2018年11月13日 (火)

第294回 柳家小満んの会

13日で小満んの会である。夕方から日本橋へ。
横須賀線が品川で人身事故であり、東海道線で
新橋からは銀座線で三越前に向かおうとしたが、
そのルートの方が正規であり、時間も早いのである。
メトロに乗り換えで高いのだが、こういう日は仕方ない。

三遊亭歌つを:牛ほめ
柳家小満ん:風呂敷
柳家小満ん:大仏餅
柳家小満ん:三井の大黒

今回の三席は、共通ではないのだが、布(風呂敷)を
さっと取るというので、「風呂敷」と「三井の大黒」に
似た場面があり、大黒様の目が開く、政五郎には
そう見えたのだが、開眼するというので「大仏餅」に
関係してくる。その辺で繋がっている気がするのだが、
まあ、例によって考えすぎで、それは偶然であろう。
お馴染みの「風呂敷」だが、寄席でもよく掛かるけど
師匠で聞くのははじめてである。小満ん師匠のでは、
お得意の「厩火事」と同じパターンの展開なのであり、
雰囲気もよく似て、その辺でわかりやすく、楽しめる。
逆に文楽師匠の得意ネタで小満ん師匠にとっても
重要な噺であろう「大仏餅」は、他であまり聞けない。
そんなに面白い噺でもないと思っていたが、そういう
笑いの噺ではなくて、気付かないところで人と人との
つながりがしっかりと存在しているのであり、目が開く
最後のところでの感動もあるし、文楽師匠らしい噺で
そのイメージが湧いてきたのは小満ん師匠だからだ。
今日、聞いての印象にもより文楽師匠の「大仏餅」が
改めて聞いてみたくなった。違う聞き方ができそうだ。
師匠の「三井の大黒」は二度目で、2012年11月の
関内での小満んの会で聞いている。六年ぶりか。
普請場で板を削るのは、小僧上がりの仕事だそうで、
客人の扱いの職人にそれをさせるのは失礼であり、
という前提があるのだが、ポンシュウも一日かけて、
板を削り、挙げ句、二枚を一枚にしてしまうというのも
皮肉なことではないか。火事の後で年末なのであり、
忙しく人手が足りないというのになんと無駄なこと。
左甚五郎はのんびりとした性格でそんなにひねくれた
嫌味な人でもなさそうだが、どういう意図だったのか、
そこだけ不思議。後半の大黒様を彫り上げるところで
大工が小遣い稼ぎに道具や縁起物の木像を彫るのは、
歳の市で売るためであり、つまりここは年末に向けて、
年の瀬の風景や空気の感じられるところなのである。
師匠の「三井の大黒」は、二回とも11月の会で聞いて、
まさに今年の締めくくりである。甚五郎が彫った大黒様に
光が当たると目がパッと開く…という、何ともおめでたく、
「三井の大黒」って、やはりいい噺である。後味がいい。
ということで、来週21日の水曜日が横浜の小満んの会、
「近日息子」「粗忽の使者」「富久」の三席、楽しみである。

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2018年10月31日 (水)

末廣亭余一会 小満ん独演会

今年も10月余一会の小満ん独演会に行ってきた。

三遊亭あおもり:十徳
柳亭市弥:粗忽の釘
柳家一九:寄合酒
柳家小満ん:妾馬
古今亭文菊:権助提灯
-仲入り-
柳家小満ん:呼び継ぎ
柳家小菊:俗曲
柳家小満ん:坊主の遊び

