のラジオ深夜便「演芸特選」で
放送されたばかりの古今亭志ん生「鰍沢」である。
「文七元結」は私の最高のお気に入りだが、
今回のこの「鰍沢」もまたすごく高級である。
まずこの題名が難しい。
落語通の方は、よくご存知の有名な作品のようだが、
私のような初心者には、これがまず読めない!
「文七元結」は「ぶんしちもっとい」と読む。
そして「鰍沢」であるが、「かじかざわ」。
鰍沢というのは、山梨県の地名のようで、甲州街道の小仏峠の近く。
現在も中央道に小仏トンネルというのがあるが、その近くであろう。

「鰍沢」は難しい。どう聞けばいいのか?
信心をしていれば、どんな災難にも、何とかなるものである。
それとも一方で、欲に目がくらんだ者は、必ず報いを受けるということか。
旅人が雪で道に迷ってしまい、偶然見つけた家に身を寄せるが、
旅人が金を持っていることを知り、
欲に目がくらんだ元花魁(おいらん)のお熊が、
旅人にもてなす玉子酒に毒(痺れ薬)をいれて、
しかしそれを自分の旦那も知らずに飲んでしまって、
それで旦那は死んでしまうが、
旅人は必死に逃げて、毒消しの護符を飲んで、
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」とお題目を唱えつつ、
鉄砲を担いで追いかけてくるお熊、
火縄銃の玉は旅人をかすめて、何とか逃げられたという、
笑い噺という感じではないし、人情噺という感じでもないし、
難しくて、高級で、いかにも通向けという印象である。
しかしこれが志ん生さんの話芸だと、それはもうすごい!
志ん生さんは最高である。落語家の名人はたくさんいるけれど、
といっても、私が聞いているのは、ほんの少しだが、
しかしそれにしてもやはり志ん生さんは最高だ!

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2006年3月29日 (水)

セルジュ・チェリビダッケ 7

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ブルックナーの交響曲第9番。
1995年9月の録音で、翌年には亡くなっているわけだから、
詳しいことはわからないが、より最後に近い演奏であると思われる。
このブルックナーもつい先日の第5番と同様に
晩年のこれらの記録の中では、特に素晴らしいものといえるのではないか。
冒頭はゆったりとはじまる音楽なので、それほどにはわからないのだが、
しかし第1楽章の途中あたりから、
もうかつて聞いたことのないような遅いテンポになって、
ひたすら永遠を目指しているような信じられない時間の流れだが、
だけど、このテンポ設定、なぜか全く気にならないのである。
という意味では、この曲もまた
チェリの芸術がピッタリと合致する作品なのであり、
もう遅ければ遅いほどに美しさが増していくような
とにかくすごい演奏である。偉大な存在である。
音楽の広がり、深さ、その大きさに包み込まれるような感覚は格別だが、
ただ意味なく膨れ上がっていくような印象はなく、
それはここでも恐ろしいまでのチェリビダッケの集中力と
すべてを自分の領域に導いていく魔術であり、
細部の掘り下げや響きを操るこの特殊な能力は、
やはりチェリビダッケ以外には考えられない。
ふと普段聞いているブルックナーの9番のことを思うと
この彼方への連なりは、ときに底なし沼にはまっているようなものなのだが、
しかし気づくと、そこは神聖であり、荘厳であり、宇宙であり、
西欧人にとってはまさに神の存在なのだと思うが、
そうした宗教感がなくとも、この響きには、
何か偉大なものを感じずにはいられない。
永遠の彼方にある第3楽章後半の明るい光に包まれて、
幸福へと開放されていくこの安らかさ、
これまで聞いてきたあらゆるブルックナーにおいても
最も感動したフィナーレなのではないかと感じさせられる。
チェリビダッケが最後に到達した境地をここに感じることができる。

EMI 5 56699 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月28日 (火)

第1510回N響定期公演

第1510回と第1513回のN響定期公演から聞いている。
第1510回はハインツ・ワルベルクの指揮で、
ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
そしてワーグナーの「タンホイザー」序曲。
第1513回はスタニスラフ・スクロヴァチェフスキで、
ベートーヴェンの交響曲第5番。
スクロヴァチェフスキについては、
これまでにも何度か取り上げているので、
今回は主にワルベルクについて、ということにしよう。

ハインツ・ワルベルクといえば、
N響への登場は非常に多く、お馴染みの存在である。
しかしそのある意味「当たり前感」がよくなくて、
新鮮味に欠ける部分も少なからずあったのだが、
つい私などはあまり注目せずにきて、
しかしこの2004年のワルベルク80歳を記念する来日の後、
残念ながら亡くなってしまい、これが最後の公演となったが、
いまさらながら後悔しても、もう遅いのである。
後悔するほど、このときの演奏は素晴らしい。
巨匠ではあるから、かなりゆったりとした
丸みを帯びた大らかな響きだけど、
しかしその余裕のある音楽の展開の中に
実に遊びがあって、それが時には優雅に美しく、
ここでのN響は何とも輝かしい音をさせている。
N響からこういう響きを引き出せるワルベルクの存在、
そして長年信頼の関係を築き上げてきた巨匠への敬意、
会場の聴衆も最高の親しみを込めて音楽を堪能し、
ここに存在する何もかもが、すべてプラスに作用しているような
そんな素晴らしい演奏会である。
こういう演奏を聞くともっとワルベルクを聞いておくべきだったと残念。
ここでの「タンホイザー」序曲が最後の指揮になったのか?
しかしその壮大なフィナーレは本当に感動的でぐっと来る。

スクロヴァチェフスキの「第5」がまたすごい。
ベートーヴェンはブルックナーと同様に最も人気が高いのだが、
これが驚きの若々しさ!どこからこんなエネルギーが!
スクロヴァチェフスキは現在最高齢の指揮者のひとりだが、
もしかしたらと調べてみたら、やはり!
実はスクロヴァチェフスキとワルベルクは同じ1923年の生まれだった。
今年の秋で83歳を迎えるということである。
この5月にもN響への来日が予定されている。
今回はブルックナーの交響曲第8番があり、楽しみではないか!

