2009年12月23日 (水)

井戸の茶碗で東京散歩

新年1月18日の「柳家小満んの会」で
小満ん師匠は「清正公酒屋」を演じてくださるのだが、
今日はその予習で「白金の清正公様」へ。
一般的には「清正公様」というと「井戸の茶碗」かな。

20091223a1

五反田の駅から桜田通りの坂を上って行くと
最初に見つかるのが東五反田1丁目の雉子神社。
この神社がたいへんに立派だった。
地図で勝手にイメージしていたのとは大違い。

20091223a2

面白いのが、雉子神社はビルの下にある。
というよりは…神社の上にビルが建ったのだ。
よく神社がビルの屋上に移されてしまうという話は聞くが、
神社に覆いかぶさるようにビルがあるのははじめて見た。

20091223b1

さらに桜田通りを進むと東五反田3丁目の袖ヶ崎神社。
この神社は、私はすごく好み。雰囲気かな…何かを感じる。
その地域の特別な場所に神社は祀られて…
そして神社という空間には、様々な力が集まってくる。
長い歴史の中で神社を守ってきた人たちの想いかな。

20091223b2

年の瀬なので、松や注連縄(しめ縄)が飾られて
年越しの準備は着々と。何ともいい空気である。
この季節が私は好きだ。いいときに来たのかも。

20091223c

広い桜田通りを反対側に渡って
白金台2丁目にある真先稲荷神社。
この神社は小さい。狭い路地を入っていくと見つかる。
町内のお稲荷さんだ。生活と密着という雰囲気がいい。

桜田通りの坂を登りきったところが高輪台の交差点で
しばらくはまっすぐに進み、清正公様を目指す。
明治学院大学の前を通って、もう少し行ったところに
通称「白金の清正公様」の最正山覚林寺がある。

20091223d1

「清正公」は「せいしょこう」と読み、
江戸っ子は親しみを込めて「せいしょこさま」と呼んだそうである。
祀られているのは、もちろん加藤清正公で
朝鮮出兵の折に王族の幼い姉弟を連れ帰ってきて
その弟君が成長して、後に出家し、日蓮宗の僧日延上人となった。
そして白金の地に最正山覚林寺を開設して、
加藤清正公を「清正公大神義」として祀ったそうである。

20091223d2

この清正公様が出てくる噺というと「井戸の茶碗」。
屑屋さんたちが清正公様境内の水茶屋に集まって
細川屋敷の若侍(高木佐久左衛門)の噂をするという場所。
現在の清正公様には水茶屋はないのだが…
一方の千代田卜斎も清正公様脇の裏長屋に住んでいたのである。

20091223e

清正公様の前の交差点が「清正公前」。
五反田からの桜田通りと目黒からの目黒通りの合流地点で
交通の要所といえるのかも。大きな交差点。
清正公様の覚林寺前の横断歩道を渡って、
旧細川屋敷の跡地を目指す。高木佐久左衛門がいた屋敷。
つまり屑屋の清兵衛さんが行ったり来たりした場所だ。

20091223f1

桜田通りと垂直に坂を上って行くと
地図にない神社があった!古寿老稲荷神社。
ここも風情のある味わい深い神社だ。

20091223f2

鳥居の横に面白いものを見つけてしまった!
「落語 古今亭雷門」と彫ってある。
現在ではそういう名跡は聞いたことがないけれど
昔の落語家でそういう人がいたのだろうか。
その人がこの神社に何らかの関わりがあったのか?

20091223g

坂を上りきったところの角に「虎屋」という和菓子屋さん。
見つけた!小満ん師匠の「江戸東京落語散歩」にも紹介されている。
栗饅頭と梅最中をお土産に買ってきた。
小満ん師匠も最中を食べながら散歩したそうな。

20091223h1

高松中学校の脇にある旧細川屋敷のシイの木である。
この中学校や高輪図書館がある高輪支所、そして高松宮邸と
この辺一帯は、江戸時代には細川屋敷があった場所。

20091223h2

このシイの木が太い。東京都指定の天然記念物だそうだ。
現在は高さを止めているようだけど、昔はさらに大きかったそうで。

20091223h3

旧細川屋敷跡で…私は「井戸の茶碗」の細川屋敷を目指したのだが
一般には、赤穂浪士の大石内蔵助を含む17人が、
細川家にお預けになって、切腹した場所というので有名らしい。
近くには「大石良雄等自刃ノ跡」という石碑もあった。

