2017年10月12日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四二)

三蔵がお累を見舞っている場面はさらに続く。

三蔵「私が余(あんま)り小言を云ったのは悪うございました、
ついお前の身の上を思うばっかりに愚痴が出て、
病人に小言を云って、病に障る様な事をして、
兄(あに)さんが思い切りが悪いのだから、
皆定まる約束と思って、もう何(なん)にも云いますまい、
小言を云ったのは悪かった、堪忍して」
與助「誰エ小言云った、能くねえ事(こっ)た、
貴方(あんた)正直だから悪(わり)い、
此の大病人に小言を云うってえ、此の馬鹿野郎め」
三蔵「何(なん)だ馬鹿野郎とは」

三蔵がお累のことを深く思い遣っている台詞だが、
與助の「馬鹿野郎め」のやり取りは、笑えるところ。

三蔵「蚊帳を持って来たから釣りましょう、
恐ろしく蚊に喰われた、釣手があるかえ」
お累「釣手は売られないから掛って居ります」

お累は冗談をいえる様子ではないのだが、
釣手は質に入れられない…というのも上手い台詞。

三蔵「アヽ鼻血が出た、與助、男の鼻血だから
仔細はあるまいけれども、盆凹(ぼんのくぼ)の毛を
一本抜いて、ちり毛を抜くのは呪(まじねえ)だから、
アヽ痛(いて)え、其様(そんな)に沢山抜く奴があるか、
一掴(ひとつかみ)抜いて」
與助「沢山(たんと)抜けば沢山験(き)くと思って」

お累の死を予言する不吉なことが起こるのだが、
鼻血を止める呪いにちり毛を抜くというのがあるのだ。

三蔵「アヽ痛」
與助「何(ど)うかしましたかえ」
三蔵「下駄の鼻緒が切れた」

不吉なことはさらに続くのである。
圓朝のこうした表現がやはりすごい。

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2017年9月20日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四一)

続いて、三蔵がお累を見舞っている場面である。

三蔵「…ええ、私の云う事を聴かれませんか、
是程に訳を云ってもお前は聴かれませんかえ、
悪魔が魅入ったのだ、お前そんな心ではなかったが
情ない了簡だ、私はもう二度と再び来ません、
思えばお前は馬鹿になって了ったのだ、呆れます」

腹が立ったわけではなく、妹かわいさゆえに
きついことをいっていると圓朝師匠は説明しているが、
お累は癪(しゃく)を起して、倒れてしまい、
そこへ蚊帳を取りに行った與助が戻ってきて…

三蔵「…宜いか、今水を飲ませるから、ウグウグウグウグ」
與助「何だか云う事が分んねえ」
三蔵「いけねえ、己が飲んでしまった」

自分で飲んでしまうのは、落語によくある描写だが、
「七段目」の気絶した定吉に水を飲ませるところか。

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2017年8月29日 (火)

圓朝速記~真景累ヶ淵(四十)

三蔵と與助がお累を見舞う場面である。
何とか妹に新吉と縁を切るように説得する。

與助「…些(ちっ)とお擦(さす)り申しましょう、
おゝおゝ其様(そん)なに痩(やせ)もしねえ」
三蔵「それは己だよ」

與助が病で寝ているお累の体を擦ろうとすると
何とも間抜けである。こういうところが落語らしい。

三蔵は與助に家へ蚊帳を取りに行かせ、
暗がりの中、台所の火打箱を取り出して、
破れ行燈に灯りを入れ、改めてお累の顔を見る。

善々(よくよく)お累の顔を見ると、実に今にも
死のうかと思うほど痩衰えて、見る影は
ありませんから、兄三蔵は驚きまして、

暗闇の中に灯りが入って、ようやく見えた妹の顔が
今にも死ぬばかりの痩せ衰えでこの描写も恐ろしい。

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2016年12月22日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三九)

新吉はお賤のところへ通い、三十両の金で
三蔵とも縁を切り、家の物も質に持ち出して、
病気のお累を放って、遊び歩いているが、
心配した三蔵がついにお累の様子を見に来る。

新吉は家(うち)へ帰ると女房が、火傷の痕で
片鬢(かたびん)兀(はげ)ちょろになって居り、
真黒な痣(あざ)の中からピカリと眼が光る
お化の様な顔に、赤ん坊は獄門の首に似て
居るから、新吉は家へ帰り度(た)い事はない。

幽霊よりもこういう表現の方がよっぽど恐く…

女房お累が少し意見がましい事をいうと、新吉は
腹を立てて打ち打擲(ちょうちゃく)致しまするので、
今迄と違って実に荒々しい事を致しては家を出て
行(ゆ)きまするような事なれども、…

