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2006年4月30日 (日)

私が聞いた今年の名盤2006

今月はエッシェンバッハのチャイコフスキー「四季」を追加しました。
フィラデルフィア管弦楽団との交響曲第5番のCDですが、
エッシェンバッハの久々のピアノ独奏を聞く喜びに
あえて「四季」を選びます。

《交響曲》
◎マーラー 交響曲 第7番~バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
○ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番、第12番
  ~マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

《管弦楽》
○R.シュトラウス 英雄の生涯~ラトル指揮ベルリンフィル

《協奏曲》
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第1番
  ~クリスティアン・ツィメルマン、ラトル指揮ベルリンフィル
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第2番
  ~ネルソン・フレイレ、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


《室内楽》

今のところなし

《器楽曲》
◎ベートーヴェン ピアノソナタ op.109-111~内田光子
◎チャイコフスキー 「四季(1月~6月)」~クリストフ・エッシェンバッハ


《歌劇》
今のところなし

《声楽曲》
今のところなし

《ライブ盤》
◎ベートーヴェン 交響曲 第7番~クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
◎ブラームス 交響曲 第2番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

○ブラームス 交響曲 第1番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

は特に大切に感じられる名盤です)

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2006年4月29日 (土)

落語のCD化

月末なので、ちょっと落語を。
少し前に録音しておいた
八代目の春風亭柳枝で「山号寺号」
十代目の金原亭馬生による「花筏」
そして五代目の柳家小さんで「花見の仇討」。

「山号寺号」とは、言葉遊びのような噺で
お寺は「○○山○○寺」というけれど、
「○○さん○○じ」というのはたくさん見つかるという。
「おかみさん、拭き掃除」、「看護婦さん、赤十字」、
「時計屋さん、いま何時?」、「果物屋さん、オレンジ」とか。
若旦那と太鼓持ちの一八のやり取りである。

「花筏」は相撲の噺で、これがいい。爽やかに風流である。
十代目の金原亭馬生とは、古今亭志ん生の長男、古今亭志ん朝の兄である。
名人志ん生の芸風は、次男の志ん朝に受け継がれていたとよくいわれ、
志ん生が亡くなる寸前に、「志ん生」の名跡は志ん朝に継がせるといったと
有名な話のようだが、しかし金原亭馬生の落語、たいへんに素晴らしい。
上品な語り口で、言葉もきれいだし、ふと志ん生を思いだすときもある。
ぜひ金原亭馬生の落語を他にも聞いてみたいものである。

そしてさらに季節にふさわしい「花見の仇討」、春の落語である。
しかし花見といっても、花見の趣向で仇討ち芝居の一騒ぎをするという
長屋のドタバタ騒動で、明るく楽しい噺である。
こういう落語は、小さんが最高で、長屋ものは小さんに限る!
「花見の仇討」は落語の定番だろうか?素直に面白い。
江戸の粋で風流な文化を感じて、やはり何とも清々しく、
季節感、人々の情緒ある心、これが落語の素晴らしさだ。

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2006年4月28日 (金)

アルフレッド・ブレンデル 2

先日、ふと急にブレンデルが聞きたくなって、
ブラームスのピアノ協奏曲のCDを出したのだが、
今日はその続きというか、シューマンのピアノ協奏曲である。
1980年代のブレンデルは、リストの「巡礼の年」を録音したり、
シューベルト・チクルス、変奏曲ばかりを集めたプログラム、
そして90年代に入って、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏と
ロマン派の作品や特にベートーヴェンのソナタで
ブレンデルならではの濃密な演奏を聞かせていたのだが、
それがここでのシューマンのピアノ協奏曲を聞いたときに、
あれ?何かが違うと、とにかく驚かされたのである。
ここでのシューマン(協奏曲)の録音が1997年9月であり、
後半に収められている幻想曲が同じく11月の録音。
その後のブレンデルは、モーツァルトのピアノ協奏曲やピアノソナタで
実に力が抜けて、軽やかさや自然な流れが魅力の演奏を聞かせているが、
私が思うところ、ここでのシューマンのあたりで
ブレンデルは少しずつ変わりはじめたのではないかと。

この1997年録音のシューマンのピアノ協奏曲では、
巨匠クルト・ザンデルリンクと共演しているのが興味深いのだが、
ザンデルリンクの大きな広がりの感じられる音楽に支えられて、
ブレンデルもまたゆったりと響きをくっきり聞かせて、
シューマンのロマンティックな表現を
実に丁寧に処理しているのが印象的であった。
明瞭に一音一音がよく聞こえてくるというのが、
聞き手に新鮮な感覚を与えたりもするのだが、
しかし一方でこれはまさに巨匠風の音楽作りでもあり、
緊張感と迫力で一気に突き進むようなシューマンに比べ、
ブレンデルは穏やかに急がぬ足取りを楽しんでいるような、
最初に聞いたときには、正直な感想として、
その変貌には驚きを隠せなかったのである。
ある程度モノクロ的な傾向も感じられるし、
この渋さは、枯れた中にある味わいというか。

でもここでのシューマンもまた、今聞くと少し感想は違っており、
表現に関する、基本的なところでは、その通りなのだが、
情熱的なシューマンではないけれど、
しかしその表情は実に豊かであり、ブレンデルの長年の芸風で
何とも香りたつようなロマンティックに心のこもった演奏なのである。
激しさや力強さ、音楽の緊張感や迫力は、以前に比べ弱まっているかもしれない。
ある程度、淡白な一面や感情を抑制して音楽に向き合っている部分もあるのだが、
しかしだからといって、シューマンのロマンティックな音楽が失われることはない。
近年のブレンデルは、本当に素晴らしい。
作為的な表現はますます聞こえなくなり、
無理のない、ある意味淡々と弾き進めているのだが、
そこからにじみ出てくる、音楽の深い味わい、それに感動するのである。
レパートリーに関しては、古典派を中心にシューベルト、シューマンと
最近は特に作品を限定して取り組んでいるようだが、
しかしブレンデルほど、じっくり聞かされてしまうピアニストもいなくて、
この巨匠の芸をこれからも聞き続けていきたいものである。
考えてみると長く来日していないが、またブレンデルを聞きに行きたい。

PHILIPS 462 321-2

「アルフレッド・ブレンデル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月27日 (木)

ワレリー・ゲルギエフ

詳しくはじっくり聞いてからいろいろ書きたいと思っているが、
フィンランドのミッケリ音楽祭2003における
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団の演奏会を
今日は少しだけ聞いて、そこで思ったことである。
プログラムの全曲が放送されたのか、それについては不明だが、
私が持っている録音は、シベリウスの幻想曲「ポヒョラの娘」、
そしてリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」、
アンコールとして演奏された同じくリムスキー・コルサコフの
歌劇「雪娘」から「かるわざ師の踊り」の3曲である。
このミッケリ音楽祭やストックホルムのバルト海フェスティバルなど、
ゲルギエフとマリインスキー劇場は、北欧の国々と関係が深く、
フィンランドを訪れてということでシベリウスを演奏し、
メインはもちろん得意のロシアもの、リムスキー・コルサコフだが、
バルト海フェスティバル2004のファイナル・コンサートでも
同じような取り組みをしていて、興味深い録音が残っている。
バルト海フェスティバルは、エサ・ペッカ・サロネンが芸術監督だが、
フィンランド出身のサロネンとゲルギエフの友情の証ともいうべき
前半ではサロネン指揮スウェーデン放送交響楽団が
ロシアのストラヴィンスキー(バレエ音楽「火の鳥」全曲)を演奏し、
そして後半にはゲルギエフとマリインスキー劇場が登場して、
そのお返しにシベリウスの交響曲第1番を演奏したのである。
レコードにおいては、ゲルギエフのシベリウスは存在しないし、
北欧作品で考えても、ティボーデとのグリーグのピアノ協奏曲は記憶にあるが、
おそらくはそれほどにはないと思うのだけれど、コンサートにおいては、
ゲルギエフは意外にシベリウスを取り上げているのかもしれない。
でもここで少し思うことなのだが、私はシベリウスが大好きなので、
交響曲でも交響詩でも、ゲルギエフが取り上げるならば、
ぜひとも聞きたいと思うのだけれど、しかしゲルギエフはやっぱり、
シベリウスというよりはリムスキー・コルサコフなのかもしれない。
「シェエラザード」はCDでも聞くことができるので、
その素晴らしさは広く知られているが、やはり最高なのである。
詳しいことは、また改めてじっくり聞いてから。

