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2018年5月31日 (木)

ハンヌ・リントゥ 3

ハンヌ・リントゥ指揮フィンランド放送交響楽団による
シベリウスの交響詩「タピオラ」 と交響詩「エン・サガ」、
アリウス・サッリネンの編曲による8つの歌曲。
メゾ・ソプラノ独唱は、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター。
タピオラと歌曲が2016年5月、エン・サガが2016年12月に
ヘルシンキのミュージック・センターで収録されている。
体育会系、筋肉ムキムキのシベリウスは今回も絶好調で
ハンヌ・リントゥの眩しい音楽って、本当に圧倒的存在感。
かつて聞いたことのない激しさではじまるタピオラであり、
どの瞬間も一点の曇りのない明瞭な楷書体、ハッキリして、
こういうシベリウスってありなのか?という、概念が崩れる。
新しいことに挑戦しているというのと違って、突き詰めて、
本質に向きあい、とにかく音楽への真剣さがにじみ出る。
表面的な激しさと内面での厳しさ、覚悟が違うというか。
何よりも音楽を惰性で扱っていないところに心打たれる。
経験と積み重ねで成果は築き上げられるものだと思うが、
ハンヌ・リントゥのこの一曲に向き合う集中力は凄まじく、
フィンランド放送交響楽団の共感と一体感に感動する。

ONDINE ODE1289

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2018年5月30日 (水)

トゥガン・ソヒエフ 2

トゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団による
プロコフィエフの組曲「キージェ中尉」(2016年5月13,14日)
古典交響曲 ニ長調 作品25(2016年3月12,13日)
交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131(2014年11月13-15日)
ベルリンのフィルハーモニーでライブ収録されている。
今回も明るい音色で、作品の傾向もあるけれど楽しい。
録音が素晴らしくて、「キージェ中尉」における音響空間は、
遠近感が見事に捉えられていて、最初から惹き付けられる。
ベルリン・ドイツ交響楽団のしなやかな運動性も絶品で
なんて素晴らしい演奏かと夢中になる。交響曲第7番が
私は大好きで、ゲルギエフの自在なテンポ感からすると
ちょっと穏やか過ぎるかともう少しメリハリが欲しい。
不協和音もあまり強調されずに平和な時間が流れる。
次作はきっと交響曲第6番であろう。期待が膨らむ。

SONY 88985419432

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2018年5月29日 (火)

バイエルン放送交響楽団

アンドリス・ネルソンス指揮バイエルン放送交響楽団で
ドヴォルザークの交響曲 第9番「新世界から」
交響詩「英雄の歌」 作品111を聞いている。
交響曲は2012年12月1-3日にヘルクレスザール、
「英雄の歌」は、2012年4月25-27日にガスタイクの
ミュンヘン・フィルハーモニーでライブ収録されている。
非常に意欲的な表現で細部にまで熱く作り込んでいき、
あらゆる演奏効果と可能性を引き出して、快感である。
チェコの指揮者が、作為的な要素を控え、むしろ淡々と
民族色を強調しない傾向にあるが、ネルソンスの歌は、
独特の節回しをたっぷりと聞かせるので、これまでなく
チェコ的な雰囲気が表出されるのは堪能した感がある。
静寂の中にごく繊細で精妙な美しさを求めたかと思うと
その次の展開に劇的な盛り上がりを見せて、その変化、
緊迫感ある表現には、どこかバーンスタインを思い出す。
それとは関係ないのだが、バイエルン放送交響楽団の
このライブ・シリーズで、マリス・ヤンソンスの指揮では、
交響曲 第8番とスターバト・マーテルが出ているけれど、
他の交響曲もぜひ聞いてみたい。もちろん「新世界」も。

BR 900116

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2018年5月28日 (月)

ヤクブ・フルシャ 1

ヤクブ・フルシャ指揮バンベルク交響楽団で
スメタナの交響詩「わが祖国」を聞いている。
2015年9月と2016年3月にバンベルクのコンツェルトハレ。
ヤクブ・フルシャのプラハでの録音があることは、何となく
知っていたのだが、バンベルク交響楽団の首席指揮者に
その最初の録音が「わが祖国」で、これは聞いてみたいと
はじめてである。ヤクブ・フルシャは東京都交響楽団にも
客演しているので、新聞の批評などにも注目していたが、
ここでの「わが祖国」は、想像していた以上に濃密であり、
じっくりと描き込んで、どの瞬間にも想いのあふれる演奏。
奏者たちの深い共感が込められているし、それを感じて、
こちらも心が熱くなる。バンベルク交響楽団が明るい音で
南ドイツの伝統をしっかり受け継いでいると素晴らしい。
ちょっと大袈裟だけど、ヨーゼフ・カイルベルトの時代の
昔のドイツのオーケストラの音色が今も生きているような
何かそういうことを感じさせる、この録音の魅力である。

