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2006年11月 2日 (木)

ゼルキンのモーツァルト 3

ルドルフ・ゼルキンのモーツァルトで
今日はK.503とK.459のピアノ協奏曲。
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団。
このシリーズ、続きを聞くのはちょっと久しぶりになるが、
少しずつ大切に聞いている。
第25番と第19番という一枚だが、
このディスクも発売当時のつまり1980年代、
まだゼルキンが生きていたその頃から、
名演ということで評価が高かったのだが、
この音の美しさ、まさに天国的な安らぎに包まれる。
第25番は昔から大好きな作品で、
というのもミケランジェリの演奏を聞いて、
それ以来、すっかりこの曲にはまってしまったのだが、
ミケランジェリの演奏も遅いテンポでとことん美音を追求して、
しかしその後いろいろ聞けば聞くほど、若いピアニストなんて、
もっと全然速いテンポで弾き進んで、
力強く、ガンガン鳴らしていることも多いのである。
このゼルキンの演奏といったら、全く逆で
弱音を中心に常に自然な表情、柔らかな表現で慈しみの世界、
テクニックを駆使しているということをひたすら打ち消して、
ただただモーツァルトの音楽を愛らしく響かせることに
すべてを捧げているような、これは悟りの境地である。
ピアノ協奏曲というジャンルは、
ラフマニノフやチャイコフスキーなどのように
驚異的なテクニックを披露して、その迫力に圧倒される、
ピアニストの存在がすべての中心にきて
その華やかさ、豪華さが魅力であると
そういう作品だって、多いのだけど、
ここでのゼルキン、とにかく逆であり、
でもそこが何ともいえなく感動的で、虜になってしまう。
モーツァルトやベートーヴェンの時代だって、
作曲者自身も演奏するために、当時としては
非常に画期的な発想でその腕前を競うような作品を書いていたのである。
でもここでのゼルキンの演奏には、そんな目立とうとする姿勢がなくて、
こういう演奏のあり方も存在するのだって、それが驚き。
このような芸当は、やはりルドルフ・ゼルキンのような人でないと、
巨匠であればよいというものでもないし、そうはできないのだろう。
ルドルフ・ゼルキンは、晩年に素晴らしい録音を残してくれた。
その最後ともいうべきこれら一連の録音群は、本当に強く輝いている。

DG 00289 477 5214

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コメント

初めまして
グーグルの検索から辿り着きました。
私も、ゼルキン師を師匠と慕っているものです。
モツアルトのコンチェルトは、壮年期の演奏も素晴らしいと思いますが、晩年のアバドとの演奏は祈りにも近いものを感じます。ヴィーンで、ゼルキン師が行った、ベートーヴェンの後期のピアノソナタ演奏会と並んで、私にとっては、生涯の宝物になると思っています。実演は日本で、二回聴くことができました、それも私の大切な宝物です。
ミ(`w´彡)

投稿: rudolf2006 | 2006年11月18日 (土) 08:38

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