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2006年3月27日 (月)

セルジュ・チェリビダッケ 6

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる
ブルックナーの交響曲第5番。
1993年2月の演奏で、最晩年の録音だが、
このブルックナーはそれほど遅くなく、
ゆったりとした大きな流れ、美しい残響に包まれて、
何とも心地よく、チェリビダッケの演奏にしては
かなりの快適な時間の流れが存在しているのである。
ある程度万人向けでもあり、私などは素直に
ずっと感動しっぱなしなのである。
この時期のチェリビダッケの録音の中では、
集中力、演奏の緊張感、共に最高の完成度だと思うが、
非常に適切な音楽進行が守られているような、
この作品がチェリビダッケの芸術に特に合致している
そういうことも聞いていて感じるのである。この説得力に。
第1楽章からチェリビダッケの強い意思が伝わってきて、
まさに呪縛にはまってしまうのだが、考えてみると
そういえばアバドやアルノンクールはもっと速かったなって、
しかしチェリビダッケのここでのテンポこそ
まさに適切であり、合理的でもあり、この自然な流れこそ、
求められているものであるといつの間にか思い込んでしまう。
第2楽章はさすがにゆったりとした運びだが、
ここでも第3楽章のスケルツォが意外に速いテンポであり、
この第5番においては、全体にそれほどには、
チェリ特有の遅いテンポが特長であるとは感じない。
素晴らしい演奏でこそ、終楽章のメタモルフォーゼンが冴えるのだが、
もちろんここでは、チェリビダッケのブルックナーであり、
これには文句は言わせない!最高の感動である。
かなり気合が入った演奏で、長大な作品が
フィナーレに向かって壮大に燃焼されていく姿に圧倒される。
残されているチェリビダッケの録音の中でも
これはかなりいいのではないか!
ヴァントやマタチッチ、ヨッフムなど、いろいろ聞いてきたが、
チェリビダッケのここでのブルックナーは
これぞ最高位に輝く名演であると私は思うのである。

EMI 5 56691 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月25日 (土)

ロンドン交響楽団2005/2006

ロンドン交響楽団の自主制作シリーズで
ベルナルト・ハイティンク指揮のベートーヴェン・チクルス。
2005年11月の演奏会から三重協奏曲と交響曲第7番である。

ハイティンクの「第7」であるが、予想以上の新鮮な感覚に
驚きとは少し違うけど、しかし非常に興味を感じて、
これは今回のベートーヴェン・チクルスは楽しみである。
ハイティンクではあるが、重厚な響きではなくて、
むしろ軽い印象すらあるのだから、
それについては、何か新しい展開である。
ドレスデンでもベートーヴェンの「第7」を取り上げているが、
今回の方がもっとよく動きまわって、響きをすっきりさせて、
リズムや細部の表情、音楽の形とか構造とか
いきいきと描き出して、とにかくそれを
よりクローズアップさせていこうというような
そんな音作りなのである。
ハイティンクももう巨匠の域に達しているが、
しかし現在のハイティンクが、
年齢よりもはるかに若々しく音楽と関わり続けている
それはもちろんよく知っているわけなのだが、
しかしそれにしても、もっと重厚な響きを築いてくるに違いないと
たいていの人はそう予想していたはずである。
ハイティンクがいま、新たにベートーヴェンに取り組んで、
おそらく交響曲全曲がライブ収録されて、
これから順番に聞けることを大いに期待しているが、
すべてがそろったときにどんなベートーヴェン像が創造されるのだろう?
これは面白い!今後の展開に注目である。
「ハイティンクならこうだろう」って知っている人ほど、
この新しさに遭遇して、これからが気になって仕方ないはずである。

三重協奏曲のソリストはロンドン交響楽団の主席奏者ふたりに加え、
ラルス・フォークトが登場していて、豪華である。
もともとの作品の傾向もあるけど、アットホームな印象で、
これはくつろぎつつ楽しめばいいよね?って、どうだろうか?

LSO 0078

「ベルナルト・ハイティンク」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月24日 (金)

第1477回N響定期公演

2002年12月のN響定期公演から
12月18日サントリーホールにおける
シャルル・デュトワ指揮の演奏会。
残っている録音は、スティーブン・ハフの独奏による
モーツァルトのピアノ協奏曲 イ長調 K.488
そしてフランクの交響曲 ニ短調である。

デュトワ&N響の演奏って、いろいろと録音してあるが、
その中でもこの演奏会は特に素晴らしいと思う。
というのは、特にフランクである。
ここでのフランクは最高である!
フランクの交響曲はもちろん名曲であり、
あらゆる交響曲の中でも非常に重要な作品だとは思うが、
私にとっては、何というか、濃いというか、重いというか、
あまり頻繁には聞きたくないし、はっきりいってそれほど聞かない。
しかしここでのデュトワの指揮、
フランクをこういうふうに聞かせてしまうなんて!
デュトワならではのシャープな感覚、
バランスがとれて、不思議なぐらいに透明な響き、
フランクの交響曲がこんなに鮮やかに、
目の覚めるようなというのはまさにこのことだ。
テンポも速く、メリハリも効いて、だるくならない。
さすがデュトワ!やっぱりデュトワの存在は欠かせない。
現在はN響名誉音楽監督となっているが、
来月(4月)はデュトワが来日である。
シベリウスやシマノフスキもあるし楽しみだ。
そして得意のベルリオーズは「ファウストの劫罰」である。

前半のモーツァルトもたいへんによくて、
スティーブン・ハフはもっともっと聞いてみたい注目のピアニストだが、
第1楽章のカデンツァでは、通常のモーツァルト作ではない、
より現代的な響きのカデンツァを弾いている。
これが誰の作だったか?自作のカデンツァだったか?
ちょっと忘れてしまったが、これもたいへん魅力的である。
しかしこのイ長調の協奏曲K.488で
作曲者自身のカデンツァを弾かないというのは、
かなり異例のことでもあり、挑戦であって、
そしてそれを聞くのはまた何とも違和感が漂うのだけど、
でもこういうのは、私は積極的に受け入れたいし、大歓迎だ!
きっと、モーツァルト自身だって、喜んでいるはず。
他の例としては、ブゾーニのカデンツァを弾いた
ホロヴィッツの晩年の演奏が、やはり忘れられない。

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「シャルル・デュトワ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月23日 (木)