「ワレリー・ゲルギエフ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月26日 (水)

第1425回N響定期公演

ここのところ2000年から2001年ぐらいの
N響の定期公演を熱心に聞いてきたのだが、
レナード・スラトキン、エフゲニ・スヴェトラーノフ、
エマニュエル・クリヴィヌ、そしてシャルル・デュトワ、
なるべくいろいろな指揮者を聞きたいと思っていて、
今日は2001年1月の定期公演から準・メルクルである。
2001年1月17日 サントリーホールからの生中継で
バルトークのルーマニア民族舞曲と
メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。
準・メルクルは、この2001年1月の3回の定期公演が、
1998年のN響デビュー以来の最初の登場であったと思うのだが、
その後は毎シーズンのように来日しており、
N響との関係はより深まって、現在では常連である。
当時はやはりデュトワの録音が多く残っているのだが、
他にもイヴァン・フィッシャー、エリアフ・インバル、
デーヴィット・ロバートソン、アシュケナージのN響デビューなど、
様々な指揮者によるN響の録音が残っており、
少しずつ聞いていきたいと思っている。

準・メルクルは、音楽に独特な大きさや広がりがあって、
ここでのメンデルスゾーンも最初に聞いた感じでは、
ゆったりとした足取りでしっかり歌いこんでいくような
そういう印象がまずすぐに思いついたのだが、
聞けば聞くほどに、非常に集中度の高い、
はっきりとした中心の存在している演奏で、
ロマンティックな色合いを追求した凡庸な演奏とは全く違う、
これは素晴らしいメンデルスゾーンなのである。
ロマンティックな演奏と比較したくなるというのも、
準・メルクルの歌わせ方は、
N響からたいへんに美しい音色を引き出しており、
まずそこにひきつけられるのだけれど、
決して表面的な音楽で終わらずに、
聞けば聞くほどにどんどん深みが増してくるような
そうしたところに準・メルクルの本格的なものが感じられるのである。
メンデルスゾーンのこの「スコットランド」という交響曲は、
表面的でただきれいなだけの演奏だと
その単調さにものすごく退屈するときがあるのだが、
ここでの準・メルクルは実に中身のある演奏で、
とにかく充実した時間に最高の満足感をおぼえた。

現在のN響はアシュケナージと時代を築いているが、
数年後のその先には、準・メルクルが中心にいるのではないかと
私は以前から期待しているのだが、
準・メルクルは、2007/2008のシーズンから
ファビオ・ルイージの後任として、ライプツィヒMDR交響楽団の
主席指揮者に就任することが決まっている。
ぜひ今後もN響の指揮者陣の中心的位置にいて欲しいと思うのだが。

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2006年4月25日 (火)

セルジュ・チェリビダッケ 10

今日はチェリビダッケのブルックナー。
DGからのシュトゥットガルト放送交響楽団とのシリーズで
交響曲第5番(1981年11月26日)である。
ここでの一連の録音の中では最も新しく、
音も比較的聞きやいのではないだろうか。

第1楽章はより普通のテンポ設定で、なかなか鋭く、力強い。
となると、晩年のあの異常に美しい響きが思い出されて、
するとチェリのチェリたるところが薄れているようにも感じられてしまうが、
第2楽章ではぐっとテンポを落として、美の追求がはじまり、
緊張感はこちらの方が圧倒的なので、ますます感動的なのである。
この第2楽章における深く細部へと意識を集中させていく密度と凝縮、
果てしなく続く永遠性は本当に素晴らしい。
そして第3楽章がまた、力強い迫力と緊迫感で、
もしかしたら、チェリの魔術はこの辺に秘密があるのかもしれないが、
第2楽章ではまるというか、連れて行かれるというか、
そこですっかり魔法にかけられて、後半はただひたすら最高なのである。
第4楽章のメタモルフォーゼンも圧巻。
ミュンヘンフィルとの晩年の演奏も感動的なので、
これは比べられない素晴らしさだが、
造形における徹底ぶりについては、やはりこちらの方が、
チェリビダッケのより厳しい姿勢によって上だろう。
でも毎度のことながら、この5番の終楽章とは
なんという至福の音楽なのだろうか。
ブルックナー・ファンの間では、5番が特に人気が高いといわれるが、
この終楽章の極致への達成感は、やはり格別なものである。

ブルックナーの余白に収録されている
モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」(1976年6月20日収録)も
軽やかに一段と上を行く流動感が見事で、
チェリビダッケの上品な感性の結晶である。

DG 00289 477 5136

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月23日 (日)

第1414回N響定期公演

エフゲニ・スヴェトラーノフの指揮による
2000年10月6日 NHKホールにおける
第1414回N響定期公演。
この日はチャイコフスキーのバレエ音楽によるプログラムで、
「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠りの森の美女」から演奏されたが、
私が持っている録音は、「白鳥の湖」と「眠りの森の美女」である。
この日のコンサートはたいへん好評だったようで、
CD化もされていたりする。
私のものは、当日のFM生中継で録音したもの。

スヴェトラーノフはすでに亡くなってしまったが、
N響ファンの間では、かなりの人気があったようで、
実際ここでの演奏を聞いても、まさに巨匠の芸風で
独特の味わいを生み出している。
暖かみのある響き、弱音における優しい音色、
ゆったりと音楽を運んで、こうした作品には特に魅力的。
N響からこういう演奏、こういう音楽を引き出すというのも
改めて考えてみれば、やはり特別な存在だったのかもしれない。
その辺を大切にして、ファンが多かったに違いない。

CDR221

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2006年4月22日 (土)

1973.4.22 と 2006.4.22 のこと

20060422

今日4月22日は私の誕生日である。
33歳になってしました。早い…。早すぎる…。
あんまりうれしくないよね。
誰が祝ってくれるというわけでもないし。
でも夜は、我が家は両親と私の3人ですが、
少し前に友人が送ってくれた
山梨の赤ワインを開けさせてもらいました。
おいしかったです。ありがとう!

