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2024年5月31日 (金)

カルロス・クライバー 13

カルロス・クライバー指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
交響曲 第7番 イ長調 作品92
1983年10月20日にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
クライバーのコンセルトヘボウでの映像があり、
その音源を使用してCD化されたのだと思うが、
素晴らしいのはもちろんのこと、これだけ聞いて、
まだ新たな感動があるというのは、そこはやはり、
クライバーの存在なのであって、魅力的である。
無理を強いることはなく、音楽が自然に鳴り出し、
映像で観るとクライバーの指揮を中心に喜びが
あふれ出しているように感じるのだが、ここでは
音だけで聞き、印象は変わって、音楽そのものが
喜びの感情を爆発させているような、何かすごい、
ここだけにしかないものが伝わってくるのである。
最初から収録を目的とした演奏会であったかと、
暴れはなくて、きれいにまとまった印象はあるが、
その点は完成度の高さでもあり、さらに加えて、
興に乗るクライバーの姿も思い浮かべるけれど、
間違いなく最高の感動で、音で聞く価値はある。

RCO 19005

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2024年5月30日 (木)

セルジュ・チェリビダッケ 26

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルで
ベルリオーズの幻想交響曲 作品14
1986年6月28日にミュンヘン・フィルハーモニー。
ゆったりとした表現での美しく精妙な響きは特長で
その後に動き出し、勢いよく、活気の出るところで、
チェリビダッケは動かずに、メリハリはないのだが、
それもファンにとっては気にならないのであって、
緻密なところにまで作り込まれているからである。
第2楽章の舞踏会の場面など、実にかわいらしく、
チェリビダッケの優しさとユーモアの一面が感じられ、
感動的である。繰り返しなしで通常ならば50分で
演奏するところを59分かけているので、時間では
やはり遅いのかと、しかしこの説得力ある表現で、
テンポの遅さというのは、少しも感じないのである。
実際に遅いのは、第3楽章であり、しかしそこでは、
背景にある隠された表現なども浮かび上がらせて、
こういった形というのは大いにありで、素晴らしい。
チェリビダッケの偉大な存在は誰もが知っているが、
ここまでのことを独自に実行して、ときに破綻して、
成立しないことがあってもおかしくないのだけれど、
精密に完成されているのである。このテンポ感で
完璧に保たれる平衡感覚というのは本当に驚きだ。
聞けば聞くほどに深い、チェリビダッケの表現である。

MPHIL 0017

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2024年5月29日 (水)

クリスティアン・ティーレマン 18

クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンで
ヴェルディのレクイエム
2014年2月13日にドレスデンのゼンパーオーパー。
ティーレマンによるヴェルディのレクイエムならば、
ブルックナー的なものすごい仕上がりを思うけれど、
近年のティーレマンはそこで、作品にしっかり対応し、
しなやかに聞かせるのであって、音楽を壊さない。
しかしやはり骨太なところはあって、ヴェルディの
重厚な側面を引き出し、それを基本として、一方の
繊細な響きが結果的に際立たって聞こえるのである。
最終的に目指している到達点は同じかもしれないが、
アバドやムーティのイタリア人の表現とは、出発点が
異なっているのであり、そこが音楽の豊かな広がりで
興味は尽きずに大きな感動がある。シンフォニックで
ティーレマンの表現には、力強い構築性が感じられ、
歌謡性に頼らず、流されず、そこはドイツ的でもあり、
音楽に向き合う信念には、圧倒されるものがある。
イタリア人が示す天性の心というか、それもいいが、
こういったドイツ人の表現にも心打たれるのである。
イタリア人の歌心というのが、本質的なところでは、
なかなか理解できない現実があるのだが、その中、
ヴェルディのレクイエムは心から素晴らしい作品で
しっかりと聞き、味わえるようになってきたと思える。

Profil PH16075

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2024年5月28日 (火)

ベルナルト・ハイティンク 64

ベルナルト・ハイティンク指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
ブルックナーの交響曲 第9番 ニ短調
1981年11月11,12日にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
ハイティンクの1981年のブルックナーであり、
交響曲 第9番の再録音である。このところ聞いた、
他の指揮者による演奏が、どうもしっくりとこなくて、
この作品の魅力がわからなくなってしまったのかと
少し困っていたのだが、しかしハイティンクで聞いて、
これなのである。あまりにも素晴らしく、納得できる。
引き締まっているけれど、その音色はよく鳴り響き、
勢いに満ちた表現だが、音楽は自然な流れである。
この演奏にこそ、真の感動が存在すると感じられる。
何か特別なことへの独自の挑戦など、ありえなくて、
極めて安定した、普遍的な解釈だが、これがいい。
1980年代に入り、ハイティンクの充実度はすごい。

DECCA PROC-1230

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2024年5月27日 (月)

レナード・バーンスタイン 44

レナード・バーンスタイン指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
マーラーの交響曲 第4番 ト長調
1987年6月にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
バーンスタインのマーラーを再録音で聞いている。
いま改めて聞くとそれほど熱い感じというのはなく、
想いの詰まった表現であり、それが音に表れている。
立ち止まるようにじっくりと描き出し、切り替わると
いきなり駆け出して、そこは音楽の特長を引き出し、
バーンスタインがここで自在な表現を得ていく中で、
より顕著にこの方向性は最大にまで極まっている。
美しいだけでなく、激しさも際立ち、豊かな起伏で
メリハリを効かせ、音楽は思った以上にいきいきと
細部に新鮮な印象があるのは、精密に作り込まれ、
丁寧に音が再現されているからである。この当時、
話題になったのは、ボーイ・ソプラノが起用されて、
そうした企画はバーンスタインのこの演奏のみで
天使の歌声ということだと思うが、聞いた印象は、
通常のソプラノ独唱とかけ離れた感じはなくて、
ごく自然に聞ける。やはり主役はバーンスタイン。

