2019年11月13日 (水)

第300回 柳家小満んの会

13日の小満んの会で夕方から日本橋へ。
横浜で先の東海道線に乗って、品川で横須賀線に
乗り換えようとしたら、川崎の手前で緊急停止、
少しして運転再開したのでよかったが、焦った。
途中で止まってしまったら身動きが取れない。


林家木はち「子ほめ」
柳家小満ん「穴泥」
柳家小満ん「菊模様皿山奇談~松枝宿」
柳家小満ん「三枚起請」


今回の三席で共通なのは「三枚起請」からの連想で
「約束」かと。「穴泥」では、三円の金ができるまで、
家に戻ることができない。その三円に意味がある。
そこが女房との約束なのである。続く「松枝宿」では、
仇討ちというのが、本懐を果たすまでの約束であり、
またここで「初七日が過ぎるまで」という約束もある。
そして「三枚起請」では、起請文の存在が噺の柱だ。
「穴泥」は掛取り対策の年末版で、好きな噺である。
祝いの後のお店に上がり込んで、飲み食いをして、
酔っぱらって、子供をあやすところは絶品であった。
頭の代わりに助で来るのは、横浜の兄さんではなく、
今日は品川で、やはり威勢ばかりでどこか頼りない。
続く「松枝宿」は圓朝作「菊模様皿山奇談」の一席、
全十五回のうちの第十話(十日目)だそうである。
この「菊模様皿山…」という題名は知っていたのだが、
もちろん聞いたことはない。正蔵師匠の録音があり、
そちらは聞いたこともあるのだけど、どこの場面か、
忘れてしまった。最後はやはり仇討ちになるようで、
いかにも圓朝作品。そこで今日の噺だが、勝山藩の
御家騒動だそうで、仇討ちの旅を続ける姉と弟だが、
追っていた相手は冤罪であり、御家の一大事を知り、
弟と姉は別れて、江戸へ戻る途中、軽井沢から
碓氷峠を越え、松枝宿での一幕である。供の者が
風邪をこじらせ、亡くなり、初七日まで逗留の姉を
宿屋の息子が横恋慕し、六日目の晩、蚊帳の中に
忍び込んだ息子を金に目が眩んだ宿屋の親父が、
娘と間違え、誤って殺してしまうという結末である。
宿屋の主もその息子も抜けた田舎者で、娘の方は
辛く当たるお嬢様であり、どういう話になるのかと
不思議な思いで聞いていたのだが、最後に死人で、
圓朝っぽくなった印象である。「松枝宿の子殺し」。
前の話がわからないので、仇討ちの姉弟の人物像、
どういう人柄なのかもわからないので、どうしても
難しい。時間をかけて、長く続きを聞いてみたいが、
この噺はなかなか聞けない。師匠も演っていない。
現在は中山道の松井田宿で知られるが、江戸の
浮世絵に「松枝ともいふ」とあるらしく、松枝宿だ。
仲入り後はお馴染みの「三枚起請」で、以前にも
師匠で聞いているけれど、今日は一層楽しかった。
「松枝宿」を終えて、ホッとして、解放された感じか。
喜瀬川が品川にいたころから三年通っているのは、
棟梁ではなく、経師屋の清公で、二十円を妹に借り、
その親切で書かせた起請文の件とまとまっている。
喜瀬川にいいように騙される男三人とその仕返しで
嫌な話になりそうなものだけど、そんなことはなくて、
「三枚起請」って本当に面白い。よくできた噺である。
ということで、次回は1月13日(月・祝)の第301回、
「藪入り」「お祭左七」「天狗裁き」の三席。楽しみだ。

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2019年9月13日 (金)

