2025年7月18日 (金)

ピエール・ブーレーズ 29

ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団で
ラヴェルのスペイン狂詩曲
道化師の朝の歌
1969年7月21日にセヴェランス・ホールで収録、
亡き王女のためのパヴァーヌ
1970年4月3日にセヴェランス・ホールで収録、
左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
ピアノはフィリップ・アントルモンで
1970年11月20日にセヴェランス・ホールで収録。
ここからは旧録音でブーレーズのラヴェルを聞く。
ラヴェルの音楽の雰囲気があり、情景が広がって、
そうした元々の特性が消えてしまうことはないが、
ブーレーズの直線的な音作りでくっきりと聞かせ、
明確にしっかりとした輪郭が浮かび上がるのは、
かなり独特である。ブーレーズもフランス人だが、
アンドレ・クリュイタンス(出身はベルギーだけど)、
ジャン・マルティノンなどの名盤が知られる中で
アメリカからブーレーズの演奏が発信されたのは、
当時、衝撃であったかと、50年以上が経過して、
いま聞いてもそれは感じる。ここから20年が経ち、
ベルリン・フィルで再録音されたラヴェルの演奏は、
広く受け入れられる普遍性を備えており、比べると
こちらはやはり強烈な存在感があるともいえるか。
そうした中で亡き王女のためのパヴァーヌは美しく、
やはり感動する。左手のためのピアノ協奏曲では、
フィリップ・アントルモンが演奏しており、懐かしい。

SONY SMM5054092

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2025年7月17日 (木)

クラウディオ・アバド 80

クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルで
ブルックナーの交響曲 第1番 ハ短調
(1866 リンツ稿 ノヴァーク版)
1996年1月にウィーン楽友協会大ホールで収録。
アバドのブルックナーを久しぶりに聞いてみている。
交響曲 第1番の再録音であり、1969年の最初に
ブルックナーで取り組んだのが、第1番であった。
後にアバドの晩年である2012年のライヴ盤もあり、
交響曲 第1番にとりわけ熱心であったアバドも
独特であり、少し不思議である。しかしここで聞くと
緊張感に満ちた激しく、厳格な表現と一方の美しく、
ウィーン・フィルの豊かな色合いを引き出す音色で、
アバドのこの交響曲への想いは、強く伝わってくる。
そうした剛柔のメリハリというのは、この再録音で
より強調され、明確になっていることも感じられる。
ブルックナーの後の主要な作品と違って、初期の
渋い存在の交響曲ゆえにアバドの魅力が出たとも
そういえるかもしれないが、それにしても感動する。
ウィーン・フィルとの録音では、理想の名盤である。

DG 453 415-2

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2025年7月16日 (水)

アンドリス・ネルソンス 17

アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団で
ショスタコーヴィチの交響曲 第6番 ロ短調 作品54
劇音楽「リア王」組曲 作品58a
祝典序曲 作品96
2017年4,5月にボストン・シンフォニー・ホールで収録。
アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団による
ショスタコーヴィチの交響曲を収録順に聞いている。
これは素晴らしく、ネルソンスのショスタコーヴィチが
どうも合うように感じられ、いまのところ、どれもいい。
ブルックナーの交響曲よりもショスタコーヴィチの方が、
ネルソンスにはいいように思え、順調に聞けている。
深刻さはないのだが、どこか柔らかい響きに包まれ、
美しさもあり、その美しさとは希望の音色なのである。
こちらの心境の変化もあるが、時代も変わっており、
ショスタコーヴィチの表現も昔とは、全く違っている。
ネルソンスのこのシリーズでそうした新しい感性を
発見するのであり、ショスタコーヴィチも近くなった。
こんなにも楽しく聞けたことって、これまであったか。
後半は「リア王」組曲だが、さらに劇的な展開であり、
炸裂する音色に圧倒され、そして祝典序曲が最高。
のびのびと力も抜けて、音が喜んでいるのを感じる。
いきいきと躍動し、音楽は解放され、鳴りきっている。
厳しく迫ってくるところはどこにもなくて、実に新鮮だ。

DG 483 6728

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2025年7月15日 (火)

フィリップ・ジョルダン 2

フィリップ・ジョルダン指揮パリ・オペラ座管弦楽団で
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」
2016年5月20,23,24日にパリ・オペラ・バスティーユ、
プロコフィエフの古典交響曲 ニ長調 作品25
2016年6月17日にパリ・オペラ・バスティーユで収録。
フィリップ・ジョルダンのすっきりと調和のとれた音作りで
ムソルグスキーの野蛮で凶暴な音楽はここで姿を現さず、
その点でもロシア色は消し去り、ラヴェルの音色である。
ラヴェル編曲による管弦楽版は、ピアノの原曲と違って、
完全にラヴェルの音楽だと思っているので、これがいい。
美しい響きを引き出して、洗練の極みといえるのである。
「はげ山の一夜」など、リムスキー・コルサコフ版の曲と
並べて聞くことに実は抵抗があり、ロシアの音楽ながら
古典的なスタイルで、シンプルに無垢な響きを聞かせる、
この古典交響曲も快適で、ただただ聞き惚れるのである。
ここでは爽快に駆け抜け、切れのよさを聞かせているが、
プロコフィエフの後の交響曲で重く深い音色であったら、
どんな演奏を聞かせるのかと興味が湧いてきてしまった。