大人しく気の小さかった新吉だが、この場面では、
非常に凶暴になっており、悪党らしくなっていく。
弱いお累に対して、辛く当たるのは人の醜さだ。

與助「…新吉さんお累さんの塩梅(あんべえ)は何うで、
と云うと、何だ汝(われ)は縁の切れた所(とこ)の奉公人だ、
くたばろうと何うしようと世話にはならねえ、と斯う云うので、
彼(あ)の野郎彼様(あん)な奴ではなかったが、
魔がさしたのか、始終はハア碌(ろく)な事はねえ、…」

新吉の冷酷さが語られているが、あんな奴ではなかった…

と日暮方で薄暗いから土間の所から探り探り上って参ると、
煎餅(せんべい)の様な薄っぺらの布団を一枚敷いて、
其の上へ赤ん坊を抱いてゴロリと寝ております。
蚊の多いに蚊帳(かや)もなし、蚊燻(かいぶ)しもなし、
暗くって薩張(さっぱ)り分りません。

こういう描写がとにかく薄気味悪い。夏の暑さも忘れる。

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2016年12月13日 (火)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三八)

作蔵「深川の櫓下(やぐらした)に居たって、
名前(なめえ)はおしずさんと云って
如才(じょさい)ねえ女子(あまっこ)よ、
年は二十二だと云うが、…」

ずっと後でわかることだが、お賤という女は、
新吉の腹違いの妹であり、歳はいくつも
違わないはずである。お熊という女中に
深見新左衞門のお手が付き、その娘で、
父が乱心して、家が取り潰しになったときに
幼かった新吉も門番の勘蔵に引き取られ、
つまりは、歳は離れていないことになる。

お賤「…、おや新吉さんというので思い出したが、
見た訳だよ私がね櫓下に下地子(したじっこ)に成って
紅葉屋(もみじや)に居る時分、彼(あ)の人は本石町の
松田とか桝田とか云う貸本屋の家(うち)に奉公して居て、
貸本を脊負(しょ)って来たから、私は年のいかない頃
だけども、度々(たびたび)見て知って居るよ、…」

その間にも二人は遭遇しているという偶然というか、
因縁というか、出来すぎているが、知らぬうちに
引かれ合うという宿命のようなものなのだろう。
この複雑に絡み合う関係性は、圓朝の噺の特徴。

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2016年11月17日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三七)

新吉は旅駕籠に揺られて、羽生村に戻ったのだが…

産落したは玉のような男の児(こ)とはいかない、
小児(こども)の癖に鼻がいやにツンと高く、
眼は細いくせにいやに斯(こ)う大きな眼で、
頬肉が落ちまして瘠衰(やせおとろ)えた
骨と皮ばかりの男の児が生れました。

夢に見た兄新五郎の顔に瓜二つである。

と其の頃は怨み祟りと云う事があるの或は生れ変る
と云う事も有るなどと、人が迷いを生じまして、種々に
心配を致したり、除(よけ)を致すような事が有りました
時分の事で、所謂只今申す神経病でございますから、

明治の圓朝の時代にも怨み祟りというものは信じられず、
一方で、こうしたものすべては「神経病」で片付けられた。

翌年寛政八年恰(ちょう)ど二月三日の事でございましたが、
法蔵寺へ参詣に来ると、和尚が熟々(つくづく)新吉を見まして、

寛政八年とは、1796年である。文化・文政の少し前の頃。

三月の二十七日に新吉が例の通り墓参りをして出に掛ると、
這入って来ました婦人は年の頃二十一二にもなりましょうか、

お賤との出会いの場面、再会というべきか。ここにも因縁が。

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2016年11月 3日 (木)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三六)

新吉の兄新五郎との対面の場面で
ここは非常に重要なところだ。

新吉「ヘエ、成程鼻の高い好い男子(おとこ)だ、
眼の下に黒痣(ほくろ)が有りますか、おゝ成程、
だが新五郎様と云う証拠が何か有りますか」

新五郎の特徴だが、生まれてくる子供が
兄に瓜二つという、それは後ほどのこと。

新五郎「(前略)是から一緒に逃去って、
永え浮世に短けえ命、己と一緒に賊を働き、
栄耀栄華の仕放題(しほうだい)を致すがよい、
心を広く持って盗賊になれ」

ここまで堕ちたか…新五郎の情けない言葉。
旗本の惣領であった者が、些細なことから踏み外し、
狂った歯車は元に戻せず、悪党に成り下がっている。

駕籠屋「モシモシ旦那旦那大そう魘(うな)されて居なさるが、
雨はもう上りましたから桐油を上げましょう」

すべては夢である。夢ですべてが明かされる。
夢に物語を語らせるのは、圓朝独特の手法。

新吉「好い塩梅だねえ、おや此処(ここ)はお仕置場だな」
と見ると二ツ足の捨札に獄門の次第が書いて有りますが、
始めに当時無宿新五郎と書いて有るを見て、恟(びっく)りして、
新吉が、段々怖々ながら細かに読下すと、今夢に見た通り、
谷中七面前、下總屋の中働お園に懸想(けそう)して、
無理無体に殺害(せつがい)して、百両を盗んで逃げ、
後(のち)お捕方(とりかた)に手向いして、
重々不届至極に付獄門に行うものなりとあり。

