2017年3月16日 (木)

吾輩ハ猫デアル 217

「たらちね」で言葉が丁寧なお嫁さんに
「一旦、偕老同穴の契りを結びし上は…」
のような台詞があったと思うのだが、
「偕老同穴」とは、「ともに同じ墓に入る」から
「夫婦が仲むつまじく添い遂げること」という
意味だそうである。夏目漱石の手にかかると…

朝日新聞に連載中の「吾輩ハ猫デアル」

それだから偕老同穴とか号して、
死んでも一つ穴の狸に化ける。
野蛮なものさ。…

なんというふうに書かれてしまっている。

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2016年11月30日 (水)

吾輩ハ猫デアル 151

朝日新聞に連載中の「吾輩ハ猫デアル」

あばたを研究しているのか、
鏡と睨(にら)め競(くら)をしているのか
その辺は少々不明である。
気の多い主人の事だから
見ているうちにいろいろになると見える。
それどころではない。もし善意を以て
蒟蒻(こんにゃく)問答的に解釈してやれば
主人は見性自覚(けんしょうじかく)の方便として
かように鏡を相手にいろいろな仕草(しぐさ)を
演じているのかも知れない。

主人が風呂場の鏡を持ってきて、
顔の痘痕(あばた)をしきりに気にしている。

「蒟蒻問答的」とは、落語の「蒟蒻問答」による。
大僧正に扮した蒟蒻屋の六兵衛さんに
諸国行脚の僧が禅問答で問いかけるが、
ちっとも答えがないので、そのうち身振り手振りで
問いかけると、勝手な勘違いで問答が進んでいく。

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2016年8月 5日 (金)

吾輩ハ猫デアル 79

朝日新聞に連載中の「吾輩ハ猫デアル」、
苦沙弥先生の家に泥棒が入る場面で…

一代の画工が精力を消耗(しょうこう)して
変化を求めた顔でも…

「消耗」のルビが「しょうこう」となっており、
岩波文庫を参照して、朝日新聞が掲載しているので、
間違えているわけがないのだが、気になって調べると
本来は「しょうこう」で、「しょうもう」は慣用表現らしい。
漱石の時代には、まだ「しょうこう」だったのであろう。

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2016年7月22日 (金)

吾輩ハ猫デアル 70

朝日新聞に連載中の「吾輩ハ猫デアル」、
鈴木君が金田に頼まれて、寒月の結婚話で
相談に来ているが、そこに迷亭が現れて…

「いやー珍客だね。僕のような狎客(こうかく)になると
苦沙弥(くしゃみ)はとかく粗略にしたがっていかん。
何でも苦沙弥のうちへは十年に一遍位くるに限る。
この菓子はいつもより上等じゃないか」と
藤村の羊羹を無雑作に頬張る。…

夏目漱石も好みは藤村の羊羹だったのだ。
小満ん師匠の「寝床」を聞くと義太夫の会で
お茶菓子に出ているのが、藤村の羊羹。
「褒めなきゃダメだよ」「うまいぞ、うまいぞ!羊羹」
「鰻の幇間」で一八が穴釣り、土産に持って行くのが、
羊羹二棹。「ここに羊羹が二棹あるよ、藤村の羊羹」

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2016年6月27日 (月)

吾輩ハ猫デアル 54

朝日新聞に連載中の「吾輩ハ猫デアル」、
今朝は、吾輩が金田家の西洋館に行く場面。

蟇の額には夜光の明珠があるというが、
吾輩の尻尾には神祇釈教恋無常は無論の事、
満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の妙薬が
詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間に
横行する位は、仁王様が心太を踏み潰すよりも
容易である。この時吾輩は我ながら、わが力量に
感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと
気が付いて見るとただ置かれない。

この「心太」だが、「ところてん」である。
知っていないととても読めない。
昔、東大の試験で出題されたそうだが、
かの夏目漱石も使っているということで
「吾輩ハ猫デアル」のここだったのだ。

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2014年4月28日 (月)

芥川龍之介「二つの手紙」

三遊亭圓朝作「因果塚の由来」を調べはじめて、
江戸から明治の「離魂病」について、たいへん興味をもち、
つまりは心理学における「ドッペルゲンガー」のことなのだが、
芥川龍之介の短編小説で「二つの手紙」に描かれているという。
「青空文庫」でネット上にすぐに見つかるので…早速読んでみた。
ドッペルゲンガーを見たという男からの警察署長への手紙であり、
一般的に見れば、精神的に病んでいる者の書いたもの…という、
まわりくどくて、被害妄想の一方的な見方であり、客観性に欠けると
しかしそれは、重厚な文体であり、恐るべき説得力に満ちていて、
引き込まれてしまうのである。警察署長は取り合わなかったようだが、
読み進むうちに…真実はどこにあるのかが見えなくなってくる。
手紙を書いたこの男にとっては、そのすべてが真実であるからだ。
ドッペルゲンガーについて、語り尽くされており、大正六年とあるが、
この時代に芥川龍之介がこれだけの資料を揃えていたのは驚き。

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2011年1月31日 (月)

村上春樹 「ノルウェイの森」

20110131

私はあまり読書家ではないので…
有名な作品を読んでいない…ということが多々あり、
お恥ずかしく…村上春樹も全く読んでいなかったのだが、
映画化で話題になっていることもあって、
書店の目立つ位置に山積みされている
「ノルウェイの森」を…読んでみるか!と
年末に(上)(下)まとめて買ってきたのだ。
鞄に入れて持ち歩き、待ち時間とか
ちょっとした時間に少しずつ読んでいたのだが、
今日の夕方、先ほど読み終えた。
最後の数十ページは、やることも放り出して
読み耽ってしまった。素晴らしい。

「僕は三十七歳で、…」という出だし、すべては回想にはじまり、
私と同じじゃないか…これは今読むべき本なのだ…と
何か不思議な時期というものを感じたけれど
実際に読み進めば、ワタナベの18歳から20歳の話で
しかし若い頃のワタナベに…時代のズレを感じつつも
物語に入り込めたという点で人の心をつかむものがあるのだろう。
登場人物はすべて…平凡とはいえない個性的な人々ばかりであるのだが、
自分が普通でないとわかっている点でよほど正常な人間なのであり、
普通であると思い込みながら、普通でないことに気付かないでいる人間、
社会で普通に生活していてもその方がよっぽど危険なのである…という
何が普通なのか…何が正常なのか…というのを非常に考えさせられた。

ワタナベは直子のことを想い続けながらも直子は死んでしまい…
直子はキズキの元へ…というところはさすがにショックであったが、
ワタナベには生きている緑という存在が残る…というところ
ものすごく深刻に悲劇的な物語だと思うのだけど
これからもずっと生きていくワタナベには、希望が与えられているような。
それは父の死によって、人生に解放が与えられる緑にとっても。
潤滑油としての存在であったレイコさんにとっても
新しい人生に向かって出発するという結末なのであり、
それは読者にとっても救済が与えられるということである。
ワタナベを中心に物語が進むけれど…他の登場人物の人生も
極めて緻密に同時進行で時間は進んでいるのであり、
凝縮された文章に味わったことのない充実を感じた。
ノーベル文学賞の有力候補といわれる村上春樹だが、
他の作品も読んでみよう。何を今さら…という感じなのだけど。

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