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2010年4月15日 (木)

落語につぶやき 17~庚申待

昨年11月に黒門亭で聞いた
駿菊さんの「庚申待」という噺。
これも珍しい噺だと思うけど、
ネット上に志ん生さんの録音を発見。
「宿屋の仇討」とそっくりの展開で…
というのは、江戸から明治の頃には
広く一般的であった庚申待ち(庚申講)であるが
現在では全くといっていいほどに知られていないので
「宿屋の仇討」だけが残り、「庚申待」は消えてしまった…
ということだと思う。私も庚申待ちのことを知らずに聞いたので
噺は面白かったが、どうも場面の設定がよくわからず…
でもこの噺は、庚申信仰を知った上で聞くと
かなりよくできた噺で…非常に興味深いのである。

宗教上の専門的なことはわからないが、
庚申信仰の信者の集まり(庚申講)は
庚申の日の晩は、神仏を祀って、眠らずに過ごした。
というのは…人間の頭と腹と足には三尸という虫がいて、
その人の悪事を監視し、庚申の日の夜、寝ている間に
天帝(閻魔様)に日ごろの行いを報告する。
それによって寿命が縮んだり、死んだら地獄に落ちると…
三尸の虫が天に昇れなくするために
その晩は、人々は集まって、酒盛りなどをして夜を明かした。
という庚申待ちが、江戸の頃には広く行われていたのである。
その情景が噺の中に描かれているということを知らなければならない。

志ん生さんの録音で改めてじっくり楽しんでみる。
日本橋馬喰町の旅籠屋の主人は、熱心な庚申信者で
家のものだけでなく、近所の人々も集めて
酒や食べ物も振舞って、みんなで楽しくお喋りをして、
庚申の晩を朝まで寝ずに過ごそうとしていた。
そこで順番にくだらない話をしていくが…
茶飯屋さんに斬りつけて…茶飯斬りとか
百姓の娘ながら…力持ちの女がお殿様のお世継ぎを産んで
女、狢汁食って、玉の輿に乗る…とか
お侍が武者修行の旅の途中…若者が目を取られ…座頭で
山賊がその若い座頭を岩にぶつけると粉々になり…
お伴の幇間が主人の仕返しだ!って、すると山賊は
幇間(たいこもち)を千切っては…座頭(砂糖)をつけて食い…
って…バカバカしい話ばかりなのだけど
そこで熊さんが、俺は懺悔話をすると…本当の話だと
昔、旅の帰りに熊谷で爺さんを殺して、二百両を盗んだと…
すると!隣の部屋からお声がかかり、
庚申の晩であるということを了承して泊っていたお侍だったが、
熊五郎は父の仇であると…明朝、斬って捨てると
夜が明けて…お侍を起こしに行くと「あの話はウソだ」って
ウソをつかないとやかましくて寝られなかった…

しかしその恐ろしさから庚申待ちの人々も
無事に朝まで眠らずに過ごせたわけで
今回の庚申待ちは大成功ということなのである。
志ん生さんは、毎年(年に一度?)というふうに言っているが、
庚申の日は年に六回、庚申待ちを三年続けると
参加した人々の名前を彫って、記念に庚申塔を建てるのである。
横浜にも庚申塔はたくさん残されているが、
そうした庚申待ちの情景を思い浮かべながら
庚申塔を探して歩くのが楽しくて、すっかり趣味になってしまった。
そして知識ながら…ちょっと庚申待ちを理解して聞くと
この「庚申待」という噺は実に面白いのである。

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コメント

「宿屋の仇討」は、上方の「宿屋仇」を江戸に移したものなので、それに当時の風習を加えてアレンジしたのが江戸落語「庚申待」でしょう。

投稿: nob | 2013年5月12日 (日) 11:51

この点については落語事典に書いてあったと思うのですが、「宿屋の仇討」が上方の型で「庚申待」は江戸の型ですね。

投稿: たけお | 2013年5月12日 (日) 17:23

いえ、この噺は元々上方ダネで、三代目柳家小さん(あるいは二代目三木助とも)によって東京へ移され、「宿屋の仇討」「庚申待」となったものです。

投稿: nob | 2013年6月12日 (水) 23:21

上記については、知識として知っています。その場にいたわけではないので、本当のところはわかりませんが…明治か大正のことじゃないのでしょうか?

上方の「宿屋仇」を東京へ移すときに…江戸から東京の当時の風習で、庚申の晩にはみなで集まり「庚申待」で寝ずに夜を明かすという習慣を取り入れて、設定を変更したのが「庚申待」ではないでしょうか。私は横浜市内の庚申塔をよく見て歩いているので、庚申講についても知ってますので、解説はご遠慮いたします。
一方で「宿屋仇」の原型を尊重して、場所を東海道で神奈川宿に直し、前日の晩は小田原宿など、江戸に馴染みのある形に変更を加えているのが、現在の東京の「宿屋の仇討」ではないでしょうか。しかしながら私は上方落語は聞かないので、相違点について、正確な比較を心得ているわけではありませんので、お許しください。

ご存じの通り、現在の東京の落語の中には、ご指摘の三代目柳家小さんなどによって、上方噺を東京へ移したものがたくさんあり、東京スタイルに設定変更したものを「江戸型」と呼び、また原型を尊重して、人名・地名等、最小限の変更で演じられているものを「上方型」と呼んで、同じ噺でも型がいくつかに分かれている場合がありますが、落語事典等で紹介されている解説は、そのような見解であると認識しています。

nob様へ
コメント書き込みについては感謝したしますが、最初に簡単な自己紹介等をお願いします。どういう方かわからないと…どのように返事を書くべきか迷いますので。

投稿: たけお | 2013年6月13日 (木) 10:37

上方の「宿屋仇」を東京へ移したものが、現在の「宿屋の仇討」である…ということが基本にあるわけですが、東京へ移ってからの変遷にも興味あり、詳しい方にはぜひ教えていただきたいのですが、いまの噺家さんで演じられている「宿屋の仇討」は、元はどこへたどり着くのだろうか?というのを考えますと…五代目の小さん師匠なのか?先代の柳朝師匠なのか?というのはすごく気になります。もっと前で三代目の三木助師匠の録音などを聞きますと…現在の「宿屋の仇討」とは違いも見つかる古い型のようでもあり、志ん生師匠などは「庚申待」なので、その辺りもたいへん興味深いところです。

投稿: たけお | 2013年6月13日 (木) 11:00

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