あおもりさんが「十徳」で、私はこの噺が大好きである。
比較的珍しい噺だと思うのだけど、何回かは聞いていて、
一石橋の由来が出て来て、橋が流されて、川の両岸の
後藤さんと後藤さんがお金を出して、復興をしたので
名前を残そうと「五斗と五斗で一石」の話が出てくる。
小満ん一門から一九師匠が出演で「寄合酒」だった。
鯛を捌いていると犬が寄ってきて、兄貴分に追っ払えと
「食らわらせてやれ!」と言われるのだか、すると鯛を
食らわせてしまって、なくなってしまったのには笑えた。
これはあまり聞いた記憶がないのだけど、逆に鰹節で
出汁をとって、出汁の方を捨ててしまうのはなかったし、
よく聞ける「寄合酒」とは少し違った型のようで、新鮮。
小満ん師匠の今回のネタ出し「妾馬」は、一席目に登場。
お大名が町人の娘(お鶴)を見初める井戸替えの場面と
後半の八五郎が士分に取り立てられ、使者に行く場面、
馬が暴走し「文箱を抱え、火急のこと、どちらまで?」
との問いに「馬に聞いてくれ!」のオチまで。本寸法だ。
2011年の日本橋亭の小満んの会では、この形だったが、
2014年の関内では「八五郎出世」で、酒を馳走になって、
八五郎が酔って、陽気に歌うのは少々短縮版だったが、
馬に乗って使者に行くオチはありだった。それも4年前。
仲入り後は、新作の「呼び継ぎ」で、これが聞けたので、
今日はもう大満足である。2014年の棚卸しで聞いている。
面白かった。久しぶりの二度目だが、より楽しめたのは、
陶芸に関して、少しだけ知識が増えて、親しめたのかも。
前に聞いたときは、呼び継ぎの手法も知らなかったので、
噺で聞きながらその辺は想像していたのだろうけれど、
それに徳利の作者で「仁清(にんせい:野々村仁清)」も
その後、作品を見てきたので、一晩、水に浸けていたら
底にあった銘がなくなってしまったには、大笑いである。
そして三席目は「坊主の遊び」であった。これは珍しい。
この十年間ほどの小満んの会では出ていないのだが、
別の会では、何年か前に演じられているらしい。私は
小満ん師匠の「坊主の遊び」は、はじめてだったので
こちらも聞けてよかった。ちょっと調べてみたのだが、
2006年の関内で演じられている。と思ったら違った。
2015年5月の日本橋で出ていた。行けなかったので、
私が聞いていないだけだった。失礼。坊主の花魁は、
その後、どうなってしまうのだろうと考えると気になる。
少々ブラックな噺だけど、落語と思えば許されるのか。
しかしこういった花魁に仕返しする噺ってあるけれど、
実は意外に本当にあったことなのか?落語の中で
そういう意趣返しを果たし、気持ちを静めていたのか?
どちらにしても面白い。剃刀は持ち歩かない方がいい。

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2018年9月20日 (木)

第147回 柳家小満んの会

横浜での小満んの会で夕方から吉野町へ。
思ったよりもひどい雨で駅に着くとずぶ濡れ。
気温は低く、寒いぐらいだが、歩くとまだ暑い。

金原亭小駒:強情灸
柳家小満ん:お見立て
柳家小満ん:疝気の虫
柳家小満ん:試し酒

三席ともすごくよかった。明るく楽しい噺ばかりである。
機会も多いお馴染みの「お見立て」だが、師匠で聞くのは
今回がはじめてだ。いま風な感じとはどこか違って古風。
師匠が教わったときの当時のスタイルをしっかり守って、
その空気感が何か独特であり、ここでもそれが心地いい。
田舎から通ってくるお大尽は、信州のお方だそうである、
汽車で上野に着くと旅館にも立ち寄らずに喜瀬川の元へ
真っ先にやって来るという。いかにも明治の雰囲気だ。
長野まで鉄道が開通しており、碓氷峠を便利に越えて、
毎月、東京にやって来る(信州のお大尽は毎月来る)
というと思い浮かべるイメージとは違って、大正かも?
また喜瀬川は、御職の花魁だそうである。それゆえの
気位の高さかもしれないが、ならばいくら金を積んでも
信州のお大尽が相手にされるわけがない…ということ。
その辺の細かな設定って、あまり聞いたことがなかった。
喜助が上手に言い訳をしていくのだが、それを上回る
お大尽の強引な追及に詰めの甘さが露呈して、そこは
若い衆のいい加減さによるものだけど、やはり面白い。
そして小満ん師匠の「疝気の虫」というのもはじめてだ。
「虫が起こる」「腹の虫がおさまらない」などなど、虫も
いろいろあって、そこから秋の虫の鳴き声の話題となり、
この9月に「疝気の虫」が出たのには、理由があった。
先生も秋の夜長で、書見の最中にウトウトしてしまう。
他のでは、疝気の研究をしている先生ということに
なっていたようにも思うのだが、小満ん師匠のでは、
そこまで専門に研究しているのではなく、患者の中に
疝気もちがいて、その治療について気になっている、
という程度、親切なお医者ならば、ありそうなことかと
そこがいい。サゲについては、疝気の虫は陰嚢に隠れ、
そこを別荘と呼び、蕎麦につられて、おかみさんの口に
飛び込むのだが、唐辛子の汁を飲まれたものだから、
逃げようものにも別荘がないという考えオチである。
仲入り後、三席目は「試し酒」であった。こちらの噺は
日本橋で数年前に聞いている。今回もすごくよかった。
以前も書いていると思うけど、五升の酒を飲むのに
一升の盃で五つの場面で構成されているのであり、
それぞれに見せ場、物語があって、よくできている。
特に好きなのが、四升目はそれまでと様子が変わり、
久蔵の飲み様を見ながら、旦那の方が酒の蘊蓄で
冷静を装いながらもその豪快な飲み方に驚かされて、
旦那の口を借りて、その情景が伝わってくるのだ。
昭和初期の新作落語であり、いまはもう古典だけど、
多くの演者によって、研きに研き抜かれていると思う。
酒飲みの見せ場もあって、賑やかに盛り上がった。
ということで、次回は11月21日(水)の第148回、
「近日息子」「粗忽の使者」「富久」の三席。楽しみだ。