1973年4月22日の話。33年前の今日である。
シュトゥットガルトの歌劇場に登場していたのがカルロス・クライバー。
指揮したのが楽劇「トリスタンとイゾルデ」である。
この録音を見つけたとき、何だか無性にうれしくなってしまって、
喜んで早速にCDを買ってきた。
私が生まれた日の夜、クライバーは、
「トリスタンとイゾルデ」を指揮していた。興奮します。
って、興味ない人にとっては、「はぁ~」って感じだと思いますが。
私のこのワーグナー狂は、ここに原因があるのか?ないない。
それでその録音ですが、これがまた、とんでもなくひどい音。
ノイズ、もちろんモノラルだけど、こもった音、…、
クライバーのこの手のライブ音源には慣れているつもりで、
最悪でもないかも…、でもかなり厳しい音質、ひどい、
ということで、決してお薦めはできません。
クライバーの指揮や演奏という点では、
もちろん果てしなく感動的な「トリスタンとイゾルデ」です。
やはりクライバー、そこは素晴らしい。
でも普通の人にとっては、持っていなくても全く困らない。
私にとっては、1973年4月22日ということで、
宝物のように大切にしているのである。
何だか、変な話。

それで今日2006年4月22日の話。
父の友人の息子さんが新築マンションを買われたそうで、
引渡し前の施主立会いの検査に一緒に行ってくれと頼まれていた。
この時期なので、構造の安全証明みたいな書類は、
わざわざ改めて提示されていたようだし、
施工も有名大手ゼネコンで、耐震偽装はないと思うけど。

工事はすでに完了しているので、
そこで詳しく見ても、結局は表面上の問題になってしまって、
細かい傷や汚れを指摘しだすときりがないし、
一方でそういうものは、住み始めると自然につくものなので、
あまり神経質になっても、どうかと思うのである。
今は引き渡し前なので、傷があったら、
施工者(建設会社)の責任だ!といえばいいのだが、
しかし住んでいて、自分でつけてしまった傷は、
自分自身を責めなくてはならなくなってしまう。
傷を見るたびに自分や家族を責めているようでは辛いじゃないか。
ある程度、寛容な気持ちになって、
仕方ないと思えるようでなくてはならないと思う。

照明の取り付けが、ちょうどクロスの継ぎ目にあたっていて、
クロスが少しだけ浮き上がっていたのだが、
掃除のときに注意した方が今後のためにいいのかなと思って指摘したところ、
そうしたら、家族や親戚を総動員して部屋中の粗探しがはじまってしまった。
あっという間に百ヶ所以上の指摘が見つかって、
大きな問題ではないので、本当に細かい指摘ばかりなのだが、
ゼネコンの工事担当の人が来て、
「確認したんですが…」と繰り返して、困っていた。
笑っちゃうけど、自分が工事監理をするときのことを考えると、
これは冷や汗ものである。
無事に終了した。

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2006年4月21日 (金)

アルフレッド・ブレンデル

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、
今年になってからだけでもすでに
クリスティアン・ツィメルマンやネルソン・フレイレなど
話題盤が続いて登場したし、聞くチャンスが多いのだが、
今日は何となくブレンデルで聞きたくなって、CDを出してきた。
1986年9月、アバド指揮ベルリンフィルと共演しての録音であり、
レコードアカデミー賞を受賞したり、80年代の後半には、
まさにこのブレンデル盤は「決定盤」というような圧倒的存在感であった。
ポリーニやアシュケナージ、70年代にはギレリスやルプーなど、
ブラームスのピアノ協奏曲は名演も多く、
しかしこのブレンデルの演奏は、その中にあっても特に感動的で、
私にとっては思い入れが強い。

しかし今聞くと、だいぶ印象が違って聞こえてくる。
このCDを買ったのは、何しろ中学生のときだったので、
その倍も歳をとってしまった現在、音楽への接し方、
感じ方が変わるのも当たり前だけど、しかしちょっと驚き。
当時思っていたことは、ブレンデルの演奏は、
音にも重さがあって、音楽全体の密度の高さ、
重厚な仕上がりによって、聞いているこちらも
熱く感動するブラームスであると。
しかし今聞くと、何だかもっと、
ブレンデルの音楽の進め方って、より自然に感じられるし、
感情のコントロール、その冷静な振る舞いは、
むしろ普通以上に抑制をきかせていて、
力強さ(発散)よりも静寂の中にある内面性が音楽の中心なのである。
ブラームスの作品の中でも最も交響的な性格が強いこの作品で、
ブレンデルはより細やかな部分を丁寧に聞かせて、
聞いている今の私の気持ちは、実に爽やかだったりする。
昔の私は、ブレンデルの剛の表現ばかりに注目していたわけだが、
よくいえば、今ではもっと静の響きに耳を傾けられるようになって、
すると音楽はますます立体的に奥行きが出てくるわけで、
ブラームスの音楽におけるそうした深まりを
少し理解できるようになったということだ。
自画自賛のようであるが、いろいろたくさん聞いて、
私もいくらか成長したと思う(笑)

PHILIPS 420 071-2

「アルフレッド・ブレンデル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月20日 (木)

トラツォムのその後

トラツォム(TRAZOM)とは、
私が参加しているアマチュア演奏家のグループだが、
この秋に計画するか?という話だった演奏会の
いつもの地元の音楽ホールが取れなかったらしい。
こういっては悪いけど、正直ホッとした。
元々スケジュール的には厳しいけどって
急に起きた話で、その連絡が来るまで、
今年になって全くピアノを触ってなかったのだから、
それはあせって、どうなるんだよ!という感じである。

この話が起こったときに、何を弾くか?ということで
「ドビュッシーを封印」宣言をしたのだが、
そのとき「どんな作品がレパートリーですか?」ということを
質問していただいたのだが、そのままにしてしまって、申し訳なく、
しかしそんなの恥ずかしくて書けないよ!というのが本音で、
だって下手くそですから。
演奏会で弾く曲は、二年ぐらいかけて準備して、
それだって、きちんと仕上がることはないのだけど、
それなりに何とかして、家ではまあまあ形になったと思っていても、
本番になったら、とちってしまうのだから、毎回落ち込む。
落ち込んだら、それでやめればいいのに、
なぜか?また誘われると参加しているという、
不思議で仕方ない悪循環である。

ドビュッシーを封印して、なら何か?というと
とりあえず考えていたのは、時間がないと思っていたので、
シューベルトの何かとショパンのノクターンにしようかと思っていた。
よく「ショパンの作品で何が一番好き?」という質問があるけれど、
私は(聞くだけならば)舟歌や幻想ポロネーズも大好きなのだが、
しかし絶対に「1番!」はノクターンの変ニ長調(作品27-2)である。
でもこの曲はかなり難しくて、本当に難しくて、
作品27のもう一方の嬰ハ短調(作品27-1)を先に、
こちらは十年以上昔に、トラツォムの演奏会でも弾いたことがあって、
でも私の中では、この作品27の2つのノクターンは、
譜面的に作風の上では似ている感もあるのに
音楽の印象は全くの対照的な世界を生み出すこれらの作品を
必ずセットで弾かなければならない!とずっと思い続けていて、
それでこの数年で変ニ長調の方も必死に練習してきたのだ。

ところが最近!ちょっとした大事件である。
本当に偶然見つけたのだが、
いや、知っている人は当然のように知っているのかもしれないけど

版権の終了した楽譜を自由にダウンロードできる
イギリスのサイトを発見してしまったのである。
これってどうなのだろうか?版権が終了していれば本当にいいの?
出版社にとっては困ると思うし、ならば違法なのか?
ということで、サイトの場所はここには書きませんが、
興味ある方は個別にお教えしますので、ご連絡ください。
そこにあるはあるは、とんでもない量の楽譜である。
欲しいけど、とても全部は買っていられなかった楽譜たち。
私の新たな目標ができてしまった。
誤解のないように、難しいですから、
一生かけても無理かもしれません。しかしそれは、
リストの「超絶技巧練習曲 第10番 ヘ短調」である。
速くは弾けないわけだが、音を出しただけでも感激だった。
そうしたら、その後もいろいろダウンロードして、譜面を見て、
また新たな作品に興味をもってしまったのだが、
それはベートーヴェンの「ディアベッリの主題による変奏曲」である。
これがすごくて、さすがに後期のベートーヴェンなんだけど、
譜面上は易しそうに見えるのに、弾くと意外と弾きにくかったり、
弾けなかったり、難しい。当たり前か!