TUDOR 7196

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2018年5月27日 (日)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四七)

お賤に唆されて、新吉が惣右衛門を殺す場面である。

新吉「人情として出来ねえ、お前の執成(とりなし)が宜いから、
旦那は己が来ると、新吉手前(てめえ)の様に親切な者はねえ、
小遣(こづけえ)を持って行け、独身(ひとりみ)では困るだろう、
此の帯は手前に遣る着物も遣ると、仮令(たとえ)着古した物でも
真に親切にして呉れて、旦那の顔を見ては何うしても殺せないよ」

こういうところは、新吉は根っからの悪党でもなくて、
気が弱かったり、優しいところもあって、人間味が感じられる。

(寝ている旦那の首に細引きを巻き付けて)
お賤「じれったいね新吉さん、グッと斯うお引きよ、もう一つお引きよ」
新吉「うむ」
と又引く途端新吉は滑って後(うしろ)の柱で頭をコツン。
新吉「アイタ」

新吉はますます抜けていて、前半の頃の新吉に戻ったようだ。

遺言に従って、惣右衛門の湯灌を新吉が行うが、
ひとりでできるものでもなく、そこへ土手の甚蔵が現れる。

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2018年5月26日 (土)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「ラーメンのラーって何?」
1488年には、ラーメンの原形となるものが伝わっていた。
明治の頃に横浜中華街を中心に支那そば、南京そばが
広く知られるようになり、大正10年、北海道の竹家食堂で
大久タツさんがはじめて支那そばを「ラーメン」と名付けた。
中国人留学生の間で肉絲麺(ロースーメン)が人気であり、
日本人はそれを支那そばと注文したが、日清戦争以降、
「支那」は中国を軽蔑する言葉であり、中国人留学生を
傷つけているのではないかと心配していた。厨房において
料理ができたときの合図に「好了(ハオラー)」と声を掛け、
その「ラー」が気に入り、「ハオラーメン」、それを短くして、
「ラーメン」と呼んだのが、はじまりであった。その後、
戦時中の食糧難で、竹家食堂は閉店したが、札幌の
ラーメンが雑誌に紹介され、その名は全国に広まった。

「女の方が男より寿命が長いのはなぜ?」
生物学的には女が基本であり、精子と卵子が受精すると
最初は女として生長するが、後に男となる受精卵には、
その途中でコルチコステロンというホルモンが大放出され、
男の体を作るようになる。コルチコステロンには免疫力を
低下させる働きがあり、男は長生きできない傾向がある。

「山の上の方が寒いのはなぜ?」
太陽と地球の距離は離れているので、山に上ったぐらいでは
近づいたことにならず、距離は関係しない。太陽の電磁波が
地球の表面に当たり、地表の分子運動を激しくすることで
空気を温めている。温められると空気は上昇し、山の上は
気圧が低く、膨張すると分子運動も弱まり、気温は下がる。

「男が青、女が赤という色分けはなぜ?」
1964年の東京オリンピックのときにトイレの表示で、
男女の色分けを行った。アメリカ人の子供たちを見て、
男の子が青い服、女の子が赤い服を着ているのを見て、
万国共通の色に対する意識があると考えてのことだった。
18世紀以前のヨーロッパでは、貴族は赤い服を好んだが、
産業革命以降、庶民の生活レベルが向上して、貴族とは
真逆の青系の服を好んで着るようになった。女性のピンクは、
アイゼンハワー大統領夫人が、ピンクのドレスを着たことで
それを模範にして、ピンクが親しまれるようになったのである。

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2018年5月25日 (金)

スティーヴン・ハフ 3

スティーヴン・ハフによるリストの作品集を聞いている。
2つのポロネーズ~第1番 ハ短調、第2番 ホ長調、
バラード 第1番 変ニ長調、第2番 ロ短調、
子守歌(第1稿)、ピアノ・ソナタ ロ短調
1999年11月にブリストルのブランドン・ヒル・ジョージ教会。
選曲を見るとどこかショパンを連想させて、面白いのだが、
音楽はリストの華麗な芸風を存分に聞かせているのであり、
しかしスティーヴン・ハフは、それを派手に響かせることなく、
超絶技巧も実に滑らかに、この安定感は何ともたまらない。
客観的でどうも熱気が足りないと思う人もいるかもしれない。
しかし端正で落ち着いた佇まいの中に何とも美しさがあって、
スティーヴン・ハフのこの表現は、ファンにとっては宝である。
やはりピアノ・ソナタが聞きたいのだが、有名なところでは、
バラード 第2番があまりにも素晴らしく、とにかく名盤だ。

hyperion CDA67085

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2018年5月24日 (木)