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2018年9月13日 (木)

第293回 柳家小満んの会

13日で小満んの会である。夕方から日本橋へ。
この数日、涼しくなったと思ったら、今日はまた暑い。
日本橋に着いて、開場までの時間、汗が流れていた。

柳家小はだ:たらちね
柳家小満ん:近江八景
柳家小満ん:駒長
柳家小満ん:三十石

どうも西に向かう三席だったような。気のせいか?偶然。
花魁からの文に近江八景が読み込まれている「近江八景」、
上方者の丈八と大坂に逃げる「駒長」、そして京伏見から
淀川下りの「三十石」である。「近江八景」は難解な噺だ。
最初に近江八景について、そして八景に含まれていない
膳所(ぜぜ)の説明があって、それを頭に入れないと
オチもわからないのだが、今回、ひとつ気付いたことは、
近江八景の「暮雪」「晩鐘」「夜雨」「落雁」「晴嵐」といった
呼び名が、地名を変え、こちらで馴染みの「金沢八景」と
同じであり、「八景」とはそういうものかとよくわかった。
「ぜぜ」とは「銭」のことかと思ったが、子供は銭のことを
ぜぜというそうで、それを掛けていると説明を見付けた。
近江八景を後半の噺の核心に取り入れているところで、
八卦と掛けて、易者、占い者が登場するのかもしれない。
「駒長」は好きな噺だが、でも考えてみると美人局であり、
企みについては、ひどいことである。江戸落語によくある
上方者をバカにして、でも真っすぐな丈八に心を動かされ、
お駒さんは出て行ってしまうのであり、長兵衛の間抜けさ、
その辺の抜けっぷりがおかしく、角のない噺となっている。
サゲでは江戸の名物、烏にまで、あほ~とバカにされる。
仲入り後、「三十石」である。師匠の「三十石」は大好きだ。
最初に黒門亭で聞いて、棚卸し、関内と今回で四度目。
思ったよりもよく聞いている印象。この数年、定期的に
演じられているような気がする。旅の風景で夏が似合う。
川面に照らされる東の空に昇ってきた月、夜も遅くなり、
すると満月ではなく、二十三夜の下弦の月のようだが、
噺の中では、明かりのない船の中が、月に照らされ、
すると満月のイメージ、今ならば、中秋の名月であろう。
しかし夜明けが早く、空が白んでくる描写が美しいが、
もう少し夏至に近いような感覚であり、旧暦の八月で
ちょうど今頃の季節よりもう少し夏本番といったところか。
でも師匠が9月の会にこの噺を選んでいるということは、
夏の名残を感じつつ、中秋の名月なのかもしれない。
そこは勝手な推測で三十石船の川風が心地よかったが、
ということで、来週20日の木曜日が横浜の小満んの会、
「お見立て」「疝気の虫」「試し酒」の三席、楽しみである。

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2018年7月19日 (木)

