2018年9月26日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(五十)

土手の甚蔵がお賤のところで強請る場面の続き。

お賤「新吉さんは兄弟分か知りませんが、
私はお前さんを知りません、(中略)
何もお前さん方に三拾両の大金を強請(いたぶ)られる
因縁は有りません、帰ってお呉れ、出来ませんよ、
ハイ三文も出来ませんよ」

お賤の啖呵は本当にすごい。度胸が据わって。

甚蔵「然(そ)う腹を立っちゃア仕様がねえ、え、おい、
(中略)馬の腹掛を着て頼むのだから、
お前さん三拾両貸して呉れても宜(よ)かろうと思う」

馬の腹掛だからと強請るのはちょっと意味不明。
博打で取られて、裸にされて、馬の腹掛で来た。

甚蔵「なに、何うしたも斯(こ)うしたもねえ、
新吉此処へ出ろ、エヽおい、咽喉頸(のどっくび)の筋が
一本拾両にしても二十両が物アあらア」
新吉「マア黙って兄(あんに)い」
甚蔵「何でえ篦棒(べらぼう)め、己が柔和(おとな)しく
して居るのだから文句なしに出すが当然(あたりめえ)だ、…」

新吉のここでの少々情けない慌てぶりは面白い。
べらぼうって、漢字で書くと「篦棒」なのだ。

新吉「何だって、いけねえ事に成って仕舞った、
旦那の湯灌の時彼奴(あいつ)が来やアがって、
一人じゃア出来ねえから手伝うといって、仏様を見ると、
咽喉頸(のどっくび)に筋が有るのを見付けやがって、
ア屹度(きっと)殺したろう、殺したといやア黙ってるが
云わなけりゃア仏様を本堂へ持って行って
詮議方(あらいかた)するというから、驚いて
否応(いやおう)なしに種を明(あか)した」
お賤「アレ/\あれだもの、新吉さん、それだもの、
本当に仕方がないよ、彼(あれ)までにするにゃア、
旦那の達者の時分から丹精したに、彼(あ)の悪党に
種を明して仕舞って何うするのだよ、幾ら貸したって
役に立つものかね、側から借りに来るよ彼奴(あいつ)がさ」

お賤の呆れ顔を思い浮かべると本当に面白い場面である。

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2018年7月16日 (月)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四九)

土手の甚蔵がお賤のところへ強請りに来る場面。

丁度九月十一日で、余程寒いから素肌へ馬の腹掛を
巻付けましたから、太輪(ふとわ)に抱茗荷(だきみょうが)の
紋が肩の処へ出て居ります、妙な姿(なり)を致して、

博打ですっかり取られてきた甚蔵の姿だが、
9月11日で大そう寒いそうである。旧暦のことであり、
いま(新暦)に直すと10月下旬から11月はじめの頃。
すると、寒いというのも頷ける。現在の9月はまだ暑い。

新吉は他人(ひと)が来ると火鉢の側に食客(いそうろう)の様な
風をして居るが、人が帰って仕舞えば亭主振(ていしぶ)って(後略)

「居候」だが、「食客」と書いて「いそうろう」と読ませている。
落語では、「湯屋番」や「船徳」など、居候の若旦那の噺で
別のいい方として「食客」というのがよく出てくるのだが。

惜まれる人は早く死ぬと云うが、五十五じゃア
定命(じょうみょう)とは云われねえ位(くれえ)で

圓生師匠の「真景累ヶ淵~(八)聖天山」を聞いていると
まさにこの通りに聞けるのだが、「寿命」を「じょうみょう」と
読んでいるのかとこれまで勘違いをして聞いていた。
定められた命であり、字で読むとたしかに「定命」である。

甚蔵「(前略)借金の眼鼻を付けて身の立つ様にして貰うにゃア、
何様(どん)な事をしても三拾両貰わなけりゃア追付(おっつ)かねえから、
三拾両お借り申してえのさ、ねえ何うか」
お賤「何(なん)だえ三拾両呆れ返って仕舞うよ、女と思って
馬鹿にしてお呉れでないよ、何だエお前さんは、お前さんと私は何だエ、
碌にお目に掛った事も有りませんよ、女一人と思って馬鹿にして三拾両、
ハイ、そうですかと誰が貸しますえ、訝(おか)しな事をいって、なん、なん、
なん何をお前さんに三拾両お金を貸す縁がないでは有りませんか」

