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2018年1月31日 (水)

今日の月は…皆既月食

皆既月食だ。月齢14.0の満月。
天気予報だと曇りそうだったので、
ダメかと思っていたが、晴れてくれた。
20時48分に欠けはじめ(部分月食)、
21時51分から23時08分まで皆既月食。

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22時34分
右側の方が明るい。

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22時55分
しだいに下の方が明るくなってきた。

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23時09分
皆既月食が終わり、月が現れてきた。

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23時13分
部分月食で細い月。

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23時17分
明るくなってきた。三日月のような印象。

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合成してみるとこんな感じである。

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2018年1月30日 (火)

クリストフ・フォン・ドホナーニ 22

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーンフィルで
ベルクの歌劇「ヴォツェック」を聞いている。
1979年12月にウィーン・ソフィエンザールで収録。
「ヴォツェック」を聞くのは久しぶりだ。素晴らしい。
ドホナーニの鋭角な攻めが音楽に激しさを生んで、
こんなにも緊迫感のある響きは、そうは聞けない。
グロテスクな彩りに支配された凄惨なストーリーだが、
まさに20世紀オペラの最高傑作であり、感動する。
ヴォツェックの錯乱の源を突き詰めていくと面白く、
いくつもあるその要素によって、物語が形成され、
誤解による疑念から破綻をきたしていく展開は、
歌劇にはよくありがちだが、世紀末の色合いで
新ウィーン楽派好きの人には、もうたまらない。
ここでのウィーンフィルはすごい演奏を聞かせる。

DECCA 478 3408

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2018年1月29日 (月)

クリストフ・フォン・ドホナーニ 21

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーンフィルで
シェーンベルクの「期待」 作品17を聞いている。
1979年9月にウィーン・ソフィエンザールで収録。
ドホナーニの鋭い音作りが冴えに冴え、鮮やかだ。
スコアを緻密に厳しい追及によって生まれる音であり、
あまりの素晴らしい響きに夢中になって引き込まれる。
ウィーンフィルの音だけど、力強い迫力、勢いがあり、
この時代の演奏って、独特の緊張感があって、感動。
ドホナーニは、まだ若手という印象だったのだろうけど、
音で聞くと圧倒的な存在感であり、さすがに名盤だ。
明日はこの三か月後の歌劇「ヴォツェック」を聞く。

DECCA 478 3408

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2018年1月28日 (日)

黒門亭でほたる・小ゑん・小里ん

小ゑん師匠と小里ん師匠で黒門亭に行ってきた。
朝早くから並んで、雲って気温も低く、命懸けだった。
大袈裟なって思うだろうけど、この時期は真剣に寒い。
朝が零下で、それから数時間では、気温も上がらず、
この数日の低温って、ちょっと異常だ。それを体感。

第1部
柳亭市坊:転失気
柳家ほたる:たらちね
柳家小ゑん:長い夜 改II
米粒写経:漫才
柳家小満ん:御慶

市坊さんはよかった。「転失気」は知ったかぶりの噺だけど
和尚さんだけでなく、門前の花屋さんも適当なことをいって、
結局はすべての人間が、知ったかぶりをするのだなって。
逆に噂話のように知っていることは自慢で喋りたがるもので、
人間って困った生き物だけど、そう考えるとますます面白い。
今日は小学生の女の子が来ていて、退屈そうにしていたが、
ほたるさんの「たらちね」は、何とか笑わせようとしていたか?
途中から大袈裟になり、臭くなって、つまりは変なお嫁さん、
そこでほたるさんのキャラとぴったり一致していたのが魅力。
小ゑん師匠は「長い夜」だった。この噺、私は大好きである。
どこが好きかって、北千住のデニーズの家族連れが最高だ。
私の中では「弟子に食事を勧める小さん師匠」というイメージ。
現在は「改II」となっていて、つまり時代の流れ、社会の変化で
人間の進化の様子にも違いが見られ、すると描写も変わり、
噺も変わって、だとしたら、昔の「長い夜」を聞いてみたくなる。
時代を映し出しているのである。本当に笑いっぱなしだった。
小ゑん師匠のリサーチ力はすごい。鋭い観察、話題の吸収。
仲入り後、米粒写経の後、小里ん師匠は「御慶」をネタ出し。
27分ほどで2時過ぎに終了、ちょうど寄席のトリの長さか。
大家さんに家賃を払った後、市ヶ谷の甘酒屋さん(古着)へ
裃を買いに行く場面は省略。なくても全く問題はないのだが、
ないと何か足りないような気がしてしまうのは、すぐに正月で、
あっという間に時間が過ぎてしまうのである。当たった金も
使う場面が少ないので、富くじの八百両の実感がないのかも。
オチは「恵方詣り」で、正月の恵方詣りは知られなくなったが、
節分の恵方巻きがすっかり一般的になったので、来週だが、
ここで「御慶」が聞けてよかった。今年の恵方は「南南東」。