DG 477 8668

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2024年5月26日 (日)

ダニエル・バレンボイム 56

ダニエル・バレンボイムによるショパンで
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21
アンドリス・ネルソンス指揮
シュターツカペレ・ベルリンとの協演で
2010年7月にエッセン・フィルハーモニーで収録。
ルール・ピアノ・フェスティバルにおけるライヴ録音で
ショパンの生誕200年を記念したコンサートである。
バレンボイムはやはり独特な骨太な感覚があって、
他で聞くショパンのピアノ協奏曲と違った印象だが、
ピアノの響きは豊かに美しい輝きで魅力的である。
こんなにも陰影と奥行きで歌い上げた演奏はなく、
音楽の深みや重みというのが、まるで違っている。
バレンボイムのあらゆる音楽がここに詰まっており、
するとショパンの作品はこうなるのかと驚きもある。
ある程度は予測をして聞きはじめるものだけれど、
それを超越するすごさがあって、それですっかり、
バレンボイムの主導で我々は聞かされるしかない。
音楽の角は取れて、丸みを帯びた歌わせ方であり、
快活に飛び跳ね、粒立ちよい動きは最高である。
音楽の表情の移り変わりに夢中になって聞くが、
バレンボイムの心が感じられて、そこに感動する。

DG 477 9520

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2024年5月25日 (土)

ダニエル・バレンボイム 55

ダニエル・バレンボイムによるショパンで
幻想曲 ヘ短調 作品49
夜想曲 変ニ長調 作品27-2
ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35
舟歌 嬰ヘ長調 作品60
ワルツ ヘ長調 作品34-3、イ短調 作品34-2
ワルツ 嬰ハ短調 作品64-2
子守歌 変ニ長調 作品57
ポロネーズ 変イ長調 作品53「英雄」
ワルツ 変ニ長調 作品64-1
2010年2月28日にワルシャワ・フィルハーモニー。
バレンボイムのワルシャワでのライヴ録音であり、
ショパンの生誕200年を記念したコンサートである。
恐るべき深みのある音色と大胆な迫力による演奏で
幻想曲から一気にその世界に引き込まれてしまうが、
夜想曲やワルツ、子守歌などの小品では、全く逆に
完全に力が抜け、優しい表情と美しい輝きの音色で、
あまりにも独特な表現によるショパンの名曲である。
ピアノ・ソナタの終楽章などでは、柔らかい流動性で
抑えられた中での独特のうねりはまさに名人の域。
ワルツのヘ長調などもあえて遅いテンポで弾いて、
その味わい深さでは、格別の感動が存在している。
一般的にいえば、これはただならない空気が漂い、
バレンボイムの巨匠の貫禄が目立って顕著だが、
ファンにとってはたまらず、その重みに夢中になる。
英雄ポロネーズの壮大さなど、本当にすさまじい。
ホロヴィッツやルービンシュタインを思い出した。

DG 477 9519

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2024年5月24日 (金)

ベルナルト・ハイティンク 63

ベルナルト・ハイティンク指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
ブルックナーの交響曲 第8番 ハ短調(ハース版)
1981年5月25,26日にアムステルダム・コンセルトヘボウ、
ワーグナーのジークフリート牧歌
1974年12月2-4日にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
ハイティンクの1981年のブルックナーであり、
交響曲 第8番の再録音である。52歳になって、
この頃、急激に評価が高まっていた時期なのだが、
これらの演奏が、人々の心をつかんだのであろう。
ここでも圧倒的な完成度であり、これは感動する。
彫りの深い音楽ながら推進力があり、流れがいい。
堅実に誠実な思いで取り組む姿勢と美観が一体に
聞くとただならない存在感で偉大な演奏なのである。
ハイティンクの交響曲 第8番は、この後にもさらに
ウィーン・フィルで再録音されているし、ライヴ録音も
多数あり、やはり格別な作品でもあったであろうが、
その中でもこの1981年の演奏は、昔から名盤だが、
断然に素晴らしい。この演奏を聞いてもまた思うけど、
ブルックナー指揮者は様々な人が挙げられてきたが、
ハイティンクこそが最高であるとそれが結論である。
後半はジークフリート牧歌で格調高い造形で聞かせ、
折り目正しく、柔らかさよりも凛とした清々しさだが、
美しい情景が広がっている。そちらも強く惹かれる。

DECCA PROC-1230

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2024年5月23日 (木)

リッカルド・シャイー 12

リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
リストのファウスト交響曲
1991年3月にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
リッカルド・シャイーのボックスセットから聞いている。
ファウスト交響曲は久しぶりに聞いているが面白い。
こうした色彩的な作品で、コンセルトヘボウならば、
豊かに深みのある色合いで奏でそうな印象だけど、
どうもそうなっていないのは、録音に要因があって、
もっと艶やかな音色が鳴るはずだとそれは惜しい。
シャイーは積極的に表情付けを行っているけれど、
すると少々膨張傾向に散漫な仕上がりが生まれて、
それは私の理解力不足だが、引き締まった演奏で、
求心力でまとめ上げてくれないとこの長大な作品は、
よくわからないのである。しかし「グレートヒェン」で
第2楽章などは俄然、美しくなり、すると輝きは増し、
魅力も伝わってくる。一度、音楽に引き込まれれば、
この作品の沼にハマる濃密な世界観であり、後半、
合唱も加わる「メフィストフェレス」の第3楽章など、
緻密な作風でもあり、ただただ感動するのみである。
リッカルド・シャイーの響きに対する鋭角な姿勢が、
表われてくると精密な音楽はますます冴えわたる。

DECCA 483 4266

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2024年5月22日 (水)

