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2006年5月31日 (水)

私が聞いた今年の名盤2006

今月も月末なので「私の名盤」の途中経過だが、
オペラ部門にティーレマンの「パルジファル」。
まだ通して一度聞いただけであり、
これから聞き込むと印象も変わるかもしれないが、
私にとって、これが最高の存在とまではいかなかったけれど、
しかしウィーンにおける話題の公演を聞けるという点では
大いに価値ある重要な録音であることに間違いない。
前回の「トリスタンとイゾルデ」に比べれば、音質的にも満足の範囲。

ギーレンのブラームスの交響曲だが、
第3番と第4番を新たに追加した。
最も新しい第2番の録音が、これは近年のギーレンの特長を表す
非常に感動的なスケール雄大な演奏であり、
しかし感動してしまったのだから、やはり格別である。
他のは少し以前の演奏で、シャープでドライな感覚が
まさにギーレンという印象であり、そこがいいのだけれど、
ここでの一連のブラームスに関しては、
より新しい録音を推すという形になってしまった。
しかしこれは好みの問題であり、そのすべてが興味深いのである。
録音年代が異なり、ギーレンの解釈にも一貫性がみられず、
その辺は、放送録音のCD化という欠点でもあるといえるのだが、
80年代あたりで第2番の録音が残されているのか、
それについてはわからないが、あればぜひ聞いてみたい。
しかしだからといって、最新録音の第2番がもし存在しなかったら、
それは非常に残念なことであったから、あまり贅沢なことはいえないのか?

《交響曲》
◎マーラー 交響曲 第7番~バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ
○ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番、第12番
   ~マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

《管弦楽》
○R.シュトラウス 英雄の生涯~ラトル指揮ベルリンフィル

《協奏曲》
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第1番
   ~クリスティアン・ツィメルマン、ラトル指揮ベルリンフィル
◎ブラームス ピアノ協奏曲 第2番
   ~ネルソン・フレイレ、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


《室内楽》
今のところなし

《器楽曲》
◎ベートーヴェン ピアノソナタ op.109-111~内田光子
◎チャイコフスキー 「四季(1月~6月)」~クリストフ・エッシェンバッハ


《歌劇》
○ワーグナー 「パルジファル」~ティーレマン指揮ウィーン国立歌劇場

《声楽曲》
今のところなし

《ライブ盤》
◎ベートーヴェン 交響曲 第7番~クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団
◎ブラームス 交響曲 第2番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

○ブラームス 交響曲 第1、3、4番~ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

は特に大切に感じられる名盤です)

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2006年5月30日 (火)

アンドラーシュ・シフ

今日も昔買ったCDを出して、久しぶりに聞く。
アンドラーシュ・シフに最初に興味をもったのって、
FMの海外のライブでブラームスのピアノ協奏曲第1番だった。
すっかり忘れてしまったのだが、指揮は小沢征爾だったような?
オーケストラはベルリンフィルだったような?
シフは粒の際立った美しい音色で
あの独特の歌に何ともうっとり、心ひかれた。
それで当時ちょうど新譜だったブラームスの協奏曲のCDを買ってきた。
そちらはショルティの指揮するウィーンフィルだったと思う。

そしてまた、それから少しして発売になって、
飛びつくように買ったのが、今日聞いたシューベルト。
シフといえば、シューベルトのピアノソナタ全集が有名だが、
ソナタのシリーズよりも前に最初に登場したのがこれ。
アレグレットD.915、3つの小品D.946、12のレントラーD.790、
そして4つの即興曲D.935である。
当時、まず思ったのは、シフの音は面白いな!って。
一音一音の粒が非常にくっきりとしていて、
メロディがはっきりと聞こえる。
シフの独特な即興的な印象も含めつつ
優しい表情で歌われていくのだが、
結構ユニークな一面もあるし、シフの存在感は大きい。
シフの音という意味では、その後ずいぶん聞いて、
今ではすっかり慣れてしまったし、よく知っているけれど、
現在気になるのは、やはりその独特な歌わせ方だろうか。
面白い。シフの演奏はやはり興味ひかれる。

DECCA 425 638-2

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2006年5月29日 (月)

音楽を聞かない一日

私には珍しく、一日全く音楽を聞かないで、
ひたすら建築に集中していた。
今回の物件は、まだ最初の段階なので、
とにかく決めなければいけないことばかり。
私が決めなければいけないのである。
動き出せば、あとは自然に動いていってくれるので、
そうすれば今度は、私に関する比重が下がってくるのだが、
しばらくは時間が足りなくて、ちょっと疲れ気味。

平面(間取り)に関しては、施主といろいろ打ち合わせしているので、
かなり密度が上がってきたのだが、一方で、
立面や断面がまだ全然図面になっていない。
とすると、構造の打ち合わせにも進めずに
いま必死に断面を決めて、そして立面へと進めている。
契約前に基本計画として、平立断は最低そろえたいので、
とにかく図面を進めている。それに概算見積も!

でも結構時間がかかるのだ。時間がたつのが早い。
インターネットで材料メーカーをあたって、
サンプルを請求したり、カタログ請求したり、
それであっという間に午前中は終了…
来週は構造の打ち合わせを予約してあるので、
とにかく全体像を決めなければ。

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2006年5月27日 (土)

ウラディーミル・アシュケナージ

最近、仕事が忙しく、建築に夢中になっているが、
図面をひたすら書いているときは、
作業効率のアップに音楽は効果的なんだけど、
いろいろと空間やデザインを考えているときには、
没頭すると音楽はあまり頭に入ってこないので、
最近買ったCDやライブ音源は聞いていない。
そこで昔、うんと昔に買ったCDを取り出して、
何となく流している。久しぶりに今改めて感動する。

この前もアシュケナージのベートーヴェンのピアノソナタ
「ワルトシュタイン」「熱情」「月光」という
これは1970年代の全集の録音ではなく、
1990年ぐらいに再録音されたCDなのだが、
それを聞いていて、素晴らしいのである。
以前からこの「ワルトシュタイン」は最高だな!
って思っていたのだが、「熱情」の終楽章なども、
圧倒的な集中力でこの凝縮度、すごい!