20091223i1

現在は坂下の桜田通りが交通の中心となっているが
以前は坂上の寺町を通り抜けている道が街道だったようである。
というのは、江戸古地図を見ると明らかで
その点では坂上の旧道を歩いた方が面白い。
無数の寺院が存在していて、寺はきりがないので
私が立ち寄ったのは、高輪1丁目の丸山神社。
ここも雰囲気がある。高輪は歴史ある町なのだ。

20091223i2_2

丸山神社の横には通力稲荷大明神が祀られていた。
本当に素晴らしい空間。ついゆっくりしたくなってしまうが、
そろそろ日も暮れてきたので、高輪台の駅を目指した。

20091223j

高輪台へ向かう途中に面白い建物。高輪消防署。
都営地下鉄浅草線に乗って日本橋へ。
夜は日本橋亭で「古今亭志ん八の会」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月21日 (月)

鎌倉からの風景

今日は午前中、お墓参りに鎌倉へ。
年内にもう一度行きたいというのと
鎌倉なので…休日は混んで車は入れない…
もう今年も終わっちゃうので行ける日は限られてくる…
というので今日は朝からご先祖のお墓参り。

20091221a

お墓は昼よりもだいぶ早く出られたのだが、
父が天園に行きたいと言い出して、
近くまで車で行って、山に登って、
天園からの風景である。
目の前に広がるのは鎌倉の山だが、
今日は遠くに富士山がきれいに見えて。

20091221b

肉眼ではよく見えていても
写真だと小さくなってしまうので…こちらは望遠写真。
天園は鎌倉市と横浜市の境界に位置しているようで
横浜市における標高の最高点だそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月19日 (土)

横浜の風景から 50

今日は横浜からみなとみらい線に乗って
みなとみらい駅に行ったのでちょっとこの写真を。
全然新しい話題ではないのだが…

20091219a

みなとみらい駅で降りて、ホームに立つと
クイーンズスクエアがいきなり見えるのである。
この写真はホームから撮ったもので
地下鉄のみなとみらい駅には天井がない。
クイーンズスクエアとみなとみらい駅は
ひとつの連続した空間でつながっているのである。

20091219b

つまりクイーンズスクエアからもみなとみらい線が見えて、
ショッピング中の施設内にいる人々が
地下鉄の走行を覗きこめてしまうという不思議な光景。
これは最初に見たときは衝撃的であった。
地下鉄や駅を新規に開業するにあたって
こういう方法で認可が下りるの?ホントに!
私の建築の友人も全く同じことを言っていたので
気になる人には気になるようで…

地下鉄なんて…最も規制が厳しそうなのだけど。
クイーンズスクエアの建物は建築基準法によって建設されている。
しかしみなとみらい駅の改札を通って、駅構内に入ったら、
詳しくは忘れたが、鉄道に関する法律・規定が適用されて、
建築基準法は及ばない領域なのである。
このように別々の法律が関係してくる空間領域が
一体にひとつの空間として存在することができるのか!
きっと難しい問題をクリアして、実現しているのだとは思うけど。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日)

文七元結で東京散歩

この時期になると「文七元結」である。
噺の中での長兵衛さんを実際に体験してみたいと
前から計画していたのだが、ついに歩いてきた。

長兵衛さんの一日という点では、
賭場のあった細川屋敷から博打に擦られて
寒空の下、尻切れ半纏一枚で戻ってくるのだが、
噺を聞くと…長兵衛宅に戻ったところからはじまるので
今日の散歩は、本所達磨横町からスタートすることにした。

20091213a

横浜から京浜急行と都営浅草線で蔵前へ。
まずは厩橋で隅田川を渡って、本所達磨横町へ向かう。
通称「本所達磨横町」であるが、現在の住所でいうと
本所1丁目の隅田川と平行に南北に通る町であったらしい。

20091213b1

長兵衛さんのお宅がどこにあったのか?
それは噺の中にも具体的な表現はないと思うけど
こちらは本所1丁目の東側が1-13、1-12、
西側が1-14、1-15、1-9あたりの写真である。

20091213b2

春日通りを渡って、同じく本所1丁目の
東側が1-24、1-29、西側が1-23、1-30という通り。
どうもこの辺が本所達磨横町だったそうなのだ。

20091213c

本所達磨横町の本所1丁目から東駒形1丁目に入ると
すぐのところに船江神社がある。かなり立派だ。

20091213d

駒形橋の方へ向かう途中、後ろ正面に建設中の
新しい東京タワーが見えた。はじめて見た。

20091213e

ちょっと寄り道だけど、隅田川に架かる駒形橋である。
ここから吾妻橋までは川沿いを歩く。

20091213f

お馴染みのアサヒビール吾妻橋ホールだが、
フィリップ・スタルクの金色のウンコは有名で
いや…本当はビールの泡なのかな?
その辺の建築の話題はここでは全く関係ないけれど、
長兵衛さんが博打で擦られた細川屋敷というのが、
ちょうどこのアサヒビールの敷地なのだそうである。

