2017年2月 3日 (金)

落語につぶやき 284~居残り佐平次

オチの意味がわからないので有名な「居残り佐平次」、
「強飯(おこわ)に掛けやがって」
「旦那の頭が胡麻塩ですから」
この「強飯に掛ける」というのだが、意味は「騙す」とか、
元は「美人局(つつもたせ)に引っかかる」というのから
間男がばれると重ねて殺されても何もいえないので…
お~恐(こわ)、お~恐…って、それが「強飯」になり、
「強飯に掛ける」というのになった…そういう解説。

「東海道中膝栗毛」を読んでいて、小田原宿で
弥次郎兵衛が宿の女中に夜の世話もさせようと
前金を払っておくのだが、喜多八の差し金で
逃げられてしまい、金を騙し取られたと腹を立て、

ごま鹽(塩)のそのからき目を見よとてや
おこわにかけし女うらめし

注釈に「おこわにかける」についての解説があり、
美人局をすること、転じて、人をだまして金を取る
とある。「うらめし(恨めし)」に「飯」を掛けている。

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2017年1月23日 (月)

落語につぶやき 283~縁切寺

小満ん師匠で二度聞いている「縁切寺」。
「駆込寺」という題名もあるようだけど、
鎌倉の東慶寺のことである。北鎌倉で
円覚寺の向かいにあるのだが、調べてみると
八代執権の北条時宗の妻で覚山尼のご開山。
二度の蒙古襲来を神風で退けた北条時宗が、
34歳の若さで亡くなって、その菩提を弔って、
余生を暮したいと覚山尼がご開山した。
臨済宗円覚寺を開いたのが北条時宗であり、
その敷地の一部を東慶寺として、明治の頃まで
尼寺であった。昔は女の方から離縁したいとは、
いい出せなかったので、東慶寺に駆け込んで
三年間、勤め上げると離縁が認められたという。

出雲にて結び鎌倉にてほどき
縁結びは神無月の出雲にて、それに対して、
この鎌倉とは、東慶寺の縁切りのことである。

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2016年11月30日 (水)

落語につぶやき 282~御慶

朝日新聞夕刊(2016年11月30日)の記事に
「初詣」という言葉が使われるようになったのは、
明治20年代から明治30年の頃だったとある。
江戸時代から明治初頭には、正月のお参りは、
「恵方詣」であった。自宅からその歳の恵方の
方角にある神社仏閣に参拝をする。つまりは、
江戸時代には現在の初詣の考え方はなかった。

五代目柳家小さんの「御慶」を聞くとそのサゲで
「御慶いったんだい」を「どこへ行ったんだい」と
聞き違えて、「恵方詣に行ったのよ」というオチ。
しかし最近は、その「恵方詣」がわからないので、
「近所の神社に初詣」というオチに変わってきて、
この「御慶」という噺は、富くじに当たる噺なので
ということは、設定は江戸になると思うのだが、
すると「初詣」という言葉は使えないことになる。
「御慶」のオチには重要な情報が含まれていた。

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2016年9月22日 (木)

落語につぶやき 281~小猿七之助

三年ぐらい前に小満ん師匠の会で
「小猿七之助」からの二場を聞いたが、
「牢払い」の場面があり、牢払いとは、
伝馬町の牢屋敷で近くに火事があると
罪人を牢から出し、三日の間、釈放される。
四日目の朝、決まった通りに戻ってくると
神妙である…と罪が減ぜられたそうだが、
伝馬町の牢内にいる七之助だが、吉原で
火事があり、近くに飛び火して、牢払いとなる。
目の不自由な妹と寝たきりの父を気遣って、
品川へと向かうのだが、伝馬町からの道のり、
日本橋に出て、京橋から現在の銀座を通り、
新橋、芝、高輪の大木戸をくぐると江戸の外、
八ツ山下から品川宿である。江戸っ子は、
南の品川にふらっと遊びに行ったそうだが、
今の感覚からするとかなりの距離である。
伝馬町からだとたっぷり二時間はかかりそう。
江戸時代には、それくらいは軽かった…という
よほど健脚で、距離感の違いに驚くのである。

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2016年9月11日 (日)

落語につぶやき 280~品川心中(下)