今日聞いているのは、ちょうど同じ時代に発売された
アシュケナージとクリーブランド管弦楽団のメンバーによる
ブラームスのクラリネット三重奏曲とピアノ五重奏曲。
アシュケナージはいいピアニストである。
この時期はシューマンの録音に積極的に取り組んでいた頃で、
より迫力が増して、深みが出てきて、そうした傾向が、
ブラームスの室内楽で最高に感動的な演奏を生み出しているのである。
一方でピアノ五重奏曲の第2楽章など美しく、優しく、
心のこもった響きであり、こういうところでは、
ある意味、ポリーニの名演を超えているのではないかと
私などはつい思ってしまうのだが。

DECCA 425 839-2

「ウラディーミル・アシュケナージ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月26日 (金)

横浜の風景から 4

長くその風景を見続けてきた者にとって、
現在の風景が、そしてこれから変化していくであろう風景が、
決していいものばかりではないということは、
多くの場面において、経験することである。

20060526a

横浜市旭区今宿というところである。
去年までは住宅地に隣接して、広大な森林が残っていた。
新緑の季節、この森の周辺を通る際には、
かなりの数の鶯が競うように鳴いていて、
それは良好な環境の地域であった。
しかし現在の姿がこれである。
駅に近い方から造成がはじまり、
すでに区画も終わって、あとは売るだけ。

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木の伐採、造成はさらに進み、広がり、
ついに最後の一本まで切り倒された。
赤土がむき出しになった状態である。
これから開発される住宅地のイメージが貼り出され、
早速、建売販売への宣伝広告がはじまっている。

広大な所有地を維持・管理するのは、
それは困難なことであろう。
手放して、どう利用しようが、それは所有者の自由であり、
私などがどうこう言うつもりもないし、仕方ないことだ。
都市基盤が整備され、新しい人々が移り住んできて、
地域も繁栄すれば、結果的にはいいことなのかもしれない。
しかし長く存続してきた森が失われたことは残念である。
横浜の貴重な自然が失われたことは、さらに残念なことである。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月25日 (木)

ティーレマン「パルジファル」

2005年6月のウィーン国立歌劇場でライブ収録された
ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」。
クリスティアン・ティーレマンの指揮、
ドミンゴのパルジファル、マイアーのクンドリー、
フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒのグルネマンツ、
ファルク・シュトルックマンのアンフォルタス、…
このときを逃したら、こんな豪華なキャストは不可能だと
ティーレマンが登場するのを狙って録音したのだろう。
この少し前の1月にはラトルが指揮していたようなので、
そっちも興味あるのだが、しかしまずは、
ティーレマンの「パルジファル」がCD化されたことは喜ばしい。

ティーレマンが指揮した「パルジファル」を最初に聞いたのは、
バイロイト音楽祭2001における録音である。
ティーレマンのイメージって、その当時に思っていたのは、
どっしりとした響きで、ゆったりと大きく音楽を運んでいくような、
そういう「パルジファル」なのかと思って聞いたのだが、
実際は引き締まった印象で、響きも渋く、
モノトーンな世界が厳粛さを表現する、少し意外な感じでもあった。
今聞くと全然印象は違ってくるかもしれないけど…。
それから時間がたって、今回はウィーンにおける演奏だが、
ティーレマンは、またずいぶん進化しており、興味深い。
第1幕など、柔らかい音色を特に効果的に
繊細な表情を丁寧に描き出していく感じで、
かつての雄大なイメージよりも
細部における音の意味を深く追求していくような
そんな「パルジファル」である。

しかしちょっと、これは私の問題だが、
去年はブーレーズのバイロイトにおける録音を繰り返し聞いて、
今回のティーレマンが、今年はじめて聞く「パルジファル」になるのだが、
耳が完全にブーレーズの響き、音楽進行に慣れてしまっていて、
ティーレマンはどうしても緩い印象を受ける。
ブーレーズは独特な「パルジファル」を構築しているので、
それと比較してはいけないと思うのだが、
第1幕では、ティーレマンの音に耳を慣らすのに苦労してしまった。

やはりという印象だが、第2幕へ進むとずっと音が鳴り出す。
このような場面の変化に思い切った飛躍を展開させる、
こういうところがティーレマンらしさであり、魅力であり、
音楽に一気に引き込まれてしまう。
ある意味、連れて行かれるという感じである。さすがだ。
間の使い方も絶妙であり、とにかくすごい効果。
音楽もますますしなやかになってくるし、夢中になってしまう。
第2幕は、花園における色彩的な場面や
クンドリーの接吻によりパルジファルが目覚める!
クリングゾルが放った槍がパルジファルの頭上で止まるという奇跡、
見せ場、聞かせどころ、この上なく魅力的な音楽が流れるが、
ティーレマンは音楽に特長付けをしていくのがうまくて、感動する。
ブーレーズだと、そういう部分を淡々と進めていくところがあり、
流れという意味では、それほど心地よいことはないのだが、
一方のより起伏の大きいティーレマンの演奏は、
そこにはまりだすと、抜け出せなくなるような力をもっている。

そして第3幕、再び厳粛な音楽である。
聖金曜日の音楽として有名な場面、最も感動的だが、
じっくりと丁寧にその深まりを確かめながら歩んでいくような
ティーレマンはかなり以前にフィラデルフィア管弦楽団と
ワーグナーの管弦楽作品集を録音しており、
そこでも聖金曜日の音楽が収録されているが、
ここでの清らかさ、透明な響きといったら、
もう比べ物にならないほどの素晴らしさである。
清らかで透明な美しさ、ちょっとこれは
ティーレマンの普段からの重厚な音楽作りからすると
どうしてしまったのだろう?本当にすごい。
ティーレマンも進化しているのである。
ウィーン国立歌劇場の音色というのもあると思うが、
ティーレマンがこういう音を引き出すなんて!
そして後半は、大聖堂におけるティトレルの葬儀へと進むが、
ここでは先ほどまでとは対照的に壮大な管弦楽へと発展していき、
しかし響きは荘厳にして、格調高く、ここでも深く感動。
第2幕で一気に展開を作り、第3幕では、底知れなく心酔していくという
この辺のもって行き方は、まさにティーレマンという感じである。
鳩が平和を暗示して、高みに上り詰めていくようなフィナーレ、
ブーレーズの演奏だと速くて、流麗で息もつかせない感じなのだが、
それに比べるとティーレマンは、
やはりかなりためているなという印象はあるけれど、
繊細な響きを注意深く吟味しつつ、この美しさも
今回のティーレマンはやはり違うぞ!という印象である。
後半へ行くにつれ、どんどん充実していったようにも思うのだが、
きっと次に聞けば、最初からもっと違って、
聞き込めばさらに違って、深く感じるものがあると思う。

DG 00289 477 6006

「クリスティアン・ティーレマン」に関する記述はホームページにもございます
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2006年5月24日 (水)

エルマウ城復活祭音楽祭2003

アナトール・ウゴルスキの演奏で
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番。
2003年4月19日 エルマウ城での録音
ウゴルスキのベートーヴェンが素晴らしい。
重みのあるしっかりとした音楽。
瞑想的ともいえる深まりを強い集中力で
演奏者も聞き手も気の緩む時間というのが全くない。
本当に見事な緊張感の持続で
同時に安らかな静寂や人間的な優しさを表現しつくした
ウゴルスキの大きさ、広さ、芸術の偉大さに感動する。