第299回 柳家小満んの会

13日の小満んの会で夕方から日本橋へ。
中秋の名月だが、急に涼しくなって秋が来た。


柳亭市松:牛ほめ
柳家小満ん:搗屋幸兵衛
柳家小満ん:たちきり
柳家小満ん:百川


今回の三席は、そのままで小言がテーマの噺かと。
「搗屋幸兵衛」は「小言幸兵衛」なので、まさに小言。
続く「たちきり」では、若旦那が叔父さん、叔母さんに
小言を食らって、もう勘当になる寸前の情景である。
「百川」では百兵衛さんがしくじって、河岸の連中の
荒っぽい苦情にすっかりお手上げ。小言が満載だ。
「搗屋幸兵衛」は志ん朝師匠の録音をかなり以前に
聞いているけれど、久しぶりですっかり忘れていまい、
こういう噺だったかと面白かった。「小言幸兵衛」との
違いというのは、幸兵衛さんが自分の話をしている。
町内の搗米屋が引っ越してしまい、すると長屋では、
搗米(精米)に関して、不便なので、新しい搗米屋が
引っ越してくるのを待っている。大家も同業の店子を
入れようと待っていたと思わせながら、実は違って、
仕返しをしたいという個人的な恨みだったのである。
昔のおかみさんとその妹を搗米屋に殺されたという、
少々妄想に近い大家の思い込みだが、だとすると、
現在の横にいるおかみさんは、一体、誰なのか?
幸兵衛さんは、ちょっと思い込みが激しくて迷惑だ。
小満ん師匠の「たちきり」は、今回がはじめてである。
東京ではさん喬師匠のイメージが強いが、特に後半、
三味線が鳴り出してからの展開は短く、思い出話や
めそめそと涙の場面はないので、サッパリの印象。
という点では、やはり親族会議の若旦那の勘当で
蔵に押し込められるまでがたっぷり描かれている。
番頭さんは若旦那のことを追い込んでいるようで、
実は心根を入れ替えさせようと忠義の人である。
柳橋芸者のこてるからの手紙が半年続いたなら、
身請けをして、若旦那と一緒にしてやろうと考え、
いろいろ先々のことまで考えている。しんみりして、
悲しい噺だが、オチの「線香が断ち切れました」は、
置き屋のおかあさんがちょっと滑稽で暗くはない。
ここで思ったのだが、芸者のこてるの思い込みで
それが強すぎて、結果、体を壊して死んでしまい、
「百川」でも百兵衛さんの勝手な思い込みから
大事件が起こってしまうわけだから、ここでの
三席に共通するものって、「思い込み」でもいい。
まあ、いつもながら考えすぎであろう…とは思う。
それでお馴染みの「百川」だが、小満ん師匠は、
日本橋のご当所噺と今日もいっておられたが、
第250回の小満んの会でも取り上げられた。
7月13日だったけど、8年前ということになるか。
その翌年か、少しして横浜の会でも演じられた。
「百川」はいい。私も大好きな噺である。面白い。
実話を元にしているというが、ちょっとした誤解と
すれ違いによって、とんでもない間違いが起きて、
落語だからいいが、本当だったらこれは大変だ。
「金明竹」などもそうだけど、現在、考える以上に
お国の訛りは通じなかった。地方出身者にとって、
江戸っ子の早口、巻き舌は恐ろしかったようで、
逃げたくなるようだけど、また同時に江戸っ子は、
それで威勢を付けて、決して負けたくないという、
強がっていたのであろう。意地っ張りなのである。
ということで、次回は11月13日(水)の第300回、
「穴泥」「松枝宿」「三枚起請」の三席。楽しみだ。

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2019年7月13日 (土)

