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2009年12月13日 (日)

文七元結で東京散歩

この時期になると「文七元結」である。
噺の中での長兵衛さんを実際に体験してみたいと
前から計画していたのだが、ついに歩いてきた。

長兵衛さんの一日という点では、
賭場のあった細川屋敷から博打に擦られて
寒空の下、尻切れ半纏一枚で戻ってくるのだが、
噺を聞くと…長兵衛宅に戻ったところからはじまるので
今日の散歩は、本所達磨横町からスタートすることにした。

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横浜から京浜急行と都営浅草線で蔵前へ。
まずは厩橋で隅田川を渡って、本所達磨横町へ向かう。
通称「本所達磨横町」であるが、現在の住所でいうと
本所1丁目の隅田川と平行に南北に通る町であったらしい。

20091213b1

長兵衛さんのお宅がどこにあったのか?
それは噺の中にも具体的な表現はないと思うけど
こちらは本所1丁目の東側が1-13、1-12、
西側が1-14、1-15、1-9あたりの写真である。

20091213b2

春日通りを渡って、同じく本所1丁目の
東側が1-24、1-29、西側が1-23、1-30という通り。
どうもこの辺が本所達磨横町だったそうなのだ。

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本所達磨横町の本所1丁目から東駒形1丁目に入ると
すぐのところに船江神社がある。かなり立派だ。

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駒形橋の方へ向かう途中、後ろ正面に建設中の
新しい東京タワーが見えた。はじめて見た。

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ちょっと寄り道だけど、隅田川に架かる駒形橋である。
ここから吾妻橋までは川沿いを歩く。

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お馴染みのアサヒビール吾妻橋ホールだが、
フィリップ・スタルクの金色のウンコは有名で
いや…本当はビールの泡なのかな?
その辺の建築の話題はここでは全く関係ないけれど、
長兵衛さんが博打で擦られた細川屋敷というのが、
ちょうどこのアサヒビールの敷地なのだそうである。

20091213g

吾妻橋を渡る。橋の向こうを振り返ると
細川屋敷ならぬアサヒビールの建物が見えるが、
長兵衛さんは吉原「佐野鎚」からの帰り道、
この吾妻橋で身投げしようとしている文七に遭遇。
翌日、文七は近江屋の旦那にいわれて、
橋の上から川をのぞいて、「大そう深い」と漏らしているけれど…
私も同じことをしてみたのだが、やはり深くて、とてもとても…

20091213h

浅草に出て、浅草寺横の馬道を北へ向かう。
現在の浅草6丁目付近を江戸古地図で見ると
当時は寺ばかりだったのだが、いまではすっかりなくなってしまって
一方で古地図には見つからない合力稲荷神社がある。
鳥居が重なる神社は緑に包まれ、すごくいい感じである。

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続いて浅草5丁目でこちらは古地図にも載っているのだが、
袖摺稲荷神社である。由来には源頼朝も登場する
こちらの神社は歴史があるそうだ。二階建は珍しい。

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千束4丁目を目指して、有名な「吉原大門」交差点。
でもここに大門があったというのではなく、
吉原へ向かうのにここで曲がるという入口の場所ではあったのだが。

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その目印として…有名な「見返り柳」がこれだ。
「吉原大門」交差点のガソリンスタンドの前にある。

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見返り柳から大門へ向かう衣紋坂(えもん坂)。
坂とあるので上がるのかと思ったら、平らだった。
当時と地形が変わっているのか?どうなのだろう?

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吉原大門があった場所。詳しくはわからないが…
お歯黒どぶ(堀)も現在は残っていないし、
何となく地図の区割りのイメージで行くと
この辺にあったのではないかという。
でも現在も交番があるし、パトカーも2台、
「大門で止められる(明烏)」のイメージにはぴったり!

20091213l2

大門をくぐって、吉原仲之町があった通り。
江戸の頃は茶屋街であり、客はここで
にぎやかに芸者を上げて、酒を飲み、食事をして、
夜が更けると、奥にあった見世に送られたそうである。
現在も歓楽街ではあるので、私のように
落語の世界を求めている人には
あまり長居はできないのである。

20091213m

千束3丁目にある吉原神社。
しかしここは、吉原のお歯黒どぶ(堀)の外側で
歴史は比較的新しいようである。
江戸の頃には、吉原の四隅にお稲荷さんがあったのだが、
明治5年に地主神の玄徳稲荷と合祀して、
吉原神社が創建されたそうである。
新吉原の鎮守の社で遊郭の盛衰とともに歴史があるのだが、
花魁の参拝は古書にも記されているそうで、現在でも
幸せを祈る女性への御利益が知られているそうである。

佐野鎚を出た長兵衛さんの足取りとともに
吉原から再び吾妻橋を渡って本所達磨横町を目指す。

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文七の身投げを止めた吾妻橋を渡って、
ここでちょっと寄り道。文七の行動を検証する。
水戸下屋敷に掛取りに出掛け、つい囲碁に夢中になり、
慌てて50両の入った財布を碁盤の下に忘れて帰るのだが、
その水戸下屋敷があった場所というのが現在の隅田公園である。
文七は枕橋で人とぶつかり、財布が掏られたのではないかと
勘違いしてしまって、その申し訳なさから身投げしようと考えるのだが、
大川(隅田川)につながる源森川を渡る枕橋がこれである。
枕橋から吾妻橋までの距離はほんの数分だが、
しかし悩み苦しみ絶望した文七にとっては、
遠い道のりに感じられたことだろう。

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枕橋の上から源森川である。
ここでも正面に建設中の新東京タワーが見えた

往きと同じ道で本所達磨横町へ引き返す。
まもなく本所というところで…なんと!
自転車に乗っている雲助師匠を見てしまった!
師匠はたしかこの辺なんだよね!驚いた。
朝、出発したのがちょうど10時。
戻ってきたら、12時半だった。
かなり寄り道をしてしまったけれど
長兵衛さんの足どりを実感することができた。
今後「文七元結」を聞く上でも違ってくると思う。

蔵前の駅の近くでお昼を食べて、
さん若さんの「ばっきゃの会」を聞きに
急ぎ神保町の落語カフェへ。

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