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2006年6月 8日 (木)

ハノーファーNDRフィルハーモニー

大植英次の指揮による楽劇「ワルキューレ」第1幕を聞いてきた。
ハノーファーNDRフィルハーモニーの東京公演である。
前半の「リエンツィ」序曲、ジークフリート牧歌から
ふくよかな響きと特に弦楽器のしなやかさに驚かされて、
大植英次のいう「バイロイトの音」というのはこれなんだなと
昨年の「トリスタンとイゾルデ」における響きがよみがえってきた。
バイロイトにおける体験がここに反映されているのだと思う。

後半の「ワルキューレ」第1幕がはじまると
歌手に釘付けになってしまった。
ロバート・ディーン・スミスのジークムント、
リオバ・ブラウンのジークリンデ、
クリストフ・シュテフィンガーのフンディング。
特にロバート・ディーン・スミス!もうここはバイロイトである。
2001年から2004年の4年間、ジークムントを歌っていた。
つまりここ数年、ロバート・ディーン・スミスのジークムントを
ずっと聞いてきたのだ。そして今日ついに会場で生の歌声を聞く。
感動的である。しびれてしまって、涙が出てきた。
指揮台の大植英次の左側にジークリンデとジークムント、
そして右側にはフンディング。
演奏会形式ではあるが、小さな動きをともなって、
完全に演じきっており、ロバート・ディーン・スミスの表情など、
まさにバイロイト音楽祭に発表されている写真そのもの。
第2場のフンディングとのやり取りなど、
お互いのセリフに反応しては、にらみ合い、
殴り合いがはじまるのではないかというような迫力と緊迫感。
ちょうど私の正面に立っているクリストフ・シュテフィンガーのフンディング
大きな体で美しく響きわたる低音に魅了された。感激!
舞台上で服装は通常の演奏会の姿だけれど、
歌手は奇妙な三角関係であり、
しかしその向こうで大植英次がひたすら指揮している姿には、
なんともいえない面白さであって、これぞ演奏会形式である。
フンディングのシュテフィンガーは、出番のない第1場、第3場では、
チェロの横に座って、上を向きつつ、
なんともうっとりと音楽を聞きこんでおり、
その表情があらわしているように
「ワルキューレ」第1幕とはそういう音楽なのである。
長大な第3場はジークムントとジークリンデの二重唱で
もう最高の気持ちでその恍惚の音楽に深く聞き入った。
トネリコの木からノートゥングを抜き取るところなど、
今日はコンサートだけど、楽劇の舞台が目に浮かぶようで、最高の喜び。
こんなにも感動的な音楽空間はこれまで体験したことがない。
やはりワーグナーである。これぞ指環である。
ちょうど今月メトロポリタン歌劇場が来日して、
ドミンゴが日本で最後となる同じくジークムントを歌うわけだが、
指揮がエッシェンバッハとなったことで、
私としてはすごくひかれるわけだけれど、
そういう大舞台(値段が高い)は、これから将来、
私自身がもっともっとワーグナーを深く知り、力をつけて、
それから観に行けばいいかと
今の私には、大植英次の指揮が重要なのであり、
演奏会形式というのが受け入れやすく、
そしてロバート・ディーン・スミスのジークムントを聞いた
ということが、これからの私の一生の宝なのである。

アンコールが2曲。まさに理想的な選曲。
「ワルキューレ」第3幕冒頭のワルキューレの騎行。
そして「神々の黄昏」第3幕のジークフリートの葬送行進曲。
ちょっとした「ニーベルングの指環」のハイライトを楽しませてもらったような、
私にとっては、最高のコンサートだった。
そしてやはりいつの日か、バイロイト音楽祭に観に行かなければと
真剣に思ったのである。ずっと憧れではあったが、
夢にしておくのではなくて、実現させなければならない。きっといつの日か。
ちなみに私、バイロイト祝祭劇場には行ったことがある。
大学生のとき、冬休みに訪ねたのだが…憧れの地。

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