第298回 柳家小満んの会

13日の小満んの会が土曜日の開催である。
昨日までの涼しさから一転して今日は蒸し暑い。


林家やまびこ:子ほめ
柳家小満ん:成田小僧
柳家小満ん:縮み上がり
柳家小満ん:中村仲蔵


「成田小僧」だが、この噺は明治の鼻の圓遊が改作して、
盛んに演っていたそうだが、その後、時代に合わなくなり、
速記も残っているけれど、どうも面白くないそうなのである。
そこで小満ん師匠が、設定を明治から昭和初期に移して、
さらに改作をした。いま知られる鼻の圓遊の改作で有名な
「船徳」や「野晒し」のあの陽気な空気を思い浮かべて聞くと
なるほど似ている雰囲気があり、すると楽しくなるのだが、
各場面での面白さ、それは気のきいた台詞などでもあり、
比べて噺全体の構成や流れ、盛り上がり方はというと
どうも弱い印象ではある。夢から目覚める落語の典型で、
「夢は小僧(五臓)の疲れ」のオチも特に新鮮さはない。
本来は成田山に参詣するところを深川のお不動様とし、
旦那の代わりに若旦那に行かせる相談の前半部分、
そこは旦那とおかみさんのやり取りだが、口数が多く、
後半は若旦那が小僧を連れて、お不動様にお参りして、
いろいろおかしな展開というのは、夢の話なのであり、
真面目な若旦那に対して、小僧がお調子者のお喋りで
その辺の言葉の多い、よいテンポ感の流れが圓遊調、
鼻の圓遊をイメージした小満ん師匠の演出なのだと思う。
二席目は「縮み上がり」である。堀ノ内への参詣で途中の
内藤新宿での噺であり、ここでいまになって気付いたが、
今回の三席で共通のテーマは、「参詣」であったのかと。
深川のお不動様に参詣、続いて堀ノ内のお祖師様に参詣、
そして「中村仲蔵」では、柳島の妙見様に参詣なのである。
「縮み上がり」は内藤新宿の噺ということで、小満ん師匠は
新宿末廣亭の10月の余一会で、最初の頃にこの噺を
取り上げていたが、そのときは、私は聞いていないので、
「縮み上がり」は今回がはじめてである。三人での参詣で
そのうちの一人が子供の病が回復したからと、そのお礼に
真剣に思いを込めて、お題目を必死に唱えているのだが、
その途中、新宿の女郎屋で暖簾から顔を出した女に惚れ、
お参りはすっかりいい加減になってしまう。やっとの苦労で
その花魁を相方にすることができるのだが、出てきた女は、
美しい容貌とはかけ離れた田舎訛りであり、越後国から
出てきたばかりだという。生まれは越後のどこだと訊ねると
小千谷と答え、「どうりで縮み上がった」というオチである。
このオチは、意味が分からず、すると馴染みの小林さんが
「小千谷縮み」だと教えてくれた。なるほど、そういうことかと。
着物の話となるとわからない。そこまでは気づかなかった。
仲入り後、三席目は「中村仲蔵」であった。今回は本寸法。
寄席のトリや「日本の話芸」でも流れたけれど、師匠による
短縮版の「中村仲蔵」というのもある。今回は長い方の型。
それが素晴らしかった。かなり昔に黒門亭で、日曜の二部で
客も少ない中、師匠の「中村仲蔵」をはじめて聞いたのだが、
それがとにかく感動してしまって、あまりに大きかったので、
その後、「日本の話芸」や「落語研究会」で放送もあったし、
何度か「中村仲蔵」は聞いているけれど、今回の印象は
そのはじめて聞いたときの想いが、鮮やかに蘇ってきた。
それ以上ともいえる深く引き込まれた一席であったのだ。
正確にはわからないが、舞台の描写で定九郎の様子だが、
仲蔵の苦心の演出に関して、かなり詳しく、細かく状況が
説明されていたようにも思える。それによって、観客の驚き、
どよめきの大きさがリアルに伝わってきて、迫力があった。
今回の上演に関しても台本(てきすと)に手が加えられ、
ますますバージョンアップしていることは間違いないけれど、
これまで聞いてきたたくさんの噺でも格別の一席であった。
ということで、次回は9月13日(金)の第299回であり、
「搗屋幸兵衛」「たちきり」「百川」の三席。楽しみである。

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2019年5月13日 (月)