アンジェラ・ヒューイット 6

アンジェラ・ヒューイットによるドビュッシーの作品集。
子供の領分、ベルガマスク組曲、舞曲、2つのアラベスク、
ピアノのために、仮面、喜びの島、レントよりも遅く
2011年12月12-15日にベルリンのイエス・キリスト教会。
先入観で聞いてはいけないが、バッハやモーツァルトに近い、
非常にシンプルでスッキリとした音色に描き出されている。
細やかな表現が魅力的なのだが、ここでの表情付けが
目立って際立つことはなく、その点では抑制が効いている。
ファツィオーリの清々しい響きが、あまりに素晴らしいが、
隅々にまで丁寧に何とも心地よく聞ける時間に感動する。
ここではドビュッシーの初期の作風による作品であったり
親しみやすい曲調の作品が集められている印象だが、
映像や版画、前奏曲集、練習曲集と続編が聞いてみたい。

hyperion CDA67898

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2018年5月23日 (水)

ウラディーミル・アシュケナージ 21

ウラディーミル・アシュケナージのバッハを聞いている。
平均律クラヴィーア曲集 第2巻の第10番~第24番
2004年3,12月、2005年3月にポットン・ホールで収録。
聞きはじめの頃からずっとアシュケナージを聞いてきたが、
私にとってはやはりピアニストであり、この20年ぐらいは
すっかり指揮者としてのイメージが定着してしまったが、
こうして平均律を聞いていると本当に素晴らしくて、最高!
アシュケナージがいかに重要な存在か、再確認をする。
第1巻は直線的な運動性が魅力であり、そういうところが
このところ、何となく好きなのだが、第2巻はより複雑に
リズムも変化に富んで、もちろん緻密な作風ではあるが、
まさしく偉大な作品。アシュケナージは、その多様な響き、
豊かな色合いにおいて、あらゆる音楽経験に基づいて、
可能な限りの表現をピアノという楽器に盛り込んでいる。

DECCA 475 6832

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2018年5月22日 (火)

ウラディーミル・アシュケナージ 20

ウラディーミル・アシュケナージのバッハを聞いている。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻の第19番~第24番
平均律クラヴィーア曲集 第2巻の第1番~第9番
2004年3,12月、2005年3月にポットン・ホールで収録。
全体の傾向だが、明るく快活な長調の曲で速めに弾き、
じっくりと聞かせる短調の作品では、深みのある響きで
メリハリが効いて、非常に豊かな印象である。魅力的だ。
速く弾くところでも快速に技術上の鮮やかさだけではなく、
むしろ勢いのある積極性に元気なバッハは共感を呼ぶ。
この当時、アシュケナージのバッハは意外でもあって、
その後、パルティータやフランス組曲など、続編が出て、
熱心に取り組んでいることは、広く知られているけれど、
アシュケナージの理解の深さと想いの強さに感動した。

DECCA 475 6832

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2018年5月21日 (月)

ウラディーミル・アシュケナージ 19

ウラディーミル・アシュケナージのバッハを聞いている。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻の第1番~第18番
2004年3,12月、2005年3月にポットン・ホールで収録。
バッハが苦手な私が少し聞こうかという気持ちになって、
しかしこのアシュケナージの平均律クラヴィーア曲集は、
何とも自然体な音色で、私は大好きだ。親しみも感じる。
通常は4枚のところを3枚に収録してしまうところは、
アシュケナージの演奏が実に歯切れがいいのであり、
気風のよさも感じるが、響きはしっかりとした重みがあり、
暖かみのある想いの詰まった音楽に引き込まれてしまう。
バッハが苦手といっても中で平均律クラヴィーア曲集は、
昔から聞いてきたので、実際のところは好きな方だが、
この演奏には気難しいところがなくて、楽しいぐらいだ。

DECCA 475 6832

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2018年5月20日 (日)

横浜の風景から 531~境川

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湘南台から境川まで来て、今田の遊水池。

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境川の白鷺橋にて、正面に相鉄いずみ野線。

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境川の渡戸橋にて、今日は水がきれいだ。
鯉もいるが、小魚が群れで泳いでいる。

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泉区下飯田の左馬神社。

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左馬神社の境内奥にある庚申塔。

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いずみ野線のゆめが丘駅。
周辺を大規模に工事中だ。

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環状4号線に架かるニールセン橋。

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2018年5月19日 (土)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「なぜ高齢者のことをシルバーと呼ぶのか?」
英語の「シルバー」に高齢者の意味はなく、
1973年(昭和48年)の敬老の日に導入された
優先席の「シルバーシート」から広く定着した。
名付け親のJR東海相談役の須田さんによると
残っていた新幹線用のシルバーの布を活用して、
優先席を用意し、「シルバーシート」と名付けた。