「弾けないということ」「才能がないということ」
そういうのは自分でよく理解して、認識しているのだが、
だが、目の前に楽譜があって、手の届くところにあるのなら、
興味は尽きなくて、無限に引き込まれていく!
まさに音楽の力である。吸い込まれる…。

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2006年4月19日 (水)

第1423回N響定期公演

シャルル・デュトワの指揮による
2000年12月のN響定期公演から
12月15日 NHKホールにおける第1423回定期公演。
私が持っている録音は、前半に演奏された
ヒンデミットの交響曲「画家マティス」と
そしてこの日のメイン、エルガーのエニグマ変奏曲である。
実は中プロとして、レオニダス・カヴァコスの独奏による
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が演奏されたのだが、
それは録音してなくて、正直なところ、
当時の私は、カヴァコスのことを知らなかったのだ。
たいへん残念で、今なら絶対に録音しているのに…。

ヒンデミットとエルガーというのは、不思議な組み合わせだけど、
しかしどちらの作品もデュトワならではという選曲であり、
この演奏会は、聞くと本当に素晴らしい。
ヒンデミットは、まさにデュトワならではで、
きちっとした響きのコントロールで、
デュトワ・サウンドを堪能する。最高だ。
そして後半のエルガーでも、エニグマ変奏曲は、
私の趣味からするとちょっと甘ったるいような気もする作品なのだが、
デュトワが指揮するとシャキっと決まって、
鋭く引き締まっているし、テキパキと各変奏が処理されて、
これならば、完全に私の好みの音楽になってしまう!
さすがにデュトワ。やっぱりデュトワ。
デュトワの音楽性だと、多少苦手意識がある音楽でも
知らぬうちに聞かされてしまうというのがあるのだが、
このエニグマ変奏曲のカッコよさといったらない。

ここでのヒンデミットもエルガーも
デュトワ&N響の最高の名演といいたいところだが、
でもこの両者の演奏は、私にとっては本当に好みなので、
聞くとどれもみなよく感じてしまって、
デュトワとN響のコンビはよかったなあと
いつ聞いても思ってしまうのである。
しかしあえていえば、やはりオーケストラが、
ひたすら指揮者によって制御されている感もあり、
当時はそれを喜んで聞いていたし、これは魅力でもあり、
しかしアシュケナージ時代を迎えた現在のN響からすると
多少自発性に欠けるのかなとそんなことも思ってしまう。
指揮者でずいぶん変わるなということだが、
しかし今月は、名誉音楽監督になったデュトワを迎えて、
今日(第1567回定期公演)のシベリウスもすごくよかったので、
やはりデュトワの存在は、N響には欠かせないと
私などは思うのである。この辺は好みではあると思うけど。

CDR220

「シャルル・デュトワ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月18日 (火)

セルジュ・チェリビダッケ 9

昨日に続いて、今日もチェリビダッケ。
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
DGからCD化されたチェリビダッケのブルックナーで
この第4番の録音が最も古く(1969年9月24日)、
そしてもうひとつ例外的なのが、
第4番のみスウェーデン放送交響楽団なのである。
でもこの演奏は、私は好きだ。
60年代、70年代のチェリビダッケは、
ときにテンポがかなり速いときがあり、
ここでもきびきびとした動きがあって、
鋭さとチェリ独特の美意識が両立されているのがたまらない。
しかしやはりチェリビダッケのブルックナーは、
かなり響きの美しさを追求することにこだわって、
特にここでは流麗さが魅力だし、そういう意味では、
感覚に訴えかけてくるブルックナーなのかもしれない。
ヴァントとか、朝比奈隆とか、ザンデルリンクとか、
そちらのブルックナーとは違うのである。
こういうことを書いたら、チェリ様に
ひどくお叱りを受けるかもしれないけれど、
タイプの分類としては、実はカラヤン型の演奏なのかも
などと少し思ってしまった。
(きっとチェリビダッケが最も嫌がることである。)
ミュンヘンフィルとの後年の録音が感動的だったので、
そちらに比べると、こちらは録音も古いし、
印象のよいものと比べるのは、
いかにもこちらが不利になるのではと思っていたのだが、
このスウェーデンでの演奏も最高であり、
私にはとても比べられない。

DG 00289 477 5136

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月17日 (月)

セルジュ・チェリビダッケ 8

元々は晩年のチェリビダッケよりも
シュトゥットガルト時代の録音を聞いて、
私はチェリの虜になったのだが、
ここのところ、ずっとミュンヘンフィルとの演奏を聞いてきたので、
この辺でしばらくシュトゥットガルト放送交響楽団との
ブルックナーの交響曲を聞いていきたいと思う。
今日は交響曲第3番(1980年11月24日の録音)。

チェリビダッケのシュトゥットガルト時代というのは、
主に1970年代そして80年代初頭という感じだろうか。
ここでの第3番が1980年なので、その後期というか、
完成期の録音という印象なのだと思うが、
聞いてみると、いや~、普通である。
もちろんチェリだ。それはすごい音がして、稀有の美意識だが、
とりあえず表面的に比べやすいテンポ設定でいうと
より普通なのである。表面的なことで捉えてはいけないのだが。
これを聞いて、普通という言葉が出てきてしまうのだから、
私もずいぶん「晩年のチェリビダッケ」信奉者になったということだ。
テンポが速い分、より厳しい姿勢が伝わってきて、
ブルックナーの場合、どうだろう、
晩年のあのひたすら雄大な響きがかなり心地よくもあり、
今の私が聞くならば、ミュンヘンフィル盤の方がいいか?
などとも少し思ってしまった。
第1楽章では、そういった戸惑いを感じつつ聞いていたのだが、
しかし第2楽章の研きぬかれた美しさ、
これはまさしくチェリの音であり、次第に耳も慣れてきて、
第3楽章、第4楽章へと、さすがに感動的である。
第4楽章は特にいいかもしれない。やっぱりいい。
チェリの「ウィーウィー」という叫びも聞こえる(喜び!)。

90年代のチェリビダッケから70年代まで一気に遡るのは、
ちょっと聞くほうはたいへんでもあるが、
ここでの第3番を聞いて、これから順番に進んで行くのが
楽しみになってきた。

DG 00289 477 5136

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月16日 (日)

フィラデルフィア管弦楽団2004/2005

クリストフ・エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団による
チャイコフスキーの交響曲第5番(2005年5月のライブ)である。
私は5月20日横浜みなとみらいホールにおける
フィラデルフィア管弦楽団の来日公演で
まさにこのチャイコフスキー第5番を聞いたので、
こうしてCDで再び聞くといろいろなことが思い出されて、
ついうれしくなってしまう。
日本へと旅たつ直前の演奏会で収録されたのだろう。
しかし実演を聞いて、少し思いが強すぎたのか、
会場でのあの音に包まれる感じ、というのは、
フィラデルフィア・サウンドもずいぶん変わったっていわれるけれど、
しかしあのエッシェンバッハの濃厚な歌い方で
チャイコフスキーの華麗な音色を存分に堪能して、
あの贅沢な興奮の中にいて、そのことを思うと
やはりCDというのは、ちょっと冷静な仕上がりに聞こえてしまうな
というのは感じられた。それは仕方ないことか。
SACD仕様なので、もう少し会場の空気を伝えるような
豊かな広がりある音響を期待していたのだが、
意外と落ち着いた仕上がりのような気もして残念。
レコード会社の音作りに対する意向もあると思うのだが。
しかし一方で感じるのは、このCDの魅力というのは、
エッシェンバッハの強い思い入れによって、
非常に細やかに表現が創り上げられていく
その音楽の極めて繊細な部分を決して逃さないのだという
作り手の徹底した姿勢も伝わってくる。
聞いていると非常に透明感のある清々しい印象だが、
しかし第4楽章が終わると同時に会場から熱い拍手が起こって、
抑えきれないような興奮が噴出する様子が収録されていて、
実際の会場における熱気や音楽に心酔する聴衆たちの想いは、
想像をはるかに上回るものがあったのだと、
そのことはこのCDを聞いていても何となく感じられる。
エッシェンバッハのコンサートとはそういう存在なのである。