お賤の啖呵が聞きものだ。江戸の女である。
「お富与三郎」の「玄冶店」でお富の啖呵も迫力あるが、
それを思い出すような鮮やかな言い回しに聞き惚れてしまう。

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2018年6月15日 (金)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四八)

新吉と甚蔵で惣右衛門の湯灌の場面である。

甚蔵「(前略)盥(たれえ)を伏せて置いて、仏様の
腋(わき)の下へ手を入れて、ずうッと遣って、
盥の際(きわ)で早桶を横にするとずうッと足が出る、
足を盥の上へ載せて、胡坐(あぐら)をかゝせて
膝で押(おせ)えるのだ、自分の胸の処へ仏様の頭を
押付(おっつ)けて、肋骨(あばらぼね)まで洗うのだ」

湯灌の方法が書いてある。

甚蔵「何うたってグッと力に任して、えゝ気味を悪がるな」
新吉「あゝ出た出た」

圓生師匠の圓生百席の録音で聞いていると
この「出た出た」のところが好きである。
新吉は死骸を相手に情けなく、何とも間抜けだ。

仏様の首がガックリ垂れると、何う云うものか
惣右衞門の鼻からタラタラと鼻血が流れました。
甚蔵「おや血が出た、身寄か親類が来ると血が出るというが
己は身寄親類でもねえが、何うして血が出るか、
おゝ恐ろしく片方(かたっぽ)から出るなア」

死骸から鼻血が出るのは、身寄親類が来たときだそうで。

甚蔵「納められるもんかえ、やい、是(こ)りゃア旦那は
病気で死んだのじゃアねえ変死だ、咽喉頸に筋があり、
鼻血が出れば何奴(どいつ)か縊(くび)り殺した奴が
有るに違(ちげ)えねえ」

甚蔵に首の二本の細引きの筋を見付けられてしまう。

甚蔵「(惣右衛門殺しを)なに手伝った、じゃアお賤が遣ったか」
新吉「それには種々(いろいろ)訳が有るので、唯縄を引張ったばかりで」
甚蔵「それで宜しい、引張ったばかりで沢山だ、お賤が引くなア
女の力じゃア足りねえから、新吉さん此の縄を締めてなざア
能く有る形だ、宜しい、よしよし早く水を掛けやア」

甚蔵はすべて、お見通しである。

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2018年5月27日 (日)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四七)

お賤に唆されて、新吉が惣右衛門を殺す場面である。

新吉「人情として出来ねえ、お前の執成(とりなし)が宜いから、
旦那は己が来ると、新吉手前(てめえ)の様に親切な者はねえ、
小遣(こづけえ)を持って行け、独身(ひとりみ)では困るだろう、
此の帯は手前に遣る着物も遣ると、仮令(たとえ)着古した物でも
真に親切にして呉れて、旦那の顔を見ては何うしても殺せないよ」

こういうところは、新吉は根っからの悪党でもなくて、
気が弱かったり、優しいところもあって、人間味が感じられる。

(寝ている旦那の首に細引きを巻き付けて)
お賤「じれったいね新吉さん、グッと斯うお引きよ、もう一つお引きよ」
新吉「うむ」
と又引く途端新吉は滑って後(うしろ)の柱で頭をコツン。
新吉「アイタ」

新吉はますます抜けていて、前半の頃の新吉に戻ったようだ。

遺言に従って、惣右衛門の湯灌を新吉が行うが、
ひとりでできるものでもなく、そこへ土手の甚蔵が現れる。

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2018年5月16日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四六)

続いて、お賤宅に村の者が訪ねて来て、
新吉は戻るが、お累は子供を抱いて自害していた。
野辺の送りを済ませ、三蔵からの援助もなくなり、
家を人手に渡して、惣右衛門の看病といっては、
お賤のところにしけ込んでいた。新吉は親切だと
すっかり旦那に遺言を書かせて、そしてある夜、
新吉はお賤に惣右衛門殺しを持ちかけられる。