通常の演奏よりも多少時間はかかっているが、
しかし遅いという印象はなく、解釈における違いはそれほどにない。
ウゴルスキの演奏ということを考えれば、
第1楽章など、速すぎるほどにきちんと流れている。
90年代前半だったろうか、ウゴルスキが突然西側に姿を現して、
当時はかなりの異色な演奏を売り物にして、
このソナタ第32番やディアベッリの主題による変奏曲など
晩年のベートーヴェンの作品が、
ウゴルスキの独自の芸術を表現するのにふさわしかったのだろうと
当時も熱心に取り上げていたわけだが、ここでの演奏を聞いていると、
もはやそういった表面的な部分での演奏スタイルは問題ではなく、
もっと深く高い境地でベートーヴェンと向き合っているのである。
一音一音に強い想いが込められており、
聞いている我々がそれらとひとつになって共有できたときに
心から熱く感激する巨大な力を感じ取って、
それはウゴルスキのピアノを通して、
ベートーヴェンを感じ取っているということなのである。

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「アナトール・ウゴルスキ」に関する記述はホームページにもございます
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2006年5月23日 (火)

エルマウ城室内音楽祭2004

先週からがんばって準備していた新築住宅の提案だが、
昨日それを施主にお持ちして、説明したところ、
たいへん気に入ってもらえて、そのまま進めてほしいと
今日から早速、平面をCAD化しており、
一日中、図面を書いていた。
つい仕上げや建具の収まりを想像しはじめると
どんどん時間がたってしまい、あまりはかどっていない。
まだそんなに細かいところを追及する時期ではないのだけれど、
最初からきちっと決めて進めていかないと嫌なのが
どうも私の性格なのである。

今日聞いたのは、「エルマウ城国際室内音楽祭2004」から
スティーヴン・イッサーリスのチェロ・リサイタル。
私が録音してあるのは、ブラームスのチェロ・ソナタ第1番、
そしてハンガリー舞曲の第13番、第14番、第2番の3曲。
アンコールに演奏されたショパンのチェロ・ソナタ~ラルゴ。
ピアノはキリル・ゲルシテイン。
2004年1月9日 エルマウ城大ホールでの録音である。

イッサーリスのチェロは本当に素晴らしい。
私はかなり好きである。
イッサーリスといえば、ガット弦を張っているというので有名だが、
それがどういう影響を及ぼすのか、
弦楽器に関する専門的なことはわからないのだが、
しかしそのしなやかな音楽と柔軟な表現は、私には魅力である。

イッサーリスの後、放送時間の余白で
同じくエルマウ城での演奏から、2004年1月7日、
イリヤ・グリンゴルツのヴァイオリンによる
シューマンの3つロマンスも録音してある。
ピアノはアレクサンダル・マジャール。
グリンゴルツは近年、特に注目の存在であり、
私もシベリウスとプロコフィエフの協奏曲のCDを持っている。
イッサーリスのブラームスの後で、
シューマンは実に選曲では相性がいいのだが、
もっといろいろと、グリンゴルツの室内楽で
ぜひ本格的な作品を聞いてみたいという思いが強くなる。

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2006年5月22日 (月)

ラトルのショスタコーヴィチ

サイモン・ラトル指揮ベルリンフィルによる
ショスタコーヴィチの交響曲第14番。
(2005年9月の演奏会ライブ)
この透明な響き、感動的である。素晴らしい!
交響曲第14番は、正直いって、ずっと苦手だった。
この曲をはじめて聞いたのって、すごく古い。
実は有名な第5番や第9番よりも
先にCDを買ってきてしまったのだ。中学生のとき。
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。
その演奏が悪いわけではないが、この作品、とても馴染めなかった。
ツェムリンスキーの叙情交響曲などと同じく、
ソプラノ(女声)とバリトン(男声)が交互に歌うところ、
マーラーの大地の歌のイメージでもあり、
そういうところから入っていったのもいけなかった。
大地の歌とは、全く違う作品なのだから…。
テーマは共通するところもあるのかもしれない。
でも音楽の印象は全く違う。
暗いし、堅いし、楽しくないし、なら何で聞くのという感じ?
お化け屋敷にひとり取り残されて、その不気味さ、
暗闇の中、進むべき道を失ってしまったような、そんな感覚。
ショスタコーヴィチの響きという意味では、
ハイティンクの音楽作りって、ぴったりの印象であり、
しかしそれがまた、作品への距離を感じさせた。
でも今回のラトルはかなり違っており、
これならば、私は何度でも聞きたいと思うほど。
何という透明な音楽であろう。美しいのである。さすがである。
はっきりとラトルならではというショスタコーヴィチ像を示してくる。
明解な形でその独自性に魅力があり、受け入れたくなるのだ。
毎回こんなにも、いつも新鮮な面白さを提供してくれる
ラトルのような指揮者はそうはいないが、
今回は中でも特にその輝きに夢中になる。

後半は交響曲第1番である。
(2005年6月の演奏会ライブ)
こちらは非常に楽しみにしていたわけだが、
ちょっと室内楽的な響きにこだわりすぎでもあり、
その洗練度は凄まじいのだが、
一方で独特のショスタコーヴィチ・カラーが
失われてしまっているという印象もある。
ベルリンフィルの驚異的な技に光を当てて、
それを聞かせたいとなるとこうなってくるのはよくわかるのだが。
ディテールの魅力は最高の完成度であり、
一方で小さくまとまっているのが少々気になるところ。
ショスタコーヴィチの交響曲第1番って、かなり好きだが、
この曲は、勢いとか、迫力とか、
走り抜けた後の気持ちよさを感じたい。

EMI 3 58077 2

「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
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2006年5月21日 (日)

日曜の夜の餃子

今晩は餃子を作って食べた。
餃子を作るのは私の仕事。
特別に今日食べようと予定していたわけではないのだが、
餃子の皮は買ってあったので、たまたまである。
具になる材料もすべてあるもので。

20060521a_1

肉は豚肉で冷蔵庫にあったもの。
包丁で細かく自分で切る。
挽き肉よりも肉の食感があって、おいしい。
ニラは、父が庭で栽培しているものを
その場で摘んできて、新鮮なので匂いも元気。
キャベツを細かく切って入れる。
本当は白菜がいいが、季節でないのでキャベツ。
白菜の方が、水分を搾っておくと、
そこに肉汁が再び染みこんで、餃子の味がよくなるそうだ。
にんにくのみじん切りとネギを加えて、
塩、コショウ、しょうゆ、酒、香りのごま油、
チキンスープ(粉末)を溶かしたものを加えて、
それで具が完成!