「一重、二重のまぶたってなぜあるのか?」
一重まぶたの人は、一部のアジアにしか存在せず、
元々二重まぶたであったのが、氷河期を生き抜くため
脂肪を蓄え、寒冷地に適応した進化のひとつであった。
同様の寒さを凌ぐ進化として、氷滴の付く体毛が抜け、
体格も身長が低くなり、彫りの深い顔はのっぺりとした。

「ラッコはなぜ貝ばかり食べるのか?」
ラッコは体の形が泳ぐのに向いてなく、泳ぎが下手で、
動きの遅いウニや貝、カニ、イカなどを主食としている。
ラッコの祖先はイタチ科で水中での暮らしをはじめたが、
息を止めて潜っていられる時間が短く、泳ぎは苦手だ。
一方で手足とも指が五本あり、道具を使うこともできる。

「福神漬って、何の漬け物か?」
大根、茄子、きゅうり、蓮根、紫蘇、生姜、なたまめ、
七種の野菜の組み合わせである。明治10年、上野酒悦の
野田清右衛門が考案した。主流だった塩漬けに対して、
醤油漬けであり、梅亭金鵞が七福神にちなんで名付けた。
後にカレーの付け合わせとして、チャツネの代わりとして、
赤く着色された福神漬けが広く親しまれるようになった。

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2018年5月18日 (金)

5月18日の感想~日の入り

6月21日(木)が夏至だが、あと一か月少々、
これからの日没時刻(日の入り)を調べてみる。
今日(5月18日)の日の入りは、18時41分。
6月に入って、19時ちょっと前の日没が続くが、
6月20日に日の入り時刻が19時00分になり、
翌日の夏至も同じく19時ちょうどの日没である。
6月25日から7月3日までが19時01分で
今年はその期間の日の入りが最も遅いようだ。
7月8日まで19時00分。徐々に早まるけれど、
しばらくの間は、19時少し前の日の入りである。
今年は梅雨明けが早く、7月は晴れて暑いと
三か月予報が出ていたが、楽しみな夏の夕暮れ。

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2018年5月17日 (木)

第145回 柳家小満んの会

13日の日本橋に続いて、横浜での小満んの会。
今回は中三日だ。夕方から吉野町へ。暑かった。

林家彦星:道具屋
柳家小満ん:出来心
柳家小満ん:鍬潟
柳家小満ん:茶の湯

「出来心」は、師匠も寄席でよく掛けていると思うけど、
小満ん師匠でこの噺を聞くのは、今回がはじめてだ。
普段の寄席版と違って、後半の「花色木綿」までであり、
題名の「ほんの出来心でございます」の言い訳もあり。
「花色木綿」の部分は久しぶりに聞いたが、大家さんの
事情聴取で盗難届のやり取りは面白い。なんでも裏は
花色木綿になってしまうのである。どうしてこう、物事が
わからないのだろう…って、思ってしまうけど、そこが
落語の登場人物としては典型的で、つい笑ってしまう。
前半、主役であった泥棒が、後半には台所の床下に
隠れてしまって、すっかり脇役に消えてしまうところが、
展開としては惜しいところだが、これって、落語では
よくあることで、その点では、前半のみの寄席版って、
まとまっているし、聞きやすい。羊羹を喉に詰まらせ、
名前を聞いて、逃げ帰ってくるけれど、下駄を忘れる。
続いて「鍬潟」、小満ん師匠でしか聞いたことがないが、
これまで何度か聞いているので、はじめて聞いたときの
この噺は何だろう?一体、どういう話なのだろう…という
探りながらに比べて、ずいぶん楽しめるようになったし、
小さい鍬潟が大関の雷電と義兄弟の契りを交わす話、
その辺は真面目にいい話で、じっくりと聞いて味わいだ。
地味な印象もあるけれど、三席の中では、いいバランス。
そして最後にたっぷりと「茶の湯」である。40分超だった。
小満ん師匠は江戸千家だったか?お茶の心得があって、
茶事について、しっかりと説明があって、様子を知って、
その上で、噺の中ではわざわざ作法がぶち壊されるので、
やはりその辺は、結果、印象も変わってくると独特である。
しっかりと流儀の確立されている茶道のイメージに対して、
滅茶苦茶なお茶を入れて、不味く、とんでもない一口を
吹き出しそうになりながら、風流だな~って、実にいい。
ご隠居さんと小僧の定吉のやり取りがほとんどだが、
一方の粗っぽい豆腐屋の親方と鳶の頭、登場人物も多く、
場面のメリハリもくっきりと変化があって、面白かった。
ということで、次回は7月19日(木)の第146回であり、
「道具屋」「麻のれん」「付き馬」の三席である。楽しみだ。