ダニエル・バレンボイム

ベルリン・シュターツカペレを指揮して
マーラーの交響曲第7番の最新盤である。
でもバレンボイムは、CDでもいよいよ
シカゴから完全にベルリンに移ってしまったなあと…
マーラーはシカゴで聞きたかった気もするが、
(マーラー「第九」は、シカゴでレコーディングしたとの情報がある)
でもここでのベルリン・シュターツカペレは最高に素晴らしく、
すっかり私ははまった。気に入った!
先日のギーレンといい、昨日のフレイレ&シャイーといい、
最近は本当にはずしがなく、うれしい。
ある程度、これを聞きたい!というのが決まっていて、
どう聞けばいいのかを知っているので、
期待はずれというものは存在しなくなるが、
あとはCDの制作過程で、その演奏を台無しにしなければ、
悪いはずがない、だってバレンボイムである。
最近は録音技術が著しく進歩しているので、
音の印象がよければ、さらにうれしいが、
ここでの響きもシャキっと決まって、私は好きな音である。
というのは、冒頭から伴奏的な背後の響きが、
すごくリアルに聞こえてきて、私の心にググッと迫ってきた。
いいではないか!と。こういうの好きである。
ベルリン・シュターツカペレといえば、
以前のオトマール・スウィトナーの時代の録音が、
日本ではお馴染みで聞くチャンスも多いが、
当時は東ベルリン、東ドイツのオーケストラであり、
響きも西側のオーケストラとはかなり違っていて、
とにかく艶消しで渋く、どっしりと重心が低く、
いやベルリン・シュターツカペレの場合、スウィトナーなので、
まだ暖かみがあって、より柔軟さを特長としていたほうで、
しかしそれから時間がたって、バレンボイムとの時代が築かれ、
かつてのドイツの響きを誇る伝統は今でも大切に受け継がれているし、
そこにバレンボイムならではの、本当にシャキっと聞かせる
何とも巧さがあって、実際厳しくトレーニングしての成果なのだろうけど、
素晴らしく徹底されて、研きぬかれたマーラーである。
と書いているとこの交響曲は「夜の歌」というニックネームでもあり、
夜の世界には、もっと混沌としたもの、
そして特有のグロテスクな要素があってもいいのではないかと
改めて気づいてしまうのだが、もうそんなのはどうでもいい。
バレンボイムである。いまはバレンボイムのマーラーを聞いているのだ。
すべては音楽の説得力である!
説得力が弱いと、この作品はもっとこうしてほしい、
もっとこうあるべきなのではないか、などなど、
リスナーは、他の演奏と比較したがりで、勝手な要求をする。
しかしここでのバレンボイムは、全く隙を見せないので、
聞いているこちらには、そういう選択の余地はない。
バレンボイムは固い意志を貫いて、
もう誰もが認める巨匠ではあるが、
極めて完成された偉大な芸術家になりつつあると、
このマーラーでは、特にそうしたことを感じさせられた。
今年最高のマーラー、そして管弦楽演奏のひとつの極致として、
最も重要なディスクになると思う。
などと言い切ってしまうと、なかなか難しく、急に弱気になるけれど、
私のオーケストラ鑑賞の基準においては、最高位の絶賛を贈る!
(そういえばこれからブーレーズの「復活」が控えていた!)

Warner Classics 2564 62963-2

「ダニエル・バレンボイム」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月22日 (水)

ネルソン・フレイレ

ネルソン・フレイレの最新盤はブラームスである。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでのライブ録音。
ピアノ協奏曲第2番が昨年11月、
そして第1番が何と今年2月の演奏で、
わずか1ヶ月で発売になっているのだから、
DECCAはすごい気合の入れ方だ。
指揮はもちろんリッカルド・シャイー。
気合ならシャイーも負けていなくて、
この張り切った指揮、その姿が目に浮かぶよう。
フレイレのピアノはかなりカラフルなイメージがあるが、
今回は渋い音をさせていて、これはいいぞ!
細やかな動き、明暗の微妙な変化、
デリケートな表情でしっとりと聞かせている。
フレイレのソロにもひかれるし、
オーケストラも何ともいえない感動的な音で
これはいいブラームスだ!
フレイレのピアノは、緻密という感じではないし、
しっかり聞くと造形面では少々アバウトな印象もあって、
しかしこれが芸風でもあり、味があり、音楽に躍動感が生まれて、
フレイレというピアニストはちょっと代わりがいない。
だからこそ、私はフレイレに夢中になった。
というのが第1番の段階で、作品の性格からも、
より引き締まった、緊張感あるブラームスを聞いたのだが、
これが第2番になるとまた一転、こちらは雄大なスケールで、
音楽の振幅はますます大きくなって、
フレイレのフレイレたるところが全快!
何だかこれは最高に感動的である。
第1番はよりモノトーンな響きを追及していたが、
第2番では、ピアノのあらゆる多彩な表現を披露してくれて、
何ともロマンティックな仕上がりだ!
音楽の素晴らしさが、こちらの心に押し寄せてくるがごとく
聞いていて、本当に引き込まれる。
フレイレはやはり第2番の方が向くのかもしれない。
いや、聞き込むとやはり第1番の魅力というものもすごいので、
しかし最初の印象では、第2番の方がさすがに圧倒された。

DECCA 475 7637

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2006年3月21日 (火)

バイエルン放送交響楽団2005/2006

FM放送の「速報」ということで
今シーズンのバイエルン放送交響楽団の演奏会から
昨日の続きとなる今日はマーラーの交響曲第5番。
しかし今日は、残念ながら、電波の具合があまりよくなくて、
真冬の快晴の日にたまにある
音の後ろの方で「ジジジジッ」という、
今日はもう春分の日なのに…
桜が開花しているというのに(例年より7日早く)…
専門的なことはわからないのだが、
天候が影響しているのか?どうなのか?
ノイズはそれほどひどくはないけれど、
この演奏会は特に期待していただけに残念である。
でも考えてみると、ヤンソンスのマーラー「5番」
これはCDが出るかもしれない。きっと出る!
バイエルン放送交響楽団のライブは、
ソニーがCD化しているので、
もしかしたらこのライブがそのままCDになるかもしれないし、
EMIできちんとレコーディングするかもしれないし、
ぜひ期待している。ライブでもスタジオ録音でも、
ヤンソンスのマーラーなら、とにかく聞きたい!
少し前になるが、1999年のベルリン芸術週間で
ヤンソンスはピッツバーグ交響楽団を指揮して、
この第5番を取り上げていて、
その録音は残っているので、久しぶりに聞きたくなってきた。
一方で第6番の方は、ロンドン交響楽団とのライブ盤が出ているのに、
さらにまもなくロイヤル・コンセルトヘボウとの最新のライブが出るようで、
そちらも楽しみにしているのだが、
それならば、やはりぜひとも第5番も聞きたい!のである。

「マリス・ヤンソンス」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月20日 (月)

バイエルン放送交響楽団2005/2006

今週のFM放送は海外の最新ライブを「速報」ということで
今日と明日はつい先日3月10日の
マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団の演奏会。
ブラームスのピアノ協奏曲第2番のソロを務めるのが、
マウリツィオ・ポリーニである。
もうよくご存知だと思うが、この両者の共演は、
私にとっては、まさに夢の共演であり、
今シーズンのプログラムを世界中見渡したって、
こんなにも注目の顔合わせはないのである。
それをわずか10日にして、早速聞けるのだから、
それはそれはNHKに対して心から感謝の気持ちを表したい。