第146回 柳家小満んの会

横浜での小満んの会で夕方から吉野町へ。
出るのが少し遅くなってしまって、この暑さで
汗かきながらヘトヘトになって会場に到着。

春風亭朝七:のめる
柳家小満ん:道具屋
柳家小満ん:麻のれん
柳家小満ん:付き馬

小満ん師匠の「道具屋」は、髭抜きやお婆さんの木魚で
長い型だが、教わったのは五代目小さん師匠なのだけど、
四代目小さんの「道具屋」だそうである。目白の師匠は、
自分が四代目から教わった通りに稽古を付けてくれたと
以前にお話を聞いたことがあった。四代目の型の特長は
与太郎が洒落ていて、台詞の一つ一つで気がきいている。
36歳の与太郎は、与太郎なりに人生経験を積んでいる。
おじさんに元帳をもらって、儲け方を教わり、儲かった分で
旨いものでも食ってこいといわれるのだが、天婦羅の屋台が
出ていて、客の冷やかしに付き合って、時間ばかりが過ぎ、
だんだん腹が減ってきて、無茶に儲けようとするところが
面白い。元帳で五円の小刀を客は三円で買うといい出すし、
ガラクタ同然の品物で、刃先が痛んで、「先が切れなくて、
元が切れてしまいます」というオチ。ここも難しいことを
いっていて、与太郎の馬鹿と天才は紙一重なのであり、
四代目小さんの凄いところだ。「お雛様の首が抜けます」
「値は?音はズドーン」とかだと与太郎はかわいらしい。
今日の「道具屋」「麻のれん」とこれらは「棚卸し」で
聞いているのだが、師匠の「麻のれん」も洒落ている。
それは按摩の杢市さんが、枝豆で直しを飲む辺りだが、
今回、聞いて、この噺は夏だなって強く感じたのは、
蚊帳の中に上手く入れなくて、蚊に刺されるところである。
暑い夏の夜がすごく伝わってきた。蚊帳が重要であり、
それはわかっていたのだけど、なぜか蚊の飛び交う音に
夏を感じてしまった。ちょっと皮肉なことのようにも思うけど、
それだけ蚊に悩まされている。そういうことかもしれない。
「付き馬」は、2013年の日本橋の会で演じられていると
記録してあるが、私は聞き逃して、師匠でははじめて聞く。
吉原の若い衆が、客に引っ張りまわされて、大門を出て、
浅草まで来て、観音様にお参りして、最終的に田原町で
早桶屋さんのところまで来るのだが、浅草の描写では、
他の噺家さんとはかなり違っている。粋で通な浅草案内。
雷門が慶応の火事で焼けて、再建されず、門がないのに
雷門と呼ばれているというところに時代が感じられるが、
昭和35年に再建されるので、つまりは明治から大正、
それか昭和の初期、前半という感じで、朝飯の湯豆腐が
二人前で五円弱という感じだから、昭和なのだろうけど、
一晩、盛大に遊んで、五十円、巨大な早桶の木口代、
つまり材料費だけで二十円とそこに雰囲気を感じる。
最後の早桶屋さんのところでちぐはぐな会話ながら
「拵える、拵える」と見事に若い衆が騙されてしまって、
その辺はとにかく面白いのだが、極悪ながら傑作!
ということで、次回は9月20日(木)の第147回であり、
「お見立て」「疝気の虫」「試し酒」の三席。楽しみだ。

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2018年7月13日 (金)

第292回 柳家小満んの会

13日で小満んの会である。夕方から日本橋へ。
横須賀線で新日本橋へ行ったが、電車を降りて、
駅構内は暑いし、地上へ上がってくるとさらに暑く、
この蒸し暑い空気で、それでなくても体力消耗。

