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2014年10月27日 (月)

夏目漱石 小さんと圓遊

朝日新聞で夏目漱石の「三四郎」が連載中だが、
今日が、寄席で三代目小さんを聞く場面である。
与次郎は三四郎を木原店という寄席へ連れて行き、
三代目小さんと鼻の圓遊について、下記の芸論を展開。

小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。
何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。
実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。
今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。
―― 円遊も旨い。しかし小さんとは趣が違っている。
円遊の扮した太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白いので、
小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。
円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。
小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、
人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。

しかしながら三四郎は、「どうだ」と聞かれて…

実をいうと三四郎には小さんの味いが善く分からなかった。
その上円遊なるものはいまだかつて聞いた事がない。
従って与次郎の説の当否は判定しにくい。
しかしその比較のほとんど文学的といい得るほどに
要領を得たには感服した。

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