20060521b

餃子の皮で包んで、焼く。
焼くのは火加減が難しいので、母の仕事。
父と私は、ビール片手に焼けるのをひたすら待つ。
味の方は、ちょっと具の味付けが薄かった。
餃子はしょうゆをつけて食べるので、大丈夫なのだが、
でも私の好みは、しょうゆをつけなくても
ある程度、味があって、しょうゆはほんの少しだけつける
というのがいいのである。
餃子の具は、生肉なので、
味見をできないというのが難しい。
でも買ってきたパック餃子や冷凍食品より、
自分で作った方が、やはりおいしいのである。
満腹。

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2006年5月20日 (土)

横浜の風景から 3

20050520

横浜市泉区和泉町にある日枝神社。
まわりを田園風景に囲まれて、
ここもどこか懐かしさの残る貴重な場所。

目の前にあるバス停が面白い。「三家」。
隣にある建物は、「三家自治会館」。
近所を歩いてみると、
石井、石川、横山という表札の家がたくさんある。
どこかが本家で残りは分家なのか?
日枝神社を中心にこの集落は、
古くからこれらの3つの家を中心に栄えてきたのだろう。
歴史を感じる散歩道。

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2006年5月19日 (金)

新築住宅の提案

20060519

来週、新築住宅の提案をするのだが、
いろいろな空間のアイデアをスケッチに描いて、
この何日かで平面や断面を描きまくってしまった。
今日では図面は誰でもCADで描いているけれど、
最初の段階では手書きでスケッチというのが私はいい。
(ひたすら模型を作るという人もいるだろう)
平面など大して変わらないものを何枚も描いているけれど、
そのたびに修正を加えつつ、改善させつつ、
イメージがより具体的になってくるし、
頭の中で密度を上げながら、それで設計してしまうのだ。
一本の線を描くのに時間がかかるから、
その間にいろいろなアイデアが浮かんできて、
私の中でその空間の風景ができ上がっていく。
「ここにはこういう建築を」というのは、
比較的直感で最初に思い浮かべる方なのだが、
現実の建築にしていく過程には、
決めなければいけないルールがたくさんあって、
そろそろ方向性が見えつつ、まとまってきたと思う。

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2006年5月18日 (木)

ミヒャエル・ギーレン

ギーレンのブラームス交響曲の完結編。
今回は第3番(1993年)と第4番(1989年)。
第3番が繰り返しをして、それで34分台、
第4番だと38分台で演奏してしまうのだから、
時間で見るとかなり早い。
しかし演奏はそれほどには急いでいるという印象はなく、
全体にきびきびとよく動いて、極めて機能的で合理的、
そして何より響きの中にギーレンならではの面白さがあり、
いろいろな発見がある。それは特に第3番。
現在では、アルノンクールやノリントンの演奏があるので、
その聞き方もずいぶん慣れてきているわけだけれど、
ギーレンはずっと昔、とっくに自分のやり方を見つけていたのだから、
やはりすごい指揮者である。好き嫌いは分かれると思うが。
かなり辛口のブラームスであり、余韻に浸るとか、
ロマンティックな音楽に酔いしれるとか、そういうことがない。
シェーンベルクのフィルターのかかったブラームス(ピアノ四重奏曲)、
ウェーベルンのフィルターのかかったバッハの作品、などなどあるが、
ある意味、ギーレンのフィルターのかかったブラームスという印象もある。
第3番の金管が吼える感じ(その鋭さ)など、かなり面白いし、
第4番はもっと落ち着いているけれど、その流麗さは格別。
気分的には、ブラームスならではの重みある音楽に
深い感動を味わう、そういう演奏もあるということはよく知っているので、
どちらをとるかは?そのときの気持ちにもよるのだが、
しかし第4番の終楽章(パッサカリア)など、とにかくすごくて、
やはりギーレンの技に完全に参ってしまった!
少し前の録音でもあるので、最近の感動を呼ぶギーレンとも違い、
このドライな感覚と冷徹なまなざしは、
聞いているこちらもその世界観にあわせないと
音楽が目の前を素通りしてしまって、どんどん流れていってしまうのだが、
聞き込むとこの凝縮の造形、やはりただならぬ凄まじさである。
これを基準としてしまうと、ちょっと後戻りがたいへんそうな、
そんな鋭利な切り口、鮮やかな解釈、これがギーレンの技。
一般には渋くマニアックな位置づけがなされるのだろうが、
このギーレンの魅力、私は広く紹介したいのである。

Hanssler CD 93.136

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2006年5月17日 (水)

ルガーノ音楽祭 2002

マルタ・アルゲリッチの企画によるコンサートである。
2002年6月30日 ルガーノの会議場でのライブ。
アルゲリッチが出演している作品のみ録音してあるのだが、
ピアソラの「天使のミロンガ」そして「天使の死」。
マルタ・アルゲリッチとエドゥアルド・ユベールによるピアノでの演奏。
そして後半のサン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」。
ルノー・カプソンなども加わり、室内楽版での演奏である。

これもまたアルゲリッチならではの人脈とアイデアによる演奏で、
楽しい録音である。実際に会場でも、「動物の謝肉祭」では、
笑いが絶えないという盛り上がり。
楽しんでいればいいのだろうけど、
どうも私にとっては、アルゲリッチのピアノって、
乗りはいいのだけれど、乱暴な感じで、雑な印象があって、
しかしこの勢いやアンサンブルを楽しんでいる姿勢がなければ、
聞いているこちらにとっても魅了的でないと思うし、
微妙なところでの綱渡りである。
仲間を意識して、お互いの呼吸を感じて演奏している
というのはその音からもよく伝わってくるけれど、
もっと響きを丁寧にコントロールしている演奏もあると思うし、
でもそういうのはあまり面白くないのか?
アルゲリッチはこれでいいのだろう。

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「マルタ・アルゲリッチ」に関する記述はホームページにもございます
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2006年5月16日 (火)

バルト海フェスティバル2003

ギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカによる演奏会。
2003年8月22日 ストックホルムのヴァーサ号博物館。
私が録音してあるものは、その一部で、
アルヴォ・ペルトのフラトレス(ヴァイオリン独奏はギドン・クレーメル)
バルトークのディヴェルティメント(指揮はエサ・ペッカ・サロネン)
グレン・ミラー(アンドレイ・プシカレフ編曲)の「ムーン・ライト・セレナーデ」

クレーメルを中心とするアンサンブルで人気を集めているが、
選曲にもクレーメルのこだわりがあって、素晴らしい。
特にペルトのフラトレスは最高。さすがにクレーメルという感じ。
そしてアンコールの「ムーン・ライト・セレナーデ」も
毎回こういう楽しい作品が来て、魅力となっている。
バルト海フェスティバルなので、バルトークでは、
サロネンがゲストで出演しているのだろう。

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2006年5月15日 (月)