春風亭朝七:牛ほめ
柳家小満ん:浮世床
柳家小満ん:化物娘
柳家小満ん:涼み船

小満ん師匠の「浮世床」を聞くのは、今回がはじめてで、
寄席版とは違って、いろいろな挿入もあって、本と夢の間に
将棋の場面があり、駒の進め方で差しながら洒落をいい合う。
夢の後、髪結の親方が、代金を置かずに帰った者がいると。
畳屋の職人だから、とってきてやるということになるのだが、
「畳屋だけに床を踏みに来た」というオチ。畳の芯が畳床で、
藁やら土を踏み固めて作るのであり、畳屋の用語としては
イメージできるのだが、「床を踏む」で調べてみたのだが、
よくわからなかった。「太閤記」を読み上げる本の部分は、
くどくてしつこく、あまり好きじゃないのだが、でもなぜか?
小満ん師匠だと不思議に素直に笑えた。つかえて先に
進めないというのではなくて、読み違えて、間違えている、
音が異なると意味まで違ってきて、そうした言葉遊び的な
もって行き方なので、そこが重要なのかも。しつこくって、
もういいと不愉快になってくるのは、吃音的な演り方だ。
「化物娘」は、「本所の七不思議」のひとつだそうである。
実は行く前にちょっと検索してみたら、あらすじが出てきて、
つい読んでしまったものだから、話をしっかりなぞって聞いて、
年頃の娘さんを化物扱いするという、とんでもない噺ながら、
面白くて、大いに笑ってしまった。了見が問われてしまう。
禽語楼小さんというから明治前半の二代目の小さんだが、
速記(百花園)が残っていると書いてあって、近いところでは
志ん生師匠の録音が残されているらしい。帰ってきてから、
改めて落語事典で調べてみたのが掲載はなく、どことなく
圓生師匠の「遠山政談」に似ているのだが、それは別の噺。
「涼み船」は「汲みたて」である。しかしそこはサゲが違って、
「糞でも食らえ!」「食ってやるから持ってこい!」と船と船で
いい争っているところに肥船が一艘、抜けていくのではなく、
熊さんだったか、風呂上がりに師匠のところで一杯飲みたい、
刺身が食いたいと、なのに煙草まみれの湿気た塩煎餅を
食わされたものだから、食い物の恨みは恐ろしいのであり、
師匠と栄さんの船に飛び移ってきて、殴りかかると思いきや
「一杯飲ましてくれ!」と頼み込むオチ。抜け駆けをして、
師匠といい仲になった栄治を袋叩きにしてやろうという
なんとも物騒な展開なのだが、そういう嫌な雰囲気はなくて、
ただ陽気に楽しい印象なのは、小満ん師匠の工夫であろう。
肥船の「汲みたて」が出てこないので、よって題名も変わり、
「棚卸し」の際に「囃子船」の題名で演じられていたのだが、
その後、三遊亭圓右の公演記録に「涼み船」を見付けて、
内容は不明ながら、師匠はその題名が気に入られたそうで
今後は「涼み船」で演じてみたいとお聞きしたことがあった。
今回は「浮世床」と「涼み船」と仲間がワイワイ盛り上がり、
夏のノリでドタバタ騒動も沸き起こるものだから、より一層、
楽しく、笑って、なんとも心地のよい小満んの会であった。
ということで、来週19日の木曜日が横浜での小満んの会、
「道具屋」「麻のれん」「付き馬」の三席である。楽しみだ。

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2018年5月17日 (木)

第145回 柳家小満んの会

13日の日本橋に続いて、横浜での小満んの会。
今回は中三日だ。夕方から吉野町へ。暑かった。

林家彦星:道具屋
柳家小満ん:出来心
柳家小満ん:鍬潟
柳家小満ん:茶の湯

「出来心」は、師匠も寄席でよく掛けていると思うけど、
小満ん師匠でこの噺を聞くのは、今回がはじめてだ。
普段の寄席版と違って、後半の「花色木綿」までであり、
題名の「ほんの出来心でございます」の言い訳もあり。
「花色木綿」の部分は久しぶりに聞いたが、大家さんの
事情聴取で盗難届のやり取りは面白い。なんでも裏は
花色木綿になってしまうのである。どうしてこう、物事が
わからないのだろう…って、思ってしまうけど、そこが
落語の登場人物としては典型的で、つい笑ってしまう。
前半、主役であった泥棒が、後半には台所の床下に
隠れてしまって、すっかり脇役に消えてしまうところが、
展開としては惜しいところだが、これって、落語では
よくあることで、その点では、前半のみの寄席版って、
まとまっているし、聞きやすい。羊羹を喉に詰まらせ、
名前を聞いて、逃げ帰ってくるけれど、下駄を忘れる。
続いて「鍬潟」、小満ん師匠でしか聞いたことがないが、
これまで何度か聞いているので、はじめて聞いたときの
この噺は何だろう?一体、どういう話なのだろう…という
探りながらに比べて、ずいぶん楽しめるようになったし、
小さい鍬潟が大関の雷電と義兄弟の契りを交わす話、
その辺は真面目にいい話で、じっくりと聞いて味わいだ。
地味な印象もあるけれど、三席の中では、いいバランス。
そして最後にたっぷりと「茶の湯」である。40分超だった。
小満ん師匠は江戸千家だったか?お茶の心得があって、
茶事について、しっかりと説明があって、様子を知って、
その上で、噺の中ではわざわざ作法がぶち壊されるので、
やはりその辺は、結果、印象も変わってくると独特である。
しっかりと流儀の確立されている茶道のイメージに対して、
滅茶苦茶なお茶を入れて、不味く、とんでもない一口を
吹き出しそうになりながら、風流だな~って、実にいい。
ご隠居さんと小僧の定吉のやり取りがほとんどだが、
一方の粗っぽい豆腐屋の親方と鳶の頭、登場人物も多く、
場面のメリハリもくっきりと変化があって、面白かった。
ということで、次回は7月19日(木)の第146回であり、
「道具屋」「麻のれん」「付き馬」の三席である。楽しみだ。