20180128

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2018年1月27日 (土)

小満ん語録~火消

先日の小満んの会で聞いた「火事息子」より
江戸時代の消防は、現在の放水による消火と違って、
破壊消防であり、風下の建築を解体することによって
延焼を防ぐ方法であったと、これについてはよく聞くが、
消火活動において、建築を壊すので、火消人足には
鳶の者が採用されたとこの件についてははじめて聞く。
落語の登場人物において、頭(かしら)がよく出てくるが、
一般的に町火消の組の頭というのが思い浮かぶけれど、
建築の鳶の頭の雰囲気もあり、鳶≒火消であるならば、
それも正しかったことになる。モヤモヤがひとつ解決。

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2018年1月26日 (金)

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス

ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮による
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で
ベートーヴェンの交響曲全集を収録順に聞いている。
今日は、交響曲 第5番 ハ短調 作品67
2017年1月にライプツィヒ・ゲヴァントハウスで収録。
受け継がれてきたスタンダードな演奏から離れずに
一方で最新の研究成果を踏まえ、ピリオド奏法であり、
それをまとめ上げているのが、こう表現したいという
現在のブロムシュテットが強く望む想いであるところに
この演奏の感動がある。説得力があって、普遍的だ。
昨年1月の録音であり、ブロムシュテットは89歳。
しかし巨匠的な雄大さは存在せず、引き締まって、
実に研き抜かれた響きである。この瑞々しい音楽、
最先端を行くような感覚は、まさに驚異的であり、
偉大な存在だ。ブロムシュテットは大好きである。

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2018年1月25日 (木)

カラヤンの1980年代 42

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルで
ブラームスの交響曲全集を収録順に聞いている。
今日は、交響曲 第1番 ハ短調 作品68で
1987年1月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
何度聞いても圧倒的な名盤であり、最高の感動だ。
異様な緊張感に満ちて、重厚な響きは巨大な迫力、
晩年のカラヤンに特有な壮大な広がりを見せるが、
衰えを感じさせないのは、豪快な音楽の進行である。
録音はそれほどよくないが、リアルな感触は圧巻。
カラヤンといえばこの一枚といえる代表盤である。

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小満ん語録~気散じ

月曜日の大雪の中での小満んの会であったが、
師匠の一句が(「火事息子」については別の句)
「初雪に誘われて、気楽に出掛けてみたものの、
殊の外の大雪で往生してしまい」という内容で
帰りは空いていたが、ご苦労されたであろうと
そこで出てきた言葉が「気散じ」であり、意味は
「気晴らし」「気苦労のない、気楽、のんき」で
思いつくのが「富久」の中での一節であった。
久蔵が富札を大神宮様に供え、御神酒を飲み、
高いびきで寝込んでしまい、「独り者の気散じ」
独り者の気楽さで、誰に遠慮することもなく、
酔ってそのまま寝てしまう、そんな様子である。

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2018年1月24日 (水)

クラウディオ・アバド 40

クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団による
モーツァルトの交響曲 第35番「ハフナー」と第29番
2006年5,9月にボルツァーノのハイドン・オーディトリウム。
ノン・ヴィブラートの素朴な響きでアクセントや奏法の点でも
古楽の仕上がりなのだが、ノリントンやアルノンクールとも
印象は違っているように思えて、かなり独特な演奏である。
想いが詰まっている、というよりもアバドの表現は実験的で
最後にやりたかったことがこれなのかもしれないが、驚き。
ピリオド奏法で、これまでに確立されてきたものを超越して、
アバドはさらに一歩先の世界を描き出しているような感じ。
好みは別れると思う。アバドはベルリンフィルがよかった。