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2018年5月16日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四六)

続いて、お賤宅に村の者が訪ねて来て、
新吉は戻るが、お累は子供を抱いて自害していた。
野辺の送りを済ませ、三蔵からの援助もなくなり、
家を人手に渡して、惣右衛門の看病といっては、
お賤のところにしけ込んでいた。新吉は親切だと
すっかり旦那に遺言を書かせて、そしてある夜、
新吉はお賤に惣右衛門殺しを持ちかけられる。

お賤「(前略)新吉さん無理な事を頼む様だが、
お前私を見捨てないと云う証拠を見せるならば
今夜見せてお呉れ」
新吉「何(ど)うしよう」
お賤「うちの旦那を殺してお呉れな」

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2018年5月15日 (火)

5月15日の感想

20180515

今日は埼玉の叔父の家に行って来て、
恒例の上里カンターレに連れて行ってもらった。
バームクーヘンのアウトレットを爆買いして、
食べられる分しか買ってないけれど、幸福。

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2018年5月14日 (月)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「なぜ刑事のことをデカという?」
明治の頃、制服警官に対し、私服警官は、
目立たないように着物の上に和装のコートを
まとっていた。それで犯罪者の間で、隠語で
「角袖(カクソデ)」と呼んだ。先頭の「カ」を
後ろにもっていき、「クソデカ」、略して「デカ」。
似たような警察用語で、ラジオは「無銭飲食」、
サンズイは「汚職」、「ウカンムリ」は「窃盗」。

「てるてるぼうずとは何か?」
中国にあった風習で、雨がやまないと
「掃晴娘(さおちんにゃん)」をぶら下げる。
古くは、自然の荒ぶる神を鎮めるのに
人身御供(ひとみごくう)をお供えした。
日本では、「天を照らす法師」から
「てりてり坊主」といい、祈祷をする
お坊さんの白い服装からいまのような
「てるてるぼうず」の形が生まれた。

「腕の悪い医者をなぜやぶ医者という?」
但馬国養父(やぶ)の長島的庵という名医が
江戸で活躍し、将軍綱吉にも認められ、
養父医者とは名医を表す言葉だった。
しかし養父の医者を騙る偽医者が出回り、
養父の医者の名が地に落ちてしまった。

「なんでパイロットは帽子を被るのか?」
航空法で飛行機の機長は運行前に
外部点検を行うことになっている。
雨や雪の中でも傘を使うことができず、
垂れてくるエンジンオイルなどから
目を守るためにも帽子を被っている。

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2018年5月13日 (日)

第291回 柳家小満んの会

日曜日開催の小満んの会だが、生憎の雨だ。
小降りになるのを待ったけど、一向に弱まらず、
びしょ濡れで出掛けて、横須賀線で新日本橋へ。
帰りは横浜まで戻ってくるとすっかりやんでいた。

橘家かな文:のめる
柳家小満ん:薙刀傷
柳家小満ん:甲府い
柳家小満ん:へっつい幽霊

「薙刀傷」は、もちろんはじめて聞いたが、
師匠も聞いたことがないそうで、ということは、
つまり古い速記から起こした噺なのであろう。
演題からすると講談なのかと思っていたら
そうでもないようで、いかにも落語っぽくて、
医者でも見抜けなかった若旦那の恋煩いを
番頭さんが気付いて、長屋の奥の浪人宅へ
娘をもらいに行くのだが、そこで四苦八苦する。
その場面がこの噺の面白さではあるけれど、
念願叶って、嫁に迎え入れ、ここから先が
オチに関わるところだが、三人の盗賊が入り、
嫁が薙刀で賊に斬り付け、見事に撃退する。
桃栗三年、柿八年、柚子は九年で成り下がる
というのを、股を三寸くり貫き、だったか?
肩に八寸斬り付けた?、指は腱が切れて、
ぶら下がり…というような駄洒落のオチで
正確なところは思い出せないが、そんな噺。
「甲府い」は関内の小満んの会で聞いたと
確認してみると2015年11月の会であった。
小満ん師匠のは、店の旦那が、昔話をして、
食えなくてひもじい思いをしたことがあり、
オカラを食べるなんて、よっぽどの苦労が
あるのだろうと同じ境遇の縁で雇ってやる。
もちろん法華信者のよしみもあるのだが、
その辺って、他では聞いたことがないようで
私が短い「甲府い」ばかりを聞いているのか?
ちょっと違った仕上がりは小満ん師匠ならでは。
師匠の「へっつい幽霊」も何度か聞いているが、
前のは小さん師匠の録音も残っている短縮版。
どういうのかというと若旦那が出てこない形で、
すぐに博打になってしまう。今日は三木助型で
若旦那の銀之助さん(銀ちゃん)が活躍する。
幽霊と博打をする熊さんだが、兄ぃというよりは
親分の迫力で、それに怯える幽霊が可笑しい。
博打で出た目は四五の半。左官の長兵衛さんは、
長さんだけに四四(四ぞろ)の「丁」が好きらしい。
ということで、木曜日の17日が横浜の小満んの会、
演目は「出来心」「鍬潟」「茶の湯」の三席である。