ERATO 0190295877910

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2025年7月14日 (月)

リッカルド・シャイー 15

リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で
ディーペンブロックの大いなる沈黙の中に
ホーカン・ハーゲゴードのバリトン独唱で
1994年2月3日にアムステルダムのコンセルトヘボウ、
マーラー 交響曲 第7番 ホ短調
1994年4月15-21日にアムステルダムのコンセルトヘボウ。
リッカルド・シャイーによるマーラーの交響曲全曲を
収録順に聞いている。ディーペンブロックの歌曲から
マーラーの作風に近く、似ている音色による選曲だが、
アルフォンス・ディーペンブロックはオランダ人であり、
1862年の生まれでマーラーより2歳若く、同時代で、
58年の生涯であった。歌曲に才能を発揮したとある。
1906年の作品で、マーラーの交響曲 第7番が完成し、
交響曲 第8番に着手した頃で、作曲の時期も重なる。
マーラーの交響曲 第7番はゆったりとしたテンポで、
非常に丁寧に進められており、細部まで、歌い込まれ、
しかし濃厚にならずに透明感が勝るのは特長である。
明るい音色で夜の暗黒面の要素は希薄といえるか。
このスッキリと明瞭な響きは、音楽を理解する上では、
好感を持つけれど、ドロドロとして、闇にうごめくような、
解決のない恐怖感というものもどこかで求めてしまう。
マーラーの交響曲への理解が進んだ現在においては、
なおも残る永遠の謎で、さらなる先を求めてしまうが、
1980年代のマーラー・ブームから1990年前半では、
マーラーの表現を解析し、明らかにすることこそが、
最大のテーマであったのかもしれない。その方向で、
シャイーは迷いなく、道を突き詰め、得られる解での
安定感ある調和をここでの演奏で実現させている。
混沌を呼び、そこにあえて、飛び込んでいくような、
そんな勢いや迫力が欲しいと、つい思ってしまう。

DECCA 483 4266

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2025年7月13日 (日)

イングリット・ヘブラー 2

イングリット・ヘブラーのモーツァルトで
ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333
1986年8月1-8日にノイマルクトのライトシュターデル。
イングリット・ヘブラーの1980年代後半の演奏で
モーツァルトのピアノ・ソナタ全集を聞いている。
思う以上にピアノはしっかりと鳴り響いているが、
落ち着きのある音で気品に満ちているのである。
モーツァルトの昔からお馴染みのピアノ・ソナタで
しかしそれゆえにあまり聞かなくなっているけれど、
久しぶりに聞くとそれが何とも魅力的で実にいい。
ベートーヴェンに比べれば、シンプルなのだけど、
その中にある陰影が絶妙に美しく、奥行きがあり、
ヘブラーが聞かせると深みが生まれて、最高だ。
こんなにも素晴らしいモーツァルトは他にはない。
やはりこういう演奏を聞いてしまうと感動しかなく、
これが「モーツァルトの女王」の妙技なのである。
それにしてもきれいな音で録音も成功している。

DENON COCQ83689-93

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2025年7月12日 (土)

ミシェル・ベロフ 12

ミシェル・ベロフによるメシアンで
幼子イエスに注ぐ20の眼差し
1969年9月17,18,30日、10月13日にサル・ワグラム。
ミシェル・ベロフでメシアンの作品を聞いている。
ベロフの初期の録音でメシアンの作品が有名で、
輝かしいキャリアは、メシアンにはじまっていると
そういうイメージがあるのだが、このときベロフは
19歳なのであり、それを思うとやはり驚きである。
特別な才能であり、一般人の考えは当てはまらず、
それはわかるけれど、19歳の若さで成熟しており、
このメシアンの演奏は、信じがたい完成度である。
ベロフに続いて、ピエール・ローラン・エマールや
ロジェ・ムラロの例もあり、メシアンの音楽により
才能を開花させる、そういうピアニストが一定して、
フランスには現れるのであり、共通性があるのか、
それこそ凡人には理解の及ばない事実である。
メシアンの才能、その音楽と作品が受け継がれ、
フランスの音楽が築きあげられ、現在があると、
オリヴィエ・メシアンこそ、偉大な作曲家であると
それがいえるのかもしれない。美しい音楽であり、
清らかな響きに聞こえる崇高な精神なのであり、
キリスト教の宗教性については、理解はないが、
その音楽には強く惹かれて、感動するのである。

ERATO 5021732419385

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2025年7月11日 (金)

