2018年9月14日 (金)

落語につぶやき 294~近江八景

昨日の小満んの会で聞いてきた「近江八景」だが、
近江八景が読み込まれた女からの文を読み解く。
圓生師匠の録音があって、改めて聞いてみた。

恋しき君の面影を しばしがほども見いもせず
文の矢橋も通い路や 心かただの雁ならで
われから先の袖の雨 濡れて乾かぬ比良の雪
瀬田の夕べと打ち解けて かたき心も石山の
月も隠るる恋の闇 会わずに暮らすわが思い
不憫と察しあるならば また来る春に近江路や
八つの景色にたわむれて 書き送る あらあらかしこ

三井晩鐘(みいのばんしょう)⇒見いもせず
矢橋帰帆(やばせのきはん)⇒文の矢橋も
堅田落雁(かたたのらくがん)⇒心かただの雁ならで
唐崎夜雨(からさきのやう)⇒われから先の袖の雨
比良暮雪(ひらのぼせつ)⇒乾かぬ比良の雪
瀬田夕照(せたのせきしょう)⇒瀬田の夕べと
石山秋月(いしやまのしゅうげつ)⇒石山の月も隠るる
粟津晴嵐(あわづのせいらん)⇒会わずに暮らす

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2018年8月20日 (月)

落語につぶやき 293~船徳

昨日の黒門亭 第1部のトリが藤兵衛師匠の「船徳」で
私はそのとき、下で並んでいたので聞いていないのだが、
八代目正蔵師匠の型による本来の「お初徳兵衛」の前半、
江戸の設定という形で演じられたそうである。つまりは
どこが違うかというと蝙蝠傘の件が出てこないらしい。
徳さんの操る船が、どうしても川の真ん中に出ていかず、
岸の石垣を擦って、客が蝙蝠傘で突いて押し返すのだが、
傘の先が石垣の隙間に刺さって、抜けなくなってしまう。
蝙蝠傘というのは、明治以降のものであり、江戸にはない。
なるほど、たしかにそうだ。というのも「船徳」という噺は、
江戸の人情噺で「お初徳兵衛」の前半部分、若旦那が
船頭になる稽古をして、ある日、客を乗せて大失敗する、
そのほんの短い部分を明治の鼻の圓遊(初代圓遊)が、
独立した一席にまとめ上げたのである。ということで、
様々に明治の話題が盛り込まれているのであろう。
四萬六千日で観音様にお参りしようとする客二人も
明治の頃の会社の社長か、大店の旦那ということだ。
例えば、有名なところで五代目小さんの「船徳」でも
明治から大正、それか戦前の昭和の初期の雰囲気が
どこか感じられる。目白の師匠が誰に教わったのか?
先代の四代目小さん?八代目文楽師匠かもしれないし、
どちらにしても現在、一般的によく聞かれる「船徳」は、
明治、大正、昭和初期の空気を感じながら聞くのがよい。
一方で「お初徳兵衛」は、江戸の風情ということである。

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2018年4月16日 (月)

落語につぶやき 292~残り富

テレビで宝くじの一億円に当たった人が、
買い方や当たる秘訣を話していたのだけど、
「残り物には福がある」そうで、それを思うと
「富久」でも「宿屋の富」でも最後の一枚である。
江戸の頃にも残り物の福が信じられていたのか。
また「最後の日に買うべし」という教えもあり、
それは「宿屋の富」でも「御慶」でも札を買うと
富の当日ですぐに突きはじめるので直前である。
当たる秘訣はあるのかもしれない。もうひとつ、
連番ではなく「バラで買う」のがいいそうだ。

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2018年4月15日 (日)

落語につぶやき 291~松葉屋瀬川

去年、安倍首相が森友か加計問題の答弁で
「李下に冠を正さずの例えもある」として
李(すもも)の木の下で冠をかぶり直すと
実を盗んでいるのと勘違いされることがある、
そういう誤解を招くようなことはするなという、
諺が引用されたのだったが、圓生師匠で
「松葉屋瀬川」を聞いていると出てくるのだ。
若旦那が吉原の花の会に行くといい出して、
儒者と偽った幇間が「君子危うきに近寄らず、
李下に冠を正さずという例えもある」と戒める。
それは策略なのであり、行くなといわれると
行きたくなるものであって、案の定、その後、
若旦那の吉原通いがはじまり、勘当になる。
落語には、そういう難しい言葉が使われて、
それを口にするのが幇間だったりもする。

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2017年9月 2日 (土)

落語につぶやき 290~雁風呂

先週の「日本の話芸」は、講談の方の「雁風呂」で
神田松鯉さんの「水戸黄門記~雁風呂由来」であった。
落語の方は、東京では圓生師匠の「雁風呂」が有名で
私は小満ん師匠で聞いているけれど、雁風呂の画が
落語の方では、「函館の松」ということになっているが、
講談では、青森の外ヶ浜となっていた。雁風呂の話が
残っているのは、外ヶ浜だそうで、この点については、
どうも講談の方が、筋が通っている。一方で噺の舞台、
つまり水戸黄門が昼食(ちゅうじき)を取る場所だが、
講談では奥州(東北)となっており、落語は掛川だが、
闕所になった淀屋辰五郎が、金を貸した柳沢吉保に
いくらでも返してもらいたいと江戸を目指しているので、
東海道を西に向かう水戸黄門と掛川で出会う設定は、
大坂との中間で、私はいいと思う。何となく合点が行く。
落語の函館の松は、紀貫之の歌が根拠となっている。
秋は来て 春帰り行く 雁の 羽がい休めぬ 函館の松