20091213g

吾妻橋を渡る。橋の向こうを振り返ると
細川屋敷ならぬアサヒビールの建物が見えるが、
長兵衛さんは吉原「佐野鎚」からの帰り道、
この吾妻橋で身投げしようとしている文七に遭遇。
翌日、文七は近江屋の旦那にいわれて、
橋の上から川をのぞいて、「大そう深い」と漏らしているけれど…
私も同じことをしてみたのだが、やはり深くて、とてもとても…

20091213h

浅草に出て、浅草寺横の馬道を北へ向かう。
現在の浅草6丁目付近を江戸古地図で見ると
当時は寺ばかりだったのだが、いまではすっかりなくなってしまって
一方で古地図には見つからない合力稲荷神社がある。
鳥居が重なる神社は緑に包まれ、すごくいい感じである。

20091213i

続いて浅草5丁目でこちらは古地図にも載っているのだが、
袖摺稲荷神社である。由来には源頼朝も登場する
こちらの神社は歴史があるそうだ。二階建は珍しい。

20091213j1

千束4丁目を目指して、有名な「吉原大門」交差点。
でもここに大門があったというのではなく、
吉原へ向かうのにここで曲がるという入口の場所ではあったのだが。

20091213j2

その目印として…有名な「見返り柳」がこれだ。
「吉原大門」交差点のガソリンスタンドの前にある。

20091213k

見返り柳から大門へ向かう衣紋坂(えもん坂)。
坂とあるので上がるのかと思ったら、平らだった。
当時と地形が変わっているのか?どうなのだろう?

20091213l1

吉原大門があった場所。詳しくはわからないが…
お歯黒どぶ(堀)も現在は残っていないし、
何となく地図の区割りのイメージで行くと
この辺にあったのではないかという。
でも現在も交番があるし、パトカーも2台、
「大門で止められる(明烏)」のイメージにはぴったり!

20091213l2

大門をくぐって、吉原仲之町があった通り。
江戸の頃は茶屋街であり、客はここで
にぎやかに芸者を上げて、酒を飲み、食事をして、
夜が更けると、奥にあった見世に送られたそうである。
現在も歓楽街ではあるので、私のように
落語の世界を求めている人には
あまり長居はできないのである。

20091213m

千束3丁目にある吉原神社。
しかしここは、吉原のお歯黒どぶ(堀)の外側で
歴史は比較的新しいようである。
江戸の頃には、吉原の四隅にお稲荷さんがあったのだが、
明治5年に地主神の玄徳稲荷と合祀して、
吉原神社が創建されたそうである。
新吉原の鎮守の社で遊郭の盛衰とともに歴史があるのだが、
花魁の参拝は古書にも記されているそうで、現在でも
幸せを祈る女性への御利益が知られているそうである。

佐野鎚を出た長兵衛さんの足取りとともに
吉原から再び吾妻橋を渡って本所達磨横町を目指す。

20091213n1

文七の身投げを止めた吾妻橋を渡って、
ここでちょっと寄り道。文七の行動を検証する。
水戸下屋敷に掛取りに出掛け、つい囲碁に夢中になり、
慌てて50両の入った財布を碁盤の下に忘れて帰るのだが、
その水戸下屋敷があった場所というのが現在の隅田公園である。
文七は枕橋で人とぶつかり、財布が掏られたのではないかと
勘違いしてしまって、その申し訳なさから身投げしようと考えるのだが、
大川(隅田川)につながる源森川を渡る枕橋がこれである。
枕橋から吾妻橋までの距離はほんの数分だが、
しかし悩み苦しみ絶望した文七にとっては、
遠い道のりに感じられたことだろう。

20091213n2

枕橋の上から源森川である。
ここでも正面に建設中の新東京タワーが見えた

往きと同じ道で本所達磨横町へ引き返す。
まもなく本所というところで…なんと!
自転車に乗っている雲助師匠を見てしまった!
師匠はたしかこの辺なんだよね!驚いた。
朝、出発したのがちょうど10時。
戻ってきたら、12時半だった。
かなり寄り道をしてしまったけれど
長兵衛さんの足どりを実感することができた。
今後「文七元結」を聞く上でも違ってくると思う。