トーマス・シッパーズ 3

1967年の大阪国際フェスティバルにおける
バイロイト音楽祭の引越し公演であり、
トーマス・シッパーズ指揮NHK交響楽団で
楽劇「ワルキューレ」から第3幕
1967年4月11日に大阪フェスティバル・ホール。
楽劇「ワルキューレ」も第3幕になってしまった。
実に早くて、それだけ演奏に引き込まれている、
ということであると思う。シンフォニックではなく、
よくいわれるが、トーマス・シッパーズの指揮は、
オペラ的な感覚が満ちあふれているのであり、
それが最大の魅力であると思う。全体の印象で
金管楽器に関しては、録音による要因なのか、
ホールの音響の問題なのか、時代を感じさせ、
しかし弦楽器に関しては、しなやかな音色で、
音楽の流麗な展開にトーマス・シッパーズの
特性が最も表れていると思う。テオ・アダムの
ウォータンが素晴らしいが、凛とした歌声で、
痺れるような心地よさに夢中になってしまう。
歌が音楽を力強く導いている印象もあって、
テオ・アダムのテキパキと進んでいく感覚は、
音楽のテンポも気持ちよく速くなるはずである。
アニヤ・シリヤのブリュンヒルデが戦士でなく、
ウォータンとの場面で父と娘の想いがあふれ、
それがまた素晴らしい。独特の感触がある。
歌に合わせて、音楽がますますしなやかに
流動性が増していくところにも深く感動して、
ウォータンの告別の場面は高揚感がすごい。
トーマス・シッパーズのN響に出した要求が、
目立って聞き取れるところでもある。それは、
どう考えてもN響の鳴らし方ではないように
思えるのであり、この辺に衝突があったのか、
しかし聞いてしまうとトーマス・シッパーズの
このやり方にも実に説得力があり、感激する。
持ち込まれたのは、バイロイト式というよりも
メトロポリタン歌劇場の流儀かもしれないが、
1960年代において、日本において、N響が
この演奏を行った、というのはすごい記録だ。
トーマス・シッパーズも絶好調かもしれないが、
この10年後に47歳の若さで亡くなってしまい、
本当に惜しいことで、この「ワルキューレ」も
もっと早く、発売してすぐに聞くべきであった。
ブーレーズの「トリスタンとイゾルデ」ばかり、
注目していたけれど、こちらも重要であった。

NHKCD ALT491/3

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2024年5月21日 (火)

トーマス・シッパーズ 2

1967年の大阪国際フェスティバルにおける
バイロイト音楽祭の引越し公演であり、
トーマス・シッパーズ指揮NHK交響楽団で
楽劇「ワルキューレ」から第2幕
1967年4月11日に大阪フェスティバル・ホール。
トーマス・シッパーズは、やはり抒情的な表現で
優れた指揮をしているのではないかと思われる。
録音なので、収録方法でも変わってくるであろうが、
57年前であったとしても想像するN響の音色とは、
どうも違っている気がして、美しく艶やかなのである。
トーマス・シッパーズは、練習でN響とぶつかったと
記述を読んだが、そうした困難の先に変革へと導き、
明るい音色を引き出し、この強い輝きには感動する。
衝突は無駄ではなかったと確実に結果が出ている。
第2幕からは、テオ・アダムのウォータンが登場し、
ブリュンヒルデはアニヤ・シリヤである。素晴らしい。
バイロイトの1966年から1967年のウォータンは、
テオ・アダムであった。1975年まで長期にわたり、
1970年代のホルスト・シュタイン指揮の指環でも
テオ・アダムはウォータンを歌っている。日本でも
実現していたのは偉大なことであった。それに対し、
この時代のバイロイトで、ブリュンヒルデといえば、
ビルギット・二ルソンなのであり、アニヤ・シリヤは、
「マイスタージンガー」のエヴァや「タンホイザー」の
ヴェーヌス、1967年からはエリザベート、さらには
「さまよえるオランダ人」のゼンタとブリュンヒルデは
バイロイトでは一度も歌っていない。ここだけである。
しかし1960年代のバイロイトで中心にいた歌手で
思う以上にすっかり引き込まれ、聞き入ってしまう。
骨太な戦士といった印象でなく、可憐なのがいい。
後半のジークムントとの場面なども最高の感動だ。
そして傷ついて、死を覚悟し、運命を受け入れる、
ジークムントのジェス・トーマスに聞き惚れてしまう。
「ワルキューレ」の第2幕は本当にいいのである。

NHKCD ALT491/3

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2024年5月20日 (月)

トーマス・シッパーズ 1

1967年の大阪国際フェスティバルにおける
バイロイト音楽祭の引越し公演であり、
トーマス・シッパーズ指揮NHK交響楽団で
楽劇「ワルキューレ」から第1幕
1967年4月11日に大阪フェスティバル・ホール。
ブーレーズの指揮による「トリスタンとイゾルデ」の
翌日の公演であり、37歳のトーマス・シッパーズが
楽劇「ワルキューレ」を担当している。バイロイトで
1963年に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を
指揮しており、しかし他には、出演の記録がなくて、
この大阪での引越し公演になぜ抜擢されたのか、
不思議ではある。42歳のブーレーズもシッパーズも
バイロイトでの当時の若手が任されたということだ。
吹き荒れる風の音からはじまるが、嵐の前奏曲で
録音の特徴なのか、演奏の方向性か、音質的には
ハッキリとはいえないのだけど、軽やかな動きで、
端正に明確に刻まれるテンポ感覚は気持ちいい。
演奏はN響であり、本場のバイロイト音楽祭とは、
違いもあろうかと思うのだが、出過ぎずに整然と
丁寧に音楽を聞かせているところに好感を持つ。
歌手が加わってくるとロマンティックに歌わせて、
この柔らかい感触というのは、実に素晴らしい。
ワーグナーの独特の重厚さはあまり主張せずに、
一般的なオペラ表現の感覚に近いものを感じる。
歌も素晴らしいが、ジークムントがジェス・トーマス、
そしてジークリンデがヘルガ・デルネッシュであり、
この年の夏のバイロイトとは別の歌手が選抜され、
フンディングのゲルト・ニーンシュテットについては、
1967年の夏のバイロイトでも同じ役を演じている。
N響が歌劇ともワーグナーの作品とも距離を保ち、
適切なバランス感を有していたことが大きいのか、
新鮮な想いで音楽に取り組み、実に透明感があり、
美しい音色を奏でている。この清らかな音作りは、
シッパーズが求めたものなのか、それともN響の
指揮者の要求以上に備えられていた特質なのか、
この先の第2幕以降でも注意して聞いていきたい。