後半はエッシェンバッハのピアノで
チャイコフスキーの「四季」から6月「舟歌」までが収録されているが、
これは私としては最高の喜び。
エッシェンバッハのピアノが聞きたく聞きたくて!
軽めの音色でここでも極度に繊細な心で
丁寧に丁寧に音楽と接していこうというような
何とも美しく、楽しく、悲しく、幸福な時間である。
ルネ・フレミングと録音したシューベルトの歌曲集のときと印象は近い。
細やかな表現に実に豊かな表情を与えて、
しかしそれはとにかく繊細さの結晶のような印象であり、
聞いているこちらもエッシェンバッハと気持ちを同じくして、
優しい心で大切に接しないといけないのである。
何と素晴らしい。エッシェンバッハは本当に最高の人だ。
こんなに美しい音楽を聞かせてくれる人はいない。
ここでのチャイコフスキーの小品を聞いていると
ふと思ったのだが、一見非常にシンプルなように思えて、
しかしその音楽を受け入れて、そこに踏み込んでいくと
何とも豊かな世界が広がるという、
エッシェンバッハの音は、今では実に色彩があって、
明るい響きに姿を変えているけれど、
実は1960年代から70年代における
ピアノでの演奏をたくさん聞かせていた時代と
今でも何にも変わっていないんだというのを少し感じた。
エッシェンバッハのピアノ演奏は、
今ではなかなか聞くチャンスがないが、
もちろん指揮者としての活動もこれまで通り、
ますます充実させてほしいと思うけれど、
しかしこのような形で、ちょっとずつでいいから
ぜひピアノも聞かせてほしいものである。
このCDの最後の曲が、有名な「舟歌」だが、
何ともいえない気持ちにしてくれる、この素晴らしさは、
決して言葉では表現できないのである。

ONDINE ODE 1076-5

「クリストフ・エッシェンバッハ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月15日 (土)

第1481回N響定期公演

ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮による
2003年2月のN響定期公演から
2月6日 NHKホールにおける第1481回定期公演。
ニールセンの序曲「ヘリオス」にはじまり、
モーツァルトのピアノ協奏曲K.503(ピアノ:イモジェン・クーパー)
後半はブラームスの交響曲第2番というプログラムである。
私のたいへんお気に入りの録音。

ニールセンの序曲がたいへん素晴らしく、
実際のところニールセンの作品は
そう頻繁には聞くチャンスがあるわけではないのだけれど、
ブロムシュテットこそ、ニールセンを聞かせてくれる重要な存在であり、
この「ヘリオス」も私はこの演奏しか聞いていないのだが、
本当に魅力的な作品で、いい!
独特の不安定な色合い、その曖昧な面白さの中に
そのまま一気に盛り上がっていき、静かに消えていくという
何とも不思議な感覚、これははまる。
ニールセンは興味が尽きない。

続いてたいへん感動的なモーツァルト。
イモジェン・クーパーはブレンデルの弟子として有名であり、
師匠と同じくシューベルトの演奏で知られているが、
N響定期にはたびたび出演して、モーツァルトを取り上げている。
昨年秋もピアノ協奏曲 第22番 K.482を弾いたが、
一つ前の来日であるこのときは、第25番 K.503を演奏。
ハ長調の堂々とした作品であり、ピアノも勢いがあって、
一音一音しっかり響いている。
ピアノの音がすごく近い録音で、よく鳴るのだが、
もっと繊細なイメージかなと思うけど、
聞くとその充実した音に圧倒される。
イモジェン・クーパーは、本当にいいピアニストだと思う。

そして後半、ブロムシュテットのブラームスは最高だ。
改めて言うまでもなく。結構渋い存在ではあると思うけど。
ブロムシュテットのリハーサルは、
理想の追求で非常に厳しいというが、
演奏を聞いているとわかる気がする。
まさにそういうブラームスである。
しかし終楽章では、テンポも速く、とにかく引き締まって、
すごい凝縮の中でその迫力に感動した。

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2006年4月14日 (金)

ルツェルン音楽祭 in 東京

「ルツェルン音楽祭 in 東京」における
ポリーニの室内楽コンサートのチケットは、
今日になってやっと電話がつながって、
なんとか席を確保することができた。
しかしさすがに残りの席は少なくなっているようで、
私の席は、残念ながら右のブロックで
1階とはいえ、かなり後ろの方となってしまった。
これまでで一番遠い位置でポリーニを聞くことになるかも。
今年はじめに買ったハノーファーNDRフィルハーモニーも
同じくサントリーホールだが、かなり右の席になってしまったし、
どうも今年はよい席が取れない。

昨年11月に聞いたバイエルン放送交響楽団のときは、
すごくいい席がとれて、会場に行くと
ちょうど自分のまっすぐ正面の位置でブロンフマンが弾いていて、
あのときは本当にすごかった。
ピアノの音がこっちにすごい勢いでぶつかってくる感じで
空気を伝わって、音の波が肌に直接振動してくるような。
耳で聞くというより、全身で音楽を受け止めるような感じであった。
ポリーニが横浜で「皇帝」を弾いたロイヤル・コンセルトヘボウのときも
すごくいい席がとれて、あのときがもしかしたら、
一番いい位置でポリーニを聞いたかもしれない。
横浜みなとみらいホールのほうが、相性がいいのかも?
今年は横浜でのコンサートは今のところ買ってなくて、
サントリーホールだが、チケットは買うのがたいへんだし、
買えても席が残っていない…という、東京へ足が遠のいてしまう。

梶本イープラスに電話が通じると、
早速すでに予約が終了している公演や席の情報がテープで流れたが、
すると10月11日のポリーニのリサイタルはまだ残っているようだった。
それを聞くと正直心が動かないわけではなく、やはりリサイタルにひかれたが、
しかし今回ははじめから固く決めていた
ポリーニのブラームス「ピアノ五重奏曲」を聞きたいという想いを貫いた。
私はこれだけにするけれど、
他にもブラームスのピアノ協奏曲を弾く公演があったり、
そこに登場するのは、クラウディオ・アバドで、
今年の秋は「ルツェルン音楽祭」で東京は大いに盛り上がるだろう。
私も少しだけ参加できることになった。

「ポリーニの過去の来日公演」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月13日 (木)

ポリーニのチケット買えない!