第297回 柳家小満んの会

13日は小満んの会で夕方から日本橋へ。
途中、ちょっと用事を済ませて行ったので、
その分、早めに出たのだが、早すぎた。
神田からゆっくり歩いて、それでも早い。


柳家り助:子ほめ
柳家小満ん:六郷の莨
柳家小満ん:苫が島
柳家小満ん:品川心中


今回の三席で共通のテーマは、六郷の渡しで川を渡り、
和歌山から苫が島に渡って、巻狩りをして、そして
品川の海では桟橋を渡って、海に落とされるのだが、
海とか川とか、水の出てくる三席である。たまたまか。
大蛇も出てくるが、「品川心中」では出てこないので、
そちらは忘れていいのかも。六郷の大蛇は道成寺。
師匠の「六郷の莨」は「棚卸し」以来、二度目だが、
初夏の景色が心地よく、何とも長閑な情景である。
江戸時代、煙草の火は火事の原因となり、火事早い
江戸の市中で、外で煙草を吸うことは禁じられていた。
外の空気を吸いながら気持ちよく煙草を吸いたいと
郊外に出掛け、川崎大師のお参りはうってつけである。
そこで渡しの手前でゆったり煙草を吸っている風景だが、
煙草好きが出会うと大変なことになる。しかし煙草を
わざわざご馳走してくれるのだから本当はいい人で、
何事も度が過ぎてはいけないし、押し付けは迷惑という。
煙管の種類と煙草の銘柄は、師匠の理解の深さで、
その紹介は素晴らしい。銘柄と産地が噺に登場する。
「苫が島」は紀州が舞台であり、今回の案内ハガキにも
師匠の昔のエピソードが紹介されたが、上方落語である。
はじめて聞いたし、一度ではなかなか覚えられないが、
私も地図を見てみたところ、和歌山と淡路島の間に
二つの島があり、地ノ島と友ヶ島だが、説明の通りに
この友ヶ島が「苫が島」のようである。紀州徳川家の
初代頼宣が、苫が島で巻狩りをする。大蛇が表れ、
薙刀の尻で叩くと鼻血が出たのだが、ちり毛を抜くと
三枚の鱗が剥がれ、鼻血が止まるというサゲ。
調べてみるとこの友ヶ島には大蛇伝説があり、
初代頼宣が退治したそうである。噺の方では、
頼宣の命を受けた家臣が退治したような気がする。
仲入り後は、お馴染みの「品川心中」である。
小満ん師匠のこの噺も何回か聞いているが、
改めて、やはり面白い。金蔵とお染のやり取りが
何といっても聞きどころだが、金蔵は強がっていながら
お染に頭が上がらず、すぐに優しい言葉を掛けては、
バカが付くほど人がいい。そういうところが特長で、
この辺の台詞は文楽師匠に教わったと、以前に
師匠にお聞きしたことがある。たしかに魅力的だ。
文楽師匠は「品川心中」は演っていなかったが、
演らない噺だって、みんな、頭の中に入っていて、
お弟子さんを前にしては、教えを伝え、ときには、
演じていたりもしていた。師匠の「品川心中」には、
そうした文楽流のキャラ作り、言葉遣いが生きている。
登場人物がいいので、聞いていても気持ちがいい。
たくさん笑って、品川の夜の海も堪能できたが、
ということで、次回は7月13日(土)の第298回、
「成田小僧」「縮み上がり」「中村仲蔵」の三席。

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2019年3月16日 (土)

第150回 柳家小満んの会

横浜の小満んの会は、150回の今回で最終回。
10年通った会が終わってしまうのは残念だ。
私がはじめて行ったのが、2009年の3月で、
10年たった2019年の3月が最終回というのも
やはり何かひとつの区切りのような気がしてくる。