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2018年5月12日 (土)

東京の風景から 84~平和島

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昭和島から平和島に渡る南海橋にて。
遠く正面にふるさとの浜辺公園が見える。

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平和島にある日立やアサヒの物流センター。
巨大な規模で何かカッコいい倉庫は不思議。
倉庫なので、美しい建築というわけではない。

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東京の風景から 83~昭和島

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旧呑川緑地を歩き終えて、
呑川水門のところにある見晴らし橋にて、
これから渡る昭和島を見ている。

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東京の風景から 82~蒲田

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京急蒲田駅をスタート。

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京急蒲田駅の目の前で夫婦橋にて、
現在の呑川の流れである。

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夫婦橋の隣で天神橋にて。
「天神」とは、北野神社があるからで
北野天満宮で天神様であろう。
正面に京急蒲田駅が見える。

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現在の呑川堤防を少し離れて、
こちらが旧呑川緑地のスタート地点。

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2018年5月11日 (金)

マルティン・シュタットフェルト 3

マルティン・シュタットフェルトのシューベルトを聞いている。
ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D.960とト長調 D.894「幻想」
2007年8月1-5日にカイザースローテルンで収録。
思ったよりも前向きに元気な印象で晩年のシューベルトが、
まだ決して希望は捨てていないという、そんな印象を受ける。
塞ぎこんで閉じこもっている感じではない。変ロ長調の方で
この作品の透明感は、絶望の中にあるというよりは、どこか
死を受け入れて、その先を見ているようなところがあるが、
シュタットフェルトは穏やかな中にも生きる力を注ぎこんだ。
繊細な表情も独特に美しいが、それはいつも明るい存在。
後半のト長調ももっと繊細な仕上がりを予想していたのだが、
意外にしっかりとした響きで、ドイツ的な重厚な要素もある。
全体の特徴として、左手の低音(伴奏型)がよく聞こえてくる。

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2018年5月10日 (木)

5月10日の感想

ご近所さんにちょっとお見舞いをしようと
瀬谷区阿久和南のオーガスタ・ミルクファームに
プリンを買いに行ったのだが、12時の前後に
一時、土砂降りになって、やんでから出掛けたら
なんと、プリンは午前中にすべて売り切れ!
ガラスのケースの中は空っぽに。驚いた。
人気なのはわかっていたけれど、そこまでとは。
午前中になくなってしまうというのは極端なので、
たまたまたくさん買って行く人がいたのだろうが、
やはり必要なときは、朝のうちに行かなくては
いけなかった。たしか10時30分の開店だと思う。

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2018年5月 9日 (水)

ヴァーツラフ・ノイマン 10

ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコフィルで
ドヴォルザークのスラブ舞曲集 作品46と作品72
1971年12月にプラハのルドルフィヌムで収録。
ノイマンのスラブ舞曲集は何種類か録音があるが、
早い時期の演奏である。1970年代の前半であり、
音質的には少々硬いが、それはノイマンの音で
折り目正しい端正な音楽によるものともいえるが、
この時期のチェコフィルは、何とも牧歌的な音で
チェコの民族色が強くて、いい雰囲気である。
1960年代に旧東ドイツのベルリンやライプツィヒで
活動していたノイマンが、1968年のプラハの春で
カレル・アンチェルの亡命による首席指揮者の不在、
楽団の窮地を救い、祖国に戻って、その後の22年、
チェコフィルと全盛期を築く最初の頃の録音である。

WARNER 0825646401291

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2018年5月 8日 (火)