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2017年7月23日 (日)

落語につぶやき 289~庖丁

「日本の話芸」の後、「落語 THE MOVIE」を見ていて、
一朝師匠が「庖丁」を10分ちょっとで演じてしまったのは
驚きだったのだけど、ということは、寄席の浅い出番でも
「庖丁」は演じられるのである。私が好きなところがあって、
寅さんが、久次が厄介になっている清元の師匠の家に
上がり込んで、揚板の三枚目をあげて、糠味噌を取り出し、
漬け物を食べて、「うまい!ばかうま」って、この「ばかうま」、
圓生師匠がCMで使って、当時の流行語になったらしい。
もちろん圓生師匠の「庖丁」でも「ばかうま」といっている。

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2017年7月14日 (金)

落語につぶやき 288~船弁慶

昨日、小満ん師匠で聞いてきた「船弁慶」だが、
元の上方の噺を聞いてみたいと探してみた。
ネット上にあったのは、五代目文枝、枝雀、文珍、
二代目三遊亭百生といった噺家の録音であった。
馴染みの芸者衆に「弁慶さん」といわれるのは、
義経公のご家来で「お供さん」という意味であった。
普段はお供で、ただで飲み食いしているけれど、
今日は三円の割り前を払って来ているので、
弁慶とはいわせない…というのが伏線であった。
もし弁慶といわれたら清八が喜助の割り前をもつ。
場所は大川の難波橋で夕涼みの船遊びである。
雷のお松つぁんと喜助が夫婦喧嘩をするのだが、
周囲は仲居と幇間による「知盛と弁慶」の趣向だと
勘違いして、「弁慶はん、弁慶はん…」と囃すので
「今日の割り前、取らんといてね」というのがオチ。

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2017年5月16日 (火)

落語につぶやき 287~ルール違反

この半年ぐらいで二度も…黒門亭にて
年配の女性グループで、遅れてきた人が横入りして、
きちんと並ぶようにと苦情をいってしまったのだが、
どうしようもなく我慢できなくて、文句が出るのであり、
しかしそんなことをいわなければよかった…って、
後で反省して、いわれた方だって、不愉快だろうし…
せっかく聞きに行って、その日は落語どころではない
そんな台無しの一日となるのである。女性グループで
仲良く並んで聞きたいのなら、駅で待ち合わせをして、
一緒に来ればいいのである。なぜ、そうしない?

最前列の中央に陣取って、スマホで録音をして、
口演中、ずっと寝ている…という有名な客がいる。
先日の小満んの会にて、知り合いの常連さんが、
注意をしてくれた。マナー違反だけにとどまらない…
許可のない録音は犯罪である。よくぞいってくれた。

落語が近年、人気があって、どこの会も盛況であり、
ファンが増えている…ということはいいことなのだろう。
しかし同時に客同士の不満、トラブルも少なくない。
マナーやルールを守らない客が非常に増えている。
少しも特別なことではないのだ。世間の常識である。
公演中の写真撮影、録音の禁止など、落語に限らず、
どこでも常識ではないか。なぜ、それが守れない?
まわりに迷惑をかける行為はやめてほしい。
周囲はみな、不愉快に思って、腹を立てている。

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2017年5月14日 (日)

落語につぶやき 286~愛宕山

昨日の小満んの会で聞いた「愛宕山」にて、
旦那が「愛宕山に登るぞ」といい出して、
「京都の町を上がったり下りたりしました」
って、一八は嫌々、困った顔をするのだが、
そこで旦那がいったのか?出てきた川柳、
「京都の平らな道を上がり下り」
というような…記憶は曖昧なのだけど、
この川柳が、気に入ってしまった。

大学に入ったばかりの頃、安藤忠雄や高松伸、
関西にある建築作品を実際に見てみたくなり、
夏休みに京都に行って、場所を調べたのだが、
地名が「先斗町上る」とか「烏丸通四条下る」とか
京都だけの住居表示なのである。そのとき知って、
「通」と「条」、御所に向かって「上る」か「下る」か、
京都の人には合理的でわかりやすいそうだけど、
ちなみにその当時、京都で一番好きだった建築は、
「大徳寺」の交差点にある岸和郎設計の和久傳。
まだ原広司の京都駅はできていなかった頃だ。

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2017年3月31日 (金)

落語につぶやき 285~蟒蛇

3月31日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事で
インドネシアのスラウェシ島で全長7mのニシキヘビから
死亡した男性の遺体が見付かったそうである。島西部の
サルビロ村のパームヤシ農園で働いていた男性(25)が
収穫作業から戻らず、周辺を捜索したところ、散乱した
農耕具のそばに膨れ上がったニシキヘビを発見して、
ナイフで切り開くと丸呑みされた遺体が出てきたという。

落語で蟒蛇(うわばみ)が出てくる噺がいろいろあるが、
人が呑み込まれて…という内容であり、落語ならではの
そんなことあるわけないよ…という、人よりも大きい蛇が
いるわけがないという常識で聞いているわけで、しかし
これがいるとなったら笑えない。蟒蛇は現実だったのだ。

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