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2018年1月23日 (火)

横浜の風景から 525

大雪の翌日、朝から快晴の天気で
一日は雪かきからはじまったが、
午後には解けて、消えるのが早い。
気温が低いので凍結が心配だが。

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瀬谷区阿久和南1丁目のお墓山の近所にて。

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お墓山を眺めるお馴染みの風景である。

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2018年1月22日 (月)

第143回 柳家小満んの会

まさかここまで大雪になってしまうとは…
横浜市内陸部の豪雪地帯にいるもので
夕方、駅に出るのに早速、大変な騒ぎ。
電車は5分程度の遅れだが、減速して、
反対の下り線は、早めの帰宅で大混雑。
早めに出たので早めに到着できたけれど、
大雪の小満んの会ははじめてで、これは
よい想い出になりそう。ちなみに帰りは、
帰宅ラッシュも終わって、電車はガラガラ。
50分遅れの運行だけど、順調に帰れた。
人も歩かず、近所は雪に埋もれていたが。

金原亭駒六:道灌
柳家小満ん:お楠物語
柳家小満ん:花筏
柳家小満ん:火事息子

「お楠物語」は浄瑠璃を落語に移した小満ん師匠の作で
会の案内ハガキにすでにそうした紹介があったのだけど、
帰ってから読み返してみたところ、写真師下村連杖作の
「横浜開港奇談」から初段の「お楠子別れの段」とある。
下村連杖は維新の頃に異人さんから写真の技術を学び、
野毛坂に写真館を開いて、日本人初の写真師として、
活躍していたとそういう説明を聞いたように思うのだが、
つまりマクラも含めると明治維新の「横浜物語」という
そんな印象である。この噺は、横浜の会の限定のネタ?
横浜村の漁師が、野毛坂にある楠の木に打ち込まれた
藁人形の五寸釘を抜いてやったことで、その恩返しに
楠の木の精が女房になってやるのだが、その大木が
伐り倒されることになり、娘への別れの言葉を蓄音機に
録音して残すという、ペルリーが置いていった蓄音機で
師匠もこの辺が荒唐無稽だと、横浜開港の雰囲気が
たっぷりと伝わって、ウソでも幕末明治の空気である。
かつての漁村で横浜村と吉田新田、外国人居住区と
現在の関内、桜木町周辺の歴史だが、市民ならば、
何となくは知っているのだけど、改めて勉強したくなる。
師匠は、益荒雄が十両に上がったばかりの頃から
ファンだったそうで、マクラの相撲ネタが面白かったが、
お馴染みの「花筏」がよかったのである。なぜかというと
提灯屋さんに花筏の代役を頼む親方の貫録がよくて、
つまり関取やその師匠がそれらしく聞こえるかであろう。
本物は知らないので、イメージが大切、ということだが。
仲入り後は「火事息子」であり、師匠のが少し違うのは、
臥煙になった若旦那が病で臥せている母の夢を見て、
うなされているところを仲間に起こされ、夢の話が入り、
付近の火事で実家に戻ってくる理由付けがされている。
楽しく、笑いながらも親子の情愛があふれている噺で
まさに今の冬の乾燥にぴったりの感動的な噺なのだが、
それがまさかの大雪に見舞われるとは、驚きだった。
ということで、次回は3月19日(月)の第144回であり、
「家見舞」「お茶汲み」「花見の仇討」の三席である。

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2018年1月21日 (日)

アルバン・ベルク四重奏団 38

アルバン・ベルク四重奏団の1970年代の録音を
収録順に聞いている。今日はモーツァルトの作品で
第22番 変ロ長調 K.589 「プロシャ王 第2番」
第23番 ヘ長調 K.590 「プロシャ王 第3番」
1975年12月にウィーンのテルデック・スタジオで収録。
前回に続いて、この「プロシャ王」の弦楽四重奏曲は、
私はこれまで聞いてこなかったので、勉強中である。
モーツァルトの死の前年に作曲され、後期の作品だが、
渋い存在感のようでもあり、つまり少々地味なのだけど、
しかし優れていることは間違いなく、素晴らしい作品だ。
この「プロシャ王」の3曲は、もっと聞いてみたくなった。