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2018年5月13日 (日)

第291回 柳家小満んの会

日曜日開催の小満んの会だが、生憎の雨だ。
小降りになるのを待ったけど、一向に弱まらず、
びしょ濡れで出掛けて、横須賀線で新日本橋へ。
帰りは横浜まで戻ってくるとすっかりやんでいた。

橘家かな文:のめる
柳家小満ん:薙刀傷
柳家小満ん:甲府い
柳家小満ん:へっつい幽霊

「薙刀傷」は、もちろんはじめて聞いたが、
師匠も聞いたことがないそうで、ということは、
つまり古い速記から起こした噺なのであろう。
演題からすると講談なのかと思っていたら
そうでもないようで、いかにも落語っぽくて、
医者でも見抜けなかった若旦那の恋煩いを
番頭さんが気付いて、長屋の奥の浪人宅へ
娘をもらいに行くのだが、そこで四苦八苦する。
その場面がこの噺の面白さではあるけれど、
念願叶って、嫁に迎え入れ、ここから先が
オチに関わるところだが、三人の盗賊が入り、
嫁が薙刀で賊に斬り付け、見事に撃退する。
桃栗三年、柿八年、柚子は九年で成り下がる
というのを、股を三寸くり貫き、だったか?
肩に八寸斬り付けた?、指は腱が切れて、
ぶら下がり…というような駄洒落のオチで
正確なところは思い出せないが、そんな噺。
「甲府い」は関内の小満んの会で聞いたと
確認してみると2015年11月の会であった。
小満ん師匠のは、店の旦那が、昔話をして、
食えなくてひもじい思いをしたことがあり、
オカラを食べるなんて、よっぽどの苦労が
あるのだろうと同じ境遇の縁で雇ってやる。
もちろん法華信者のよしみもあるのだが、
その辺って、他では聞いたことがないようで
私が短い「甲府い」ばかりを聞いているのか?
ちょっと違った仕上がりは小満ん師匠ならでは。
師匠の「へっつい幽霊」も何度か聞いているが、
前のは小さん師匠の録音も残っている短縮版。
どういうのかというと若旦那が出てこない形で、
すぐに博打になってしまう。今日は三木助型で
若旦那の銀之助さん(銀ちゃん)が活躍する。
幽霊と博打をする熊さんだが、兄ぃというよりは
親分の迫力で、それに怯える幽霊が可笑しい。
博打で出た目は四五の半。左官の長兵衛さんは、
長さんだけに四四(四ぞろ)の「丁」が好きらしい。
ということで、木曜日の17日が横浜の小満んの会、
演目は「出来心」「鍬潟」「茶の湯」の三席である。

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2018年3月19日 (月)

