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2006年9月15日 (金)

ポリーニのモーツァルト

やはりポリーニの新譜から聞き始めた。
ご存知の通り、私はポリーニの熱烈ファンなのだが、
しかし正直なところ、ポリーニのモーツァルトは聞くのが怖い。
協奏曲に関しては、これまでにも時々聞くチャンスがあったのだが、
ポリーニは録音に関しては極めて慎重で、
実際に演奏を聞くと、どう聞くべきか?というのは難しくて、
他の方はわからないけど、私にとっては、
ポリーニを聞くのなら、他の作品をという気持ちもある。
この私でも、モーツァルトを聞くのなら、
ルプーやペライアの方がいいなと思ってしまうぐらいで、
しかし今年はモーツァルト・イヤーでもあり、
ついに!というか、昨年5月にライブレコーディングされ、
ウィーンフィルとの共演という、最高の条件がそろっているわけだが、
ポリーニのモーツァルト、ピアノ協奏曲(K.453,467)が登場した。
若いときのカール・ベームとの共演以来のことで、
途中にもアバドやブーレーズと弾いていたことを考えると、
何でこれまで続編が出なかったのだろう?
というのが不思議に思えてならない。
モーツァルト・イヤーのおかげということか。

ポリーニならではの硬質なタッチは健在で、
音の美しさ、その輝きは、いつもながら極上の素晴らしさである。
しかし気になるのが、ポリーニは恐ろしく抑制をきかせた演奏で
モーツァルトの作品を扱うのに慎重を極めているということが
こちらにはっきり伝わってきてしまうこと。
これって、ポリーニの音楽だろうか?って、私などは思ってしまう。
他の方はそうでもないかもしれないけれど。
(K.453の第2楽章は、ポリーニのピアノはよく鳴っている)
表情は実に細やかで、この上なくよく描きこまれているのだけれど、
しかしモーツァルトの音楽が微笑みかけてくれることはない。
それもやはり戸惑いなくは聞けないのだが、
かつて聞いたことのないような透明感、そこは白銀の世界であり、
色彩や光の陰影、そしてそれによって生じる音の温度差、
そういうものが存在しなくて、徹底して均質さを求めるところ、
ポリーニのモーツァルトは独特であると私は思う。
でも同時に、やはり私はポリーニが好きなのだなあ
と思ってしまうのは、こういう音を出したいポリーニの想いも
一方で実によくわかってしまうのだ。
これはまさしくポリーニの音だから。
その距離感、それを埋めることができないので、
私はポリーニのモーツァルトを聞くのが怖い。
最後に拍手が収録されているが、
もっとライブの感覚、臨場感を優先して、
(それではレコードにならなくなってしまうけど)
ポリーニもより開放されて、自由度の高い、
興に乗った演奏、その場限りの音楽との出会い、
ポリーニのライブ演奏とはそれが魅力だと思うのだが、だとしたら、
また少し違ったモーツァルトを聞かせてくれたと思う。

K.467におけるシャリーノのカデンツァだが、これは素晴らしい。
これぞポリーニならではであり、特に第3楽章のは聞きもので
今回の演奏で最も興奮した瞬間である。
この第3楽章が、私は一番好きなのかもしれない。鮮やかさ!
昔の演奏でシャイー指揮コンセルトヘボウとのライブがあるが、
そこでもやはりK.467の第3楽章におけるスピード感、
即興性をともなった盛り上がり、勢いで駆け抜け、
跳ね回っているような快活さ、魅力的だった。
それから時間を経て、現在のポリーニはより成熟した
ずっと大人のモーツァルトを聞かせてくれている。

DG 00289 477 5795

「マウリツィオ・ポリーニ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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