お仕置場に新吉を導いたのも新五郎の怨念か。
新五郎の召捕りまでは、すでに語られていたが、
その後の仔細が、ここで明かされている。

新吉の顔を見ると女房お累が虫気付(むしけづ)きまして、
オギャアオギャアと産落したは男の子でございます。
此の子が不思議な事には、新吉が夢に見た
兄新五郎の顔に生写(いきうつ)しで、鼻の高い
眼の細い、気味の悪い小児(こども)が生れると云う
怪談の始めでございます。

こういうところが本当に気持ちの悪いところ。
みんな、新吉の思い込みなのだろうけど…
何の因果か、恐ろしい。怪談噺である。

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2016年10月25日 (火)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三五)

伯父の勘蔵を見送って、新吉は下総羽生村へ
戻ろうとするが、有名な「迷いの駕籠」の場面である。

駕籠屋「押ちゃアいけねえ、歩けやアしねえ」
新吉「アア、若衆(わかいしゅ)もう来たのか」
駕籠屋「ヘエ」
新吉「もう来たのか」
駕籠屋「ヘエ、まだ参りません」
新吉「ああ、トロトロと中で寝た様だ、何処(どこ)だか
薩張(さっぱり)分らねえが何処だい」
駕籠屋「何処だか些(ちっ)とも分りませんが、
鼻を撮(つま)まれるかも知れません、ただ妙な事には、
なア棒組、妙だなア、此方(こっち)の左り手に見える
燈火(あかり)は何うしてもあれは吉原土手の何だ、
茶屋の燈火に違えねえ、そうして見れば此方に
この森が見えるのは橋場の総泉寺馬場の森だろう、
して見ると此処(ここ)は小塚ッ原かしらん」

吾妻橋を渡って、今夜のうちに亀有まで行っておこうと
雨の中、駕籠に桐油(とうゆ)をかけて、急いでいるのだが、
どうしても小塚原のお仕置場へ来てしまうという不思議な晩。

男「何を仰しゃる、これは貴公が駕籠から出る時落したのだ、
是は貴公様のか」
新吉「ヘエヘエ、恟(びっく)り致しました何だかと思いました、ヘエ」
と見ると迷子札。
新吉「おや是は迷子札、是は有難う存じます、駕籠の中で
トロトロと寝まして落しましたか、御親切に有難う存じます、
是は私(わたくし)の大事な物で、伯父の形見で、
伯父が丹精してくれたので、何(ど)うも有難うございます」

兄新五郎が現れる。幽霊というか、夢の中での出来事だが、
小塚原に導かれた…というのもどうした因果か、怨念である。

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2016年10月10日 (月)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三四)

勘蔵「奥の肥(ふと)ったお金さんと云うかみさんは、
己(おれ)を引立って、虎子へしなせえって(中略)
虎子で臀(しり)を打(ぶ)つので痛えやな…」

ここで「虎子」の読みであるが、なんと「おまる」!
でも「おまる」で変換しても「オマル」となって、
漢字は出てこない。使われていないということか。

深彫で、小日向服部坂深見新左衞門二男新吉、
と彫付けてある故、
新吉「伯父さん是は何だねえ私の名だね」

勘蔵は布団から下りて、畏まって新吉の素性を話す。

勘蔵「お前様は、小日向服部坂上で三百五十石取った、
深見新左衞門様と云う、天下のお旗下のお前は若様だよ」
(中略)
「ちょうどお前が三歳(みっつ)の時だが、私が下谷大門町へ
連れて来て貰い乳して丹精して育てたのさ、…」

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2016年9月14日 (水)

圓朝速記~真景累ヶ淵(三三)

新吉の元へ下谷大門町から早飛脚の手紙が来て、
伯父の勘蔵が九死に一生だと江戸へ戻るように
催促が来るのである。新吉が勘蔵の長屋へ帰る場面。

お婆さん「おやまア誠に暫く、まア、めっきり尤らしく
おなりなすったね、勘蔵さんも然う云って居なすった、
(中略)向は質屋で其処の旦那様に成ったってね、
と云うからおやそう田舎にもそう云う処が有るのかねえ
なんてね、お噂をして居ましたよそれにね」
男「コレサお前一人で喋って居ちゃアいけねえ、
病人に逢わせねえな」

長屋の衆と挨拶するが、お婆さんの話が長くて、
ちっとも勘蔵に会えないという…じれったいところ。

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