「品川心中」の(下)について、なかなか機会がなく、
ちょっと復習しておくと心中のしそこないから六日、
死んでいれば、初七日ということで仕返しに行く。
金蔵の親分が話を聞いて、狂言の一幕を書き、
飯を抜いて、痩せ細った金蔵がお染のところへ
部屋に上がって、どうも気分が悪いと寝込んでしまう。
そこへ親分と弟役の民蔵が来て、初回のお客様だが、
土左衛門で上がった金蔵の腹にお染が書いた起請文が
ぴったりと張り付いていた…というので、お染の元を訪ね、
初七日だから、念仏でも題目でも唱えてやってほしいと。
金蔵はさっきから来ているので、お染は受け合わないが、
部屋に行ってみると金蔵の姿はなく、戒名が残されており、
「大食院好色居士」という戒名だそうだが、お染は恐がり、
女の命の髪をぷっつり切って、供養する。すると金蔵が
陽気に姿を現し、「この頭じゃ客が取れないじゃないか」
「あまりにあこぎな真似で客を釣ったから魚籠にされた」
「魚籠(びく)」と「比丘尼(びくに)」を掛けたオチである。

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2016年8月25日 (木)

落語につぶやき 279~三十石

京都伏見から大坂へ川下る三十石船だが、
夜、日が変わる頃に伏見を出て、大坂には
翌朝、着くという…夜船が人気だったそうで、
十三里の行程で、船ならば、それほどには
時間もかからないのだが、休息を取りながら
ゆっくりとした船旅だったという。船宿で夕飯、
その後、一番船、二番船、三番船と出るけれど
朝は、時間を合わせて、同時に着いたらしい。
川を下るのは楽だが、淀川を上るのは大変で
船頭たちが土手伝いに綱で引いて上るのであり、
歩くのより遅かった。寝ながら行けるのが値打ち。

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2016年8月 8日 (月)

落語につぶやき 278~幽女買い

新仏の長さんが、三途の川手前の冥土で
遊女買いでない…幽女買いに出掛ける。
あの世の噺なので、縁起の悪い言葉が、
逆様に縁起がいいという。うす暗い場所で
「ここは極楽じゃねえなあ」「冥土だよ!」
「えっ?亀戸(かめいど)?」なんという…
あの世でも芝居は見られるし、「白波五人男」は
團十郎だけで五人が揃う…という、寄席だって、
死んだ噺家がみんないるから、それは名人揃い。
「志ん生なんて、死んで生きるってんだから」。
友達の案内で幽女屋(遊女屋)へ出掛けるが、
「病は治るし、痛くも痒くもねえ、死ぬ心配もねえ」
「死宿(四宿)といって、し(死)の字が縁起いい」
あの世では、酒を飲むにも精進ものが乙で、
吉原への道筋で、田町は「たまちい(魂)」という。
大門手前の有名な「釣瓶蕎麦」は「首釣瓶蕎麦」、
江戸町一丁目二丁目は「冥土町一丁目二丁目」、
京町一丁目二丁目は「経町一丁目二丁目」、
高尾がいた三浦屋は、字を返して「うらみ屋」。
張り見世の花魁は経帷子で、店に出る前に湯灌、
若い衆の掛け声で「お上がんなるよ、仏様二つ」
幇間がお数珠で百万遍を唱え「南無阿弥陀仏」、
北向きのお床入りで、しかし考えてみたら…
死人で、肝心の腰から下が何にもなかった。
烏カアで夜が明けて、御あし(足)のない世界で、
勘定は払わない。洒落で言葉だけ…という。
「またの御出でを末期の水とさせていただきます、
お客様、お帰りになるよ、冥土ありがとう存じます」

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2016年7月27日 (水)

落語につぶやき 277~拝み屋

四代目小さんのお姉さんが拝み屋さんだったそうで
「落語界で大事な人が死ぬ」というお告げがあって、
四代目のところから文楽師匠に気を付けろって、
使いが来て、心配していたところが、するとなんと
亡くなったのは五代目の圓生師匠であったという。
これは黒門町の文楽師匠に関するエピソードだが、
圓生師匠の「寄席育ち」にも出ていた気がする。

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2016年7月17日 (日)

落語につぶやき 276~居候

居候の若旦那は、落語の方ではお馴染みで、
「湯屋番」とか「紙屑屋」、「五目講釈」「船徳」など、
その「居候」というのは、手紙の「ただ今のところ、
どこそこ方に居候…」というのから出たそうで、
他にも「食客」「掛り人(かかりうど)」などもあり、
それに「権八(ごんぱち・ごんぱ)」というのもあって、
これは、因州鳥取の浪人でお尋ね者の白井権八が、
江戸の侠客、花川戸の幡随院長兵衛宅に食客で
厄介になっていたというので、洒落て「権八」と。
「白井権八」は芝居の方で、本名は「平井権八」。

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2016年6月23日 (木)

落語につぶやき 275~四百四病

昔は、病の数は四百四病といったそうで、
五臓(肺臓・心臓・脾臓・肝臓・腎臓)に
それぞれ八十一ずつの病気があり、
81×5=405となるのだが、そのうちの一つが
「死病」で、死ぬことなので、それを除くと
四百四病となるのである。なるほど。

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