お賤「(前略)新吉さん無理な事を頼む様だが、
お前私を見捨てないと云う証拠を見せるならば
今夜見せてお呉れ」
新吉「何(ど)うしよう」
お賤「うちの旦那を殺してお呉れな」

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2018年5月 3日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四五)

お賤宅にいる新吉の元にお累が訪ねてくる場面。
雨の強く降る夜中である。子供が息を引き取り、
今晩のうちにお埋葬(とむらい)を出してほしいと
戻るように頼むが、それを酷い仕打ちで跳ね除け、
新吉の最も惨忍な一面の表れている箇所である。

新吉「何を云うのだ、帰(けえ)らねえか」
と、さア癇癪に障ったから新吉は、突然(いきなり)
利かない身体の女房お累の胸倉を取るが早いか、
どんと突くと縁側から赤ん坊を抱いたなり転がり落ち、

幽霊のお累はしつこく纏わりつき、次は作蔵のところに。

作蔵「己(おれ)が彼処(あすこ)に寝て居るとお前(めえ)、
裏の方の竹を打付(ぶっつ)けた窓がある、彼処のお前
雨戸を明けて、何うして這入(へえ)ったかと見ると、
お前の処の姉御、お累さんが赤ん坊を抱いて、
ずぶ濡れで、痩せた手を己の胸の上へ載せて、
よう新吉さんを帰(けえ)しておくんなさいよ、
新吉さんを帰しておくんなさいよと云って、己が胸を
押圧(おっぺしょ)れる時の、怖(こえ)えの怖くねえのって、
己はせつなくって口イ利けなかった」

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2018年4月11日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四四)

新吉はお累の蚊帳を質に入れて、金を作り、
作蔵とお賤宅で酒宴(さかもり)をしている。
酔った作蔵が、蚊帳を巻き上げた一件を喋り出す。

作蔵「…蚊帳へ縋(すが)り付いて、己(おら)ア宜えが
子供が蚊に喰われて憫然(かわいそう)だから
何卒(どうか)よう、と云ってハア蚊帳に縋り付くだ、
それを無理に引張ったから、お前(めえ)生爪エ剥しただ」

陽気な台詞に気持ちの悪い表現が入っている。

雨はどうどと車軸を流す様に降って来ました。
彼是八ツ時でもあろうと云う時刻に、表の戸をトントン。

やはり八ツ時である。いまの午前二時見当。

…、がらりと明けますと、どんどん降る中をびしょ濡になって、
利かない身体で赤ん坊を抱いて漸々(ようよう)と縁側から、
累「御免なさい」と這入ったから、

これが幽霊ということである。怪談噺なので。

新吉「お前なんだ逆上(のぼ)せて居るぜ、たじれて居るなア」

注)によると「たじれて」とは、「のぼせて気が変になる。
むちゅうになって気ちがいじみる」だそうだ。

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2018年1月18日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四三)

新吉と作蔵が戻ってくる場面。

新吉「…蚊帳を窃(そっ)と畳んで、離れた処(とけ)え
持って行って質に入れれば、二両や三両は貸すから、
病人に知れねえ様に持出そう」
作蔵「だから金と云うものは何処(どこ)から来るか
知れねえなア、取るべえ」

三蔵の置いていった蚊帳を取り上げようとして

新吉「金を置いて行った、そうか、どれ見せろ」
作蔵「だから金は何処(どこ)から出るか知んねえ、
富貴(ふうき)天にあり牡丹餅(ぼたもち)棚にありと
神道者(しんどうしゃ)が云う通りだ、おいサア行くべえ」

「牡丹餅は棚にあり」は落語によく出てくる。
もちろん「棚から牡丹餅」の棚の上。

累「…金をお持ち遊ばして其の上蚊帳までも持って行っては
私(わたくし)は構いませんが坊が憫然で」
新吉「何(なん)だ坊は己の餓鬼だ、何だ放さねえかよう、
此畜生(こんちきしょう)め」
と拳(こぶし)を固めて病人の頬をポカリポカリ撲(ぶ)つから、
是を見て居る作蔵も身の毛立(だ)つようで、