イルジー・ビエロフラーヴェク 17

イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコフィルによる
ドヴォルザークのスターバト・マーテル 作品58
2016年3月23-25日にプラハのルドルフィヌムで収録。
ドヴォルザークの交響曲、協奏曲、スラブ舞曲の続編で
しかし昨年5月にビエロフラーヴェクは亡くなってしまって、
最晩年の録音であり、シリーズもこれで終わりなのかも。
2014年5月のスメタナ「わが祖国」が発売されている。
ドヴォルザークにはこのスターバト・マーテル 作品58と
レクイエム 作品89という、ふたつの声楽の大作があり、
これまで聞いてこなかったので、この機に勉強している。
ドヴォルザークは長女の死によって、作曲を開始したが、
その後、多忙の中で中断していたものの長男、二女が
相次いで亡くなり、再び作曲に取り掛かり、1877年に
完成させている。深い悲しみの前半とそれを乗り越え、
希望に向かって立ち上がろうとする力強い後半の音楽、
その対比は印象的だ。これが最後の録音であろうか。

DECCA 00289 483 1510

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2018年5月 7日 (月)

ズデニェク・マーツァル 3

ズデニェク・マーツァル指揮チェコフィルによる
マーラーの交響曲 第2番 ハ短調「復活」
2008年5月8,9日にプラハのルドルフィヌムで収録。
録音が優秀なのだと思うのだが、非常に丁寧な音作りで
細部にまでこんなにクリアに聞こえてくることはそうはなく、
音が聞こえて仕方ないこの体験にまず感動してしまう。
チェコフィルの音が美しい。それは本当にすごいことだ。
なんて心地のよい歌に酔いしれることかと名人技である。
マーツァルは精妙なコントロールで熱い演奏ではないが、
マーラーの壮大な音楽で、聞いているこちらはやはり、
いつの間にかたっぷりと満たされて、なんと深い響きか。
マーツァルのマーラーのシリーズは、これで終了であり、
近年は新しい録音が出なくなってしまったが、気になる。

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2018年5月 6日 (日)

チコちゃんに叱られる

NHK「チコちゃんに叱られる」より

「こんにゃくの黒いつぶつぶは何?」
ひじきなどの海藻が入っている。
こんにゃくは、古くは旬の時期にしか、
食べることができなかった。その当時は、
こんにゃく芋を皮ごとすりおろし、固めて、
作っていた。その後、こんにゃく芋を乾燥、
粉末にし、一年中、作れるようになったが、
白いので、旬のこんにゃくに似せるために
ひじきなどを加えて、黒く色付けしている。

「足の小指をなぜタンスにぶつける?」
自分が思っているより1cm外側を歩いている。
男女や年齢差に関係なく、脳が位置を正確に
認識できていないのであり、上下のずれで
段差につまずいたり、前後のずれによって、
つま先がぶつかるようなことも起きている。

「子供はなぜ寝相が悪い?」
子供は深い眠りに陥る回数が多く、その際に
姿勢を制御する機能がなく、寝相が崩れてしまう。
大人が寝相の悪い場合には、お酒の飲み過ぎ、
睡眠不足の原因が考えられ、注意が必要。

「野球帽のてっぺんは何という?」
梵天(ぼんてん)という。尖った生地を
てっぺんでまとめる役割がある。

「クジラはなぜ大きくなったのか?」
クジラの祖先は、「パキケタス」といって、
陸上で生活していた。テチス海という
インドの近くの浅瀬に生息していたが、
地形が変わり、海での生活を選んだ。
氷河期になり、空気が冷やされ、海中では
対流が起こり、大量のオキアミが発生した。
それを食べ、体は大きくなり、オキアミの多い
北の海に行くため、体は皮下脂肪を蓄えた。

「ドライヤーの冷風はなぜ?」
温風から冷風への切り替えは、髪に艶を出す。
髪は濡れるとキューティクルが剥がれだして、
主成分のタンパク質が流れ出る原因にもなるが、
仕上げの冷風でキューティクルが閉じ、艶が出る。

「北海道だけなぜ道という?」
江戸時代以前の日本は、五畿七道に区分され、
北から東山道、北陸道、東海道、畿内、山陰道、
山陽道、南海道、西海道と八つに分けられていた。
函館周辺の松前藩までであり、それより北の地は、
アイヌ人の住む蝦夷地であった。明治になって、
ロシアがシベリアに進出し、日本政府は対抗して、
蝦夷も含め、現在の北海道を日本の領土とした。
函館県、札幌県、根室県と三県に分かれていたが、
人口も少なく、一つにまとめることとし、その際に
伊勢国の松浦武四郎に新しい名称を考えるよう
要請をした。松浦武四郎は、十三年間、蝦夷地を
旅してまわり、この地に精通していた。アイヌ語で
「加伊」は「この国に生まれた者」という意味であり、
「北加伊道」と名付け、字を改め「北海道」となった。

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2018年5月 5日 (土)