NHKCD ALT491/3

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2024年5月19日 (日)

ニコライ・ルガンスキー 5

ニコライ・ルガンスキーのドビュッシーで
喜びの島、2つのアラベスク
ベルガマスク組曲、レントよりも遅く
雨の庭、映像 第2集、ハイドン讃
2018年7月にドッビアーコで収録。
ルガンスキーの独特な硬質な響きが冴えわたり、
冷たく輝く美しい響きに一瞬で引き込まれてしまう。
スッキリと明瞭な情景が広がって、あらゆる要素は、
克明に描き出されるのであり、くっきりと形があって、
クリスタルに浮かび上がってくるものと逆に柔らかく、
滑らかに濁していくものと、その細やかな表現には
夢中になって、この精妙なバランス感覚というのは、
究極としかいいようにないと思える。驚異の技巧が
基本となるところを支えているが、余裕と安定感が
豊かな広がりをそこに生み出し、凝縮されたものが
中で際立ってくるという、まさに理想の展開である。
それにしてもこんなに美しい響きはそうは聞けない。
ルガンスキーのドビュッシーというのは少し意外で
珍しい印象もあるのだが、それが素晴らしかった。
(ドビュッシーの没後100年で企画された録音)

Harmonia mundi HMM 902309

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2024年5月18日 (土)

ジョナサン・ビス 3

ウィグモア・ホールのライヴ・シリーズから
ジョナサン・ビスによるピアノ・リサイタルで
シューマンの幻想小曲集 作品12
ヤナーチェクの草かげの小径にて 第1集
シューマンのダヴィッド同盟舞曲集 作品6
暁の歌 作品133~第5曲 ニ長調
2013年5月22日にウィグモア・ホールで収録。
幻想小曲集とヤナーチェクを交互に演奏しており、
それが不思議なぐらいに馴染んで、一体となって、
これには驚かされた。ジョナサン・ビスの発想は、
よくこんな発見を導き出せたものだと感激するが、
正直なところでは、別々に弾いてほしい気もする。
しかしシューマンとヤナーチェクの相性がよいと
勉強になった。ジョナサン・ビスのシューマンは、
本当に素晴らしく、くっきりと明瞭に描きながら、
思い切って、豊かに歌わせ、その絶妙さはない。
ダヴィッド同盟舞曲集は、緩急の対比によって、
多彩な小品を並べた巨大な集合体なのであり、
聞けば聞くほど、大好きで魅力的な作品だけど、
名演は多いが、ジョナサン・ビスもまた最高だ。

Wigmore Hall Live WHLive0068

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2024年5月17日 (金)

ヨナス・カウフマン 3

ヨナス・カウフマンとディアナ・ダムラウが歌う
ウォルフのイタリア歌曲集
ヘルムート・ドイチュのピアノで
2018年11月18日にエッセン・フィルハーモニー。
ウォルフのイタリア歌曲集は何とも素晴らしく、
この世界に引きずり込まれて、感動してしまう。
ディアナ・ダムラウとヨナス・カウフマンという、
スターの共演だが、エッセンでのライヴ録音で、
曲が終わるたびに聴衆が喜びの笑みを浮かべ、
その想いはホールの空気を伝わり、ざわめき、
録音の中にしっかりとそれが収められている。
音だけでも空間を感じ、堪能できるのであり、
ウォルフの歌曲の世界に飲まれるのである。
ヘルムート・ドイチュのピアノは本当に最高だ。
なぜこんなに素晴らしいのか、聞き惚れる。

ERATO 0190295658663

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2024年5月16日 (木)

ジュゼッペ・シノーポリ 19

ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデンで
シェーンベルクの6つの歌曲 作品8
アレッサンドラ・マルクのソプラノ独唱で
1997年9月にドレスデン国立歌劇場で収録、
映画の一場面のための伴奏音楽 作品34
ワルシャワの生き残り 作品46
1998年5,6月にドレスデン国立歌劇場で収録、
室内交響曲 第1番 作品9
1998年4月にドレスデンのルカ教会で収録。
シェーンベルクでも旋律があって、調性のある、
わかりやすい作品が集められている気がする。
6つの歌曲は、初期のワーグナー風の音色で、
どこか映画音楽的な親しみさえも感じられる。
映画の一場面のための伴奏音楽については、
この音楽が実際に付けられた映像というのが、
存在するわけではなくて、シェーンベルクの
無調音楽の方向性によって、映画の場面に
音楽を付けることができるのかの検証であり、
同じくわかりやすい作品である。この中では
ワルシャワの生き残りが前衛的な作風だが、
聞きなれた作品でもあって、実に素晴らしい。
室内交響曲 第1番はシノーポリの再録音で
ますます濃密に描き込まれているのであり、
思い切って、色合いも豊富に風景が広がる。
後期ロマン派の退廃的な華やかさを感じる。

Warner 0190295439576

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2024年5月15日 (水)