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2018年1月20日 (土)

東京の風景から 70~大黒屋

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東海道大森のミハラ通りには、
餅甚ともうひとつ御菓子司があり、
こちらは大森本町の大黒屋である。
名物はのり大福。実においしい。
戦後、海が埋め立てられるまでは、
蒲田、大森の海でも海苔の養殖が
盛んに行われていた。その名残りで
餅に青海苔を練り込んだ大福である。
海苔は、今はもう作っていないけれど、
この辺りは海苔屋さんが非常に多い。
大田区大森本町で京急平和島の近く。

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2018年1月19日 (金)

アレクサンドル・タロー 4

アレクサンドル・タローによるプーランクの作品集。
プレスト 変ロ長調、メランコリー、
フランス組曲(ブルゴーニュのブランル舞曲、パヴァーヌ、
小軍隊行進曲、コンプラント、シャンパーニュのブランル舞曲、
シシリエンヌ、カリヨン)、8つの夜想曲、3つの常動曲、
村人たち(チロル風ワルツ、スタッカート、田舎風に、ポルカ、
小さなロンド、コーダ)、間奏曲 第2番 変ニ長調、
3つの小品(パストラル、讃歌、トッカータ)
アレクサンドル・タローが26歳ぐらいのときの録音と思われる。
詳しくはわからないのだが、流通しているCDでは最初の時期。
プーランクはあまり聞かないので、これで勉強している感じだが、
若き日のアレクサンドル・タローは、素晴らしく魅力的な演奏。
プーランクのピアノ作品は基本的に心地よい曲ばかりなので
きちんと聞けば、すぐに親しみを覚えるが、興味が湧いてきた。

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2018年1月18日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四三)

新吉と作蔵が戻ってくる場面。

新吉「…蚊帳を窃(そっ)と畳んで、離れた処(とけ)え
持って行って質に入れれば、二両や三両は貸すから、
病人に知れねえ様に持出そう」
作蔵「だから金と云うものは何処(どこ)から来るか
知れねえなア、取るべえ」

三蔵の置いていった蚊帳を取り上げようとして

新吉「金を置いて行った、そうか、どれ見せろ」
作蔵「だから金は何処(どこ)から出るか知んねえ、
富貴(ふうき)天にあり牡丹餅(ぼたもち)棚にありと
神道者(しんどうしゃ)が云う通りだ、おいサア行くべえ」

「牡丹餅は棚にあり」は落語によく出てくる。
もちろん「棚から牡丹餅」の棚の上。

累「…金をお持ち遊ばして其の上蚊帳までも持って行っては
私(わたくし)は構いませんが坊が憫然で」
新吉「何(なん)だ坊は己の餓鬼だ、何だ放さねえかよう、
此畜生(こんちきしょう)め」
と拳(こぶし)を固めて病人の頬をポカリポカリ撲(ぶ)つから、
是を見て居る作蔵も身の毛立(だ)つようで、

何かに憑りつかれたかのように新吉は残酷な振る舞いで。

新吉「なに、此畜生め、オイ頭の兀(はげ)てる所(とこ)を打(ぶ)つと、
手が粘って変な心持がするから、棒か何か無(ね)えか、…」

新吉はこれまでとまるで別人のようである。
一体、何がそうさせているのか。

累「アアお情ない、新吉さん此の蚊帳は私が死んでも放しません」
と縋(すが)りつくのを五つ六つ続け打(うち)にする。
泣転(なきころ)がる処を無理に取ろうとするから、
ピリピリと蚊帳が裂ける生爪が剥(は)がれる。
(中略)
作蔵「爪がよう」
新吉「どう、違(ちげ)えねえ縋り付きやアがるから生爪が剥がれた、
厭な色だな、血が付いて居らア、作蔵舐(な)めろ」