柳家り助:二人旅
柳家小満ん:長屋の花見
柳家小満ん:狸の鯉
柳家小満ん:らくだ

「長屋の花見」「狸の鯉」と原点に立ち返る演目である。
毎年、春には「長屋の花見」を師匠は必ず演じられているが、
大家さんが長屋の衆を集めた趣旨を話し出すところからで
つまり今日は何の用事だろうと相談しながら出かけていく、
前半の場面はなしである。後の演目を考え、時間を確保だ。
今年も花見のシーズン到来であり、明るく和やかに楽しい。
狸の噺は、五代目小さんの「狸の了見になれ」があるので、
柳家では「道灌」とともに基本の噺のイメージがあるけれど、
小満ん師匠は2011年3月に横浜で「狸賽」を演じていて、
今回は「狸札~狸鯉」の形である。「狸札」を前座さんが、
のべつ演っているので、耳にタコの状態ではあるのだが、
ベテランの噺家の演る「たぬき」というのは、すごくいい。
逃げ出した狸が薪を駆け上って、「鯉の薪のぼり」のオチ。
仲入り後は「らくだ」である。小満ん師匠の得意のひとつで
寄席のトリでも演じているが、今回は「火屋」のオチまで。
「かんかんのう」の後、菜漬けの樽も借りてきて、酒も届き、
いよいよ屑屋さんが飲みはじめるのだが、駆け付け三杯で
三杯目までは、らくだの兄貴分の勧めで飲んでいたのだけど、
屑屋さんが自分で、もう一杯もらおうかと言い出したところで、
大変なことになる。らくだの死骸を一人残すのは忍びないと
最後まで付き合うと言い出して、元来、人助けの好きな性格。
らくだの寺はどうなっているのか?檀家にも入ってなさそうで
わからないのだが、知り合いの落合の焼き場に連れていくと
しかし貧乏弔いで、焼き代が出せない。らくだの兄貴分は、
質屋が夜な夜な博打場になっていることに勘づいており、
番頭を強請って、焼き代の二両を拵える。棺桶をかたに
二両を借りるのだが、屑屋と樽を運んで、いつの間にか
兄弟分になっているのが笑える。落合の土橋のところで
穴に落ちて、そこで二人は、肩の棒の左右を入れ換えて、
すっかり楽になり、実は樽の底が抜けて、空だったのだが、
焼き場で死骸がないのを指摘され、それに気付くのがいい。
この説明が一言入っていることで、なるほどという感覚になる。
そんな質屋の場面が付いた今回の「らくだ」であったのだが、
ということで、横浜は今回が最終回であり、次回の日本橋は
5月13日(月)の「六郷の莨」「苫が島」「品川心中」の三席。

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2019年3月13日 (水)

第296回 柳家小満んの会

13日は小満んの会で夕方から日本橋へ。
すっかり春である。しかし夜はまだ寒い。

柳家寿伴:勉強
柳家小満ん:饅頭怖い
柳家小満ん:帯久
柳家小満ん:鰍沢

寿伴さんの噺は、新作だろうとは思ったのだが、
念のため、検索してみたところ、三代目金馬師匠の
「勉強」というらしい。録音もあった。古かったのだ。
五代目小さん師匠の竹馬の友の話題をマクラに
お馴染みの「饅頭怖い」だが、小満ん師匠では、
「棚卸し」以来、聞くのは二度目である。6年ぶり。
胞衣(えな:へその緒)を埋めて、その上を最初に
通った虫のことが嫌いになるという、迷信なのだが、
それを踏まえて、何が怖いか、どう怖いかを丁寧に
一人ずつ喋っていくので、普段の「饅頭怖い」に比べ、
格段に面白いのである。明日は建前だからと棟梁に
酒は飲んじゃいけねえと釘を刺された説明もあるが、
それは金がなくて、酒の買えない言い訳なのだろう。
二席目は「帯久」で、大岡政談にあるそうなのだけど、
上方で演じられることが多く、大岡政談というぐらいで、
元々は江戸であり、設定を直しての口演だそうである。
たしかに以前、「日本の話芸」で、桂文珍さんで聞いた。
東京では「圓生百席」に圓生師匠の録音が残っている。
聞いたことはあるけれど、すっかり忘れていたので、
はじめて聞いたみたいな感じであり、この帯久さん、
自分が苦労していたときに無証文で用立ててくれた
恩があるにも関わらず、酷い仕打ちで何とも嫌な人だ。
つまり信用で金を貸してあげた旦那の方がいい人で
噺の中心なのだけど、題名が「帯久」というのは面白い。
十年前に貸した百両の利息が百五十両に膨れ上がり、
百両は奉行所が立て替え、不足の五十両を年賦で
一両ずつ返していくのだが、五十年かかる計算になり、
その間、火付けの大罪で火炙りの刑は猶予されるという、
大岡越前の名裁きである。というので、合っているのか。
裁きの次第は面白いのだが、帯久の酷い人間性に
腹が立って、どうもこの噺、後味があまりよろしくない。
仲入り後は「鰍沢」である。「饅頭怖い」の怯え方もだが、
「鰍沢」はいつも以上に熱演であった。戻った伝三郎が
痺れ薬に苦しみ出し、その状況を隣の部屋から察して、
壁を破り、必死に逃げ出すのだが、後半の迫力は
特にすごくて引き込まれた。「鰍沢」って、その内容は
決していい噺でもないけれど、やはり情景があって、
風情があって、劇的な展開でもあり、素晴らしい。
圓朝の三題噺が元というのも大きいか、笑いよりも
人間ドラマであり、お熊の独特な雰囲気もあるけれど、
不思議な凄みが伝わってくるのである。夜の暗闇に
火縄の明かりをちらつかせ、鉄砲を担ぎ追ってくる、
その恐怖感は圧倒的で、一気に駆け上るラストは、
まさに絶妙な心地よさと達成感で、最高であった。
ということで、土曜日は横浜の最終回(第150回)、
「長屋の花見」「狸の鯉」「らくだ」の三席。14時開演。