ジョナサン・ノット 8

ジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団で
マーラーの交響曲 第9番 ニ長調
2008年9月15-19日にバンベルクのコンツェルトハレ。
ジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団による
マーラーの交響曲全集を収録順に聞いている。
交響曲 第9番で、思ったよりもよい流れに歌われ、
その重圧から解放されることもあるのだが、ここでは、
逆にひたすらに精密に突き詰めて、進行しはじめて、
ジョナサン・ノットは同時に感情的になることを避け、
温度を下げて、聞かせているのであり、独特である。
極めて現代的な感覚での明瞭な響きが特長であり、
激烈な抑揚のない中に打楽器が強調されるのと、
悲劇的なフレーズが際立って、それは心に刻まれ、
突き刺さり、音楽の厳しさや険しさを示している。
ちょっとこれまでにないタイプの冷血な演奏であり、
それがかえって衝撃を与え、引き込まれてしまう。
ジョナサン・ノットというと、現代音楽のイメージで、
そこから来ているマーラーなので、こうなることも
よくわかるのだが、それにしても集中力が高い。
第2楽章以降は、少しずつ動きが出てきており、
舞曲のリズムで、ときに暴れ出すところも見られ、
しかしそれもまた鋭く、刺激がある。第3楽章も
高揚感があり、楽章での描き分けがされている。
それが結果論ではなくて、緻密なアプローチで
徹底的に精密に作り上げられているのがすごい。
第4楽章では再び、音楽との冷徹な対話へと
深く沈みこんでいくが、淡白さもあるのだけれど、
この凝縮の音楽を受け止めるのは、聞く側には
想像以上の重厚な体験が存在し、深いのである。
繰り返し聞くとジョナサン・ノットのこの世界観にも
慣れてくるのだが、すると後は、もう感動のみだ。

TUDOR 1670

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2024年5月14日 (火)

ベルナルト・ハイティンク 62

ベルナルト・ハイティンク指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
ブルックナーの交響曲 第7番 ホ長調(ノヴァーク版)
1978年10月9,10日にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
ハイティンクの1970年代のブルックナーであり、
交響曲 第7番の再録音である。このとき49歳で、
表現には積極性も感じられ、雄弁なところもあるが、
重みのある落ち着きの足どりは、奥行きと広がりを
生み出して、実に深みのあるブルックナーである。
ハイティンクは1970年代の後半には、その芸風を
完成させていたといえる。しっかりとした構築性だが、
堅さは抜け、力みが取れるとそれは、美しい響きを
引き出す結果へとつながるのであり、偉大である。
第2楽章が圧倒的に素晴らしく、音楽の中心は、
そこにあって、後半の二楽章では推進力を発揮し、
壮大な交響曲をまとめ上げていく力というのでは、
ハイティンクのブルックナーはやはり優れている。
このところの結論として、ブルックナー指揮者で
ハイティンクこそが最高であるとそう考えている。

DECCA PROC-1230

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2024年5月13日 (月)

エヴァン・クリスト 1

ザルツブルク音楽祭2011で上演された
シャリーノの歌劇「マクベス」
エヴァン・クリスト指揮クラングフォールム・ウィーンで
2011年8月4,5日にザルツブルクのコレーギエン教会。
サルヴァトーレ・シャリーノによる新作オペラだが、
これは素晴らしい。空気を伝わる鋭い音の振動は、
緊迫に満ちた空間を創造し、この衝撃に感動する。
教会の豊かな残響を活かし、特殊奏法を多用した、
奏者たちの超絶技巧の音色は、エレクトリックに
増幅されているのか、過激に脅迫的で圧倒される。
この鮮烈な音色は脳を覚醒させて、その刺激は、
聞く人の眠りの領域を呼び起こす感覚なのであり、
これはすごい。久々の強烈な感覚に目が覚める。
観光的なイメージの強いザルツブルク音楽祭で
その片隅でこんなにも最先端の演奏が行われて、
この企画力と高い芸術性にやはり価値があると
そしてそれが記録として残されたことに感激した。
題材はお馴染みの「マクベス」であり、全3幕で
第3幕には、第2場の後に間奏曲が演奏されて、
第3場と終結部で構成されるという、いかにもの
歌劇らしい展開が見られるのだが、その印象は、
録音で聞く限り、どのような舞台上演なのかは、
全く想像つかず、ここでは前衛的な音楽を堪能し、
歌劇としての形態は、非常に興味あるところだ。

col legno COL20404

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2024年5月12日 (日)

チョ・ソンジン 4

チョ・ソンジンによるショパンで
スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
2021年3月にハンブルクのフリードリヒ・エーベルト・ハレ、
ジャナンドレア・ノセダ指揮ロンドン交響楽団との協演で
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21
2021年4月にロンドンのセント・ルークスで収録。
ショパン・コンクールの直後のピアノ協奏曲 第1番、
そしてバラードの全曲を演奏した録音から5年後の
続編という印象もあって、ここではスケルツォ全曲と
ピアノ協奏曲 第2番なのだが、その辺を楽しみに
聞きはじめるけれど、やはり何か心に響いてこない。
2015年に話題になり、演奏を聞くとすぐに興味をもち、
それからまもなく10年ということになるのだけれど、
ハッキリとチョ・ソンジンの存在というのを感じたくて、
強烈なものを求めているのでは決してないのだが、
ここで優れていることは間違いなく、しかし一方で、
この演奏はここ、というのが、どうも見つからない。
文句のつけようのないところに文句があるというか。
音楽は非常に素直で真っすぐだし、音も滑らかに
少しの濁りもなく、澄みきった音色で、激しさもあり、
それならば、何もいうことはないのだけど、これは
CDで聞いているからか、ホールで実演を聞いても
心に刺さってくることはないと思う。何かが足りなく、
気付けていないことがあるはずであり、これからも
チョ・ソンジンは聞きたいけれど、少し離れてみるか、
新たな衝撃のために時間が必要なのかもしれない。

DG 486 0435

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2024年5月11日 (土)