蔵前の駅の近くでお昼を食べて、
さん若さんの「ばっきゃの会」を聞きに
急ぎ神保町の落語カフェへ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 7日 (月)

横浜の風景から 49

20091207a_2

瀬谷区阿久和西4丁目の山谷道祖神。
ダイエー阿久和店の向かいというと
この辺ではすぐにわかるのだが…
道祖神とは、村の入口に祀られて、
旅の安全を守り、疫病神や悪霊を防ぐ神様であるが、
ここは
大きく見ると大和市から横浜方面へ向かう道にあって
日向山(泉区上飯田・瀬谷区南瀬谷)から阿久和へ向かう途中、
細かくいうと阿久和の山谷という集落への入口なのである。
この道祖神は五輪塔だそうで、芝付石から上に
七七道祖神と刻まれている区内では珍しいものだそうである。
また写真右の男女二体の姿を現しているのは双神塔だそうで
村の繁栄と子孫が栄えることを願って建てられているそうである。

20091207b

山谷道祖神から近いところにある農家の土蔵。
こうした蔵は珍しくなっているが、たいへん立派で
また美しい外観に惹かれるものがあったので。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年12月 4日 (金)

横浜の風景から 48

20091204a

瀬谷区阿久和東2丁目の小金山に鳥居がある。
小さな石の祠が祀られていて、その由来は不明。
ここは富士見ポイントとして有名で
高台の非常に見晴らしがよい場所でもあり、
昔から地域の人々がお祈りを捧げては、
それがいつしか形になって、神様が祀られたのかも。

20091204b

小金山よりの今日の日没である。
右の方に小さく富士山も写っている。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月26日 (木)

横浜の風景から 47

20091126a

瀬谷区阿久和南3丁目で見つけたお社。
少し前までは農道だったに違いない…という
細い道を行くと畑の隣に鳥居とお社が。
これはさすがに個人の土地所有者によって
祀られたと思う…いかにもプライベートな印象だが、
でもこの長閑な風景の中にあると絵になるのである。

20091126b

その風景だが、どんな感じかというとこんな感じ。
斜面にいろいろな種類の木が植えられているが、
ここは造園業を営まれている方の裏山なのである。

20091126c

こちらも似ている癒しの風景なのだが、
阿久和南1丁目の中村地区である。
写真の山には、江戸時代のこの地の領主で
阿久和安藤氏の墓があることから
この辺では「お墓山」と呼ばれている。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月25日 (水)

横浜の風景から 46

20091125a

瀬谷区阿久和南1丁目にある大中村不動尊。
阿久和南の瀬谷柏尾道路沿いには
中村地区と大中村地区というふたつの集落があり、
現在もバス停は「中村」「大中村」となっているが、
その大中村地区の不動尊である。

20091125b

大中村不動尊は平成20年1月に再建されたそうだ。
お社の横には、馬頭観世音も祀られている。

20091125c

そしてこのすぐ近くに道から山へ少し上っていくと
もうひとつ鳥居とお社を見つけた。
おそらく個人によって祀られたものではないかと…
豊作を祈り、家内安全を願って、敷地の中に建立されたのでは…

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月24日 (火)

横浜の風景から 45

20091124b_2

瀬谷区阿久和南4丁目の阿久和坂上交差点にある庚申塔。
庚申塔(こうしんとう)とは…調べてみたところ
庚申塚ともいって、中国より伝来の道教に由来する
庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことだそうである。
庚申講(庚申待ち)を3年18回続けた記念に建立されるとか。
では庚申講、庚申待ちとは何か?となるのだが…
体内にいるという三尸虫という虫が、人が寝ている間に
天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため
庚申の日に夜通し眠らないで、天帝や猿田彦や青面金剛を祀り
宴会などをする風習のことだそうである。
ここでは「庚申塔」とのみ彫られているが、
右側の石碑に彫られているのが、もしかしたら
神道における庚申の祭神で猿田彦神か
仏教における庚申の本尊で青面金剛なのかもしれない。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜の風景から 44

20091124a

瀬谷区阿久和南2丁目で道祖神を発見。
瀬谷柏尾道路の脇で阿久和川に架かった村下橋の横。
戸塚から瀬谷に抜ける街道が古くからここを通っていて、
中村集落の入口に祀られた道祖神である。
石碑の裏には、昭和48年6月に遷宮と刻まれていて、
もしかしたらそのときに瀬谷柏尾道路が
現在の状態に整備されたのか?と推測だけど…
中村自治会で地元の人々の尽力で建てられたのである。

ここへの行き方はこちらにお問い合わせください
http://homepage3.nifty.com/tsukimura/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