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2019年1月21日 (月)

第149回 柳家小満んの会

駒六さんは去年の1月の会にも出ていたそうで
ちょうど一年前のあのときは、大雪でたいへんだった。
吉野町から関内に戻ってきて、今回は快晴の満月だ。

金原亭駒六:不精床
柳家小満ん:天狗裁き
柳家小満ん:ふぐ鍋
柳家小満ん:紺屋高尾

「天狗裁き」はやはり初夢の正月バージョンであった。
正月二日、枕の下に宝船の絵を敷いて、寝かされる。
「天狗裁き」の正月版で「羽団扇」という噺があるのだが、
師匠はそちらも演じているけれど(2011年1月の関内)、
その「羽団扇」を「天狗裁き」に戻したような仕上がりだ。
天狗から羽団扇を取り上げて、上空高くに舞い上がり、
見事に逃げ果せるが、落ちたところが宝船というのも
枕の下に敷いているので、理に適った展開である。
弁天様が一所懸命に起こしてくれるが、それが次第に
雑なおかみさんへと変わって、「羽団扇」とも共通で
そこが好きである。それで「どんな夢みたの?」となる。
続いて「ふぐ鍋」だが、師匠で聞くのははじめてだ。
この噺はどうも短そうで、マクラではふぐの毒に関する
講義をたっぷり。ふぐに関して勉強するきっかけがあり、
するとこの噺への愛着も深まり、そうした師匠の想いが
ひしひしと伝わってくる。この噺もいかにもという幇間が
活躍するけれど、小満ん師匠の一八は本当に最高だ。
乞食の毒見も済んだと思い、美味しい、美味しい…と
一気にふぐ鍋を頬張るのだが、その様子はもう絶品。
ご飯を入れ、卵をかけ、締めは雑炊に仕上げるのだが、
湯気が立ち上って、晩飯前の空腹には何とも耐え難い。
仲入り後は「紺屋高尾」であり、2013年1月の日本橋で
聞いており、早いもので6年が過ぎていることになる。
「幾代餅」の方がよく聞いている気がするが、こちらは
ちょっと久しぶりな気もして、改めて今回、聞いてみると
「幾代餅」と同じのようで、意外に細々、違っていた。
紺屋の職人の久蔵さんが患いつくのだけど、話を聞き、
恋煩いを言い当てるのもお玉が池の先生(藪医者)で、
高尾太夫に会わせてやるからと励ますのも先生だ。
親方は後で先生からこっそりと報告を聞くだけであり、
おかみさんに限っては登場もない。「幾代餅」と違う。
「来年三月…」で腑抜けになってしまうところもなく、
紺屋の久蔵は、その点、しっかりしていて、現実的。
しかし三年働き続けて、それを一晩で使い果たそうと
そこまでする久蔵の振る舞いが理解に苦しむのと
昔の人は、そこまで純粋だったということなのだが、
ならば一層、ズレを感じるところであり、その一方で
高尾はというと久蔵の想いを知り、今夜の支払いは、
私の方で何とか用立てるからと十両の金は大切に
所帯をもったときのために蓄えておいてほしいと
持ち帰らすのである。太夫の賢明さは素晴らしい。
久蔵も先生も親方もここでの登場人物は、みんな、
ちょっとおかしいので、高尾太夫の言葉は救いだ。
ということで、次回は最終回、2019年3月16日(土)、
「長屋の花見」「狸の鯉」「らくだ」の三席。14時の開演。

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2019年1月13日 (日)