ブーレーズの「復活」

遅くなってしまったが、ブーレーズのマーラー「復活」。
今回はDGのCDでウィーン楽友協会での録音。
以前2月にレポートしたものは、
「ウィーン芸術週間2005」におけるライブ録音である。
先に聞かれた方ですでに指摘されている方もいるのだが、
なるほど、これはずいぶん違う。
CDで聞くとかなり抑制が効いていて、
よりスムーズに音楽が進行しているという印象を受ける。
音作りにおけるレコード会社の意向もあるかもしれない。
ブーレーズのマーラーはこうでなくてはならないという
しっかりとルールができ上がっているような…
どちらがいいかは、好みもあると思うが、
私はそのライブの方にすっかりまいってしまっているので、
正直なところは、絶対にライブ録音支持派。
例えば、第3楽章の冒頭でティンパニが力強く叩くところなど、
ライブの方では、本当にびっくりするぐらいの衝撃を受けた。
しかしCDでは、はっきりいえば、どうってことはない。
普通に鳴っているので、特別なことはなく、問題もなく。
何となく、全体に同じことがいえて、ブーレーズらしくはあるけれど、
普段からのブーレーズであり、特別なことはなく、問題もなく。
驚きがないという点では、ちょっと残念か。
ライブの「復活」に感動してしまい、もちろんこのCDも買って、
比較をしようと思っていたので、聞けてよかったし、楽しんでいるが、
ある程度、このような展開になるということも
どこかで気づき、そこを注目していたようなところもあって、
この「復活」は、DGにおけるブーレーズのマーラー・シリーズの一環として、
そこに位置づけが存在して、たどり着くということはやはりいえるであろう。
会場でブーレーズの実演を聞くと、思った以上に色彩があり、
そして鳴りっぷりもいい、ということに気づくのだが、
バイロイトでの「パルジファル」を聞いても、
35年前のDG盤と比較するのもどうかとは思うのだが、
ライブとCDの間には、今回の「復活」と同じようなことを感じるし、
はっきり「違いがある」というのでいいのだと思う。
でも終楽章後半における比較的明るい響きでのこの美しさ、
そこに関しては、DGの音作りは成功しているのではないかと
最後の最後でこちらも感動的なので、
やはり素晴らしいことには間違いない。

DG 00289 477 6004

「ピエール・ブーレーズ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月14日 (日)

エルネスト・ブール

ミヒャエル・ギーレン、シルヴァン・カンブルランと
南西ドイツ放送交響楽団に興味があるのだが、
ギーレンの前の時代(1964-1979)に首席指揮者を務めていたのが、
フランス人のエルネスト・ブール(1913-2001)である。
近現代作品に定評があったようだが、最近、急に聞いてみたくなって、
昨年発売されたラヴェルの作品集を買ってきた。
クープランの墓、歌曲集「シェエラザード」、古風なメヌエット、
ツィガーヌ、そして「ダフニスとクロエ」から第1組曲と第2組曲である。
1967年から1977年にかけての録音。
実はエルネスト・ブールのCDはすでに持っていたのである。
同じく南西ドイツ放送交響楽団でウォルフガング・リームの作品集。
でもそれは、ギーレンの演奏するリームを聞きたかったのであり、
もう一人の指揮者ブールのことは、最近までよく知らなかった。

ここでのラヴェルの作品、非常に面白い。
現代音楽に強い人という先入観もあるのだけれど、
辛口の解釈で音楽の余韻など一切存在しない、
一点もおろそかにしないという、超ドライに明確な演奏である。
硬質な響きとリアルな音色は、この1970年代における
南西ドイツ放送交響楽団の特徴なのであろう。
とにかく音がよく鳴っていて、聞こえてきてしまうというのがすごくて、
後半の「ダフニスとクロエ」など感動して、私ははまった。
元々「ダフニスとクロエ」が大好きなので、すぐにひかれるのだけど、
この演奏は、かなりグッと来る。鋭く抉られ、生々しい。
しかしやはり残念なのは、これだけ素晴らしいと
ぜひとも全曲版で聞きたかった。組曲ではとても満足できない!
エルネスト・ブールと南西ドイツ放送交響楽団は、
その任期中に膨大な量の放送録音を残しているとのことである。
まだわからないことも多いし、ぜひともいろいろ聞いてみたい。
かなりマニアックな存在ではあるが、それも魅力ではあるし、
私はこれからエルネスト・ブールを聞こうと思う。

Hanssler CD 93.111

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2006年5月13日 (土)

トラツォムのこれから

トラツォム(TRAZOM)とは、
私が参加しているアマチュア演奏家のグループだが、
この秋は地元の音楽ホールが取れなかったので、
ならば今後どうするのか?というのを話し合うために
今日は横浜で打ち合わせをしてきた。
いろんな話が出て、面白かったのだが、
来年の春ならば可能か?ということになり、
年度末は厳しいという意見も多く、
その前にということになるのだけれど、
結局は余裕をもって、もう一度方針をよく検討して、
しっかり準備もして、来年夏にしようということでまとまった。
私にとっては、それが非常に助かる。
来年ならば、これから準備を始めればいいし、
そしてさらに、これからまだ、どんなストーリーにするのか、
いろいろ考えをめぐらすこともできるのだ。

横浜に出たので、一ヶ月ぶりにレコード屋に立ち寄って、
だいぶ遅くなってしまったのだが、
やっとブーレーズのマーラー「復活」を買ってきた。
それになんだかいろいろと出ていて、
ラトルとベルリンフィルによるショスタコーヴィチの交響曲、
そしてティーレマンのウィーン国立歌劇場での「パルジファル」など

「パルジファル」を買ったので、ちょっと大きな出費になってしまった。
ドミンゴのパルジファル、ワルトラウト・マイアーのクンドリー、
実際に手にすると聞く前から興奮してくる。
公演の写真も一部掲載されているが、素晴らしい。
順番に聞いていきたいが、感想など書きたいと思う。

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2006年5月12日 (金)

横浜の風景から 2

20060512

横浜市瀬谷区南瀬谷というところである。
写真正面の住宅地が日向山団地と呼ばれているところで
日向山は、泉区和泉町、泉区上飯田、そして瀬谷区南瀬谷と
3つの町の境界に住宅街が広がっている。

「市街化区域」と「市街化調整区域」
まさにその境というのがここにはっきり存在していて、
つまりこっちは農地だけど、そっちは住宅地というわけである。
日向山というところは、まわりを田園風景に囲まれていて、
この地区のみ、かなり広大な宅地開発がなされた。

