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2007年3月 4日 (日)

セルジュ・チェリビダッケ 18

住宅Mの引越しは無事に終わったと思うのだが、
工事としては、まだ外構工事が残っているし、
私の方でも書類上の後始末がいろいろ残っていて、
今日は日曜日で特別連絡も来ないし、
ゆっくり事務仕事を進めている。
長大なブルックナーを聞きながら。
チェリビダッケのミュンヘンフィルとのライブで
1994年9月10日の交響曲第7番。

チェリビダッケのブルックナーの交響曲、
正規盤に関しては、これですべてを集めたことになる。
DGからの1970年代の演奏を中心に3~5、7~9、
こちらはシュトゥットガルト放送交響楽団とのライブであり、
(第4番はスウェーデン放送交響楽団)
そして晩年のミュンヘンフィルとのライブは3~9。
最晩年の第7番だが、本当に感動的なブルックナー。
普通ならば67分程の作品を80分かけて演奏しているのだから、
それはゆっくりと進むのだが、全く遅いという印象がない。
集中力によるものか?美しい響きが遅さを感じさせないのか?
このテンポ感覚だと、舵取りを誤ったら崩壊しかねないのである。
しかしその仕上がりは、極めて自然な音楽進行であり、
音構造の構築に関しても、不思議なぐらいに合理的であると感じられる。
そういうところが、さすがにチェリビダッケのブルックナーなのだけど、
このシリーズの中でも第7番は最も素晴らしい部類に含まれるのではないか。
スケルツォの楽章では、フレーズの扱いはとにかく遅いのだが、
重厚な音楽の中にも軽やかなリズムやしなやかさも共存しており、
チェリビダッケの究極なこだわりではあるが、
不思議なバランス感覚を生み出しているのである。

そして余白に収録されている「テ・デウム」、
こちらは少し前の録音で1982年7月1日の演奏だが、
とにかく感動した。最高だ。名演である。
晩年の演奏に比べ、旋律の扱いなど
よりねっとり感が強く、くどいまでの美の追求が行われているが、
まだあらゆる点で理想的状態にあったチェリビダッケであり、
演奏の隅々にまで充実感がみなぎっている。
それに比べると、晩年のチェリビダッケは、
もっと静寂や幽玄の美、禅の思想に深く傾倒していたといわれるが、
同じ美の追求の中にも、より内面的な深さが存在していたことに
改めてここで気付かされるのである。

EMI 5 56695 2

「セルジュ・チェリビダッケ」に関する記述はホームページにもございます
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

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