「ルツェルン音楽祭 in 東京」のチケット
梶本音楽事務所の会員優先予約が今日からはじまったが、
電話が全くつながらない。とにかくつながらない。
ずっとNTTの「現在つながりにくくなっております…」で
それは時間がたっても、全く解消されず、
こんなに電話がかからないというのも初めてであり、
こちらも何だか、途中でうんざりしてしまって、
しかし結局一度もつながらなかった。
まだ予約は続くので、明日以降もチャレンジしてみたいと思うが、
しかし遅くなれば、どうなるかわからない。
今回のシリーズの様々なコンサートのチケットが、
今日から一気に予約が始まって、
公演数が多いので、難しいだろうとは思っていたのだが、
しかしそれにしても…。

私が買いたいのは、ポリーニの室内楽コンサートで
ブラームスのピアノ五重奏曲である。
前半はザビーネ・マイヤーが登場して
モーツァルトのクラリネット五重奏曲だし。
本当はアバド指揮のマーラー「悲劇的」にひかれるが、
しかしポリーニも来ているし、ならばやはり聞きたくて、
これまでならば、リサイタルに行きたいところだけれど、
今回は一度しかなくて、このようにチケット争奪が激戦にもなり、
でも今の私は、だいぶ変わったな~って思うのだけれど、
わざわざ、あえて、ポリーニの室内楽に行きたいのである。
ポリーニのブラームスのピアノ五重奏曲はCDもあるし、
これまでにもときどき取り上げているが、しかし日本で聞けるのは、
今回を逃すとおそらくもうそうはないであろう。
最初で最後のチャンスかもしれない。
狙っていたのだが、今日は電話すら通じなかった。
まあ、仕方ないので、明日以降買えれば、喜んでいくし、
ダメだったら、今回はもういいやと、
ちょっとあきらめモードにもなりつつある。

「ポリーニの過去の来日公演」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月12日 (水)

我が家の防犯対策

20060412

先月だったか?「夜の不審者騒動」ということで、
隣の家に出没した不審者が、
庭伝いに我が家の敷地に侵入してきたということを書いたが、
特に夜は庭が真っ暗で、たいへん物騒でもあり、
やはり何か対策をしたほうがいいのではないかと
隣家でも我が家でもいろいろ問題としたのだが、
まず最近よくまちで見かける
センサーで人を感知するとライトをつけるという照明器具、
いいのだが、うちの場合、庭でライトがついたりしても、
夜、雨戸を閉めていたら、全くわからないのである。
突如ライトを浴びせるというのは、警告になりそうだが、
これでは、不審者の足元を照らしてあげているようなもの。
同様の方法でセンサーが感知するとブザーが鳴るというのがある。
これはいい。何かあったら、ビーっと鳴り響けば、
さすがに夜寝ていても、誰かは気づくはず。
しかし心配なのは、その精度のことで、
とにかく頻繁に鳴ってしまっては、意味がない。
最近はそういう様々な防犯器具があるので、
いろいろ見ていたのだが、ふともっと単純なことで、
庭に砂利を敷き詰めればいいではないかと。
よくお寺などを歩いているとザクザク砂利を踏みしめる音がする。
そういう感じで。特に夜静かなら、響くであろう。
そして音がするということで、特に不審者は、
そういう場所への侵入は避けるはずである。
ならば、事前に防ぐという効果がきっと望めるであろう。
そこで近くのガーデニング専門店に庭砂利を買いにいった。
やはり「防犯対策に効果的」と書いてあった。
テレビでそういう番組も取り上げたらしい。
コンクリートに混ぜる普通の砂利をまず下に敷いて、
踏み固めてから、多少茶色みがかったきれいな砂利を
その上にまくようにした。歩くと音がする。
しかし少しずつ買ってくることにして、
というのは、とにかく重いのである。
今のところ、写真は二回買ってきての状態で、
全部で4袋まいたのだが、まだこれだけだ。
ちょっとずつ範囲を広げていくようにするが、
時間がかかりそう。でもきれいである。

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2006年4月10日 (月)

ザルツブルク音楽祭2001

ザルツブルク音楽祭2001における「ハンプソン・プロジェクト」から
「アメリカの歌声を聴く」というコンサートでコープランドの作品を聞く。
トマス・ハンプソンのバリトン独唱
デニス・ラッセル・デイヴィス指揮ウィーン放送交響楽団による
2001年7月30日 ザルツブルク・フェルゼンライトシューレでの演奏。
いまでは「ハンプソン・プロジェクト」は、毎年のように企画されているが、
この2001年のときが最初だったような気がするのだが?
先月もスラトキン指揮N響の録音で
コープランドの交響曲第3番を聞いたのだが、
私がコープランドの作品を聞くのって、本当に珍しくて、
しかしここでのトマス・ハンプソンの歌も魅力だし、
「アメリカの古い歌」よりということでかなり親しみやすい歌曲。
ときには日本の童謡を聞いているような印象もあって、
昔から現在に伝わる歌というのは、
やはり国に関わらず通ずるものがあるのだと感じる。
私が持っている録音は、コープランドの作品のみだが、
最初にハンプソンの「アメリカが歌っているのが聴こえる(ホイットマンの詩)」の
朗読にはじまって、コープランドの有名な「市民のためのファンファーレ」、
そしてアメリカの歌が歌われるという
まさにハンプソンならでの企画というコンサートであった。

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「トマス・ハンプソン」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 9日 (日)

プロムス2001~開幕公演

プロムス2001のファーストナイト・コンサートで
レナード・スラトキン指揮BBC交響楽団による演奏。
2001年7月20日 ロイヤル・アルバート・ホール。
ジョン・アダムスの「ハルモニウム(1980-1981)」の録音を聞く。

ジョン・アダムスというとミニマル・ミュージックというイメージを
以前はもっていたのだが、それは私が夢中になって
ミニマル・ミュージックを聞いていたからでもあり、
いまは何も無理して特に「ミニマル」という
捉え方をしなくてもいいのではないかと
それぐらいジョン・アダムスの音楽には広がりを感じるが、
現代音楽ではあるが、いわゆる現代音楽的なイメージとも違って、
私としてはまさにこれこそ癒しの世界であり、
この「ハルモニウム」もそういう作品である。
しかし聞いているとちょうどフィリップ・グラスの音楽のような
ときにはライヒのような印象もあるし、
ミニマルの傾向は大いに見られるのでは。
今回聞く前に少し調べてみたのだが、
3部の構成からなるそれぞれのテキストは、
Negative Love or The Nothing (John Donne)
Because I Could Not Stop for Death (Emily Dickinson)
Wild Nights! (Emily Dickinson)によっており、
テキストを見ながら聞くと合唱は、
歌詞を歌っている部分と声(楽器的扱い)として、
ミニマル・ミュージック的に進行していく部分とで
壮大なオーケストラ演奏と合唱が絡み合う迫力には圧倒される。
ジョン・アダムスの作品には、難しさはなくて、
素直に素晴らしい魅力的な音楽であると感じる。

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「ミニマル・ミュージック」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 7日 (金)

バイロイト音楽祭2005

Lohengrin5

バイロイト音楽祭のホームページより
歌劇「ローエングリン」第3幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

バイロイト音楽祭2005の「ローエングリン」も
今日でいよいよ第3幕である。
ここまで来ると、もうとにかく感動的で充実感も極まった。
有名な第3幕への前奏曲から結婚行進曲へ。
第3幕の前奏曲は世界中のオーケストラが、
コンサートのアンコールなどで頻繁に演奏しているが、
しかし歌劇の全曲として、やはりバイロイトで演奏されると
独特の重みが感じられて、さすがに違って聞こえる。
それは先入観とか思い込みかもしれないが、
バイロイトにおける演奏というのは、それだけの力があって、
聞いているこちらも心動かされるのである。
ペーター・シュナイダーの指揮は、表面的なカッコよさとか、
スタイリッシュに決めるとか、そういう部分はそれほど求めないが、
手堅くじっくりと聞かされて、それこそきびきびとした動きの中にも、
適度な質感と重量感が存在していて、
少しずつ迫力を引き出していくその丁寧な運び、
これはまさに本物の音楽に触れるという満足感である。