気持ち悪くて、ゾッとする表現。
幽霊が出るよりもよっぽど恐ろしい。

新吉「何をいやアがる」
とツカツカと立ち戻って来て、脇に掛って有った薬鑵(やかん)を取って
沸湯(にえゆ)を口から掛けると、現在我が子與之助の顔へ掛ったから、
子供「ヒー」
と二声(ふたこえ)三声(みこえ)泣入ったのが此の世のなごり。

一番恐ろしいのは、幽霊でもなく、この世の人間だと。

斯う憎くなると云うのは、仏説でいう悪因縁で、心から鬼は有りませんが、
憎い憎いと思って居る処から自然と斯様(かよう)な事になります。

と、圓朝は締めくくっている。

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2018年1月17日 (水)

ミシェル・ダルベルト 3

ミシェル・ダルベルトによるドビュッシーの作品で
映像 第1集と前奏曲集 第1巻を聞いている。
1997年12月9-12日にラ・ショード・フォンで収録。
洒落の効いた表現の揺らぎを爽快な中に漂わせて、
そうしたところに何とも抜群のセンスを感じるのだが、
明瞭なテクニックは鮮やかであり、研ぎ澄まされて、
どうもリストの作品のように響いてしまうところは、
好みが分れる。音楽の明解さは最大の武器だけど、
霧の中に見え隠れする柔らかな風景は存在しない。
その点では、前奏曲集の方が好みに近い気がする。
音色の透明感と絶妙な色付けの仕上がりは絶品だ。
ダルベルトは2015年の最近になって、続編のような
映像 第2集と前奏曲集 第2巻を録音しており、
その前に比較の意味でもこちらを聞くことにした。

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2018年1月16日 (火)

エリーザベト・レオンスカヤ 2

エリーザベト・レオンスカヤでシューベルトの作品、
ピアノ・ソナタ イ長調 D.959とト長調 D.664
1992年3月にベルリンのテルデック・スタジオで収録。
まさにリヒテル、ギレリス、ベルマンを思わせるような
ロシア的な硬質な響きなのだが、音色は明るい色調で
ゆったりとした流れの中で豊かな表情で描き込まれて、
これは感動的な演奏だ。ソ連時代のどこか威圧的で
音楽への厳しさゆえに聞く人を寄せ付けないような、
そうした感覚はここにはない。親しみをもって聞けて、
それが時代の変化なのか、レオンスカヤの音楽性か、
どちらにしても魅力にあふれたシューベルトである。

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2018年1月15日 (月)

小満ん語録~ブルドック

13日の小満んの会で戌年にちなんだ小噺。
正確にはわからないが、こんな感じだったと。

はじめてブルドックを見る子供には、
それは恐ろしい形相だと思いますが、
「おっかぁ、おっかぁ、いまね、ブルドックがね」
「あらま、たいへん、恐かったでしょ」
「うん、あたいのことをね、べろべろっと味見した」

この程度にしか思い出せないのだけど、
すっかり気に入ってしまって、ブルドックは、
イギリスで闘犬用に改良された品種で
ブル(bull)とは雄牛のことだそうである。

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2018年1月14日 (日)

東京の風景から 69~餅甚

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12日の朝日新聞夕刊で紹介された
大森のミハラ通りにある「餅甚」で
名物の名代あべ川餅を買ってきた。
享保元年(1716)創業の御菓子司。
大田区大森東一丁目の旧東海道沿い。
この餅が絶妙な美味で私のお気に入り。

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内川橋にて内川の風景である。

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2018年1月13日 (土)