第144回 柳家小満んの会

県庁に年次報告書を出しに行って、
大岡川沿いに桜の開花を観測しつつ、
吉野町までのんびりと夜は小満んの会。

柳家小多け:つる
柳家小満ん:家見舞
柳家小満ん:お茶汲み
柳家小満ん:花見の仇討

お馴染みの「家見舞」だが、師匠で聞くのははじめて。
夏の噺で、少々臭ってくるようなイメージがあるけれど、
今日は、水瓶の礼に出された料理が芝海老の汁物で、
豆腐と青物の「緑があって、色がいいや」という台詞で
そういうところに春が感じられた。芝海老というので、
春なのかはわからないが、冬から三月の今頃が旬。
笑い所はたくさんだし、ドタバタ要素もある楽しさだが、
汚くならない言葉の運びが小満ん師匠ならではである。
続いて、「お茶汲み」であり、長大なオウム返しだが、
花魁が来て、男がギャーっというのはなんとも笑える。
こういうところがまさに落語的バカバカしいお笑いだが、
前半の男の顔を見ての花魁の驚き様もわざとらしくて、
騙して、騙されて、騙されたふりもして、すべてが遊び、
軽く聞かなくてはならない。真剣なものでないのであり、
わかった上でのいい加減さ、それが遊びというものか。
お茶殻の涙を介して、ウソを楽しむ粋な世界である。
三席目は「花見の仇討」で、2012年3月の関内以来。
その間に2016年3月にも日本橋で演じられているが、
そのときは行けなかったので、6年になるとは驚きだ。
師匠の「花見の仇討」は、もっと最近のような気もした。
花見のご趣向でまさに茶番だが、稽古からして面白い。
この噺は好きである。もちろん今年ははじめてだけど、
聞けるとうれしくなって、先週は、「百年目」も聞けたし、
今日も桜で花見を堪能した気分。吉野町への大岡川で
開いたばかりの桜も見てきたし、テンションが上がった。
ということで、次回は5月17日(木)の第145回であり、
「出来心」「鍬潟」「茶の湯」の三席である。楽しみだ。

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2018年3月13日 (火)

第290回 柳家小満んの会

今月も13日の小満んの会で夕方から日本橋へ。
横須賀線で急いで新日本橋まで。汗ばむ暖かさ。

柳家小多け:真田小僧
柳家小満ん:泣き塩
柳家小満ん:道具の意地
柳家小満ん:百年目

「泣き塩」は「在庫棚卸し(2014)」で聞いて以来だが、
今回は筋も知っていて、すると場面ごとの滑稽ぶりに
思わず笑ってしまった。というのは、若侍の悔し涙や
塩屋の爺さんの涙脆さが、少々臭いところもあって、
そこが面白さなのである。それを眺めている野次馬で
江戸っ子の早合点がすべての間違いの元なのだが、
こうしたいい加減なやり取りは、度々登場してくるので、
きっと江戸っ子らしい特徴なのであろう。江戸の風景だ。
知られている岡鬼太郎作の「意地くらべ」とは別なのだが、
道具の「意地くらべ」があると師匠から聞いたことがあって、
思い出されたが、それが今日のこの噺だ。四代目圓喬の
速記が残されており、お菓子の話題にはじまり、この辺は
名人圓喬もまた、明治の頃の名菓子を紹介するマクラだと
それからお茶の話題になり、茶事の様子も面白おかしく、
噺に入り、菓子とお茶に共通の道具の話になるのである。
耳の遠い旦那が、道具屋の持ってきた十五両の茶碗を
十両で買うと困らせて、年寄りの頑固、意地っ張りだが、
実はすっかり聞こえているようでもあり、足りない五両は
負け賃として、別に用意しているという、ちょっとした遊び。
騒動が店の方にも聞こえてきたものだから、見かねて、
若旦那はこっそりと道具屋に五両を渡す。それが余計で
道具屋も意地で返そうとするが、貰っておきなというのに
今度のために取っておいてくださいというのがオチである。
そして「百年目」だが、流れがよくて、台詞もコンパクト、
大ネタの長い印象を感じさせない、スッキリとした展開だ。
堅物で小言を連発するやかましい番頭さんはいかにもだが、
旦那は細かく帳簿を確認したりせずに、そこは、昨晩、
実は確認したのかもしれないけれど、それにはふれずに
むしろ番頭さんの粋な心得のあることにすっかり安心して、
心置きなく暖簾分けができると別居が決まるのである。
よって旦那のお説教もシンプルであり、天竺の栴檀の話も
番頭さんへのはなむけの言葉になっていた。もっと練って、
言葉も増えると当然、時間的にも長くなってくるのだが、
逆に今日の展開だと寄席のトリでも行けそうな感じである。
「道具の意地」でも話題に上っていたが、長命寺の桜餅を
旦那が向島で土産に買ってきたようで、翌朝の場面では、
番頭さんのお茶請けに桜餅が振る舞われていた。春だ。
ということで、来週の月曜日、19日は横浜の小満んの会、
演目は「家見舞」「お茶汲み」「花見の仇討」の三席である。

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