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2015年11月13日 (金)

第276回 柳家小満んの会

久しぶりに小満んの会に行けた。
早いもので、今年の最後の会である。
何となく出るのが遅くなってしまい、
横須賀線で真っ直ぐに新日本橋へ。
神田から歩いていくことが多いのだが。

三遊亭わん丈:寄合酒
柳家小満ん:毛氈芝居
柳家小満ん:水滸伝
柳家小満ん:茶金

一席目は「毛氈芝居」で、この噺はかなり以前に
「日本の話芸」の正雀師匠で見たことがあるのだが、
もうすっかり忘れてしまって、新鮮に噺を楽しめた。
栞にある師匠の解説を読むとよくわかるのだけど、
芝居の役で、舞台で死んで、名題の役者の場合には、
毛氈に包まれて、裏に運ばれるそうだが、そこがポイント。
殿様が座頭を殺した大罪人を召捕らえろ!と騒ぎ出し、
一座の頭取が、もうとっくに楽屋で生き返っていますと…
実際に死んだわけではないことを必死に説明するのだが、
殿様はそれを毛氈で包まれれば生き返るというふうに
解釈してしまうところが、いかにも落語の発想である。
続いて「水滸伝」だが、講談の昔の速記にあるそうだけど、
長編小説からの抜き読みで、その一場面が選ばれて、
おそらく師匠が、落語として新たに創ってしまったのだろう。
「水滸伝」は知らないので、中国の地名と中国人の名前、
さすがに残っていない。豪傑の悪党ばかりの登場だけど
講談の任侠噺と同じで、一概に悪とはいえないのである。
一本筋が通っている…というか、舞台が中国で、今回も
そういえるのか?よくわからないのだが、これはきっと
続編がありそう。来年の演目にはないみたいなのだが。
仲入り後は、お馴染みの「茶金」だ。主にマクラだけど、
師匠の骨董の話は、いつもながら面白い。道具屋さんの
相手目利きとか、派手に儲けるとそれに憑りつかれる…
これらはみんな、「茶金」の八五郎に通ずる訳なのだ。
本当の京都弁がどういうものか?それはわからないが、
言葉や仕草、落ち着いた空気、茶金さんの描き方しだいで、
そこは京都になって、音羽の滝であり、木屋町であり、
その世界に迷い込んでしまった江戸者の八五郎が、
本当は江戸に帰りたくて仕方なく、必死に金を拵え、
しかし「はてなの茶碗」で大金の三百両を手にした途端、
骨董による金儲けに憑りつかれてしまうのである。
一文の価値もない清水焼のガラクタ茶碗が、どうして
千両もの値に吊り上ったのか?そこを取り違えてしまって、
実にバカバカしいことだけど、考えれば、なかなか奥が深く、
そこに骨董の面白さがあるのかと。その辺を小満ん師匠は、
実感をもって、知り尽くしているので、噺の奥行きはそこである。
18日(水)は横浜の会で、「猫の皿」「甲府い」「試し酒」の三席。

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