しかし現在のポリーニ、ブラームスの大曲に挑んでいるが、
聞いていて不安が付きまとって、私には辛すぎる。
いや、今日はそれほど真剣に深く聞き込んでいたわけではないので、
滅多なことを書いてはいけないのだが、
近くじっくり聞きなおして、再び私の思いをまとめなおしたいが、
音色の美しさはますます研きがかかっているようだけど、
第1楽章のまさに鮮やかに決まっているところと
急に不安感に襲われるところとで、
そのムラがどうしても気になってしまった。
一方でヤンソンス指揮のオーケストラは圧倒的に素晴らしくて、
この私がついポリーニのピアノよりも
「ヤンソンスのブラームスは最高だ~!」
なんて思ってしまっているのだから、やはり正常なことではない。
しかし第2楽章では、スピードで一気に駆け抜ける
鮮やかな技巧も戻ってきて、これはまさにポリーニ!
この第2楽章以降は、いつものポリーニが復活して、
後はもうピアノに夢中になって、最高だった!
というのを何となく感じたのだが、
また深く聞き込みたいと思っているので、
そうすれば、違う感想も出てくるのかもしれない。

明日はヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団による
演奏会後半のマーラーの交響曲第5番である。
楽しみだ。期待していいと思う。

「マウリツィオ・ポリーニ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月18日 (土)

ミヒャエル・ギーレン

ブラームスの交響曲第2番とハイドンの主題による変奏曲。
ギーレンと南西ドイツ放送交響楽団による
今回のブラームスの交響曲シリーズで
この第2番だけが2005年の録音なのだが、
最新の演奏なので、ますます期待は膨らんでしまう。
冒頭こそ非常に穏やかにはじまるので、
ギーレンにしては温厚路線をとっているのか?
巨匠の風格でさすがに近年はゆったりと音楽を楽しんでいるのか?
などとちょっと思い始めてしまったが、
それは全くの勘違い、全然違って、さすがにミヒャエル・ギーレン、
後半に行くにつれて、感動はどんどん深まり、
終楽章の迫力には圧倒されてしまった。
フィナーレの壮大さ、力強さには興奮する。
最高の演奏である。このブラームスはベストだ!
ギーレンは音の輪郭をはっきりさせて、
メロディーもくっきりと浮かび上がり、
それは多少強調しすぎなぐらいに、このやり方って、
ある程度アルノンクールなどの古楽主義に効果は似ていて、
現代音楽が得意のギーレンとしては、
全く逆の方向性がブラームスにおいて一致点を見るというのは、
非常に面白いのだけれど、まあ、今日のギーレンに
現代音楽のイメージを当てはめるというのも、もはや時代遅れか。
しかしどんな音もおろそかにせずにしっかり響かせるという、
通常のブラームスの演奏に比べて、
ある程度、弱音や音楽の静寂というものが存在しない
そうなるとどうなるか、例えば第1楽章などは、
音がより肯定的に、音楽も前向きにというふうに
非常に健康的な印象も受けるわけだけれど、
第2楽章などは、緻密で細やかな動きが美しく、
本当に素晴らしい演奏なのである。
ギーレンに現代音楽のイメージを見つけるという点では、
1996年録音のハイドンの主題による変奏曲のほうが、
かなり強烈でとことん辛口な音色はいかにもといった感じである。
でもこの演奏も私は好きであり、
できることなら、この10年前の時点での
交響曲第2番も聞かせてほしいのだが、
その録音って残っていないのだろうか?
とにかく最高に素晴らしいブラームスで、
興奮してしまった!
冷静さを欠いたブログで申し訳ないです。

Hanssler CD 93.135

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2006年3月17日 (金)

第1402回N響定期公演

レナード・スラトキンの指揮による
2000年2月のN響定期公演を順番に聞いてきたが、
今回は2月25日 NHKホールにおける演奏会。
ここで残っている録音は、
ウェーバーの「オイリアンテ」序曲と
チャイコフスキーの交響曲第5番である。

スラトキンの指揮でコープランド、ブラームスなどを聞いたが、
ここでのチャイコフスキーが最も素晴らしいと私は思う。
チャイコフスキーも非常にユニークだが、これは名演である。
はっきりとした独自性をもっていて、実によく歌い、
自在に音楽に動きを与えていくところなど、
かなりロマンティックなチャイコフスキーのようにも思うのだが、
しかし濃厚になりすぎることはなく、
それはオーケストラの機能性をよく引き出した演奏だからこそであり、
やはりスラトキンとN響って、なかなか面白い。
それは客演ということもあってそう感じるのかもしれないけど、
このチャイコフスキーは本当に魅力的で私は気に入った。
チャイコフスキーの5番は、この後、デュトワが取り上げているし、
現在はアシュケナージがチャイコフスキーのシリーズをやっていて、
おそらく来シーズンにこの第5番を取り上げると思うが、
デュトワのチャイコフスキーは、明らかにデュトワ色が強く、
そちらもまた独特な仕上がりを見せているが、
アシュケナージもプロジェクトとしての統一感を意識していると思うし、
そういう意味では、このスラトキンの演奏というのは、
本当に思い切りがよく、パワー全開に魅力あふれている。
こういう演奏こそ、ぜひたまに聞きたいと思うのだが。

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2006年3月16日 (木)

ウォルフガング・サヴァリッシュ

サヴァリッシュが引退だそうだ。
非常に残念である。
昨年秋のN響への来日がキャンセルになって、
その際にN響と日本のファンに宛てたメッセージ
「健康を取り戻して、また日本で指揮したい」という言葉に
必ず戻ってきてくれると信じていた私は、
今回のニュースにショックを受けている。
サヴァリッシュというと毎年日本へやってくる指揮者というイメージで
昔はその存在のありがたみがわかっていなかったのだが、
今では違って、来日する巨匠でも、
サヴァリッシュこそが日本の我々にとって
最高の存在であることは間違いないと確信するのである。
サヴァリッシュのベートーヴェン、ブラームス、シューマン、
そしてR.シュトラウス、ドイツ音楽の真髄を教えてもらった。
サヴァリッシュの指揮による最新の演奏をもう聞けないことは残念だが、
その音楽は我々日本人の心の中にいつまでも鳴り響いており、
これからの時間を安らかに少しでも長生きしてほしいと思う。