何かに憑りつかれたかのように新吉は残酷な振る舞いで。

新吉「なに、此畜生め、オイ頭の兀(はげ)てる所(とこ)を打(ぶ)つと、
手が粘って変な心持がするから、棒か何か無(ね)えか、…」

新吉はこれまでとまるで別人のようである。
一体、何がそうさせているのか。

累「アアお情ない、新吉さん此の蚊帳は私が死んでも放しません」
と縋(すが)りつくのを五つ六つ続け打(うち)にする。
泣転(なきころ)がる処を無理に取ろうとするから、
ピリピリと蚊帳が裂ける生爪が剥(は)がれる。
(中略)
作蔵「爪がよう」
新吉「どう、違(ちげ)えねえ縋り付きやアがるから生爪が剥がれた、
厭な色だな、血が付いて居らア、作蔵舐(な)めろ」

気持ち悪くて、ゾッとする表現。
幽霊が出るよりもよっぽど恐ろしい。

新吉「何をいやアがる」
とツカツカと立ち戻って来て、脇に掛って有った薬鑵(やかん)を取って
沸湯(にえゆ)を口から掛けると、現在我が子與之助の顔へ掛ったから、
子供「ヒー」
と二声(ふたこえ)三声(みこえ)泣入ったのが此の世のなごり。

一番恐ろしいのは、幽霊でもなく、この世の人間だと。

斯う憎くなると云うのは、仏説でいう悪因縁で、心から鬼は有りませんが、
憎い憎いと思って居る処から自然と斯様(かよう)な事になります。

と、圓朝は締めくくっている。

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2017年10月12日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四二)

三蔵がお累を見舞っている場面はさらに続く。

三蔵「私が余(あんま)り小言を云ったのは悪うございました、
ついお前の身の上を思うばっかりに愚痴が出て、
病人に小言を云って、病に障る様な事をして、
兄(あに)さんが思い切りが悪いのだから、
皆定まる約束と思って、もう何(なん)にも云いますまい、
小言を云ったのは悪かった、堪忍して」
與助「誰エ小言云った、能くねえ事(こっ)た、
貴方(あんた)正直だから悪(わり)い、
此の大病人に小言を云うってえ、此の馬鹿野郎め」
三蔵「何(なん)だ馬鹿野郎とは」

三蔵がお累のことを深く思い遣っている台詞だが、
與助の「馬鹿野郎め」のやり取りは、笑えるところ。

三蔵「蚊帳を持って来たから釣りましょう、
恐ろしく蚊に喰われた、釣手があるかえ」
お累「釣手は売られないから掛って居ります」

お累は冗談をいえる様子ではないのだが、
釣手は質に入れられない…というのも上手い台詞。

三蔵「アヽ鼻血が出た、與助、男の鼻血だから
仔細はあるまいけれども、盆凹(ぼんのくぼ)の毛を
一本抜いて、ちり毛を抜くのは呪(まじねえ)だから、
アヽ痛(いて)え、其様(そんな)に沢山抜く奴があるか、
一掴(ひとつかみ)抜いて」
與助「沢山(たんと)抜けば沢山験(き)くと思って」

お累の死を予言する不吉なことが起こるのだが、
鼻血を止める呪いにちり毛を抜くというのがあるのだ。

三蔵「アヽ痛」
與助「何(ど)うかしましたかえ」
三蔵「下駄の鼻緒が切れた」

不吉なことはさらに続くのである。
圓朝のこうした表現がやはりすごい。

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2017年9月20日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四一)

続いて、三蔵がお累を見舞っている場面である。

三蔵「…ええ、私の云う事を聴かれませんか、
是程に訳を云ってもお前は聴かれませんかえ、
悪魔が魅入ったのだ、お前そんな心ではなかったが
情ない了簡だ、私はもう二度と再び来ません、
思えばお前は馬鹿になって了ったのだ、呆れます」

腹が立ったわけではなく、妹かわいさゆえに
きついことをいっていると圓朝師匠は説明しているが、
お累は癪(しゃく)を起して、倒れてしまい、
そこへ蚊帳を取りに行った與助が戻ってきて…

三蔵「…宜いか、今水を飲ませるから、ウグウグウグウグ」
與助「何だか云う事が分んねえ」
三蔵「いけねえ、己が飲んでしまった」

自分で飲んでしまうのは、落語によくある描写だが、
「七段目」の気絶した定吉に水を飲ませるところか。

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