しかしこの数年でまた少し姿を変え始めており、
それは環状4号線(環4)が開通したのである。
湘南台方面の長後街道から日向山中央を通って、
瀬谷から国道16号、東名横浜町田インターの方面に
抜けられるのが環4である。
この通りに沿って、これまでの農地(森林)が
「市街化区域」へと変更になったようで、
相鉄ローゼン(大型スーパー)やマクドナルドもできた。
賑わいが増しているようである。
私のお気に入りの家系ラーメン「4号家」も
この環状4号線沿いにある。

注)この周辺の方には違うよといわれてしまいそうなので、
正確には、日向山中央にあった従来の相鉄ローゼンの店舗が、
新しく環状4号線沿いに移転して、
さらに大型店舗に拡大してオープンしたのである。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月11日 (木)

バルト海フェスティバル2003

サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団による演奏会。
2003年8月23日 ストックホルムのベルワルドホール
シベリウスの交響詩「大洋の女神」 作品73、
そしてニールセンの交響曲第5番、
シベリウスの組曲「ベルシャザール王の宴」から夜の音楽(アンコール)。
私が持っている録音は以上の3曲。

先日のゲルギエフによる熱い!シベリウスとは違って、
ここでのフィンランド放送交響楽団による演奏は、
シベリウス、ニールセンとまさに北欧の響きであり、
ある程度の冷たさや透明感、澄み切った空気を感じさせる
これぞ!といった印象である。
サカリ・オラモの指揮は、同じ作品であっても、
バーミンガムだともっと暖かい豊かな響きに聞こえたりもするわけで、
この引き締まって、不思議な透明度を湛えている独特な音楽は、
やはりフィンランド放送交響楽団ならではのものといえるであろう。
なんだろう、この透き通った音色、色彩を消し去ったかのような、
モノクロというのではない、まさに透明な世界。
音に温度というものがあるのか、あるとしたならば、
ここでの音楽は、この冷たい感触こそが魅力であり、
作品の性格とも相まって、静かな感動に引き込まれる。

近年の流行もあると思うが、
ニールセンの交響曲第5番は非常によく演奏されており、
聞く機会も多いので、私も自然に大好きな作品となってしまった。
サカリ・オラモはバーミンガムでもこの作品を取り上げており、
一方のシベリウスもバーミンガムとの録音で
交響曲全集がすでに完成しているが、
ここでのフィンランド放送交響楽団の演奏を聞いていると
この透明な響きは、やはり他にはない圧倒的な存在感を発揮して、
シベリウスもニールセンも、そしてグリーグもだが、
このオーケストラでぜひもっともっと聞いてみたいと思ってしまった。

フィンランド放送、スウェーデン放送、デンマーク国立、オスロフィル、
北欧のオーケストラは、実に魅力的な響きを奏でる。
北欧というイメージで何でも透明な空気、冷たい感触
というのでくくってしまうのも違うのだが、
しかしいつも気持ちのいい清々しい音楽を聞かせてくれるのである。
私はかなり以前からサカリ・オラモをたいへん注目しているので、
このフィンランド放送交響楽団との活動も、目が離せない。
残念ながら、聞けるチャンスは必ずしも多くないのだが。

CDR224

「サカリ・オラモ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月10日 (水)

アルフレッド・ブレンデル 3

シューマンの交響的練習曲というと
ポリーニ、アシュケナージ、アンドラーシュ・シフ、
それに歴史に残る名演は、スヴャトスラフ・リヒテル、
いろいろ思い浮かぶのだが、
私がはじめて聞いた演奏というのが、
ブレンデルがウィーン芸術週間で弾いたライブだった。
いつの演奏なのか、いまでは確認のしようがないのだけれど、
とにかく昔のことで、私が中学生だったか、
すでに高校生になっていたか?その頃のこと。
現在ではすごく不思議だけど、FM東京で夕方の時間帯に、
特別番組で放送されて、急いで帰ってきて聞いたのだ。
ブレンデルが変奏曲プログラムに取り組んでいた時期であり、
おそらく1980年代後半のことだと思う。
そのときに放送されたのが、
ベートーヴェンの創作主題による6つの変奏曲 作品34
そしてシューマンの交響的練習曲であった。
改めていうまでもなく、交響的練習曲は素晴らしい名曲だけれど、
そのときのブレンデルの圧倒的迫力による音楽の輝き、
聴衆を力強く引っ張っていく緊張感、集中力、
とにかく驚異的な充実度に私は唖然としてしまったのだが、
大好きな交響的練習曲との付き合いはそこにはじまる。

その後、期待は現実となり、
このときのベートーヴェンとシューマンの組み合わせで
ブレンデルのCDが発売された。
「主題と変奏Ⅱ(1990年7月録音)」である。
このCDを聞くとブレンデルは非常に表情豊かな演奏で、
ひとつひとつの音に意味を求め、
細部までじっくりと表現を作りこんでいくという、
音楽もピアノの音色もとにかく濃厚(高密度)であり、
この時期のブレンデルは、表現の中に
最も自分の存在を主張していたようにも思われる。
この時期からベートーヴェンのソナタ全曲録音のあたりか。
昔のブレンデルの演奏(1960年代~70年代?)は、
型にはまっているとか、まじめすぎるとか、
話に聞くと、来日してもちっとも客が入らなかったとか、
今では信じられないような話だけど、
しかしシューマンなどでも古い演奏を聞くと
その律儀な性格、音楽に対する真摯な姿勢ゆえにか、
それほどには色彩的な響きではなくて、
爽やかな印象だったりもする。
その後、1980年代後半から90年代半ばあたりまでが、
ここに聞けるような、ブレンデルの強い個性に満ちた
暖かく、鮮やかに、深く濃密な音楽が聞ける時期であり、
そしてその後は、近年のモーツァルト演奏のように
自分の存在は一歩引き下がって、
自然な表情と音楽の流れを大切にする、
透明感と洗練された響きに満たされた
現在のブレンデルへと変化していくのだ。

PHILIPS 432 093-2

「アルフレッド・ブレンデル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月 9日 (火)

横浜の風景から 1

20060509

横浜市瀬谷区宮沢というところである。
和泉川という川が流れていて、
最近まで河川工事をしていたのだが、
この春に整備が完成して、これが今の風景である。

川にふたをして、本流は地下を流れ、公園になっている。
子供たちが野球をしたり、サッカーをしたり、
ゆったり遊べるようなグラウンド。
でもそこが和泉川であるということを忘れてはいけなくて、
水をくみ上げて、周囲に沿って、小川が流れており、
小さな子供が水遊びをできるような、ちょっとした親水公園。
近所の人が散歩やサイクリングに集まってくる。
この周辺は、のどかな風景が残っていて、
私は好きで、わざわざこの道を通ったりもする。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
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2006年5月 8日 (月)