そういえば、昔のことをふと思い出した。
以前友人と海外旅行で冬のストックホルムを訪ねたときに
空港でフランクフルト行のルフトハンザ航空を待っていたのだが、
エンジン・トラブルで出発が遅れてしまって、
夕方の空港には、ドイツに向かう乗客だけが取り残されていた。
その中にドイツ人のグループがいて、
真ん中に数人に囲まれてサヴァリッシュがいたのである。
いや、わからないのだが、似ていた。
私が顔を見間違えるはずはないと確信しているが、
その中のマネージャーみたいな人が、
私の前を通ったので、その人をつかまえて、
「あそこの方は、指揮者のサヴァリッシュさんではないですか?」
と聞いてみたところ、笑いながら、違うよといわれてしまった。
いや、あれは間違いなくウォルフガング・サヴァリッシュ!
私がサヴァリッシュの顔を見間違えるはずがない。
とはいったものの、外人ばかりがいる海外の空港で、
たまたま背格好も顔も似ている人がいたということかもしれない。
でもあのメガネであの髪型で、あの体格で…。
グループの中心にいて、まわりの人にいろいろ気遣われていたし、
あれはサヴァリッシュだったのだ!と今でも私は信じているのである。
スウェーデン放送交響楽団やロイヤル・ストックホルムフィル、
ストックホルムの歌劇場かもしれない、
いや、もしかしたらストックホルムから新幹線で
エーテボリ交響楽団に行っていたのかもしれないし、
それらのオーケストラをサヴァリッシュが指揮していたかどうか?
詳しいことは知らないけれど、でもストックホルムで
たまたまサヴァリッシュに会ったことがある!
と私は今でも信じているのである。旅の思い出。
結局その後、どうなったのか?
飛行機は何時間も遅れてしまって、
たぶん4時ごろの便が8時過ぎてから飛んだような気がするのだが、
(フランクフルトに着いたのは10時頃だった)
そのドイツ人のグループはあきらめて、早々空港を後にした。
もう一泊ストックホルムでの滞在を延ばしたのだろう。

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2006年3月15日 (水)

第1401回N響定期公演

レナード・スラトキンの指揮による
2000年2月のN響定期公演から
2月16日 サントリーホールにおける演奏会。
ここで残っている録音は、
ヴォーン・ウィリアムズのタリスの主題による幻想曲と
ブラームスの交響曲第1番である。

またブラームスの1番!
本当にこの曲が大好きでよくもまあこんなに聞くなって、
自分のことながら感心する。
ブラームスの4曲の交響曲は、どの曲も好きで、
比べられないぐらいに重要な存在だ。
しかしやはり、おそらく一般的にも
第1番が最もポピュラーであると思うのだけれど、
ベートーヴェンの10番目の交響曲に例えられたり、
ブラームスも異常に長い年月をかけて、
特別に気合を入れて作曲したなど、
やはり第1番の交響曲は音楽史上でも
最も偉大な作品のひとつである。
以前には、第1番は堅くって、
第4番の方がよりロマンティックに感じられたり、
クライバー指揮の第2番などを聞いてしまったら、
とにかくそれは究極的であり、第2番に夢中になって、
しかし長い年月を経て、今になってみると
この第1番の交響曲の格調高さ、奥深さ、
その味わいは、いまは格別に感じられる。
まあ、たまたまなのだが、今年になってからも、
なぜか第1番はすでにいくつも演奏を聞いていて、
他の3曲はそれほどには聞いていないのである。
もちろんこれから聞く機会はあるが。

ブラームスの1番であるといって、
いわゆる重い響き、厚みのある構成、深みのある感動など、
そういうイメージってあると思うのだが、
このスラトキンの演奏は、ちょっとユニークである。
ノリントンとかアルノンクールのような
斬新な解釈というのとは違うけれど、
非常によく流れて、ここはためるか?というところでも
気持ちよく前進して、すると健康的な仕上がりとなるのだが、
スラトキンだとこういうブラームスになるんだって、
いろいろと納得しながら、面白いのである。
ドイツの指揮者たちのような深く掘り下げていくような
そういうブラームスとは違っていて、
もっと自然な音作りで、流れに乗ることを大切にするという。
スラトキンはここ数年で、BBC交響楽団との活動などで
ブラームスの交響曲を他にもいろいろ取り上げているのだろうか?
いわゆる純粋ドイツ型の演奏とは違うやり方で
例えばベルリンフィルなどを指揮して、
最高に決まった演奏を聞かせてくれたら、それはすごいと思うのだけど、
最近はどこで活躍しているのだろうか?

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2006年3月14日 (火)

次回のトラツォムは

私が参加している趣味の集まりで
「トラツォム」の次回の演奏会を
まだ日程は決まっていないが、
これから企画に入るという連絡が入った。
今年に入って、全くピアノを触っていなかったので、
かなりの焦りを感じつつ、最近は少しずつ練習している。
これまで毎回必ずドビュッシーの作品を取り入れてきたのだが、
ちょっと今考えているのは、思い切ってこの辺で、
ドビュッシーは封印しようかなと。
二巻ある前奏曲集や練習曲集など、
ときどき練習しようかなとすでに弾いていて、
以前の演奏会で取り上げていない作品はいくつもあるのだが、
しかしそれをこれから何ヶ月も練習して、気合を入れて、
それだけのエネルギーを注ぎ込む作品というのは、
今のところ、あまり見当たらず、それが現在の心境なのだろう。
といって、常に気に入っている作品で、
すでに取り上げている作品を毎回、
また今回も弾くというのも、いくら練習を省きたいとはいえ、
さすがに自分でも考えてしまう。
同じ作品を繰り返すというのは、
必ず新たな進歩はあるので、大切だとは思うのだけど、
必要なのは自分の中での音楽に対する新鮮な感覚である。
ということで、いまいろいろと考え中である。

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2006年3月13日 (月)

エド・デ・ワールト

エド・デ・ワールト指揮オランダ放送フィルハーモニーの
R.シュトラウス「ツァラトゥストラはこう語った」
「ドン・ファン」そして「ばらの騎士」組曲。
EXTONのSACDで凄まじい迫力による録音、
思わず、これ何だよ?というぐらい、
本当に鮮やかで迫ってくる驚異的音響に
ただただひたすら興奮である。
SACDで聞いているけれど、環境は2チャンネルなので、
基本的には右と左なのに、後ろから音が聞こえてきたり、
反射してくる音を感じたり、というような印象を受けるのだが、
とにかくこの音の広がりはすごい。
実演とレコードは全くの別物だとは思うのだけど、
その隔たりは限りなく縮められて、
あとは音楽の感動がその穴をきちっと埋めてくれるという
このCDからはコンサートの興奮がしっかり伝わってくるのである。
そういう意味ではレコード鑑賞の究極であり、理想であると思う。

エド・デ・ワールトが指揮するオランダ放送フィルハーモニーは、
非常に興味ある存在でもっといろいろ聞いてみたいと思うのだが、
残念ながらなかなかチャンスがなく、これが最後の録音だそうである。
このオーケストラの音に何か特別なものがあるとは感じないが、
しかしこれだけなんでもはっきり聞こえてしまって、
隠し事が一切できないEXTONの録音で、
ものすごい勢いで、スカッとした音が耳に飛び込んできて、
それだけでもこのオーケストラに夢中にさせられる特別なものがある。
特にR.シュトラウスの音楽だし、そこは実力の見せ所で、
明るい音はきらきらと輝いて、見事に決まった!

