2014年3月 4日 (火)

江戸名所図会 4~神田大明神

神田大明神の社
聖堂の北にあり、唯一にして江戸総鎮守と称す。
祭神 大己貴命・平親王将門[? - 940]の霊、二坐。

お馴染みの神田明神だが、江戸名所図会を参照すると
湯島聖堂の北にあって、平将門を祀っていると…
現在の神田明神にも「江戸総鎮守」の表記は大きくある。

祭礼、隔年九月十五日
神事能 (隔年九月十五日祭礼の後、十六日に興行す。
神前に舞台をしつらひ、江府の町中より桟敷をかけて見物す。
…しかありしより連綿として相続し、興行ありしが、
享保[1716-36]の頃よりゆゑありて中絶す。)

現在は、五月の神田祭が有名であろうか。
隔年の実施で次回は平成27年ということになろう。

当社の境内つねに賑はしく詣人たゆることなし。
茶店おのおの崖に臨んで、遠眼鏡などを出だして
風景を翫ぶのなかだちとす。
ことさら近来は瑞籬に桜樹をあまた植ゑければ、
弥生の頃もっとも美観なり。
「江戸名所図会 巻之五」より抜粋

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2014年1月25日 (土)

江戸名所図会 3~湯島天満宮

妻恋明神の北の方にあり。太田道灌(1432-86)
江戸の静勝軒にありし頃(文明十年(1478)六月五日なり)、
夢中に菅神に謁見す。翌る朝、外より菅丞相(菅原道真)親筆の
画像を携へ来る者あり。すなわち夢中拝するところの尊容に
彷彿たるをもって、ただちに城外の北に祠堂を営み、
かの神影を安置し、かつ梅樹数百株を栽へ、美田等を附す。
すなわち当社これなり(以上「諸社一覧」・「江戸名所記」等の
書に出づるといへども、おそらくは誤りならん。麹町平河天神に
菅丞相真筆の画像と称するものありて、かへって当社に
この影あることなし。その論あれどもここに略す)。
「江戸名所図会 巻之五」より抜粋

太田道灌が造営のこと、なるほどと感心したところで
「誤りならん」と来るので、あれあれ…といった印象だが、
境内の梅は現在もたいへん有名であり、歴史を感じる。

月毎の廿五日には植木市ありて、殊更にぎはしく
一時の壮観なり。表門の通り、左右に料理茶屋あり。
「江戸名所図会 巻之五」 挿絵「湯島天満宮」より

今日は1月25日、初天神である。

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2014年1月24日 (金)

江戸名所図会 五

20140124

「江戸名所図会」(ちくま学芸文庫)全六巻のうち、
最初に第一巻と第二巻を購入したのだが、
続いて第五巻を取り寄せしてあったのだけど、
しばらく来ないだろうと思ったら、意外に早かった。
第五巻は「巻之五」と「巻之六」を収録しており、
該当するのは、現在の台東区、文京区、北区、
荒川区、足立区から埼玉にかけての地域である。
中心となるのは上野、浅草で、それで欲しかった。

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2014年1月23日 (木)

江戸名所図会 2~一石橋

日本橋より二丁ばかり西の方、同じ川筋にかかる。
この橋の南北に、後藤氏両家(金座後藤庄三郎、
呉服所後藤縫殿助)の宅あるゆゑに、その昔、
五斗五斗といふ秀句にて、俗に一石橋と号けしとなり

また、この橋上より、日本橋・江戸橋・呉服橋・
銭瓶橋・道三橋・常盤橋・鍛冶橋等を顧望するゆゑに、
この一石橋を加へて、ともに八橋といふとぞ
「江戸名所図会 巻之一」より抜粋

東京駅からも歩いてすぐのお馴染み「一石橋」の記述。
両家の後藤、五斗と五斗で合わせて一石の由来もある。

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2014年1月17日 (金)

江戸名所図会 1~日本橋

南北へ架す(わたす)。長さおよそ二十八間、…
この橋を日本橋といふは、旭日東海を出づるを、
親しく見るゆゑにしか号くる(なづくる)といへり

この地は江戸の中央にして、諸方への行程も、
このところより定めしむ。
「江戸名所図会 巻之一」より抜粋

やはり日本の中心は日本橋だ。ここが出発点。

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江戸名所図会

20140117

「江戸名所図会」(ちくま学芸文庫)が届いた。
全六巻のうち、今回は第一巻と第二巻を購入。
第一巻は現在の千代田区、中央区、港区など。
日本橋の周辺や神田、芝から高輪にかけてである。
第二巻は品川から東海道に沿って、程ヶ谷まで。
そして後半には金沢の名所が取り上げられている。
名所を拾い読みだが、これが面白い!はまってしまう。

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