第295回 柳家小満んの会

今年最初の小満んの会である。日曜日の開催で
それも三連休の真ん中だ。寄席は正月二之席で
落語の方では、まだまだこの時期、正月であり、
今日の噺も「御慶」だけど、正月気分って最高。
実際は、世間はもう新年の祝いでもないけれど、
終わるとすっかり現実に引き戻されるのであり、
その点では、この二時間って、本当に格別だ。
日本橋亭の入口にも正月飾りが付いていた。

金原亭駒六:元犬
柳家小満ん:弥次郎
柳家小満ん:二段目
柳家小満ん:御慶

今年は「弥次郎」から。途中で思い出したのだが、
南部の恐山の山賊の後、イノシシが出てくる。
猪の子供が16匹、シシ(4×4)十六ってギャグ、
そういうことだったのか。今年の「亥年」、干支で
「弥次郎」なのである。ここでのホラ話、嘘つきって、
落語的ということだが、センスがよくて何とも好きだ。
寒くて寒くて、水も氷り、湯も氷り、氷った湯をかじると
お腹の中で溶けだして、煮えたぎった熱湯になる。
火事の燃え盛る炎があっという間に氷って、それを
鋸で切り出し、持ち帰ろうとするが、南部の辺りで
すっかり陽気がよくなったものだから、炎が溶け出し、
荷を引いていた牛車が焼ける。消してくれ!というが、
それも無駄、というのも「焼け牛に水」というギャグ。
後半は「道成寺」のウソになったが、それにちなんで
逃げられて「安心した」と「安珍」を掛けたオチである。
続いて「二段目」、つまりは「忠臣蔵」に絡んでの噺。
これは圓生師匠などの録音がある「芝居風呂」かと。
でも喧嘩の内容で忠臣蔵の松の廊下でもめるので、
そこが少し違っているようで、速記本に残っている、
小満ん師匠のは、「二段目」という噺であるらしい。
詳しいことはわからないが、そういうことも書いてある。
風呂場での喧嘩に巻き込まれまいと帰ろうとする客が、
「着物はどこだ?」「棚の二段目」というオチであり、
これは「どこから落ちた?」「七段目」に似ているかも。
仲入り後は、新年の噺の代表ともいっていい「御慶」、
今しか聞けない。師匠の「御慶」はこれで四度目かと
この数年、定期的に演じられていて、よく聞いているが、
何度聞いても面白い。富くじで江戸時代の設定であり、
するとオチは「恵方詣り」でないといけないというのは、
以前も書いているが、「初詣」の言葉が広まったのは
明治の後半のことで、ここでの年末年始の風景って、
当時のことがいろいろとわかるのである。挨拶に来て、
それは二日以降のことかもしれないが、出入りの者は、
何軒も旦那方をまわって歩いて、つまり上がりこんで
振る舞い酒に酔っぱらっていては、しくじってしまう。
それで、正月も過ぎて、日が長くなってきたころには、
また改めて伺うことにいたしますと「永日」なのである。
日本人の新年に対する思いや風習って素晴らしい。
考えれば考えるほど、「御慶」は魅力的ではないか。
ということで、21日の月曜日が横浜の小満んの会、
「天狗裁き」「ふぐ鍋」「紺屋高尾」、再び関内ホール。

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2018年12月15日 (土)

川瀬忍展~小満ん 落語の会

川瀬忍さんを紹介して下さったのは小満ん師匠だが、
何年か前に個展に伺って、その色も形も感動してしまい、
陶芸に興味があったわけではない私が、そのときから
すっかりファンになってしまったのだから、素晴らしい。
いつも案内状を下さって、行かせていただいている。
今回は港区虎ノ門の菊池寛実記念 智美術館で
これまでの作陶50年を振り返る展覧会(~3/24)で
今日はナイト・ミュージアムの小満ん師匠の落語会。
作品を見せていただいた後、18時30分から落語。