キース・ウォーナーの演出について、極めて高い評価がされているが、
第3幕第2場の最後の方で、水が噴出する音が収録されており、
この演出についての解説を聞いたとき、
非常に感心して、面白いし、合理的だし、
さすがにキース・ウォーナーはすごいなと感じたのだが、
残念ながら、その内容はというと、すっかり忘れてしまった。
けしからん!とお叱りを受けそうだが、しかし逆に言うと、
現代への読み替えが見事で、斬新さを表出しつつ、
同時にそれが非常に自然な展開で、ピッタリとはまっていて、
だからこそ記憶から消えてしまったのである。
おかしな展開だったり、斬新すぎて、イメージに反したりすると
それはかえって、印象に残っているものだが、
キース・ウォーナーは、ワーグナーの演出では、
現在最高の解釈者のひとりであろう。

あとローエングリン役のペーター・ザイフェルトも
このプロダクションでは高く評価されており、
第3幕第3場でローエングリンが自らのことを語るシーンがあるが、
その前後の音楽というのは、美しさの極みであり、
ペーター・シュナイダーの指揮では、透明感、清潔感が印象的だが、
それが盛り上がっていき、「私の父はパルジファル」というところなど、
私は個人的に「パルジファル」が大好きなので、意味なく興奮してしまう。
本当に素晴らしい。とにかく感動的な「ローエングリン」である。
演出が高く評価されて、登場した指揮者の
アントニオ・パッパーノ(1999-2001)、
アンドルー・デイヴィス(2002-2003)も絶賛されたが、
やはり2005年のペーター・シュナイダーの指揮で
最後にきっちり締まったなという印象である。
シュナイダーは、今年は「トリスタンとイゾルデ」であり、
今から期待が高まる。

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「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 6日 (木)

バイロイト音楽祭2005

Lohengrin3

バイロイト音楽祭のホームページより
歌劇「ローエングリン」第2幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

「ローエングリン」と「パルジファル」、
それぞれ第2幕における何となく感じられる類似性、
それがローエングリンとパルジファルの
親子つながりに関係があるのか?
それについて、昨日書いたのだが、
「ローエングリン」の第2幕前半を聞いていて、
ここでの音楽が何かに似ていたような気がして、
ずっと気になっていたのだが、ふと今日になって思い出した。
「ローエングリン」第2幕の前奏曲から第1場は、
「オルトルートの魔法の動機」や「呪いの動機」など、
魔法や呪いという独特の色合いを出しているが、
そこで思い出した場面というのが、
ニーベルングの指環「神々の黄昏」の第2幕第1場である。
ハーゲンが眠っていると夢に父アルベリヒが現れて、
神々の没落を予言して、ジークフリートを殺し、
指環を取り返して復讐せよと語りかけるシーンがある。
ここで登場するアルベリヒは、
やはり呪いに彩られて、まるで幽霊のようだが、
音楽も「憎悪の動機」に支配されて不気味な展開である。
どこか似ている要素もありそうな、何か共通性を感じてしまった。

しかしそれだけではなかったのだ。
ここで独特な雰囲気をかもし出している
テルラムントと妻オルトルート(魔法使い)のやり取りだが、
テルラムントがバリトンのハルトムート・ウェルカーであり、
もしかしたらと調べてみたところ、
ハルトムート・ウェルカーは2002年から2004年の3年間、
「神々の黄昏」でアルベリヒを歌っていたのだ(なるほど!)。
アルベリヒの印象が知らぬうちに残っていて、
「ローエングリン」でもテルラムントでかなりインパクトが強い。
さらに調べてみたところ、2001年の「ローエングリン」で
テルラムントはバスのオスカー・ヒレブラント、
2002年のテルラムントはバリトンのジャン・フィリップ・ラフォン、
2003年のテルラムントはバリトンのジョン・ウェーグナーであり、
2004年は「ローエングリン」は上演されず、
そして「ニーベルングの指環」も2004年で終わったので、
ハルトムート・ウェルカーはテルラムントに移ってきたのだろう。
さらにもっと調べてみたところ、ハルトムート・ウェルカーは、
今年は「トリスタンとイゾルデ」でクルヴェナールである。
昨年も「トリスタンとイゾルデ」の後半の公演では、
クルヴェナールを歌っていたようだ。
私が持っている初日(7月25日)の録音は、
アンドレアス・シュミットがクルヴェナールなので知らなかった。
そして面白いのが、2002年にアルベリヒに移る前は、
2000年、2001年と「パルジファル」のクリングゾルを歌っている。
やはりこういう役柄がうまいのだろう、きっと。
今年のクルヴェナールはぜひ注目して聞きたいと思う。

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バイロイト音楽祭のホームページより
テルラムント役のハルトムート・ウェルカーである。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

「ローエングリン」第2幕の前半は、
圧倒的に素晴らしくて、何度聞いても感動した。
ペーター・シュナイダー指揮のオーケストラも最高!

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「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 5日 (水)

バイロイト音楽祭2005

Lohengrin2

バイロイト音楽祭のホームページより
歌劇「ローエングリン」第2幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

バイロイト音楽祭2005から
歌劇「ローエングリン」の第2幕を聞いている。
「ローエングリン」の第2幕は素晴らしい。
今回の演奏でも、ここでの第2幕は圧倒的に感動した。
「ローエングリン」は全体に合唱が活躍するという印象があるが、
この第2幕では、どちらかというと登場人物の細かいやり取りが多く、
私はそこにひかれているのかもしれない。
テルラムントとオルトルートのやりとり、そこにエルザが加わり、
緊張感のある展開、緻密な舞台が魅力である。
心を操ろうとしたり、心理面でのやり取りも多く、面白い。
この辺はある程度「ニーベルングの指環」に通ずる要素も
すでに見え始めているようで、
さらには、音楽は「パルジファル」第2幕にも
どこかイメージが似ていて、
というのは、このローエングリンは、
聖杯騎士パルジファルの息子であり、
ワーグナーも後の「パルジファル」の作曲の際に
「ローエングリン」との関係性を意識したのかもしれない。
「ローエングリン」の第2幕の前半で、オルトルートの魔法により、
領主ゴットフリート(エルザの弟)は白鳥に姿を変えられ、
ということが語られ、このオルトルートの存在というのは、
ちょうど「パルジファル」第2幕におけるクリングゾルに近いのである。
オルトルートは異教徒の魔法使いということだが、
パルジファルにとって、クリングゾルが異教徒の存在というのにも通ずる。
第2幕前半の魔術やら、心を操ってのこのオカルト的要素は、
「パルジファル」の第2幕にどこか似ている。
しかし「ローエングリン」が非常に若々しく、爽やかなのは、
その後、夜明け(第3場以降)とともに、音楽は明るく、勢いづいて、
暗から明への転換で心理面でも晴れるという
この辺が「パルジファル」と大きく違って、
「ローエングリン」の大きな特徴なのだと感じるのである。
多くの物語がここで語られる、そしてここでのはじまりが、
第3幕に大きな影響を及ぼし、全体を結論付けるという点で、
この第2幕は非常に重要で、内容も濃くて、やはり面白い。
そういう中で、音楽も極めて充実しているが、
ペーター・シュナイダーの指揮の冴えが、次第に本領を発揮して、
その素晴らしさがひしひしと伝わってくるのである。

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「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 4日 (火)

バイロイト音楽祭2005

Lohengrin1_1

バイロイト音楽祭のホームページより
歌劇「ローエングリン」第1幕の舞台写真である。
http://www.bayreuther-festspiele.de/

詳しいことはわからないが、
中央にいるのがローエングリン(ペーター・ザイフェルト)であり、
ということは第1幕第3場なのだと思うが、
もしかしたら第2場の終わりで、
ローエングリンの登場のシーンかもしれない。
しかし白鳥はいないので、別れの後のシーンなのか?
中央の光の柱は、何なのだろう?
幻想的といってもいいのか?
闇の中に光がともっている感じであり、
照明の感じも色使いもこういう舞台は素晴らしいと思う。
このキース・ウォーナーの演出はかなり評価の高いものだが、
実際に祝祭劇場でこの舞台を目の当たりにしたら、
きっと感激して、気持ちを抑えられないだろう。
しかしこのプロダクションも2005年が最後である。
その最後にペーター・シュナイダーがバイロイトに復帰するなんて、
うれしいではないか!何と素晴らしい!!