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2006年3月11日 (土)

落語のCD化

先日から計画していた落語のCD化だが、
結局かなり組み合わせが変わってしまった。
三遊亭圓遊で「置き泥」
春風亭柳好の「禁酒番屋」
そして先日からの林家正蔵による「中村仲蔵」である。

「中村仲蔵」は芝居噺で、忠臣蔵の五段目、定九郎の場面。
林家正蔵の語りは、目の前に舞台が広がって、
その迫力、鮮やかな色彩感、極めて絵画的な噺だが、
本当に素晴らしくて、圧倒されて、私はすっかり気に入っている。
早速出来上がったものを下にもっていって、
両親に聞かせたのだが、すると父は、
「うわ、彦六、嫌いだ!」って、わざと聞かせたのだけど(笑)
ここでの林家正蔵は先代の八代目正蔵であり、
つまり最後に名乗った名跡は初代「林家彦六」、
父はこの「彦六の正蔵」が昔から嫌いなのである。
でも私は、こういった芝居噺など、
八代目正蔵は最高だと思うし、
この「中村仲蔵」という落語が本当に感動的なのである。

三遊亭圓遊は「権助提灯」や「七福神」など、
我が家では大好評の落語家で私も大好きである。
この「置き泥」はついこの前放送されたばかりだが、
12分ほどの短い噺だけど、なかなかいい!
春風亭柳好は、私はあまり知らないのだが、
お馴染みの「禁酒番屋」は、かなりいいと思う。
父はそれでも、小さんの方がいいと言っているが。

志ん生さんの「文七元結」がまだ控えているが、
今月末の深夜「演芸特選」で古今亭志ん生の放送があるそうなので、
噺の演目はわからないが、それを聞いてからということにした。
楽しみである。やはり志ん生さんが最高なので。

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2006年3月10日 (金)

第1400回N響定期公演

レナード・スラトキンの指揮による
2000年2月のN響定期公演から
2月10日のアメリカ・プログラム。
バーバーのヴァイオリン協奏曲と
コープランドの交響曲第3番である。
私が普段ほとんど聞かない選曲であり、
珍しさと新鮮な気持ちで楽しんでいる。
しかし正直なところ、知らない曲を聞くという
新しい音楽への興味という点では、
非常に面白さがあるのだが、
一方でどうも私などは、聞いていて疲れる
などと少し思ってみたりもして、どうも馴染めない。
誤解のないように、基本的に美しく楽しい音楽である。
バーバーの協奏曲は比較的有名だが、
コープランドの交響曲はこの演奏以外に聞いたことがなく、
有名なところではバーンスタインが指揮しているということは、
もちろん知っているけれど。
コープランドなどのアメリカ音楽ファンの方には失礼するが、
私はこれらの作品は本当に珍しい存在なのである。
しかしコープランドの第4楽章では、
有名な「市民のためのファンファーレ」が登場するので、
その辺などは、おっ、知ってるぞ!という感じである。

レナード・スラトキンのN響登場は、
私はすごくいいと思っていて、どういう感じに仕上がるか?とか
すごく興味あって、期待するのだけれど、
残念ながら、その後は一度もN響に客演していない。
この第1400回に続いて、第1401回、第1402回もあるので、
久しぶりに聞きなおしてみたいと思っている。

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2006年3月 9日 (木)

スクロヴァチェフスキの第九

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
ザールブリュッケン放送交響楽団による
ベートーヴェンの交響曲全曲録音、
その第2弾で早くも第九が登場!
なかなか激しい演奏、きびきびとした響きに正直ちょっと驚き。
80歳を超えた巨匠が、何と元気な演奏をすることか。
勢いがあって、よく鳴り、いろいろよく聞こえてくる。
ザールブリュッケン放送交響楽団はわりと明るい音で
響きも軽く、よく動きまわって、迫力の演奏ではなくて、
切れ味よくって、テキパキと竹を割ったようなベートーヴェン。
前回のときも気になったことではあるのだが、
オーケストラの音がちょっとシャリシャリした感じで、
もっと内面から深みのある音がして、
音量ではない、音楽的な迫力が備わってくると
もっと感動的だとは思うのだけれど。
それは好みの問題でもあるので、この辺でよそう。
音色の点でも、あまりこのオーケストラの色を発見できなくて、
ベートーヴェンが鳴っているが、
何か空虚な感じがしてちょっと不満。
その一方でスクロヴァチェフスキのベートーヴェン像というものが
かえって明確に浮かび上がってくるのだが、
私にはそれが非常に興味深く、やはり聞かないとはじまらない。
N響の年末の第九で、何年か前にスクロヴァチェフスキが登場して、
それがファンの間では、かなりの名演として有名だが、
私は残念ながら、その録音を持っていなくて、今となってみると、
当時あまり「ミスターS」を知らなかったことが悔やまれる。
しかし今回のこの第九、結構パンチが効くので、
最近にしては、わりとユニークな存在でもあり、
私は楽しませてもらった。続編も聞く!

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2006年3月 8日 (水)

夜の不審者 大騒動

夜の10時半頃、自分の部屋に行く前に、
洗面所の明かりを煌々とつけて、歯を磨いていたのだが、
何かが自分の目の前を通り過ぎたような?
もちろん窓の外である。
でも人が通るのを見たわけではなく、
静かな足音、気配がしたような?猫かな?
水道の元栓の鉄のふたを踏む「カチャン」という音、
意外にしっかりとした重みのある音で、これは人間?
気のせいか?だって、こんな時間に
うちの庭を歩いている人がいるはずない。
少しはなれて、こたつに入っている両親のところに
「今、庭で何か音した?」と聞いてみると、知らないという。
そのまま、歯磨きの続きをしていると、
何かまた外で音がするので、今度は勇気を出して、
玄関のところの窓をガラっと開けてみると
懐中電灯の光の先に人がいるではないか!
でもそれは、お隣さんだった。
こちらはかなり驚愕の顔をしていたと思うけど、
「どうかしましたか?」と聞いてみると
人影が我が家の庭に入り込んだのだという。
慌てて、私も外に出て行ったのだが、
後で聞いた詳しい話も総合すると、
お隣の家で、たまたまその日来ていた息子さんが、
タバコを吸おうかなということで、外に出ようと雨戸を開けると、
突然人影が横切って、そのまま庭伝いに
我が家の方へと逃げていったというのである。
どうもそれで私の家のまわりを一周して、
そのまま階段を下りて、門から逃げていったらしい。
とりあえず庭のまわりを懐中電灯で照らしたが、
何もないし、仕方ないので、両家とも引き上げたのだが、
極めて気持ちの悪いことで、一体なんなのか?
わけがわからない、しかしどうしようもない…

