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2006年5月22日 (月)

ラトルのショスタコーヴィチ

サイモン・ラトル指揮ベルリンフィルによる
ショスタコーヴィチの交響曲第14番。
(2005年9月の演奏会ライブ)
この透明な響き、感動的である。素晴らしい!
交響曲第14番は、正直いって、ずっと苦手だった。
この曲をはじめて聞いたのって、すごく古い。
実は有名な第5番や第9番よりも
先にCDを買ってきてしまったのだ。中学生のとき。
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。
その演奏が悪いわけではないが、この作品、とても馴染めなかった。
ツェムリンスキーの叙情交響曲などと同じく、
ソプラノ(女声)とバリトン(男声)が交互に歌うところ、
マーラーの大地の歌のイメージでもあり、
そういうところから入っていったのもいけなかった。
大地の歌とは、全く違う作品なのだから…。
テーマは共通するところもあるのかもしれない。
でも音楽の印象は全く違う。
暗いし、堅いし、楽しくないし、なら何で聞くのという感じ?
お化け屋敷にひとり取り残されて、その不気味さ、
暗闇の中、進むべき道を失ってしまったような、そんな感覚。
ショスタコーヴィチの響きという意味では、
ハイティンクの音楽作りって、ぴったりの印象であり、
しかしそれがまた、作品への距離を感じさせた。
でも今回のラトルはかなり違っており、
これならば、私は何度でも聞きたいと思うほど。
何という透明な音楽であろう。美しいのである。さすがである。
はっきりとラトルならではというショスタコーヴィチ像を示してくる。
明解な形でその独自性に魅力があり、受け入れたくなるのだ。
毎回こんなにも、いつも新鮮な面白さを提供してくれる
ラトルのような指揮者はそうはいないが、
今回は中でも特にその輝きに夢中になる。

後半は交響曲第1番である。
(2005年6月の演奏会ライブ)
こちらは非常に楽しみにしていたわけだが、
ちょっと室内楽的な響きにこだわりすぎでもあり、
その洗練度は凄まじいのだが、
一方で独特のショスタコーヴィチ・カラーが
失われてしまっているという印象もある。
ベルリンフィルの驚異的な技に光を当てて、
それを聞かせたいとなるとこうなってくるのはよくわかるのだが。
ディテールの魅力は最高の完成度であり、
一方で小さくまとまっているのが少々気になるところ。
ショスタコーヴィチの交響曲第1番って、かなり好きだが、
この曲は、勢いとか、迫力とか、
走り抜けた後の気持ちよさを感じたい。

EMI 3 58077 2

「サイモン・ラトル」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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