第289回 柳家小満んの会

今年最初の小満んの会で夕方から日本橋へ。

金原亭駒六:道灌
柳家小満ん:犬の字
柳家小満ん:葱鮪の殿様
柳家小満ん:明烏

2018年は戌年であり、初っ端は犬の噺で「犬の字」から。
「元犬」の元という噺で三代目圓馬師匠の速記を頼りに
ということが案内されていたが、満願の日に毛が抜けて、
人になったところに…ここまでは「元犬」とほぼ一緒だが、
かわいがってくれた上総屋さんの旦那がやって来て、
白犬が人になった経緯をきちんと話し、上総屋の弟で
越後屋さんに恩返しの奉公をしたいと只四郎はいう。
場所が蔵前の八幡様だが、蔵前なので上総屋は札差し、
その弟で牛込の越後屋は、米つながりで搗米屋である。
お馴染みの「元犬」は、上総屋が口入屋でちょっと違い、
その恩返しの奉公の訳はというと、五年前の野犬狩りで
白犬が捕まりそうになったところを越後屋の旦那が助け、
命の恩人なのであり、それで一年間、我武者羅に働き、
上総屋の女中でおもよさんと夫婦にしようと話しが出る。
犬の本性が表れてはいけないと酒を飲ませ試すのだが、
只四郎はすっかり酔って、大の字になって寝てしまった。
肩のところに枕があって、犬の本性が表れたというオチ。
大の字でなくて、それで「犬の字」の題名なのである。
「元犬」の別型でもっと演じられればいいのに。面白い。
続いて、この寒い季節にぴったりの「葱鮪の殿様」だが、
小満ん師匠の「葱鮪の殿様」は以前に聞き逃しており、
今回がはじめてだと思う。ときどき演じられているので
聞いている方は多いと思うのだが、下谷の七不思議が
わかりやすくて、勉強になり、ありがたかったのだけど、
湯島の切通しから上野広小路の様子を説明する中で、
昔からこの「下谷の七不思議」が入っているものだが、
どうも噺が脱線して、流れが分断されている気がする。
そういうものだから仕方ないか。雪の極寒の風景に、
煮売屋から湯気が立ち上り、庶民の雑な料理ながら、
こんなにも美味そうな料理はないと思わせる葱鮪鍋、
それに熱燗の酒であり、その暖かさが最高の贅沢だ。
殿様の衝撃を一緒に味わうと幸せな噺なのである。
そして三席目は、新年にふさわしいお馴染み「明烏」。
二月の初午の情景なので、正月ということもないけれど、
はじめに聞くというイメージもあって、横浜でも以前に、
1月に演じられたことがある。明るい気持ちになって、
実に楽しい。小満ん師匠の「明烏」も有名ではあるが、
文楽師匠と同じく十八番で鉄板ネタという印象がある。
ということで、22日の月曜日は、横浜の小満んの会、
演目は「お楠物語」「花筏」「火事息子」。楽しみである。

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2018年1月12日 (金)

ギャリック・オールソン 3

ギャリック・オールソンによるリストの作品集(第1巻)で
バッハのコラールによる幻想曲とフーガ(ブゾーニ編曲)、
そしてピアノ・ソナタ ロ短調という大作2曲を聞いている。
2009年4月にニューヨーク州立大学の舞台芸術センター。
バッハのコラールによる厳粛な雰囲気をもつ作品にはじまり、
その流れでリストの華麗な側面を抑え、ピアノ・ソナタも含め、
全体に荘厳な響きで統一されているところに私は惹かれた。
ベーゼンドルファーのピアノが使用されており、深い音色で、
角の取れた輪郭ながら豊かに鳴り響いて、素晴らしい録音。
ギャリック・オールソンのスケール大きい演奏にぴったりで
細部の表情にまで丁寧に感動的な名演だ。巨匠の風格で
一方の超絶技巧の安定感も圧倒的であり、完璧に思える。

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2018年1月11日 (木)

マルタ・アルゲリッチ 1

マルタ・アルゲリッチによるシューマンの作品で
子供の情景 作品15、クライスレリアーナ 作品16
1983年4月22-26日にミュンヘンのプレーナーザール。
昨日はジョナサン・ビスのクライスレリアーナを聞いたが、
そのひと時代昔の1980年代を代表する名盤を聞いている。
アルゲリッチは天才的というか、感情の起伏が極端に激しく、
繊細な弱音から叩きつけるような強打まで思いのままである。
いま改めて聞くとその繊細な表現の方が美しくて、私はいい。
逆に感情の激しい部分は、やはりどうも基本的には好まない。
とはいいながらも聞く人をこれだけに惹き付けるのだから、
やはりそこがアルゲリッチなのであり、たとえ好みでなくても
これは名演であることを認めざるを得ない、そんな境地だ。