ハウスメーカーのトラブル

少し前の話になるが、友達からメールが来て、

友人がハウスメーカーで新築していますが、
引渡し前にトラブルでもめています。
助けてあげてください。

という内容で、そのご本人から連絡が来て、詳しくお話を聞いて、
設計段階、施工段階でどういう問題があったのか?
また今後どういう方法で交渉を進めたらいいのか?
つまり問題点を整理して、指摘して、そこを責めるということになるが、
とにかく私の可能な範囲であらゆるアドバイスをして差し上げた。

そこでいろいろ感じることである。
なぜもめるのか?
それは人と人とがひとつのことを成し遂げようとしているからである。
人と人、その両者がうまくあえば、取り組みもまたうまくいくであろう。
しかし他人と他人で、無理して一緒に努力していることだって
少なくないのだから、そういうときは、決してうまくいかない。
失敗することもある。だからもめる。
ハウスメーカーや大手のリフォーム会社も同様だが、
まず「大手だから、きっと大丈夫。安心。」という考えは捨てた方がいい。
というのは、結局は担当者といかなる付き合いをするかで
どこまで質を高められるかが決まるからである。
担当者は会社の社員であるが、その前にひとりの人間だ。
人間性の問題。性格が合う、合わない。
その人とちゃんと会話ができているのか?
気持ちが通じているのか?などなど。
そしてもっと現実的なことに触れれば、
その担当者が、社内でどれほどの権限をもっているのか?
言わずとも実によく融通を利かせてくれる人もいれば、
全く気の利かない人で、こちらが言っても、
全然それに応えてくれないという人もいるであろう。
「会社が有名だから大丈夫」というのは、やめた方がいい。
有名な会社であっても、自分の目の前にいる人を見てください!
よく吟味して、その人のことを信じられるのか?仕事を任せられるのか?
というのをよく考えた方がいいと思います。

我々のような設計事務所の場合、
最初から完全に人と人という関係の中で仕事を進めていくので、
人間関係がうまくいってなかったら、それは絶対にうまくいかない。
というよりも、仕事自体がはじまらないのである。
すべては信頼関係であり、信頼できなかったら仕事は成立しない。
しかし一方で、ハウスメーカーのような企業が相手だと、
会社だからというので、成立してしまう。話が進んでしまう。
それは「いざとなれば保証してくれるだろう」という思い込みであり、
しかし実際の社会では、うまくいかないこともあるのだから、
それが原因となって、トラブルが多々発生する。
とにかく私が思うのは、「建築は人間関係」であり、人をよく見てほしい。
そのためにもよく話し合い、心を通わせ、信頼を築くのである。
それから「いえづくり」「建築づくり」をはじめてほしいと思うのである。

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2006年5月 6日 (土)

ミッケリ音楽祭2003

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団
2003年7月4日 ミッケリのコンサートホールにおける録音。
シベリウスの幻想曲「ポヒョラの娘」、
そしてリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」、
アンコールとして演奏された同じくリムスキー・コルサコフの
歌劇「雪娘」から「かるわざ師の踊り」
放送されたのは以上の3曲である。

先日も少し書いたが、ゲルギエフのシベリウス、
情熱的といえばいいのか?少々暑苦しいというか、
私にとっては、このシベリウスは違うだろう!
って、正直思ってしまうけど、
しかしゲルギエフが指揮したシベリウスなんて、
あまり聞くチャンスがないし、これは貴重であり、
聞けたということは、感想に反して、大いなる喜びなのである。
ファンにとって、コレクションという意味での価値は高い。
ならば、どんなシベリウスが本質なのか?
というのは人それぞれで自由だけど、
私はやはりパーヴォ・ベルグルンドの演奏が基準になっている。
ネーメ・ヤルヴィの演奏も好んで聞いているが、
最近のサロネンとか、オラモなどのシベリウスを聞いていると
ゲルギエフほどではないけれど、響きは明るく、厚く、暖かく、
フィンランド出身の指揮者たちがそういう音を好んでいるわけで、
傾向も少しずつ変わってきているのかもしれない。

続いて「シェエラザード」だが、こちらは最高!
ゲルギエフの「シェエラザード」は格別である。
やはりゲルギエフはロシアものだよ!ということなのか?
でもあえて比較を探すならば、
このミッケリのコンサートホール、木のホールということだったか?
熱いシベリウスに比べて、リムスキー・コルサコフは、
意外にクールで透明で、より繊細な印象を受けるのである。
会場の音響によるものだろう。ここは面白い。
「シェエラザード」のような、ねっとりと濃厚な音楽は、
元々私はあまり好まなかったのだが、
例えばデュトワのようなシャープな解釈も存在し、
それらのおかげで聞けるようになって、普通に聞くようになって、
しかしゲルギエフの演奏が登場してからは、
いつの間にか好きな曲になってしまって、音楽を聞きながら、
その濃厚なメロディを口ずさむぐらいになってしまったのだから、
私もずいぶん変わったものである。
でもそういう過程で、ゲルギエフの影響がいかに大きかったか?
今さらいうまでもないが、ゲルギエフの圧倒的な存在感は別格であり、
ここでも異常な興奮の中、夢中にさせられるのである。

CDR223

「ワレリー・ゲルギエフ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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2006年5月 5日 (金)

東京建築散歩20060503

5/3に見てきた建築のつづきで
原宿から表参道方面に向かう。
安藤忠雄の表参道ヒルズも行ってきたが、
とにかくすごい人であり、とりあえず覗いて、
写真は撮らなかった。

20060503e

伊東豊雄の「TOD’S 表参道」

20060503f

表参道の交差点まで来て、
隈研吾の「ONE 表参道」

表参道交差点から根津美術館方面に向かう。

20060503g

Herzog & de Meuron の「PRADA BOUTIQUE AOYAMA」
最近、PRADAに隣接してできたばかりの
光井純「ザ ジュエルズ オブ アオヤマ」から見た写真。

安藤忠雄の「COLLENZIONE」の前を通る。
学生時代から何度となく立ち寄っている。
写真はすでにたくさん撮っているので、今日はなし。

再び表参道に戻り、銀座線で銀座へ。
Apple Store Ginzaでちょっと遊んでから有楽町方面へ

20060503h

今年はじめに発表された
伊東豊雄「MIKIMOTO Ginza 2」
去年、ここに来たときは、まだ現場だったけど、
今回は見ることができた。

歩き疲れたのと喉が渇いたので、
国際フォーラムに行ったところ、そういえば!
「熱狂の日」音楽祭2006で大盛り上がりだった。
ならば、せっかく来たので、聞いていこうと思ったが、
チケットは夜遅い最後の公演以外、すべて「SOLD OUT」。
ここもまたすごい人出である。この活気!まさに「熱狂」。
有楽町の韓国料理で晩御飯&酒を楽しんだ後、帰ってきた。

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2006年5月 4日 (木)