ギャリック・オールソン 17

ギャリック・オールソンによるシューベルトで
ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 D.664
さすらい人幻想曲 ハ長調 D.760
ピアノ・ソナタ 第16番 イ短調 D.845
2012年8月31日-9月2日にカトヴィツェの
カロル・シマノフスキ音楽アカデミーで収録。
ギャリック・オールソンのこれは独特ともいえる、
自然体な表現に深く感動してしまう。何か特別に
強い主張をしようというところはどこにも見られず、
淡々と弾きはじめて、素朴な印象も受けるけれど、
これが何ともいい。味わいがあり、引き込まれる。
左手の伴奏音型なども比較的ハッキリと聞かせ、
表現は柔らかいのだが、極端に精妙なところを
聞かせようというのではなく、素直に向き合って、
音楽に逆らわず、超越もせず、この加減がいい。
ギャリック・オールソンの超絶技巧はすごいのだが、
さすらい人幻想曲の第2楽章など、顕著であり、
しかしそれはすべて音楽の安定のために存在し、
技巧が技巧を消し去り、これが理想なのである。
無理なところがなく、実にのびやかな音色であり、
音楽そのものが語り出すスタイルは好きである。
謎めいた表現が現れるピアノ・ソナタ 第16番で
そこでも何か答えを出し、結論付けるのではなく、
謎は謎のままにストレートに描かれるのであり、
これが面白いし、魅力なのである。素晴らしい。
ギャリック・オールソンは最高だ。本当に深い。
美しい表情を見せる音楽に聞き惚れてしまう。

DUX DUX0930

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2024年5月10日 (金)

ニコラス・コロン 1

ニコラス・コロン指揮フィンランド放送交響楽団による
ルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲(1950-1954)
2022年4月にヘルシンキ・ミュージック・センター、
クリスティアン・テツラフのヴァイオリンによる
パルティータ(1988)
2022年9月にヘルシンキ・ミュージック・センター、
ノヴェレッテ(1979)
2022年12月にヘルシンキ・ミュージック・センター。
少し前まではルトスワフスキといえば現代音楽だと
そう考えていたのだけど、いまその音楽を聞いても
とても現代音楽とは思えず、楽しいし、気持ちいいし、
頭を使う必要なく、心で感じて魅力的な音楽である。
管弦楽のための協奏曲が特に有名で、他の作品も
よく知られているけれど、管弦楽のための協奏曲は
戦後まもなくに作曲され、1954年の完成というので、
20世紀前半の音楽の流れに乗っているのであろう。
実験的に前衛性を追及する強烈な作風は、どこにも
感じられないのである。極端な不協和音は存在せず、
騒音もなく、難解さもないし、とにかく親しみを感じる。
1979年の管弦楽作品で、ノヴェレッテも同様であり、
独奏ヴァイオリンが加わる1988年のパルティータも
そうである。ムターのための作品として知られている。
ニコラス・コロンも過激な音響を求めることはなくて、
丁寧に音楽を扱い、響きを作り上げ、心を落ち着け、
じっくりとこの音楽を聞くことができる。素晴らしい。

ONDINE ODE1444-2

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2024年5月 9日 (木)

ファビオ・ルイージ 6

ファビオ・ルイージ指揮フィルハーモニア・チューリッヒで
R.コルサコフの交響組曲「シェエラザード」 作品35
2016年7月にチューリッヒ歌劇場で収録。
ファビオ・ルイージは抑制を効かせたイメージで、
引き締まっている演奏を思うが、意外によく鳴って、
しかしやはり濃厚な印象はなく、隅々までこだわり、
緻密にコントロールしている仕上がりといえるのか。
強い集中力で凝縮されて進んでいくが、その一方で
抜くところは抜き、ふと解放されたところで、そこに
風景が広がる気がするのだけど、その方向ではなく、
物語は意識させずに交響曲のような、4つの楽章が
完璧な造形と調和の中でバランス関係を保っている。
以前ならば、こういう演奏こそが好きであったのだが、
もう少し派手に絵画のようでもいいのかなと現在は
ふと思ってしまう。このスタイルもまたたしかにある。
そこでは優れているし、ファビオ・ルイージの魅力が
強く感じられて、いつまでもずっと聞いていられるか。

philharmonia rec PHR0106

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2024年5月 8日 (水)

サイモン・ラトル 20

サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団で
ラフマニノフの交響曲 第2番 ホ短調 作品27
2019年9月18,19日にロンドンのバービカン・センター。
若い頃のラトルもメリハリを効かせ、シャープな感覚で
鮮やかに聞かせていたが、徹底して音楽を作り込んで、
豊富な材料によって、濃厚な印象を生み出す感覚は、
ここではすっかりなくなっており、音楽は引き締まって、
色彩も抑えられ、渋い感じの演奏に仕上がっている。
でもその一方で、やはりラトルはたっぷりと歌い込み、
この集中力で細部まで緻密に描き込んだ表現であり、
最高のラフマニノフであると感動する。スケルツォの
第2楽章の緊張感から第3楽章ではそれを開放し、
穏やかに聞かせるやり方もあるが、ラトルはそこで、
第3楽章でも強い意思を持続させて、一貫しており、
全4楽章の58分間を強い想いでまとめ上げている。
ひとつの流れが存在して、まとまり感があると思う。

LSO 0851

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2024年5月 7日 (火)