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2018年1月10日 (水)

ジョナサン・ビス 1

ジョナサン・ビスによるシューマンの作品集を聞いている。
クライスレリアーナ、アラベスク、幻想曲 ハ長調
2006年4月22-25日にロンドンのエア・スタジオで収録。
10年以上前の録音であり、ジョナサン・ビスは25歳だが、
深く考え抜かれて、練り上げられた表現という印象がある。
細やかなところにまで丁寧に精妙に描き込まれているが、
その音楽は力強く、強固な意志によって構築されている。
ここで取り上げられている作品がいい。好きな曲ばかりで
私はクライスレリアーナがお気に入りだが、この幻想曲が
実に堂々と完成された仕上がりであり、何とも感動した。

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2018年1月 9日 (火)

ズデニェク・マーツァル 2

ズデニェク・マーツァル指揮チェコフィルによる
マーラーの交響曲 第1番 ニ長調「巨人」
2008年1月17,18日にプラハのルドルフィヌムで収録。
チェコフィルの美しい音色がまずは最大の魅力だが、
マーツァルは誠実な音作り、精妙なコントロールであり、
透明感あふれる音楽が実に丁寧に作り上げられている。
セッション録音とライブの編集のようだが、臨場感があり、
会場で聴衆と聞いているような空気感がよく伝わってくる。
それが終楽章になるとちょっと変わり、動きがより大きく、
うねりを上げる迫力の音楽に首を突っ込んでいるような、
響きのこだわりにも感動するし、一気に引き込まれる。
マーツァルとチェコフィルによるマーラーのシリーズは、
この第1番と第2番だけ、残していたので、それから
今年は聞いてみたいと思っている。第8番がないが、
それに「大地の歌」も残されていないのは、何とも残念。

EXTON OVCL-00355

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2018年1月 8日 (月)

カラヤンの1980年代 41

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルで
ブラームスの交響曲全集を収録順に聞いていく。
今日は、交響曲 第2番 ニ長調 作品73で
1986年6月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
ブラームスの交響曲は、かなりいろいろな演奏で
このところ継続して聞いているが、今年の最初に
カラヤン晩年のお馴染みの名盤で聞きたいと思う。
独特の徹底した美学が緩みを見せ、解放されて、
雄大な仕上がりへと変貌しているのは間違いなく、
結果、かなりロマンティックな音楽が聞けるのだが、
そこにどこまで深く共感して、聞き込めるかである。
1970年代の演奏に比べ、ばらつきがあるのは事実。

DG 00289 477 9761

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2018年1月 7日 (日)

東京の風景から 68~大森東

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大田区大森東2丁目の鷺之森稲荷神社。

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大田区大森東1丁目にある内川水門。

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ふるさとの浜辺公園にて。
向かい側は昭和島である。

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ふるさとの浜辺公園にて。
正面右手が昭和島、左手は平和島。

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ふるさとの浜辺公園にて。
正面の向かい側は平和島である。

20180107d1

浜辺橋より内川の上流方向を見る。
正面にあるのが、内川水門。

20180107d2

浜辺橋より内川の下流方向で
正面に見えているのは平和島。

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2018年1月 6日 (土)

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス

ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮による
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で
ベートーヴェンの交響曲全集を収録順に聞いている。
今日は、交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」
2016年5月にライプツィヒ・ゲヴァントハウスで収録。
ここでも速めのテンポだが、スピードよりも軽やかさ、
楽しく、いきいきと躍動する快活なリズムが特長である。
明るい音色は心地よくて、ノン・ヴィブラートの奏法は、
素朴な響きを生み出しているけれど、透明感があって、
まさに田園の雰囲気というか、実に素晴らしい風景だ。
それにしても細部の表現、表情付けが魅力的であり、
情景の中にいる人々の心も伝えているのには感動。

accentus music ACC80322

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2018年1月 5日 (金)