5月5日の感想

NHK-BSの「全ガンダム大投票」を
ちょっと見はじめたら最後まで見てしまった。
「機動戦士ガンダム」と「機動戦士Zガンダム」しか
見ていなくて、それ以降の作品は知らないのだが、
出演者のガンダム愛が凄まじくて、その勢いで
引き込まれて、夢中になってしまう。面白かった。
もちろん初代の「ガンダム」がいいが、私的には、
物語としては、「Zガンダム」が一番好きかも。
「ガンダムZZ」は拒絶反応で、途中でやめて、
以後の作品は見ていない。「一年戦争」よりも
さらに古い時代を描いた「THE ORIGIN」はいい。

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2018年5月 4日 (金)

東京の風景から 81~科学未来館

あまり混雑していない方のお台場へ
日本科学未来館に行ってきた。
やはりこちらも大混雑で連休中だ。

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ちょっと逆光な感じだけど入場前の一枚。

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常設展しか見ていないが、3階からの写真。
企画展は名探偵コナンで二時間待ちの大行列。

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3階から見る「ジオ・コスモス」。

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「ASIMO」の実演。思った以上に動きが滑らか。
走ったり、ボール蹴ったり、ケンケンしたり。

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5階へのスロープから見る「ジオ・コスモス」。

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こちらはもう一度、3階に戻ってきて。

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5階から見下ろす巨大な吹き抜け空間。
この周辺の施設は、ガラスを多用している。

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陽も西に傾き、光を浴びた外観。

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ちょっと歩いて、南極観測船「宗谷」の展示。

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2018年5月 3日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四五)

お賤宅にいる新吉の元にお累が訪ねてくる場面。
雨の強く降る夜中である。子供が息を引き取り、
今晩のうちにお埋葬(とむらい)を出してほしいと
戻るように頼むが、それを酷い仕打ちで跳ね除け、
新吉の最も惨忍な一面の表れている箇所である。

新吉「何を云うのだ、帰(けえ)らねえか」
と、さア癇癪に障ったから新吉は、突然(いきなり)
利かない身体の女房お累の胸倉を取るが早いか、
どんと突くと縁側から赤ん坊を抱いたなり転がり落ち、

幽霊のお累はしつこく纏わりつき、次は作蔵のところに。

作蔵「己(おれ)が彼処(あすこ)に寝て居るとお前(めえ)、
裏の方の竹を打付(ぶっつ)けた窓がある、彼処のお前
雨戸を明けて、何うして這入(へえ)ったかと見ると、
お前の処の姉御、お累さんが赤ん坊を抱いて、
ずぶ濡れで、痩せた手を己の胸の上へ載せて、
よう新吉さんを帰(けえ)しておくんなさいよ、
新吉さんを帰しておくんなさいよと云って、己が胸を
押圧(おっぺしょ)れる時の、怖(こえ)えの怖くねえのって、
己はせつなくって口イ利けなかった」

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2018年5月 2日 (水)

カラヤンの1980年代 43

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルで
ブラームスの交響曲全集を収録順に聞いてきた。
交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
交響曲 第4番 ホ短調 作品98
1988年10月にベルリンのフィルハーモニーで収録。
カラヤン最晩年の録音だが、翌年の7月に亡くなって、
そういえば、この2曲の交響曲って、追悼盤として、
死後に発売されたような記憶がある。いま思いだした。
しかしカラヤンの気合いが凄まじくて、集中力も充実、
やはり感動的だ。カラヤンのブラームスは最高である。
でも何となくだが、録音があまりよい印象ではなくて、
渋めの音色でいかにも重厚なのだけど、その要因は、
録音の出来によるものなのではないかと。流麗であり、
テンポ設定も速めに勢いがあるので、実際の音は、
もっと艶やかに高音にも色があったのではないかと。
しかし本当に素晴らしくて、深く引き込まれてしまう。

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2018年5月 1日 (火)

ロディオン・シチェドリン 2

ロディオン・シチェドリンによる自作自演集を聞いている。
ポリフォニーの手帳(25のポリフォニック前奏曲)作品50
1972年の作品で1973年にモスクワで収録されている。
形式的なところでは、バッハの音楽が基本にあるのだろうが、
ショスタコーヴィチの作品の影響が色濃くて、響きとしては、
現代音楽の印象もあるし、知的に理論的な方向かと思うと
力強く破壊的な仕上がりはかなり面白いし、これは深い。
いまのところ、作曲者自身の演奏しかないと思うのだが、 
協奏曲に取り組んでいるアムランなどに録音してほしい。
ポリフォニック前奏曲だと、マツーエフよりもムストネンが、
関心ありそうだが、もっと聞ける機会が増えればと思う。

WERGO WER 6689 2

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