フランク・ペーター・ツィンマーマン 3

ブレット・ディーンの作品集を聞く。
フランク・ペーター・ツィンマーマンと
ジョナサン・ノット指揮シドニー交響楽団で
ヴァイオリン協奏曲-The Lost Art of Letter Writing
2011年12月にシドニーのオペラハウスで収録、
マーティン・ブラビンズ指揮BBC交響楽団で
遺書(12人のヴィオラのための)
2012年11月にロンドンのBBCスタジオで収録、
デイヴィッド・ロバートソン指揮BBC交響楽団で
無念と愛情
2007年7月22日にロイヤル・アルバート・ホール。
これは素晴らしい作品である。現代音楽だが、
難解さはなく、ブレット・ディーンの音楽は楽しい。
すっかり引き込まれて、夢中にさせるものがある。
フランク・ペーター・ツィンマーマンの独奏による、
ヴァイオリン協奏曲は4つの楽章から構成され、
それぞれ「ハンブルク1854」「デン・ハーグ1882」
「ウィーン1886」「ジェリルデリー1879」となっており、
ハンブルクといえば、やはりブラームスなのであり、
交響曲 第4番の第2楽章からの引用がある。
聞き直したときに改めて気付くのだが、冒頭で
実は最初の音からブラームスに彩られていた。
各楽章にそれぞれ関係する引用があるのかと、
気にしてみたのだが、ブラームスだけであった。
続く、12人のヴィオラ奏者たちによる「遺書」は、
ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書に
発想を得ているのであり、弦楽四重奏曲からの
引用が聞けるのである。その技が面白さであり、
スパイスが興味を引くのだが、音楽に感動する。
「無念と愛情」では、合唱、児童合唱、音響効果、
大編成オーケストラによる、壮大な作品であり、
豊かな音楽に時間を忘れ、ハマってしまった。
いま最も面白いブレット・ディーンなのである。

BIS BIS-2016

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2025年7月10日 (木)

朝比奈隆 2

朝比奈隆指揮大阪フィルによる
ブルックナーの交響曲 第8番 ハ短調(ハース版)
2001年7月23,25日に東京のサントリーホール。
朝比奈隆によるブルックナーの交響曲を聞いていく。
昔から持っているCDを出して、聞き直してみて、
大阪フィルの2001年の東京公演で、朝比奈隆の
最晩年の演奏で交響曲 第8番の最後の録音だが、
この年の年末に朝比奈隆が亡くなって、その後に
発売されたCDであったか。その当時、朝比奈隆を
崇拝しているファンは多かったが、ブルックナーでも
ギュンター・ヴァントの演奏を熱心に聞いていたので、
朝比奈隆の追悼記事が出る中、評価の高い演奏で
このCDを買ってみたのである。久しぶりに聞いて、
テンポに勢いもあって、かなり力のこもった表現で
93歳の朝比奈隆の音楽に衰えは感じられない。
最晩年には、引き締めて、削ぎ落された演奏が、
ブルックナーの交響曲で多く聞かれたのである。
大阪フィルには独特の特長と味もあるのだけど、
研き抜かれた感覚というのが足りなくて、どこか
馴染めないところがあるのだが、しかしそれが、
前半で何かザワザワして、まとまらなかったのが、
第3楽章以降は、不思議なぐらいに美しくなって、
神が舞い降りてくるといいたくなるけれど、これが
朝比奈隆のライヴの魅力で、感動するのである。
奇跡を感じるとすれば、こういうことなのであろう。

EXTON OVCL-00061

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2025年7月 9日 (水)

セミヨン・ビシュコフ 27

セミヨン・ビシュコフ指揮WDR交響楽団による
ワーグナーの歌劇「ローエングリン」~第3幕
2008年5月30日-6月14日にケルンのフィルハーモニー。
有名な前奏曲から婚礼の合唱(結婚行進曲)となり、
その歌声は遠くから聞こえてくる印象だが、それは
物語の中心はローエングリンとエルザの場面にあり、
セミヨン・ビシュコフがますます精妙な響きを引き出し、
それが何とも柔らかい音色で優しさに包まれており、
ゆったりと聞かせて、かつてなく素晴らしいのである。
エルザは気持ちを抑えられなくなり、誓いを破って、
ローエングリンの素性、名前を訊ねてしまうのだが、
そこでもそれを責めることなく、求めには応じると
ローエングリンの深い想いがそこには込められて、
ヨハン・ボータの歌声には、感動がこみあげてくる。
第3場へと場面が転換して、勢いが増してくるが、
それまでの穏やかな印象から変わって、溌溂とし、
何もかもが素晴らしい。ローエングリンは告白して、
高らかに宣言するところは最高の感動なのであり、
ビシュコフがここでも清らかな音色を聞かせている。
後の「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガー」、
それらと比べ「ローエングリン」は、正直なところ、
それほどではないと思っているが、しかし聞くと
やはり感動して、ワーグナーは偉大なのである。

Profil PH18052

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