東京建築散歩20060503

昨日は映画「マイ・アーキテクト」を観た後、
建築を見つつ、東京をぶらぶらしてきた。
何度か足を運んでいる作品もあるが、
天気もよかったので、写真を撮ってきた。

20060503a

映画「マイ・アーキテクト」が上映されている
北山恒の「Q-AX」である。
エントランス上部のスチール製スクリーン

20060503b

渋谷から原宿方面に歩いて、
安藤忠雄の「hhstyle.com/casa」
施工があまりにも見事であり、
調べてみたところ、竹中工務店であった。

20060503c

もう少し歩くと最近発表されたばかりの
坂本一成の「QUICO 神宮前」

20060503d

そして妹島和世+西沢立衛による「Dior 表参道」
この辺まで来るとすごい人出である。さすが連休。

つづく

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2006年5月 3日 (水)

ルイス・カーン

20060503

映画「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」を観てきた。
世界的建築家ルイス・カーンの生涯、作品をたどるドキュメンタリーである。

友人に誘われて、詳しいこともよくわからずに、
ルイス・カーンについてだとは聞いていたのだけれど、
朝の10時に渋谷に行くのはちょっときついな…
とは正直思いつつ、しかし早起きをして、観に行ってきた。
それが感動的だったのだ。素晴らしい作品。
なぜかいまの私には、精神面における深いところで共鳴するものがあり、
観てよかったと思う。声をかけてくれた友人に心から感謝。

ルイス・カーンの激動の人生。
三人の女性を愛し、三人の別の母をもつ子供をもうけたこと、
それに共鳴したというのではない。
自らの建築、芸術に没頭するあまり、家族を顧みなかった。
家族の生活を犠牲にして、そこまでして自らの建築を貫いた。
そこに共鳴したわけでもない。

ルイス・カーンは1974年、ニューヨークのペンシルバニア駅で
身元不明のまま、死んだ。73歳。
そのとき、カーンに息子がいるなんて、誰も知らなかった。
カーンの2番目の愛人との間に生まれた息子ナサニエル・カーンが、
父の作品を訪ね、父のことを知る人に聞き、父を知るための旅に出る。

ルイス・カーンは自らの建築に妥協なく、
厳しく苦しい逆境に耐え、作品の数は少ないが、
歴史に残る偉大な作品を残した。
ルイス・カーンの名前はもちろん知っている。
昔からよく知っている。
しかし特に興味があったわけでもないし、
作品について調べたことがあるわけでもない。
だけど、ここに登場する作品は、どれもみなよく知っていた。
それがルイス・カーンの建築界への影響力であり、
歴史に残る偉大さなのである。
ソーク生物学研究所、キンベル美術館、
ノーマン・フィッシャー邸などは私のかなり好きな建築だが、
それ以外のすべての作品を好きというわけではない。
しかしルイス・カーンの建築家としての生き方、
建築に対する姿勢、情熱、哲学、…、感動的だった。
この映画で、ルイス・カーンという建築家に初めて出会えた気がする。
心にしみた。教えられた。そしていろんなことを思い出した。

ナサニエル・カーンのここでの最後の旅、
バングラデシュの国会議事堂を訪ね、
地元の建築家がナサニエルに父のことを話す。

あなたは愛情を与えてもらえなかったかもしれない。
しかしバングラデシュの我々みんなは
ルイス・カーンから多くの愛情をもらいました。
深く感謝しているのです。
命を犠牲にして、我々の国のために力を注いでくれました。

なんと偉大なことであろう。
建築というものが人々にここまでの影響を与えられるなんて。
感動で胸がいっぱいになり、涙が止まらなかった。

本当に素晴らしい映画である。
建築関係の方はもちろんのこと、多くの方にぜひ観ていただきたい。
渋谷のQ-AX CINEMA(http://www.q-ax.com/)で上映されています。
「マイ・アーキテクト」公式サイト:http://www.myarchitect.jp/

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2006年5月 1日 (月)

セルジュ・チェリビダッケ 11

チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団による
ブルックナーの交響曲第7番(1971年6月8日の録音)。
第7番は晩年のミュンヘンフィルとのCDを持っていなくて、
そういう意味では、この1970年代の録音は私には貴重だし、
同時に新鮮な気持ちで聞けて、興味が尽きない。

チェリビダッケのブルックナーは、
基本的にいつも前向きな姿勢だし、
響きも明るく、すっきりとした青空のように、
はるか彼方まで透明な空気に満たされているような
そんな演奏なのだが、ここでの第7番でも第1楽章から、
その美しく、くっきりとした音楽にハッとさせられる。
また1970年代を中心とするこのシリーズの特長でもある、
緊張感と集中力、音楽の輪郭の明確さ、立体的造形、
これらの傾向は、ここでの演奏でも最高潮に達しているといえる。
第2楽章もまた素晴らしい。ひたすら美の追求。
表面的な部分にこだわりをもって聞き進むと
一方で精神性に対して希薄になってくるのだが、
それはいいとして、この美しさに感動することが何よりも大切だと
その辺はさすがにチェリビダッケ、究極の美意識である。
この第2楽章で、ひとつ疑問なのだが、
DGによるCDの表示は「ハース版」となっているのだが、
「ノヴァーク版」ではないのだろうか?
ハース版を使用しつつ、適宜打楽器を追加するという演奏もあるようなので、
チェリビダッケもそのタイプの演奏なのかもしれない。
第2楽章後半の盛り上がりは、かなり盛大なので心構えが必要?
後で詳しく聞きなおしてみたのだが、
ティンパニとシンバルによって演奏しており、トライアングルは採用せず、
やはり「ハース版に一部打楽器を追加」ということかもしれない。
ヴァント、朝比奈隆、カラヤン、ベーム、…、
「ハース版」にこだわっている指揮者も多い中で、
チェリビダッケは比較的「ノヴァーク版」嗜好のようだが、
この第7番では「ハース版」と表示で、珍しいとは思っていたのだが、
第2楽章での効果は、やはり「ノヴァーク版」の方向性のようである。
第7番の交響曲は、第3楽章以降後半が、比較的軽いというのが特長だが、
チェリビダッケも軽快にきびきびとした動きで爽快である。
特に終楽章のスピード感で、必要以上にしつこくしない、
最後も残響を引っ張らずに消えるように終わるフィナーレ、
こういうやり方は、ときどきチェリの演奏には見られて、印象的である。
この演奏の中心は、何といっても「アダージョ」楽章ということなのだろう。
しかしこの辺が、晩年のミュンヘンフィルとの演奏でどうなっているのか、
それは興味があり、やはり聞かずにはいられない。いずれ必ず。
チェリビダッケのブルックナーはどれもみな素晴らしいが、
この1971年の第7番は、特に気に入って、私はいいと思った。

DG 00289 477 5136

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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