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2012年9月21日 (金)

落語につぶやき 179~永代橋

「柳家小満んの会」で聞いてきた「永代橋」だが、
噺の方ではなく、永代橋の崩落事件について、
マクラで小満ん師匠の歴史解説を聞けたので
思い出しつつ、年号などは調べつつ、記録しておく。
中央区新川1丁目と江東区永代1丁目そして佐賀1丁目に
架かる橋が永代橋である。永代通りというそうだ。
まずは深川観光協会の説明を読むと元禄11年(1698)に
日本橋と深川を結ぶ橋として建設されたそうで、
赤穂浪士の討ち入りでも帰りに義士たちが永代橋を渡ったと…
これについては、小満ん師匠のお話の中にもあった。
そして橋の一部が落ち、多数の水死者が出たという大惨事は、
文化4年(1807)のことだそうである。深川の富岡八幡祭礼の日。
ここからは小満ん師匠の説明で聞いた話…記憶をたどっていくが、
元禄時代に造られた橋であり、百年以上の月日が経過して、
大川の河口に近い永代橋は、かなり老朽化していたわけだが、
文化4年という年は、十数年の間、中止されていた深川の祭りが、
再開されるとのことで…深川方面へ渡ろうとする見物客が、
永代橋に殺到して、しかし二ツ橋家のお姫様が船で橋の下を通ると
よって通過時刻の前後半時ずつ…現在の二時間だが、橋が閉鎖され、
見物客たちは、橋の日本橋側で止められてしまったのだ。
向こう岸からは祭りの賑わいが聞こえてくるのであり、
見物客は苛立って、通行が許可されると群衆が橋になだれ込んだ。
その重みに耐えられず、橋の一部が陥落し、後から後からへと
人が押し寄せてくるので…止められず、次々に川へ落ちて行った。
水死者が数百人出たともいわれ…ここから噺の方へと入っていく。
大田南畝…つまり蜀山人が残した狂歌を見付けた。
永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼

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