「日本文化の間を体験する」
柳家小満ん:夢の酒
対談:柳家小満ん×川瀬忍

川瀬さんは実にいい酒(勧め上手の酌上手)だそうで、
やはり「酒」がよかろうと「夢の酒」を選んだそうである。
「橋場の雪」は逆に聞いたことあるのだが、意外にも
師匠の「夢の酒」って、おそらくはじめてだ。有名な噺は、
かえって聞いたことなかったりするもので、その点では、
うれしい。聞けてよかった。若旦那とおかみさん、そこに
大旦那が加わって、さらには夢の中の情景もあるけれど、
夢の中の浮気ごとにヒステリックに騒ぎ出すおかみさんで
その嫉妬深さが物語の展開を形作っていくと思うのだが、
目に浮かぶようであり、今回は落語のお客ばかりでなく、
川瀬さんの陶芸ファンも多かったと思うので、これならば
みなが楽しめて、落語の魅力が伝わったのではないかと。
落語の後はトークショーだが、これが目当てのところもあり、
話題に上ったことは概ね知っている感じだったと思うけど、
こういう対談が貴重なことで、生で聞けたのは喜ばしい。
いい言葉がたくさんあったのだが、でも終わって、改めて
いま冷静に考えてみるとやはりイベントの前に鑑賞した
川瀬さんの作品のことを思い出すのである。それが一番、
大きいのだ。師匠は花を添えたのであり、主役は作品。
鑑賞にイベントと楽しんで、この年末によい一日だった。

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2018年11月21日 (水)

第148回 柳家小満んの会

吉野町での小満んの会は今回で最終回だ。
来年の1月と3月は、関内ホールに戻る。
そしてその3月16日の会が150回記念で
平成の終わりとともに横浜の会もついに終了。

三遊亭歌つを:子ほめ
柳家小満ん:近日息子
柳家小満ん:粗忽の使者
柳家小満ん:富久

今回の三席も笑いがたくさんですごくよかったのだが、
先回りして失敗する「近日息子」と粗忽者は健忘症で、
慌てて出掛けたものだから大失態の「粗忽の使者」、
「富久」も早とちりで大騒ぎとなるのであり、どことなく
方向性では共通のものが感じられて、その早とちりで
今回の三席はまとめられている気がする。よい流れ。
小満ん師匠の「近日息子」ははじめて聞いた。記録で
2002年に日本橋、2003年に関内で演じられているが、
近年、他の会で演じられているか?その辺は不明だ。
与太郎が相変わらずのバカをして迷惑をかける噺だと
思われているけれど、その愚か者をずっと見守っている
お父つぁんの存在があり、親子の噺であるともいえて、
実にいい。小満ん師匠のお父つぁんは穏やかな印象で
与太郎の愚かさを受け入れて、どこか諦めているような。
「近日忌中」と近日って書いてあるという、そういうところは
頭が回って、ただのバカではないのであり、むしろ天才?
とまではいわなくても真っすぐで、実に素直なのである。
そういうところを大切にしたいし、すると噺も変わってくる。
「粗忽の使者」は、2012年11月の関内で聞いている。
六年ぶりにということになる。他の演者でもよく掛かるし、
いろいろ聞くとさすがに前回のことは忘れてしまったが、
こんなに面白かったっけ…というぐらいにたくさん笑った。
使者の地武太治部右衛門と迎える田中三太夫さんで
お侍のやり取りだが、そこに職人の留っこが加わるので
それで一段と可笑しくなる。治部右衛門の粗忽っぷりは、
とにかく突拍子もなくて、それは面白いのだが、留っこの
命知らずの振る舞いも奇想天外。侍と町人が隔てなく、
楽しいやり取りをしているのって、実に気持ちがよくて、
「妾馬」や「松曳き」などもそうだけど、落語の中だけの
理想郷なのかもしれない。現実はありえなかったのか?
私は「富久」が大好きで、中でも小満ん師匠が一番だが、
師匠も毎年一度は演っているので、何度か聞いている。
それが何度聞いても魅力的だ。劇的な展開でハラハラ、
緊迫感のある噺だけど、大袈裟にならないよう努めて、
サラっと聞かせていたようだけど、実に華やかである。
文楽師匠の型が、小満ん師匠に受け継がれているが、
久蔵さんが何とも人間味があっていい。こういうところは、
文楽師匠の最大の遺産だけど、小満ん師匠も大切にして、
そこは心得ているので、本当に宝物のような「富久」である。
ということで、次回は2019年1月21日(月)の第149回、
「天狗裁き」「ふぐ鍋」「紺屋高尾」の三席。楽しみである。

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