ペーター・シュナイダーは、1980年代にバイロイトの常連だったようだが、
ここでの「ローエングリン」は、十数年ぶりの登場だと思う。
1990年代の前半、私がバイロイト音楽祭に興味をもちはじめた時期、
当時の「ローエングリン」を指揮していたのが、ペーター・シュナイダーだった。
カセットテープに録音して、よく聞いたものである。
私にとって、「ローエングリン」の原点は、
まさにペーター・シュナイダーなのである。
そういう意味でも、バイロイトに戻ってきてくれたことは、
私個人的には、最高の喜びだった。
前のプロダクションで90年代前半の「ローエングリン」は、
シュナイダーが非常に誠実な解釈で作品と向き合っており、
折り目正しく、独特な透明感が美しかったのだが、
よく批評でいわれていることは、「まじめすぎて、面白くない」など、
基準点を確実にクリアしている一方で個性不足が指摘されている。
しかし今回は違う。キース・ウォーナーへの絶賛もあるのだろうが、
音楽に関しても、最高の評価が与えられたようである。
「ペーター・シュナイダーは見違えるようだ」って。
誰もが認める、現在最高のワーグナー指揮者の一人である。

今日は第1幕を聞いているが、
特に第2幕以降、音楽は最高の展開で、本当に感動的である。
第1幕での印象は、この美しい透明感で、
以前からのペーター・シュナイダーの「ローエングリン」を思い出し、
個性的な発想とか、ユニークな解釈など、全く無縁で、
ひたすら作品に丁寧に接して、そこからにじみ出てくる
深い感動に何ともいえなく満足感を堪能するのである。
シュナイダーといえば、ドイツやウィーンでは最高の評価であり、
しかしレコードというものがほとんどないので、
日本ではあまり馴染みのない存在だと思うが、
こういうワーグナーを聞かされると
これが本物なんだ!って、教えられる気がする。
これぞ!という感じである。
今日は最初なので、この辺にして、
これから全3幕を聞いていく中で、音楽を堪能しつつ、
ペーター・シュナイダーの存在(偉大さ)を再認識していきたい。

CDR214/215/216

「バイロイト音楽祭」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年4月 3日 (月)

ライプツィヒMDR交響楽団2005/2006

ファビオ・ルイージ指揮MDR交響楽団による
マーラーの交響曲第4番(2005年9月の録音)。
ルイージのマーラーは、これまでの5番も6番も
非常に濃厚で強弱激しく、ロマンティックだったが、
今回の4番も路線は同じだと思う。
第1楽章からゆったりとしたテンポで、
表情付けを丁寧にじっくりと歌いこんで、
ある程度、その場その場主義のような印象もあるが、
いろいろ聞いていると最近はこういう演奏が非常に多く、
ラトルのマーラーが筆頭に挙げられるのだろうが、
ここでのルイージもまさにという感じなので、興味深いのである。
でもこういうタイプのマーラー演奏は、
ラトルのように天才的に音楽を操ることができるか、
それとも一方で非常に集中力が強く、
ひとつひとつの創造作業の積み上げを
ほとんど忍耐のように延々と続けていくことができるか、
とにかく突っ走って、一気に駆け抜けるということをしない。
このルイージとMDRの演奏会に行ったことがあるので、
その指揮はよく知っているのだが、本当に音楽に対する集中力はすごくて、
ここでのマーラーを聞いても、表現に込められた想いの強さ、
音楽を築いていく過程でのこだわりや情熱が伝わってくる。
ファビオ・ルイージは、型に従って表現していくタイプではなく、
かなり感情的に音楽をコントロールしたり、
だからこそ人間的な暖かさが感じられて、
ときに強弱の大きな振幅で熱い演奏が生まれたりする。
しかしそれが爆発的なエネルギーを生み出して、はじけ飛んだり、
許容をはみ出してしまうようなことはない。
どこかで制御しているのか、絶妙にギリギリのところで
バランス感覚が備わっているのか、
そこがどうも、私には今ひとつ、どっちつかずというか、
中途半端なところというか、そういうふうにも感じられて、
もっともっと聞き手に強く訴えて、
圧倒するような説得力をこちらにぶつけてきてほしいのである。
しかしファビオ・ルイージは、この数年での大出世が物語っているように
このスタイルが見事に成熟して、完成しつつあることは明らかであり、
やはりこれからも本当に注目の存在なのである。
ルイージとMDRによるマーラーは、
続いて第2番「復活」が出るということがアナウンスされているが、
私は個人的にこのコンビが大好きなので、
ぜひ継続して様々な作品を聞かせてほしいと思う。

QUERSTAND VKJK0607

「ファビオ・ルイージ」に関する記述はホームページにもございます
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2006年4月 1日 (土)

カール・ベーム 「こうもり」

カール・ベームとウィーンフィルによる
J.シュトラウスの喜歌劇「こうもり」、1971年11月の録音。
ベームの存在にひかれて、ずっと聞いてみたいと思っていたのだが、
タワーレコードのユニバーサル関連のセールの中に見つけて、
その手軽な値段も魅力で買ってきた。
J.シュトラウスの音楽は、この数年ずっと、
元日のニューイヤーコンサートとそのCDの発売時にしか
聞かなくなってしまったけれど、今回はこの「こうもり」で
実に幸せで楽しい気持ちにしてくれる。
満開の桜の春の気分には、これがまた実にふさわしい。

ベームのJ.シュトラウスだが、何とも独特である。
同じくウィーンフィルとのワルツ&ポルカ集もあるので、
すでに知ってはいたのだが、やはり喜歌劇でも
実にシンフォニックな迫力や奥行きの感じられる音作りで
これに関しては、さすがである。
シュトラウスのワルツやポルカにふさわしいかどうかは別問題。
しかしベームとウィーンフィルを聞きたければ、
この魅力といったら、それはもうたまらない。
といっても、ベームで「こうもり」を聞くと
モーツァルトを通り越して「フィデリオ」を聞いているぐらいの
音楽の集中力とか、気持ちを引き締めて鑑賞するとか、
ベームの指揮だと、やはり格調高いのか?
別にまじめで堅苦しいというのではないけれど、
決して妥協の存在しない音楽に対する姿勢なのか、
この密度の高さは、喜歌劇に不思議な緊張感を漂わせる。
しかしそこはウィーンフィルであって、
何とも美しい響きと優雅さを忘れないのは、
それもまた独特な輝きを放って、うっとりなのである。
考えてみると35年前のウィーンフィルで
この時間の経過って、実感のできないものなのだが、
古きよき昔の響きといった印象もなくはない。
それがシュトラウスの音楽が生み出しているものなのか?
ベームとウィーンフィルという存在が、
やはり現代のウィーンフィルとは何か違う
特別な個性を発揮しているからなのか?
しかし何とも心地のよい、魅惑の時間が流れるのである。

当時のウィーンフィルは、今とずいぶん違っており、
カール・ベームがニューイヤーコンサートに登場することはなかったし、
オーストリア人でウィーンフィルとの深いつながりを考えれば、
ワルツやポルカなど、ウィーン音楽の録音を
もっと様々に残していてもおかしくないように思えるが、
カール・ベームが指揮したシュトラウス・プログラムの演奏会も少ないし、
この「こうもり」全曲が残されていたことは、
本当に貴重なことであると思う。

DECCA 475 6216

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