バイエルン放送交響楽団

ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団で
マーラーの交響曲 第3番 ニ短調を聞いている。
ゲルヒルト・ロンベルガーの独唱、バイエルン放送合唱団、
2016年6月15-17日にミュンヘン・フィルハーモニーで収録。
ハイティンクの指揮するマーラーの第3番は、1960年代から
数種の録音が存在しているが、最近で圧倒的だったのが、
シカゴ交響楽団とのライブ盤であり、それが2006年の録音、
さらに10年が経っての演奏ということになるが、感動的だ。
とにかく素晴らしい。重厚な構えだけど、音楽は引き締まり、
細部の繊細な表情はいきいきと実に美しい仕上がりである。
ゆったりとした足取りに巨匠の芸を感じるが、むしろ印象は、
若々しく新鮮な感覚にあふれており、瑞々しい響きである。
この第3番は、他の長めの交響曲よりも20分長いので、
しっかり時間を確保するのにどうも身構えてしまうのだが、
聞き出すと心地よさがたまらなくて、よほど私は好きらしい。
昔、マーラーの映画があったのだけど、その冒頭部分が
交響曲 第3番の第1楽章で、音楽に使用されたのが、
ハイティンクの指揮する演奏であった。いまもそこを聞くと
映画の場面が思い出されて、懐かしい。音楽の力である。

BR 900149

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2018年1月 4日 (木)

ニューイヤーコンサート1993

2018年のニューイヤーコンサートを指揮したのは
5回目の登場となるリッカルド・ムーティだったが、
過去は1993年、1997年、2000年、2004年であり、
その最初の1993年のCDを久しぶりに出してみた。
ヨハン・シュトラウス2世でワルツ「ジャーナリスト」、
ポルカ「外交官」、ポルカ「すみれ」、
ヨーゼフ・ランナーのシュタイル風舞曲、
ヨハン・シュトラウス1世のシュペアル・ギャロップ、
ヨハン・シュトラウス2世の「インディゴと40人の盗賊」序曲、
ヨーゼフ・ランナーのハンス・イェルゲル・ポルカ、
ヨハン・シュトラウス2世のギャロップ「クリップ・クラップ」、
エジプト行進曲、ヨハンとヨーゼフ共作のピツィカート・ポルカ、
ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「トランスアクツィオン」、
ヨハン・シュトラウス2世の常動曲、ポルカ「狩」、
ワルツ「美しく青きドナウ」、1世のラデッキー行進曲
リッカルド・ムーティ指揮ウィーンフィルによる演奏で
1993年1月1日にウィーン楽友協会大ホールで収録。
25年が経ってもムーティはあまり変わらないと思うのだが、
やはり若々しい感覚にあふれているはずだと…そう聞けば、
切れ味の鋭さは独特だし、加速とスピード感は最高である。
エジプト行進曲の音作りが何ともいい雰囲気で実にいい。
今年のCDも出たらじっくり聞きたいと思っている。楽しみ。

PHILIPS 438 493-2

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2018年1月 3日 (水)

東京の風景から 67~穴守稲荷

正月三日の風景。出掛けてみると
世間は意外と普段と変わらぬ印象である。

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羽田の穴守稲荷に行ってみた。
大田区羽田5丁目にある穴守稲荷

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奥之宮へはたくさんの鳥居が並んでいる。

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奥之宮。小さな鳥居が奉納されている。

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福徳稲荷社。築山に上ることができ、
山頂には、御嶽神社が祀られている。

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2018年1月 2日 (火)

横浜の風景から 524~正月二日

午後、少し出掛けて、正月二日の風景。
といっても近所の瀬谷区の辺りである。

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瀬谷区阿久和南1丁目のお墓山。
江戸時代にこの地を治めた安藤氏の墓所がある。
瀬谷区の公園になっている。誰もいないけど。

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お馴染みの風景だけど、お墓山の全景。

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県営阿久和団地を抜けて、泉区和泉町へ。
富士山は雲の中。上りの新幹線が通過中。

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2018年1月 1日 (月)

横浜の風景から 523~元日

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。

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恒例の善部神明社に初詣。
昨日の大晦日は雪もちらつく寒空で
日没の富士山は拝めなかったけれど
元日は朝から快晴。気持ちも清々しい。

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