時間がたって、夜中の0時20分頃。
私は部屋にいたのだが、外で再び声がしていて、
成り行きも知りたかったので、出て行ってみた。
今度、懐中電灯の先に映ったものは、
青い制服!「警察ですか?」と聞いてみると
「夜分申し訳ありませんが、お庭に失礼します」と
私も聞いた音、感じたことを現場で説明して、
それでも結局はどうしようもないわけで、
しかし道路にはパトカーが止まっていて、
3人ぐらいの警官が来て、
それに最寄りの交番からもお巡りさんが、
何か重大事件に遭遇しているような、
私には驚くべき不思議な時間であった。

我が家では、その人影というものは、実際には見ていないので、
恥ずかしい話、それほどには考えていなかったのだが、
しかしその不審者を実際に目撃してしまったお隣にとっては、
それはそれは恐怖の出来事であり、とても寝られないし、
気持ちが抑えられなかったに違いない。
雨戸を締め切っている真っ暗な夜に侵入するなんて
簡単な空き巣とか、そういうのではないと思うし、
すると、覗きとか変質者か?でも、けっこう遅い時間で、
まさかとは思うけど、殺人、暗殺者、
まあ、そういうのは関係ないと思うのだけど…、
しかし人がいたのは間違いないので、
やはりこれは警察に通報すべき事件だったのか?
ちょっと我が家は、あまりにも楽観的に無神経すぎるのか?
後になって反省している。

まちを歩いていると「不審者を見たら、すぐに110番」
「最近、空き巣被害がありました。注意してください。」など、
ポスターや看板やそういう注意警告をよく見かける。
きっと思っている以上に、はるかにこういった事件は多く、
実はごく身のまわりに迫っている恐怖なのに違いないと
今さらながら改めて実感する。
ぜひみなさんも、日々、身のまわりには注意して、
慎重に安全を確認しつつ生活なさってください。
本当に恐ろしい世の中です。

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2006年3月 7日 (火)

構造設計の偽造事件 11

久しぶりにこの話題である。
あれだけ世間を騒がせた「構造強度偽装問題」も
最近はニュースにもならなくなってしまって、
この辺で終わりなのかとそんな印象もあったのだが、
とはいえ、ここでの構造偽装に関するシリーズは、
一度まとめをしてから、最終回にしようと思っていて、
もう3月だし、そろそろというところで、そうしたら、
今回は札幌の設計事務所が偽装だそうである。
それも二級建築士だそうで、だとすれば、
建築基準法違反に建築士法違反も重なるのか?
この問題、やはりなかなか終われない。

どういう建築士がどんな建物を設計できるのか?
というのは、建築士法の第3条に書いてあったか、
用途と規模(床面積や高さ)そしてその建築物の構造によって決まり、
それによると木造アパートのようなものならば、
二級建築士でも設計できるかもしれないが、
鉄筋コンクリート造の場合、延べ床面積が300㎡超で
一級建築士でなければ設計できず、マンションの場合には、
多くの場合には二級建築士では設計できないであろう。

しかしならば、何で今回のようなことが起きるのか?
ということをご説明すると、みなさん、すでにご存知の通り、
構造設計は専門の構造事務所が担当するのであり、
確認申請や工事請負契約における監理者としては、
元受の(意匠)設計事務所の一級建築士の名前を記載するので、
下請けの設計事務所の名前や建築士氏名は、
表に出ないことが多いのである。
その辺で資格のない建築士が設計していた
などという事態が起きてしまうのである。
この件に関しては、まさにそのことに違法性が認められるケースであり、
しかし実務上の話では、すごく有名な(誰でも知っている)建築家が、
実は建築士の資格を持っていなくて、
申請上は他の建築士の名前で出しているという場合もあるし、
大手ともなれば、代表者の名前(例えば設計部長など)で申請して、
実際の担当者(建築士)の名前はどこにも登場しない、
そういうのはごく当たり前のことなので、
取り締まるべきというのとも少し違って、ちょっと難しい。
しかし責任の所在を明らかにしているのは事実だと思うのだが。

私はもちろん正真正銘の一級建築士である。
偽装をしていない一級建築士である。
ついでにもう少し書けば、元請けの意匠設計事務所であり、
構造は有名な構造家の先生にお願いしているので、
偽装のような愚かな問題とは完全に無縁なので、
その辺はどうかご安心いただきたい。

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2006年3月 6日 (月)

ウィーンフィル2004/2005

ウィーンフィルの2004/2005シーズンから第4回定期演奏会で
サイモン・ラトルの指揮によるマーラーの交響曲第4番である。
2005年1月16日 ウィーン楽友協会でのライブ録音。
ラトルならではの折衷主義によるマーラーで
駆け出したり、立ち止まったり、
テンポは変幻自在に躍動しているし、
そこにはいろんな要素が存在して、
そのひとつひとつが微笑みかけてくるのは、
とにかくすごいのである。
初めてラトルのこの第4番を聞いたのは、
ベルリンフィルとのライブが教育テレビで放映されたときだったような?
そしてバーミンガム市交響楽団のCDを買ってきて、
それから今回、極めつけはウィーンフィルなので、
さすがにラトルの解釈にももう慣れたが、
しかし最初のときはかなりビックリだったと思う。
ある意味、やりたい放題的なこの自由で柔軟な発想、
歌うところのうっとりする、ひたすら思いっきり歌いこんでしまうという、
そしてスパイスになっているような鋭く切り込むところでは、
大見得を切って、それが見事に決まって、どうだ!という感じだし、
とにかくラトルという指揮者はすごいと思う。
その天才ぶりが、最もはっきりとする作品なのかもしれない。
そして一方では、第3楽章から後半への
ゆっくりのテンポの中、最高の美しさを引き出して、
じっくりと歌いこんでいくところは、
まさにこれこそが「天国の生活」であり、感動する。

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「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年3月 5日 (日)

内田光子のベートーヴェン 2

昨日に続いて早速もう一度。
内田光子の最新録音で
ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタ。
内田光子なので、細部へのこだわりや
徹底したコントロールはさすがにすごくて、
しかし全体像としては、あまり堅くならずに自由な印象もあるし、
緻密な構成の一方でそうした柔軟さは、
やはり後期のピアノソナタの特徴をよく捉えているということか。
基本的には非常にシンプルな音であり、表現であり、
この透明感に包まれていると
もっと深みやじっくりと聞かせられる音楽など、
これまでの作品のイメージにも照らし合わせて、
少しそうしたものを求めたくなったりもするが、

