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2016年11月17日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三七)

新吉は旅駕籠に揺られて、羽生村に戻ったのだが…

産落したは玉のような男の児(こ)とはいかない、
小児(こども)の癖に鼻がいやにツンと高く、
眼は細いくせにいやに斯(こ)う大きな眼で、
頬肉が落ちまして瘠衰(やせおとろ)えた
骨と皮ばかりの男の児が生れました。

夢に見た兄新五郎の顔に瓜二つである。

と其の頃は怨み祟りと云う事があるの或は生れ変る
と云う事も有るなどと、人が迷いを生じまして、種々に
心配を致したり、除(よけ)を致すような事が有りました
時分の事で、所謂只今申す神経病でございますから、

明治の圓朝の時代にも怨み祟りというものは信じられず、
一方で、こうしたものすべては「神経病」で片付けられた。

翌年寛政八年恰(ちょう)ど二月三日の事でございましたが、
法蔵寺へ参詣に来ると、和尚が熟々(つくづく)新吉を見まして、

寛政八年とは、1796年である。文化・文政の少し前の頃。

三月の二十七日に新吉が例の通り墓参りをして出に掛ると、
這入って来ました婦人は年の頃二十一二にもなりましょうか、

お賤との出会いの場面、再会というべきか。ここにも因縁が。

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