ステファヌ・ドゥネーヴ 1

ステファヌ・ドゥネーヴ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団で
プーランクのスターバト・マーテル
2012年3月23日にシュトゥットガルト・リーダーハレ、
バレエ音楽「牝鹿」
2012年3月3-15日にシュトゥットガルトのSWRスタジオ。
オネゲルの交響曲は好きなのだが、フランス6人組は、
ほとんど聞かずにきて、プーランクは知っている方だが、
ステファヌ・ドゥネーヴの指揮で勉強している。色彩的で
どこか物憂げな旋律が美しく、ハマってしまう音楽である。
20世紀前半の不安や恐怖といったものが作曲の源かと、
そう思って聞いていたのだが、スターバト・マーテルは
1950年の作品だそうで、第2次世界大戦後であった。
戦争に関係した作品ではなく、友人を追悼する曲であり、
レクイエムを構想し、悲しみの聖母に変更されたとある。
バレエ「牝鹿」は1923年の作曲で若いときの曲であり、
ロシア・バレエ団のディアギレフの委嘱による作品である。
1920年代のサロンの情景(気分)が描かれて、華やかで
豊かな色合いはしなやかに、楽しくて仕方ないのである。
ストラヴィンスキーだけでなく、ディアギレフの委嘱作は、
どれも傑作なのであり、それだけ創作意欲を刺激したと
こうした作品を大切にして聞かなければと思わされる。

Hanssler 93297

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2024年5月 6日 (月)

マリス・ヤンソンス 32

マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団による
ブルックナーの交響曲 第6番 イ長調(1879-1881)
2015年1月22,23日にミュンヘンのフィルハーモニー。
マリス・ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団による
ブルックナーの交響曲を収録順に聞き進めている。
2015年の録音で少しずつ晩年に近付いてきたが、
精妙なコントロールで、ヤンソンスの響きの追及は
ますます冴えわたってきているが、研き抜かれた、
明瞭な音作りは極まっている。これは感動的であり、
ヤンソンスのブルックナーというものが完成されて、
流麗でしなやかな動きと独特な旋律の歌わせ方で
すっかり引き込まれてしまう。何をきっかけにして、
どこに反応するかは、自分でもわからないのだが、
ヤンソンスの主題で切り替わり、音楽が前に進み、
駆け出すような感覚のその気持ちよさというのは、
実に好きである。ブルックナーの交響曲における、
新たな表現法というのが、確立されているように
思えるのである。交響曲 第6番が歌にあふれて、
旋律の抑揚の大きな作品であるとそれがいえるが、
ヤンソンスはその方向性を捉え、豊かな方向へと
可能性を引き出している。一連の録音においても
この交響曲 第6番の演奏は、圧倒的輝きである。

BR 900190

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2024年5月 5日 (日)

イモジェン・クーパー 3

イモジェン・クーパーによるシューマンの第3集で
ノヴェレッテ 嬰ヘ短調 作品21-8
ダヴィッド同盟舞曲集 作品6
ノヴェレッテ ニ長調 作品21-2
アベッグ変奏曲 ヘ長調 作品1
主題と変奏 変ホ長調(幽霊変奏曲)
2014年11月3-6日にスネイプ・モルティングスで収録。
イモジェン・クーパーのシューマンは、第3集まで
制作されており、いまのところ、これですべてである。
ノヴェレッテの第8番は、もう昔、アシュケナージで
聞いて以来、好きな曲なのだが、このノヴェレッテは
なかなか聞けない。全曲で演奏されることは少なく、
ここでの抜粋もうれしいことである。続く、第2番も
ルービンシュタインが弾いていたことで知られるが、
一部は非常に馴染みもあり、実に素晴らしい曲だ。
ダヴィッド同盟舞曲集は夢中にさせる完成度である。
対極する要素を丁寧に描き出し、精妙な表現であり、
走り出しては立ち止まり、先に進んでいくにつれて、
対比はますます際立っていく。いきいきと躍動して、
あくまでも自然な流れの中にあり、感動的である。
ここで取り上げられている作品のテーマというのは、
性格表現によるストーリー展開というのがあるのか、
変奏曲もまた、主題の向こう側に、どれだけ豊かに、
様々な顔が隠されているのかとそれを解きほぐして、
筋道を立てていく作業で、何とも高度なことである。
初期のアベッグ変奏曲と遺作の幽霊変奏曲に続き、
シューマン自身の人生における対比というものも
ここに表現されている。幽霊変奏曲は第5変奏で
唐突に終わってしまうのが一般的だが、ここでは、
最後にもう一度、主題が奏でられ、この形がいい。
ゴルトベルク変奏曲のように原点に立ち戻る形だ。
安心が得られたところで、静かに終わるのである。
イモジェン・クーパーのシューマンはやはり最高だ。

CHANDOS CHAN10874

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2024年5月 4日 (土)

エマニュエル・アックス 17

エマニュエル・アックスによるドヴォルザークで
ピアノ三重奏曲 第3番 ヘ短調 作品65
ピアノ三重奏曲 第4番 ホ短調 作品90「ドゥムキー」
ヤン・ウク・キム、ヨーヨー・マとの共演で
1987年11月1-3日にニューヨーク州立大学。
エマニュエル・アックスによる室内楽を聞いている。
ドヴォルザークの室内楽は美しい旋律に感動する。
ピアノ三重奏曲 第3番ははじめて聞いたのだが、
こんなにも素晴らしい作品があったのだ。それを
聞き逃していたなんて、これまで何をしていたのか。
逆に第4番「ドゥムキー」に関しては、父が好きで、
その昔にスーク・トリオで聞いてきたのだと思うが、
子供の頃に繰り返し聞かされたので、親しみある。
高校生ぐらいのときであったか、サヴァリッシュが
N響の首席奏者との室内楽演奏会で取り上げて、
FMで放送された演奏をカセットテープに録音して、
ブラームスのピアノ三重奏曲と共に聞きはじめた。
エマニュエル・アックスは魅力がいっぱいである。
美しい音色としなやかなピアノの進行はここでも
独特の味わいを生み出して、引き込まれてしまう。
ヴァイオリンは、アイザック・スターンではなくて、
ヤン・ウク・キムという人であったがいい音色だ。
当時はここでのスターといったらヨーヨー・マかと、
しかし目立つわけではなく、室内楽に徹している。
「ドゥムキー」になるとヨーヨー・マも大活躍であり、
というより3人のいきいきとした姿が目に浮かぶ。
ドヴォルザークのこの音楽が、最高の宝である。
エマニュエル・アックスが優しい音色を聞かせて、
いつもながら角のない滑らかな表現にうっとりだ。
絶妙すぎるのである。どうしたらこんなに柔軟で
自在な表現を生み出せるのか。その方向性で
立体的な感覚は出さないけれど、陰影に富み、
深みのある音楽の奥行きは、絶大なのである。
説明によるとドゥムキーはドゥムカの複数形で
ウクライナ起源の憂鬱な叙事的歌謡とあって、
だとしたら、ウクライナに生まれたアックスは、
格別な思いを抱いていたはずであり、ここでも
民謡の要素を大胆に強調している印象がある。
この曲は独特で、6楽章構成となってはいるが、
目まぐるしく調性が変わり、曲調も変化し続け、
民謡集のような、舞曲集のような、個性的で
親しみやすさと同時にドヴォルザークによる
室内楽の最高傑作である。アメリカに旅立つ、
少し前の完成であり、この曲の源というのは、
望郷の想いではなかったが、それにしても
傑作が次々に生み出された1890年代である。