しかしこの透明感、本当に必要なものだけを表現して、
その結果がこれなのであり、その辺はやはり
ベートーヴェンの後期のピアノソナタなのである。
内田光子のこの研ぎ澄まされた感覚は、
洗練というよりはあくまでも浄化であり、
これこそが作品本来の姿なのかもしれない。
音楽に対して、これ以上なく丁寧に接しているのを感じるし、
常に謙虚な姿勢、それは作曲家への敬意であり、
聞いているこちらもこの演奏、この音楽を通して、
極めて清らかな気持ちになるのである。

すごい名演にふれて、圧倒されて、
もうその作品はしばらくいいと感じるときもあるのだが、
この内田光子の感動的なベートーヴェンは、
そういうのとは少し違っていて、むしろ、
ずっとこの清らかで透明な響きの中に浸っていたいと
何かそう感じさせる、これは親しみとも違う、
安らぎや救いの響きが存在しているのである。

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2006年3月 4日 (土)

内田光子のベートーヴェン

ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタである。
買ってきてから、少し時間がたってしまったのだが、
やっとじっくり聞こうと、今日は聞きはじめたのだが、
最初は「内田光子だとこういう感じになるんだ」と
まずは素直にそう感じたのである。
とりあえず、一回通して聞いているけれど、
これはこれからじっくり聞き込みたいと思う。
また改めて、もっともっと真剣に聞いてみたい。
重く響くベートーヴェンのピアノソナタが、
内田光子だとなんとも軽やかに流れているし、
凝縮されて集中力に満ちた後期のソナタが、
内田光子だと、それを超越して解放されているような、
何だか驚くほどに安らぎに満ちて、
ついこちらが気合を入れすぎてしまうと
肩透かしを食らうような、そんな印象もなくはない。
いや、しかしこれを聞き込むと
無限に深い世界が広がっているのかもしれないし、
しかし内田光子の世界をもう一度よく思い、
それから聴きなおす必要があることはたしかである。
でも今までにはないタイプの演奏が生み出されているのは事実。
しかしそれを簡単に「新鮮な演奏だ」などとは決していいたくはない、
その辺がさすがに内田光子の深く作品に踏み込んでいくところ。
とにかくさらに聞いてから、また改めて。

PHILIPS 475 6935

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2006年3月 3日 (金)

落語のCD化

先日も書いた「中村仲蔵」と「文七元結」を
パソコンに音を取り込んだのだが、
これらの前にもって来ようかと思っていた
短めの噺で「そば清」(三遊亭小圓朝)が、
比べるとすごく音が悪いのである。
噺を聞くというのでは、問題はないのだが、
しかしちょっと印象が違って、何か変で、
今回はいったんストップ。
データをそのままパソコンに残しておいて、
「そば清」の代わりをこれから見つけるか、
根本的に組み合わせを変えてしまうか、
ちょっと考え中。この組み合わせは、
噺の種類で並びを考えるか?
落語家の声の質で調和をとるか?
この全体の調和、それを考えるのが醍醐味である。

しかし志ん生さんの「文七元結」を聞いて、
本当に感動的で、その語り口の見事さ、独特の世界、
人情話で内容もすごくいいのだが、
聞き終えて思わず拝みたくなるような、
やっぱり志ん生さんが最高だと私は思っている。

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2006年3月 2日 (木)

フランス国立放送フィル

フランス国立放送フィルハーモニーの近年のライブから
いくつかの録音を集めてみた。
指揮はチョン・ミュンフンである。

最初に2001年2月10日 サル・プレイエルにおける
クセナキスの「メタスタシス」。
かなり騒音系の音楽だが、
クセナキスならではの爆発があって
エネルギーの解放が魅力的で、私は好きだ。
結構「騒音公害」のような音楽って、実は好きで、
デカイ音(不協和音)が一気に押しつぶされそうな勢いで来ると
それがまた快感だったりもする。

続いて2002年11月15日 パリのシャトレ座で
ドビュッシーの「海」。なかなかいきいきしていて、
思った以上に気に入った。
チョン・ミュンフンは細部もしっかり描きこんで、
いつもながらの情熱を注ぎ込んでいるような
そんな姿が浮かんでくるが、
しかし全体像はよくまとまっている印象。
実はこの後に演奏されたのが、
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」だったのだが、
それも録音してあるような気がしていたのだけれど、
残念、「海」しかなかった。

そして2003年11月21日 シテ・ド・ラ・ミュジークでの
ドビュッシーの「叙情的散文」(独唱はスーザン・グレイアム)と
デュティユーの「メタボル(1964)」。
こちらの録音の方が、これも印象だが、
「海」のときよりもますます柔軟に繊細な表情を描き出しているようで、
チョン・ミュンフンはいいではないか!と唸ってしまう。
「メタボル」は以前に「幻想交響曲」のCDに収録されていたが、
メシアンとかデュティユーとかフランス現代の作品は、
ミュンフンはさすがに説得力があって、圧倒される。
実は「メタボル」の前にドビュッシーの「夜想曲」が演奏されていたのだが、
もちろん録音してあったのだが、この録音は事故であり、
「夜想曲」の第2曲「雲」の冒頭、弦楽器の激しい動きで
急に大きくなった音に慌てて、ラジオ・フランスのエンジニアは、
ヴォリュームを一気に下げてしまったのである。
もちろん音楽にかぶっており、そこは変なことになっている。
残念ながら事故であり、あまり印象がよくないので、やめた。
ということで、クセナキスと「海」が前半に登場したわけである。
しかしこの4曲のバランスはたいへんにいいので、
私としては結果的に気に入っている。

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2006年3月 1日 (水)

落語のCD化

落語のCD化をただいま準備中だが、
先日のラジオ深夜便「演芸特選」でタイマー録音しておいた
林家正蔵の「中村仲蔵」である。
先代の林家正蔵である。八代目。
「笑点」的にいうと喜久蔵さんや好楽さんの師匠にあたり、
「彦六の正蔵」ともいわれているそうで、
それは林家正蔵の後、初代「林家彦六」を名乗ったからである。
「林家正蔵」は、本来は林家三平が襲名するはずであったが、
一代限りという約束で「正蔵」の名前を襲名し、
自らの死後に三平に返上しようと考えていたところ、
林家三平が先に急逝してしまったために、
「正蔵」の名跡を三平の遺族に返還して、
その後、初代「林家彦六」を名乗ったのである。
ということだそうだ。それは知識であり勉強だが、
この「中村仲蔵」は芝居の噺で、
林家正蔵はあまりにも見事で感動した。
この落語も笑うところはほとんどなく、
ただひたすら引き込まれて、聞き入ってしまう。
やはり同じく聞き入ってしまった古今亭志ん生の「文七元結」と
組み合わせてまとめようかと考えている。

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