SONY 19075929282

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2024年5月 3日 (金)

マティアス・ゲルネ 2

マティアス・ゲルネの歌うシューベルトの歌曲で
冥府への旅 D.526、沈むよろこび D.700
涙する D.926 漁夫の愛の幸せ D.933
冬の夕べ D.938、メムノン D.541
双子座に寄せる舟人の歌 D.360
舟人 D.536、憧れ D.636
小川のほとりの若者 D.638
エンマに D.113、巡礼者 D.794
タルタルスの群れ D.583
希望 D.295 人間の限界 D.716
ピアノはエリーザベト・レオンスカヤで
2007年2,3月にベルリンのテルデックス・スタジオ。
マティアス・ゲルネのこのシューベルトのシリーズで
エッシェンバッハとの三大歌曲集は持っていたのだが、
他を逃していたので、ボックスセットを買ってしまった。
様々なピアニストが登場して、それも楽しみである。
第1集では、エリーザベト・レオンスカヤとの共演で、
独特の重みが存在して、深みのある響きに感動する。
歌曲を専門にしているピアニストでないと少し違って、
それが魅力でもあり、そちらに耳を奪われることもあり、
変化が生まれてくるのだけど、やはり何とも味わいだ。
漁夫、舟人など水辺での歌が多いが、憧れや希望と
まだ若かったマティアス・ゲルネは本当に素晴らしい。

Harmonia Mundi HMX2904046

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2024年5月 2日 (木)

ミヒャエル・ギーレン 66

ミヒャエル・ギーレン・エディション(第10集)から
南西ドイツ放送交響楽団の演奏による
ノーノのヴァリアツィオーニ・カノニシェ
建築家のカルロ・スカルパに 彼の無限の可能性に
進むべき道はない、ただ進まなければならない
1989年9月17日にストラスブルクのビシュハイム、
カーゲルの手紙
1987年10月30日にハンス・ロスバウト・スタジオで収録。
ノーノとブーレーズは、最も難解な作曲家であると
聞くと思うと身構えてしまうのだが、この1989年には、
ギーレンはノーノの作品をまとめて3曲も取り上げた。
ヴァリアツィオーニ・カノニシェは新ウィーン楽派的に
変奏曲という形式を追及しているとそうした印象だが、
シェーンベルクの室内オーケストラのためのシリーズ、
そのスタイルを踏襲している作品なのだそうである。
そしてカルロ・スカルパ、アンドレイ・タルコフスキーを
追悼する作品で、ノーノの後期の作風が示されるが、
削ぎ落された空間であり、断続する響き、断ち切られ、
そこに生まれる静寂にこそ、音楽は存在するという、
強い緊迫感に支配される作品であり、これが難しい。
そこに苦手意識があったのだが、ノーノも聞いてきて、
この緊張感のある響きに感動できるようになってきた。
成長したともいえるのか、それならば、うれしいこと。
最後に同時期のギーレンの演奏からカーゲルだが、
こちらはまた、過激な作風で、多様な要素が混在し、
それらがあふれ出してくる過剰な音響に興奮する。
ノーノとカーゲルでは、方向性は逆かもしれないが、
そこを際立たせると理解は深まり、実に興味深い。

SWR>>music CD-No.SWR19111CD

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2024年5月 1日 (水)

リッカルド・シャイー 11

リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
メシアンのトゥーランガリラ交響曲
ジャン・イヴ・ティボーデのピアノと
原田節のオンド・マルトノによって
1992年3月にアムステルダム・コンセルトヘボウ。
リッカルド・シャイーのボックスセットから聞いている。
この演奏は発売時に買って、そのときから聞いている。
トゥーランガリラ交響曲は、メシアンの代表作でもあり、
20世紀の音楽の中でも最も広く知られている作品だが、
この1990年代には、そんなにCDも種類はなかった。
そこに登場したシャイーによる最新の演奏であったし、
ジャン・イヴ・ティボーデが参加して、魅力的に思えた。
それから30年が経過して、すっかり時代も変わって、
メシアンのこの音楽を素直に楽しめるようになったし、
トゥーランガリラ交響曲に現代音楽の難解さはない。
心地よく音楽が膨張されていく感覚とこの壮大さで、
楽しくて仕方なく、いまでは親しみしかないのである。
リッカルド・シャイーが現代音楽の専門家であるという、
そうしたイメージはないのだが、20世紀のその当時に
20世紀の作品を積極的に演奏して、時代を振り返り、
熱心に取り組んでいたのだなと、改めて思わされる。
ベリオやヴァレーズなども聞いて、その鋭い感性に
シャイーは20世紀の音楽に非常に適性があったと
感じるのである。豊かな音響を精妙にコントロールし、
音楽の変化には大胆に対応して、本当に素晴らしい。

DECCA 483 4266

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